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日本の湿気の中で、ドライガーデンをやるということ

日本の湿気の中で、ドライガーデンをやるということ

日本の年降水量は世界平均のおよそ2倍、東京の夏は4か月にわたって湿度が7割台で張りつく。乾燥地の植物をそこに植えるとき、先に決めるべきは株ではなく、水がどれだけ速く抜けるかだった。

TOMOAKI··趣味

ドライガーデンという言葉には、いつも少し宣伝の匂いがつきまとう。「水やりという作業から解放される」「植物との対話が生まれる」。聞こえはいいが、実際にやってみると、最初にぶつかるのはロマンではなく排水の問題だった。

アガベやユッカのような乾燥地帯原産の植物は、もともと水資源の乏しい土地で進化してきた。だから乾燥には強いが、それは「多湿にも強い」ことを意味しない。むしろ逆で、日本の梅雨と夏の高湿度は、彼らにとってはむしろ苦手な環境に近い。根腐れさせてしまった、という話をよく聞くのは、この単純な事実を見落としているからだと思う。

この「苦手な環境に近い」がどの程度のことなのか、数字で見ておきたくなった。

日本は、世界の平均の2倍の雨が降る

国土交通省が水害対策の資料でまとめている数字によると、日本の年降水量は1,718mm。世界平均の880mmに対して、およそ2倍にあたる。

ただしこの数字には注釈がいる。統計期間は1971年から2000年で、出典も年表からの引用とされている。気象庁が現在使っている平年値は1991年から2020年の30年間なので、この数字はひと世代前のものだ。桁として2倍前後、という理解にとどめておくのが正確だろう。

気象庁の現行の平年値で東京を見ると、年降水量は1,598.2mm。全国平均より少ないが、それでも世界平均の倍近い。

乾燥地帯の植物を、その2倍の雨が降る場所に植える。ドライガーデンという営みを一行で言うと、たぶんこういうことになる。

ただし、効いているのは雨量ではない

とはいえ、年間の雨量だけを見ていると話を取り違える。2倍の雨が降ることそのものより、その雨がいつ、どういう空気の中で降るかの方が効く。

気象庁の平年値で東京の相対湿度を月ごとに見ると、6月が75パーセント、7月が76パーセント、8月が74パーセント、9月が75パーセント。年平均は65パーセントなので、夏の4か月だけが10ポイント前後高いところに張りついている。

気象庁の平年値は30年間の平均なので、個々の年はこれより高いことも低いこともある。それでも、夏に湿度が上がる方向の傾向自体が30年の平均として出ている以上、当たり年を待つ種類の話ではない。

この「4か月続く」という部分が厄介だと思う。一日二日の高湿度なら、乾く時間が挟まる。ところが7割台が四か月続くと、鉢や地面の表面は乾いても、その下は乾ききらないまま次の雨が来る。

乾燥地の年間降水量が少ないのは事実だが、それ以上に違うのは、降ったあとに速やかに乾くという点だろう。同じ100mmの雨でも、翌日に乾く土地と、一週間湿ったままの土地では、根が置かれる状況がまったく違う。

言い換えると、植物が受け取っているのは降水量という数字ではなく、根のまわりが濡れている時間の合計である。年間の雨量が同じでも、この合計は土地によって何倍も違いうる。ドライガーデンで管理しようとしているのは、雨量ではなくこの時間の方だ。

「乾燥に強い」が意味していること

乾燥に強い植物が多湿で傷むのは、直感に反するように見えて、仕組みとしてはそれほど不思議ではない。

根は呼吸している。土の隙間にある空気から酸素を取り込んでいるので、その隙間が水で満たされ続けると酸欠になる。ここから先の話はミントを枯らすのは水のやりすぎではなく酸素不足だ、と書いたときに詳しく辿ったので繰り返さないが、要点は、根腐れが「水が多いこと」ではなく「空気がないこと」で起きるという点にある。

乾燥地の植物は、この酸欠に対する備えが薄い。備える必要のない環境で進化してきたからだ。乾燥への適応——貯水組織、厚い表皮、深く伸びる根——は、水が足りない側の問題を解く仕掛けであって、水が多すぎる側には効かない。片側にだけ強く、逆側には特別弱くもないが、備えもない。

