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飽和した日常に風穴を——「異質な趣味」という名の思考実験

飽和した日常に風穴を——「異質な趣味」という名の思考実験

退屈な単純作業を15分こなした人の方が、その後の創造性テストで高いスコアを出した、という実験がある。効率からもっとも遠い場所に置かれた、七つのささやかな実践について。

TOMOAKI··趣味

リフレッシュやセルフケアという言葉は、皮肉なことに、いつの間にか一つの「タスク」に成り下がっているように見える。週末のヨガ、評判のキャンプ地、星の数で選んだマインドフルネスのアプリ。どれも一時的な安らぎはくれる。だがそこには、あらかじめ用意された正解を一つなぞっているだけの、どこか消費的な後味が残る。

疲れの正体は、仕事や人間関係そのものより、その周りにこびりついた「こうあるべき」という枠組みと、そこから逸脱できない自分の観念の方かもしれない。同じ道を通り、似たような情報ばかりを浴びていると、脳は世界に驚くことをやめてしまう。ここで書いてみたいのは、気晴らしというより、その鈍った驚きの回路に、あえて不協和音を送り込むための実践だ。

ヨガのポーズにも、キャンプ地の焚き火にも、非はない。むしろよくできた設計だからこそ厄介なのだと思う。手順が決まっていて、失敗の少ない没入が用意されていて、終わったあとに「今日はちゃんと休めた」という感覚まで丁寧に用意されている。至れり尽くせりの癒やしは、裏を返せば、意識が驚く隙をどこにも残していない、ということでもある。慣れた刺激には脳がすぐに順応してしまうという話は、感覚器官のレベルではよく知られている。同じ匂いを嗅ぎ続ければ鼻が慣れてしまうのと同じ理屈が、心の休め方にも当てはまるとしたら、正解をなぞる癒やしが物足りなく感じられるのは、意志が弱いからではなく、単に順応してしまっただけかもしれない。

とはいえ、「意味のない、非効率な行為ほど頭にいい」という話を、そのまま信じるのは危うい。効かない退屈は、ただの退屈で終わる。2013年、英国セントラル・ランカシャー大学の心理学者サンディ・マンは、40人の被験者に15分間、電話帳の数字をひたすら書き写すという、これ以上ないほど退屈な作業をさせた。その後、発泡スチロールのカップの新しい使い道を考えるテストを受けさせると、この単調作業を経た被験者たちのほうが、テストだけを受けた対照群より多くのアイデアを出した。続報ではさらに踏み込んだ検証をしていて、数字を「書き写す」条件より「ただ読むだけ」の条件のほうが創造性への効果が高いことも分かっている。手を動かして書く作業は頭の中の空白を埋めてしまい、思考がさまよう余地をむしろ奪うらしい。退屈にも、頭を空にできる退屈と、逆に頭を縛ってしまう退屈があるという話で、これは案外見落とされがちな区別だと思う。

では、頭を空っぽにして放浪させればそれでいいのかというと、話はそう単純でもない。2010年にハーバード大学のマシュー・キリングワースとダニエル・ギルバートが発表した研究では、iPhoneアプリを使って2,250人の参加者から日常のランダムな瞬間の思考を集めた結果、人は起きている時間の46.9パーセントを、目の前の作業とは無関係なことを考えて過ごしていて、しかもその「心ここにあらず」の状態のときほど、その後の幸福度が下がるという時系列の分析結果が出ている。退屈は創造性を底上げするが、放浪する心そのものは、幸福感とは相性が悪い。都合よくどちらか一方だけを引用するわけにはいかない。

整理すると、効いているのは「退屈」でも「放浪」でもなく、その中間にある何からしい。意識を空にして垂れ流しにするのでもなく、タスクとして何かを達成しようとするのでもない。ちょうどいい奇妙さを持った対象に、意識を軽く預けておく時間、とでも言えばいいか。ここから先に書く七つの実践は、どれもその狙いを持っている。効率や生産性から最も遠い場所に、意識のための小さな踊り場を作る、という話だと思ってもらえればいい。

ただし、この「奇妙さ」も薬と同じで、量を間違えれば効き目は逆転する。目新しい刺激を求め続ける行為自体が、いつの間にかもう一つの効率競争になっている人を何人か見たことがある。今月はこの趣味、来月は別の趣味と、体験を消費のように積み上げていくと、驚きはむしろ摩耗していく。踊り場は、次から次へと乗り換える場所ではなく、同じところに戻ってきては少し違う顔を見せてくれる場所であってほしい。だから以下の七つも、一度やって終わりというより、飽きるまで、あるいは効かなくなるまで、同じものを繰り返すくらいでちょうどいいのだと思う。

