目次▼
「変な趣味」が自己肯定感にいいという話について
突飛な趣味は自己肯定感を高める、とよく言われる。ただし「誰かの実話」のような体験談は疑ってかかったほうがいい場合もある。自己決定理論という実在する心理学から、この主張の中身を考える。
書店に並ぶ「自己肯定感を高める」メソッドを試し、朝のヨガや丁寧な暮らしを模倣してみても、心の奥底にある空洞が埋まらないことがある。多くの場合、それらは「社会にとって望ましい自分」になるための処方箋であって、自分自身の欲求に応える処方箋ではないからかもしれない。
この文脈で、「誰にも理解されない突飛な趣味」が自己肯定感を高める、という主張をよく見かける。ありがちなのは、こうした主張に「30代のAさんは、火星の土を自作することで自己肯定感を取り戻した」というような、いかにも実在しそうな体験談が添えられていることだ。正直に書いておくと、こうした個人名つきの逸話は、たいてい記事を書く側が説得力を出すために作った創作である。実在の証言なら、実在すると書けばいいだけの話だ。
自己決定理論という、実在する手がかり
「変な趣味が効く」という主張自体は、まったくの根拠なしというわけではない。心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論(Self-Determination Theory)」は、人が心理的に満たされるためには、自律性(自分で選んでいる感覚)・有能感(うまくできている感覚)・関係性(誰かとつながっている感覚)の3つが満たされる必要がある、とする理論だ。
誰もやっていないことに没頭する趣味が満足感をもたらすとすれば、それは「他人の評価軸から外れている=自律性が高い」からだと考えると筋が通る。人気の趣味ランキングに載っている活動は、始めた時点で「うまくやれているか」を他人の基準と比較されがちだが、誰も基準を持っていない活動には比較対象がない。これは効果を保証する話ではなく、「なぜそう感じることがあるのか」の一つの説明にすぎない。
比較対象がない趣味、いくつかの例

火星の土を再現する園芸。酸化鉄を含んだ赤い土を調合し、乾燥や低重力を意識した環境で植物の発芽を観察する。誰も正解を持っていない試みだからこそ、成功も失敗も、比較なしにただの実験データとして眺められる。
ガラクタからの工作。捨てられた電子基板や錆びた歯車を組み替え、機能はなくても見た目に凝ったガジェットを作る。市場価値のなさが、逆に評価から自由になる条件になる。
顕微鏡で見るミクロの世界。昆虫の翅や鉱物の結晶を観察し、記録する。壮大さではなく、細部への集中がもたらす没入がある。

廃墟に一時的な光を添える記録。朽ちていくものをそのまま否定せず、光を当てて写真に残す。「終わっているもの」を肯定的に扱う練習になる。
ただし、万能ではない
自律性が満たされる活動が心地よいのは確かだとしても、それだけで自己肯定感のすべてが説明できるわけではない。自己決定理論自体、有能感や関係性という別の要素も同時に扱っている。誰にも見せない趣味だけを続けていると、有能感や関係性のほうが満たされないままになることもある。「誰も評価しないから楽」という状態は、始めるハードルを下げてくれる一方で、それだけで完結させる必要もない。気が向いたら、誰かに見せてみるのも一つの選択だ。
結び
「変な趣味」が効くという話は、まったくの嘘ではない。ただし、根拠として添えられる個人の体験談は、実在するかどうかを疑ってかかったほうがいいことがある。理屈のほうを見て、自分に当てはまるかどうかは自分で確かめるのが、たぶん一番確実だと思う。
出典
Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). "Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being." American Psychologist, 55(1), 68-78.