だから「丈夫な植物」という括りで買ってくると、話が合わなくなる。丈夫さの向きが、こちらの環境が突きつける問題と噛み合っていない。

排水を設計するという地味な作業

結局、日本でドライガーデンを続けられるかどうかは、見た目のセンスよりも先に、水がどれだけ速く抜けるかで決まる。地植えなら、平らな地面にそのまま植えず、周囲より20〜30cmほど土を盛って高植えにする。これだけで、雨が降ったときに水が株元に滞留しにくくなる。

高植えが効くのは、単に水が横へ逃げるからだけではない。盛った分だけ、株元から地下水位までの距離が伸びる。雨のあと、土の中の水は重力で下がっていくが、下がりきる前に次の雨が来ると、水位は下から上がってくる。20〜30cmの余裕は、その上下動の中で根が水に浸かる時間を減らす緩衝になる。

逆に言うと、庭全体の水はけが悪い場所では、高植えだけでは足りないことがある。盛り土の下がずっと湿っていれば、余裕はすぐ食いつぶされる。粘土質の土地では、暗渠を入れるなり、そもそも鉢で育てるなり、前提から変える判断もいる。

鉢にするか、地植えにするか

ここまで地植えを前提に書いてきたが、この選択自体がいちばん大きな分岐かもしれない。

鉢の利点は、土の柱を丸ごと自分で決められることだ。庭土の性質に関係なく、鉢の中だけは理想の配合にできる。梅雨の長雨のあいだ軒下へ動かす、という荒業も使える。排水を設計するという話の大半は、鉢なら購入時点で片がつく。

代わりに、鉢は乾きすぎる。地面とつながっていないので、夏の晴天が続けば土の柱は数日で乾ききる。乾燥に強い植物なのだから問題ないと思いたくなるが、乾燥に強いことと、鉢の中で根が焼けないことは別の話になる。素焼きの鉢は通気がよいぶん、この傾向が強い。

冬も同じ構図で、地面という熱の緩衝がないぶん、鉢の中は外気温に近いところまで下がる。地植えなら耐えた株が、鉢では傷むことがある。

整理すると、鉢は湿害に強く乾害と寒害に弱い。地植えはその逆になる。日本でいちばん怖いのが湿害である以上、迷ったら鉢から始める方が失敗は少ないと思うが、そのぶん水やりと置き場所の判断は増える。手間が減る方を選んだつもりで、増える方を選んでいることがある。

土の配合は、保水を捨てる方向に振る

土そのものも、保水性の高い一般的な園芸土ではなく、赤玉土と軽石・ひゅうが土を多めに、腐葉土は少量にとどめた排水寄りの配合にする。ゼオライトやくん炭を足すという人もいるが、そこまでしなくても、粒の大きい鉱物質を主体にするという方向性さえ守れば大きく外れない。

粒が大きいほど水が抜けやすいのは、粒と粒のあいだの隙間が大きくなるからだ。細かい土は隙間が小さく、そこに水が毛細管現象で保持される。園芸用土が「保水性がよい」と書かれているとき、褒め言葉として売られているその性質が、ここでは不利に働く。

腐葉土を減らすことには、ためらいがあるかもしれない。有機物は土を豊かにするものだと教わる。ただ有機物は分解の過程で土を細かくし、隙間を埋める方向に働く。乾燥地の土壌が痩せているのは欠点ではなく、そこで進化した植物にとっての標準環境である。

株間を詰めない

もう一つ地味だが効くのが、株と株の間隔を詰めすぎないことだ。見た目には寂しく感じるかもしれないが、風が通る隙間を残しておくと、蒸れによる傷みがかなり減る。密植したくなる誘惑に負けないことが、日本でこのスタイルを維持する条件の一つになる。

密植したくなるのは、たぶん写真の影響が大きい。完成した庭の写真は、株が育ちきって隙間が埋まった状態で撮られている。植えた直後の姿を基準に間隔を決めると、数年後には確実に詰まりすぎる。

