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「趣味を仕事に活かす」という発想を、少し疑ってみる

「趣味を仕事に活かす」という発想を、少し疑ってみる

「変な趣味がキャリアを救う」という話を時々見かける。もっともらしく聞こえるが、本当にそうなのか。趣味を実益に変換しようとする発想そのものを、一度立ち止まって考えてみる。

TOMOAKI··趣味

「その趣味、実は仕事に活きるらしい」という話を、時々見かける。サウナにハマっていた人が資格を取って熱波師になり、そこから人脈が広がった。プラモデル作りにのめり込んでいた歯科医が、その緻密さで評判になった。釣りが好きすぎて釣り具メーカーの顧問になった元銀行員もいるらしい。

こういう話は面白いし、読んでいて気分がいい。何の役にも立たないと思っていたことが、実は武器だったと言われると、今やっている趣味にも意味が宿った気がしてくる。以前、自分でもこの手の話を「戦略」として書いたことがある。書いている間は説得力があるように思えた。

ただ、しばらく経って読み返すと、違和感が残った。

「たまたま」を「戦略」と呼び直すことについて

これらの成功譚に共通しているのは、当人が最初からそこを目指していたわけではない、という点だ。好きで続けていたら、後から意味がついてきた——それだけの話を、後から振り返って「タグの掛け合わせ」や「独自ポジショニング」といった言葉で説明し直すと、まるで再現可能な方法論のように見えてくる。

しかし、同じくらい熱心にサウナやプラモデルに没頭していて、何のキャリアにも繋がらなかった人の話は、誰も記事にしない。生存者だけを集めて共通点を探せば、たいていの趣味には何かしらの「効いた理由」をこじつけられる。それは分析ではなく、後付けの物語だ。

実益という物差しを持ち込むと、何が変わるか

「この趣味は仕事に使えるか」という物差しを一度持ち込んでしまうと、趣味の時間の質そのものが変わっていく気がする。ニッチな小冊子を作るのも、図解のスケッチを描くのも、それ自体が面白いからやっていたはずなのに、「これは編集力の証明になる」「これはプレゼン能力の証明になる」と意味づけた瞬間、趣味は静かに仕事の予備校になる。

没頭というのは、たぶん「役に立つかどうか」を忘れている時間のことだ。忘れているからこそ深く潜れる。そこに実益という物差しを持ち込んだ瞬間、頭のどこかで「これは何かの役に立っているだろうか」という計算が始まり、没頭そのものが薄まる。

それでも、何かを続けていると

だからといって、趣味が仕事に何の影響も与えないと言い切るつもりはない。長く続けていれば、その分野の構造を見る癖がつくし、思考の引き出しも増える。それが仕事のどこかで意外な形で顔を出すことは、実際にあるのだろう。ただそれは、趣味を戦略的に選んだ結果というより、単に長く一つのことを見つめ続けた副産物のように思える。

「役に立つから続ける」のではなく、「続けていたら、何かの役に立つこともあった」。この順序を逆にした瞬間、趣味は趣味でなくなる気がする。今こっそり楽しんでいることを、わざわざキャリアの言葉で説明し直す必要は、たぶんない。