たとえば、音楽を聴くのではなく、世界の鳴り方そのものを記録してみる、という実践がある。地下鉄の軋み、換気扇の唸り、雨がトタンを叩く音。普段は雑音として意識の外に追い出しているものを、あえて録音するという行為に置き換えると、自分が暮らしている場所の響きが、思っていたより豊かだったことに驚かされることがある。マイクを向けるという単純な所作が、耳のフィルターを一段階外してくれるらしい。

似たようなことは、言葉でもできる。古い雑誌やチラシから単語を無作為に切り取り、脈絡のないまま並べてみる。論理的な整合性は要らない。言葉を情報を運ぶための道具から外し、いったん遊びの対象に引き戻す作業は、意味を急いで求める癖でこわばった頭をほぐしてくれる気がする。出来上がった文の並びは、たいてい意味不明で、たまに妙に的を射ていて、その落差自体が面白い。

公園のベンチや道端の消火栓に、これは何を考えてここに立っているのか、という仮説を立ててみるのも一つの手だ。ばかばかしいが、意識を自分以外の、しかも喋らない物に向けている間だけは、自分を主語にした思考のループから少し距離が取れる。長年そこに立っている消火栓のほうが、自分より落ち着いて見えることさえある。

電子レンジを使わず、火加減を見ながら一皿を数時間かけて作る、という実践もある。早さと安さに最適化された日常の中で、あえて時間のかかる工程を選び直すことは、効率を至上のものと見なす価値観への、ささやかな抵抗になる。鍋の中の変化をただ見ているだけの時間は、思いのほか長く感じられ、そして思いのほか早く過ぎる。

小さな瓶の中に苔や石で景色を作る、という手もある。現実の大半は思い通りにならないが、数センチメートル四方だけは、自分の美意識で統治できる場所になる。石を一つ動かすだけで景色の重心が変わる、というのは、机の上の話にしては大げさなくらい満足感がある。

編んだ小さな布を、自宅のドアノブに巻きつけてみる、という実践も試したことがある。コンクリートと鉄でできた街に、自分の手仕事という柔らかいものを一つ置く行為には、外の世界とのささやかな和解のようなところがある。誰かに気づかれることはほとんどないが、それでいい。

そして最後に、半日、窓辺やベンチから動かず、光の移ろいや人の往来をただ眺め続ける、という実践がある。スマートフォンは使わない。マンの実験が示していたように、手を動かさず、ただ受け身で眺めているだけの状態のほうが、思考がさまよう余地は大きい。「何かをしなければ」という強迫観念を手放し、ただの観測者に徹してみると、時間の流れ方が少し変わって感じられる。何も生み出さなかった半日を、それでも悪くなかったと思えるかどうかが、この実践のたぶん本題だ。

始めようとすると、「こんなことをして何になるのか」という声が必ず聞こえてくる。それは、自分が効率性にどれだけ最適化された頭でいるかの裏返しでもある。廃材で作ったものがゴミにしか見えなくても、書いた詩が意味不明でも、そこに正解も失敗もない。それに、最初から誰かに見せる必要もない。SNSでシェアして反応を集めることは、結局また他人の評価軸に自分を差し出す行為に近づいてしまう。誰にも見られない場所で、自分を少し解放しておくほうがいい。

そもそも、この七つを「実践」として番号を振って並べている時点で、自分がやろうとしていることと矛盾している自覚はある。効率から逃れるための手引きを、効率よく読めるリストにして差し出す。そのねじれごと引き受けたうえで、それでも書く価値はあると思っている。リストはきっかけにすぎず、実際にやってみれば、書かれた通りには進まないことのほうが多いはずだ。

効かない日があってもいい

続けていると、ある日、日常の風景が少し違って見える瞬間がある。ストレスの原因が消えるわけではない。ただ、「ストレスを感じている自分」を少し遠くから眺められるようになる、という程度の変化だ。それだけで大した効果ではないと切り捨てることもできる。だが、会社員である自分と、真夜中に廃材で何かを組み立てている自分と、両方を同時に持っておくことは、片方の軸が揺らいだときの支えになる。

もっとも、これを新しい「こうあるべき」に育ててしまえば、話は振り出しに戻る。七つのうちどれか一つを選んで毎週続けなければいけない、と決めた瞬間、それはもうヨガや週末キャンプと同じ、正解をなぞる作業になる。踊り場は、義務化された途端に踊り場でなくなる。効かない日があってもいい。効かないままにしておく余地こそ、効率から最も遠いこの手の実践に、最初から織り込まれているものだから。

出典

  • Sandi Mann, Rebekah Cadman (2014) "Does Being Bored Make Us More Creative?" Creativity Research Journal, 26(2).
  • Matthew A. Killingsworth, Daniel T. Gilbert (2010) "A Wandering Mind Is an Unhappy Mind." Science, 330(6006).