そして詰まった庭は、見た目が悪くなるより先に、風が止まる。株元の湿った空気が動かなくなり、夏の4か月間そこに居座る。間隔の問題は美観の問題に見えて、実際には先ほどの湿度の話の続きになっている。

アガベとユッカを、同じ扱いにしていいのか

冒頭で二つをまとめて書いたが、実際に置いてみると性格はかなり違う。

アガベは地面近くで葉を放射状に広げる。この形は、雨水を株の中心へ集める構造でもある。ロゼットの中心に水が溜まったまま高温多湿の日が続くと、そこから傷みが始まることがある。梅雨時に株を少し傾けて植える、という手が語られるのは、この形状への対処だ。

ユッカは幹が立ち上がる。葉の付け根が地面から離れるぶん、水が溜まる構造にはなりにくい。同じ「乾燥地の植物」でも、雨に対する形の不利さが違う。

耐寒性でも差があり、一般にユッカの方が広い範囲を許容するとされる。ただしこれは種によって幅が大きく、「アガベは弱くユッカは強い」と括れるほど単純ではない。買うときに属名だけで判断せず、種名まで見た方がいい理由がここにある。

形の違いが管理の違いに直結する、というのは園芸ではよくある話だが、ドライガーデンの紹介記事では意外と触れられない。雰囲気が似ているので、同じ棚に並べて売られ、同じように扱われる。

砂利を敷くのは、見た目のためだけではない

ドライガーデンの写真には、たいてい株元に砂利や軽石が敷かれている。これは様式として真似されがちだが、機能もある。

ひとつは、雨が土を跳ね上げるのを止めること。跳ねた土が葉の裏につくと、そこが湿ったまま残りやすい。もうひとつは、表面の水が速く抜けること。細かい土がむき出しだと、表面に薄い層ができて水を保つが、粒の粗い層があるとそこで切れる。

ただし効き方には条件がある。砂利の下が保水性の高い土のままなら、表面だけ乾いて内部は湿ったままになる。見た目は乾いた庭に見えて、根が置かれている状況は変わっていない。これはいちばん気づきにくい失敗の形だと思う。表面の乾き具合を見て判断していると、いつまでも原因にたどり着けない。

夏の照り返しも考えておきたい。白い砂利は光を反射するので、株元の温度が上がる。乾燥地の植物は強光には慣れているが、それは風の通る場所での話で、閉じた庭の一角で熱がこもるのとは別の条件になる。

冬に効くのは、寒さより湿った寒さ

耐寒性の表示を見て、氷点下何度まで大丈夫、と判断してしまいがちだが、ここにも噛み合わなさがある。

乾燥地の冬は、冷えるとしても空気が乾いている。日本の冬、特に太平洋側以外では、冷たさと湿りが同時に来る。凍結そのものより、濡れた状態で凍ることの方が組織を壊しやすい。

だから冬の保護は、暖めることより濡らさないことに寄せた方が理屈に合う。不織布を軽くかけるのも、保温というより雨や雪を直接当てない意味合いの方が大きい。株元にマルチングを敷く場合も、保湿目的の資材を選ぶと逆効果になりうる。

もっとも、これはこちらの環境で数年見ての話で、地域によって冬の性格はかなり違う。同じ日本でも、日本海側と太平洋側では前提が別物になる。

耐寒性の表示そのものについても、一つ注意がいる。多くの場合それは原産地や栽培地での観察に基づく目安で、日本の湿った冬で検証された数字とは限らない。マイナス何度まで、という表記を見たときに、それがどういう乾湿の条件での話なのかは、たいてい書かれていない。

買うときに見ているものと、見るべきもの

店頭で株を選ぶとき、目が行くのは形の良さだと思う。葉の開き方、鋸歯の並び、全体の均整。実際それが買う理由なので、否定する話ではない。

ただ、日本での生存率に効くのはもう少し地味な部分だと思う。ひとつは、その株がどういう環境で育てられてきたか。温室で湿度と温度を管理されて育った株を、いきなり屋外の梅雨に出すと、条件の落差が大きい。同じ種でも、屋外で越冬させた株とは体力が違う。

