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AIで写真の外側を描き足すことについて

AIで写真の外側を描き足すことについて

生成塗りつぶしで古い写真の枠の外を描き足す機能を試してみて、それが「記憶を補完している」と言えるのか、それとも単に見た目を書き換えているだけなのか、迷った話。

TOMOAKI··趣味

Photoshopの「生成塗りつぶし」や、同種の生成拡張機能を使うと、写真の外側に、あたかもそこに写っていたはずの風景を描き足すことができる。集合写真の端で切れてしまった人の肩、画角に収まりきらなかった山並みの続き。試してみると、驚くほど自然に、それらしい絵が生成される。

最初にこの機能を触ったとき、「記憶の続きが呼び戻された」ように感じた。ただ、少し時間を置いて見返すと、その感覚には注意が必要だとも思うようになった。

AIが描いているのは、記憶ではなく確率

生成拡張が描き出すのは、写真の色調や構図から統計的にありそうな続きであって、実際にその場にあったものではない。当たり前のことだが、この当たり前さを、使っているうちに忘れそうになる。木の枝がどちらに伸びていたか、海岸線がどこまで続いていたか。AIが描いた絵がもっともらしいほど、それが「思い出していた」ものなのか、「今、新しく見せられた」ものなのか、判別がつかなくなる。

人間の記憶自体が、思い出すたびに再構成される不確かなものだという話はよく知られている。だからといって、AIによる補完がそれと同じ性質のものだとは言えない。記憶の再構成には、その人自身の経験という裏づけが(不完全ながら)ある。AIの生成には、その裏づけがない。似ているのは「確定していない」という点だけで、根拠の有無はまったく違う。

試してみた範囲でのこと

いくつかの古い写真で試してみた。カフェで撮った一枚は、背景に他の客の影が写り込んでいて、それを消して緑を足してみると、たしかに写真としての印象は変わった。ただ、それを見て「被写体の心情まで変わった」と言うのは、さすがに言い過ぎだと思う。変わったのは背景の情報量であって、写っている人の表情そのものではない。

山頂で撮った写真の上に雲海を描き足したときも、見栄えは良くなったが、それが「あの日感じた寒さや高さの記憶」を再現したかと言われると、正直そこまでの実感はなかった。単に、写真としての完成度が上がっただけのようにも思う。

使うとしたら、どこまでが誠実か

この技術を使うこと自体を否定する必要はないと思う。ただ、生成した部分を「記憶の復元」だと自分に言い聞かせるのと、「見た目を書き足した加工」だと分かった上で使うのとでは、態度がかなり違う。前者は、いつのまにか写真を自分に都合よく書き換えることを正当化してしまう危うさがある。

写真はもともと、撮影者の立ち位置やレンズの画角に縛られた、部分的な記録でしかない。その不完全さを技術で補うこと自体は自然な流れだと思う。ただ、補った部分がどこまでも「確率的にもっともらしい絵」でしかないという自覚は、手放さないほうがいいのだろう。