もうひとつは根の状態で、これは買う前にはたいてい見えない。鉢から抜いて確認できる店ばかりではないので、鉢底から根が回り出しているか、株がぐらつかないかといった外側の手がかりで推測することになる。

そして、ここまで書いてきたことの帰結として、買う前に決めておきたいのは置き場所の方だ。どこに置くかを決めてから株を選ぶのと、株を買ってから置き場所を探すのとでは、たどり着く先がかなり違う。後者になりやすいのは、店で見た株が格好いいからで、これは避けようがない部分もある。

枯らしたときに、何が分かるか

実際に枯らすと、原因の切り分けは思ったより難しい。

根腐れは、地上部に症状が出る頃には根の側がかなり進んでいる。葉が変色したのを見て水を控えても、その時点では手遅れなことが多い。逆に、水切れの症状と過湿の症状は見た目が似ていて、しおれた葉を見て水をやり、悪化させるという経路もある。

抜いて根を見れば、黒く柔らかくなっているか、白く張っているかで区別はつく。ただしそれは枯れたあとの答え合わせであって、次に活かせるのは「あの置き場所は湿りすぎだった」という一段抽象化した知識になる。株ごとの判断としては、たいてい遅い。

この遅さがあるので、ドライガーデンの管理は予防に寄る。症状を見てから対処する型が使いにくく、条件を先に整えておく型になる。排水の設計が最初に来るのは、美学の問題ではなくこの理由からだ。

植えたあとに動かせるもの、動かせないもの

ここまでの話を、変えやすさで並べ替えておきたい。

いちばん動かしにくいのは、庭そのものの水はけである。地形と土壌で決まっていて、大がかりな工事をしない限り前提として受け取るしかない。次が株の配置で、植えた直後なら動かせるが、根が張ってからは難しくなる。株間を最初に広く取っておくべき理由はここにある。

比較的動かしやすいのは、鉢の置き場所、砂利の敷き方、冬の保護、水やりの頻度。このあたりは毎年やり直せる。

失敗の話を読んでいると、動かしにくい側の条件を、動かしやすい側の工夫で埋めようとしている例をよく見る。水はけの悪い場所に植えて、水やりを減らすことで対処しようとする、といった形だ。水やりを減らしても、雨は同じだけ降る。

順番として、動かしにくい方から決めるのが理屈に合う。ただ実際には、買った株を持って帰ってきた時点で場所は決まっていることが多い。理屈と手順が噛み合わないのは、この趣味に限った話ではないのだと思う。

「手放す」というほど手放してはいない

水やりの頻度が減るのは事実だが、それは「何もしなくていい」ということではない。土の表面が乾いているかを指で確認してから水をやる、という基本は変わらない。カレンダー通りに水をやる庭よりは手間が減るが、観察をやめていいわけではないというのが、実際にやってみた感覚に近い。

季節ごとの手入れも、派手ではないが必要になる。梅雨時は過湿になっていないか、傷んだ下葉が残っていないかを見る。夏は西日の当たり方によって株の位置を調整することもある。冬は耐寒性の低い株だけ、不織布で軽く保護する。どれも「儀式」と呼ぶほど大げさなものではなく、単に様子を見に行く、という程度のことだ。

手間の総量というより、手間の種類が入れ替わっている。毎日の水やりという定期作業が減り、代わりに「いま土の中がどうなっているか」を推測する作業が増える。前者は決まった時刻にこなせるが、後者は決まった時刻に発生しない。省力化として売られているものが、実は判断の頻度を上げていることがある。

「手のかからない庭」という売り方について

ドライガーデンが「手のかからない庭」として語られるのを見るたびに、少し違うと思う。手のかかり方が変わるだけで、なくなるわけではない。

この言い方が広まる理由も、たぶん単純だ。手のかからなさは、買う前に確認できない。実際に手がかかるかどうかが分かるのは、植えて1年経ってからである。買う時点で検証できない性質は、売り文句として使いやすい。

庭の雑貨をスタイルから選ぶことについて書いたときにも似た構図に行き当たったが、庭まわりの言葉は、完成した写真から逆算して作られていることが多い。写真に写るのは結果だけで、そこに至る排水工事も、詰めすぎた株を抜き直した年も、画面の外にある。

「ドライ」という言葉が、二つの意味で使われている

ここまで書いてきて、言葉そのものが混乱の一因になっている気がしてきた。

ドライガーデンという語は、少なくとも二つの意味で使われている。ひとつは植物の性質を指す用法で、乾燥に強い植物を集めた庭という意味。もうひとつは見た目の様式を指す用法で、砂利と多肉と鉄錆の色でまとめられた、乾いた印象の庭という意味だ。

この二つは重なることが多いので、区別せずに使っても普段は困らない。困るのは、様式として惹かれて始めた人が、性質の側の要求——排水、風通し、置き場所——を後から突きつけられるときだと思う。買ったのは見た目で、維持を求められるのは生理条件の方になる。

逆に、性質の側から入るなら、様式に縛られる理由はあまりない。乾燥に強い植物でまとめた庭が、必ずしも砂利敷きの荒野めいた見た目である必要はない。日本の在来種にも乾いた場所を好むものはあるし、そちらの方が気候との噛み合わせは良い。

この記事はどちらかというと性質の側の話をしてきた。様式として楽しむこと自体を否定したいわけではないが、様式が先に来ると、排水の話が「面倒な現実」として後から登場することになる。順番が逆なら、排水は最初の設計そのものになる。

それでも続けている理由

ここまで面倒な話を並べたが、やめようと思ったことはあまりない。

理由のひとつは、失敗の原因がだいたい環境の側にあると分かっていることだと思う。腕が悪いから枯れた、という説明にならない。湿りすぎた、風が通らなかった、鉢の中が乾かなかった。どれも観察すれば見える条件で、次に変えられる。

もうひとつは、動きが遅いことだ。アガベは1年で見違えるほどには育たない。数か月ぶりに見て「少し葉が増えたか」という程度の変化しかない。その遅さは、毎日確認する必要がない、という形の楽さでもある。日々の水やりから解放されるという宣伝文句が指しているのは、たぶん本当はこの遅さのことなのだと思う。

手放せるのは作業ではなく、頻度の方だった。そう言い直すと、最初に感じた宣伝の匂いも、まったくの誇張ではなかったことになる。

ここに書いたことの範囲

最後に断っておくと、排水や配合について書いた部分は、こちらの庭で数年やってみた結果であって、比較実験をしたわけではない。高植えにしたから枯れなかったのか、たまたま雨の少ない年だったのかは、区別できていない。

数字として確かなのは、日本の降水量が世界平均のおよそ2倍であることと、東京の夏の相対湿度が4か月にわたって年平均を10ポイント前後上回ること。この二つは公的な統計で確かめられる。そこから「だから高植えが要る」までは、理屈としては筋が通っていても、実証を経た主張ではない。

それでも書いておきたかったのは、ドライガーデンの話がたいてい植物の選び方から始まるからだ。どの株が格好いいかより先に、自分の土地がどれだけ速く乾くかを見た方がいい。順番としてはそちらが先で、そこを飛ばすと、丈夫なはずの植物が理由の分からないまま枯れる。

もっとも、そう書いている自分も、最初は株から入った。順番が逆だったと気づいたのは、二度目に枯らしたあとである。だから、これは他人に順番を守らせるための話ではなく、飛ばした場合に何が起きるかの記録として読んでもらう方が正確だと思う。

出典

  • 国土交通省「水害対策を考える 3-1-1 世界平均の2倍、日本の降水量」。日本の年降水量1,718mm、世界平均880mmという数値による。統計期間は1971〜2000年で、同ページは『世界年表2005』からの作成と注記している。現行の気象庁平年値(1991〜2020年)とは期間が異なる。
  • 気象庁「東京 平年値(年・月ごとの値)」(統計期間1991〜2020年)。相対湿度の月別値(6月75%、7月76%、8月74%、9月75%、年平均65%)および年降水量1,598.2mmによる。