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部屋の広さ感を左右するのは配置か——模様替えの助言を実験で確かめる
対角線上に視線を通す、家具の高さをそろえる——模様替えの定番の助言は、実験で確かめられていたのか。家具の有無と壁・天井の明るさを調べた研究と、新しさがもたらす高揚の短い寿命から考える。
賃貸の八畳一間で、家具を動かした人がいるとする。テレビとソファを向かい合わせにする配置をやめてテーブルを部屋の中央に据え、天井の一灯を消してスポットライトとフロアランプに替え、壁の一面だけ薄いグレーの壁紙に貼り替える。数日は、部屋が本当に広くなったと思うだろう。ドアを開けたときに対角線上の窓まで視線が抜けるようになったからだ、家具の高さがそろったからだ、と自分なりの理由をつけたくなる。100円ショップの収納ケースには質感のあるシートを貼り、LEDテープは棚の裏に隠して光源そのものが見えないようにする。安っぽさが気にならなくなったのも、その工夫のおかげだと思うかもしれない。
だが半年ほど経って、同じ部屋を見たときに、ふと引っかかる人もいるだろう。広くなったと感じたのは事実として、その理由として挙げていた説明は、本当に検証に耐えるものだったのか。視線の抜け、家具の高さ、素材の統一——これらは模様替え系のメディアで判で押したように繰り返される理屈で、その理屈をなぞって納得していただけではないか。調べてみると、この手の通説の多くは、実験で直接確かめられたものではなかった。
これは模様替えの手順書ではない。むしろ、模様替えについて信じられていることのうち、どれだけが本当で、どれだけが単なる後付けの物語かを疑う話である。狭さの正体を床面積の問題だと思い込みがちなのと同じように、模様替えの効果の正体も、思われている場所とは別のところにあるのかもしれない。調べ始めてわかったのは、環境心理学や視覚神経科学の分野では、部屋の「広さ感」よりも先に、人が空間から受け取る心理的な影響そのものが古くから研究の対象になってきたということだ。バーカーが1960年代に体系化した「行動セッティング」(土台は1950年代のバーカーとライトの観察研究)という考え方はその代表格で、人の行動は、物理的な場と、そこで繰り返される行動の型や決まりとが組み合わさった単位によって形づくられる、という立場を取る。部屋を変えれば人の気分や行動が変わるという発想自体は、決して思いつきではなく、この分野の本流に近い発想だった。問題は、どのメカニズムがどれだけ効いているかを、印象ではなく数字で確かめることの方にある。
家具の「配置」ではなく「有無」を調べた実験結果
「家具を対角線上に配置して視線を通す」「家具の高さをそろえる」という助言は、インテリア系の記事にほぼ必ず出てくる。これを検証した研究がある、と紹介したいところだが、正確に言うとそうではない。マインツ大学のフォン・カステルらが2014年に発表した実験は、家具を壁際に沿わせた一定の配置のまま固定し、家具の有無と部屋の床面積を変えて(家具の量は固定なので、広い部屋ほど家具の割合は下がる)、広さの見え方を調べたものだった。同じ量の家具をどう並べ替えるか、つまり「配置」そのものを比較する実験は行われていない。縮尺10分の1の模型の部屋を使った実験1(80人)では、家具ありの部屋のほうが「広々している」という評定が下がったが、効果量は決して大きくなく(dz=0.38)、論文自身がこれを「弱い効果」と記している。一方、家具ありの部屋のほうが、天井は高く見積もられた。スクリーンとLCDシャッターグラスによる立体映像で部屋のサイズ差を再現した実験2(40人)では、家具の効果は統計的に有意ではなくなった。研究者たちは、仮想の部屋では壁などの境界が目立ちすぎたことや、床に占める家具の割合が低かった(最大でも約12%)ことが原因ではないかと推測している。
この結果が示すのは、家具があるかないかが広さ感にいくらか影響するらしい、という、やや身も蓋もない話である。しかもその効果は、模型の実験で弱く検出された程度で、立体映像の条件では確認されなかった。対角線上に視線を通す、家具の高さをそろえるといった「配置」の助言は、この論文には出てこない。配置を操作した先行研究も一つ紹介されていて、そこでは配置は広々感に効かなかったという(この論文の紹介による二次情報)。そうした助言そのものを確かめた研究は、探した範囲では見当たらなかった。テーブルを中央に動かして広さが変わったように感じたとしても、それが対角線の視線のおかげだと言える根拠は乏しく、物の総量が結果的に減ったから、という説明のほうがまだ実験に近い。ただし、それも模型の弱い効果にとどまる。
なぜ配置のコツはこれほど繰り返し語られるのか、という点も考えておく価値がある。一つには、配置の工夫は写真映えし、手順として説明しやすいという事情がある。「物を減らしましょう」は一行で終わるが、「対角線上に視線を通しましょう」は図解にでき、記事にもなる。もう一つには、配置を変えた直後の高揚——後で見るように、これ自体は起こりうる現象だ——を、たまたまその場にあった配置の理屈に結びつけて記憶してしまう、という単純な取り違えもあるのかもしれない。効果があったとしても、原因の特定を誤っているだけ、という組み合わせは、この種の生活の知恵ではめずらしくない。
壁を明るくする、という助言は、天井の高さには効いていた
色についても、似たことが起きていた。壁を明るい色でまとめると部屋が広く感じられる、という話は広く流通しているが、その中身は思ったより単純ではない。マインツ大学のオーバーフェルトらが2010年に仮想現実環境で行った二つの実験(12人と20人)では、天井を明るくすると天井が高く感じられるという予想通りの結果に加えて、壁を明るくしても——天井の色を変えなくても——独立に天井が高く感じられるという結果が出た。しかもこの二つの効果はほぼ足し算になっており、「天井と壁のコントラストが効いている」という従来の説明とは食い違う。天井だけ明るくしても、壁だけ明るくしても、それぞれ単独で効く、というのが著者らの読みだ(壁の効果を示したのは12人の最初の実験)。さらに、床の明るさは天井の高さの見積もりにほとんど影響しなかった。広々感など、ほかの印象への影響は、この研究では測られていない。
この結果を踏まえると、天井を高く見せたいだけなら、床材の色にまで神経質になる必要は、おそらくない。ただし、この実験は仮想現実上の再現で、測ったのも天井の高さの見積もりだけだ。実際の部屋の照明や素材の質感が同じように働くとは限らない。著者らは「床の色は自由」という経験則を言い切っているが、その範囲を超えて広げるのは避けたい。それでも、少なくとも「床の色まで神経質にそろえる必要がある」という前提を疑う根拠にはなる。
では、何が効いていたのか
配置の工夫は、直接検証された効果が見つからない。家具の有無の効果も弱く、頼りない。色は一部しか効かない。それでも模様替えの直後は、部屋が違って見えたり、気分が上向いたりする人は多いだろう。この食い違いを埋める候補として浮かぶのが、「新しさ」そのものが脳に与える効果である。ロンドン大学のブンツェックとデュゼルが2006年に行った脳機能画像研究では、同じ顔や風景の画像を繰り返し見せる課題の中に、初めて見る画像を混ぜると、その新しさの度合いに応じて、中脳の黒質・腹側被蓋野——ドーパミン神経細胞の細胞体が集まる領域——の活動が高まった。著者らの結論は、この領域が新しさの度合いを表し、学習を後押しするかもしれない、というもので、プレスリリースによれば、新しさは報酬そのものではなく、探索を促すボーナスにあたるとされる(二次資料による)。この研究は気分を測っておらず、刺激も初めて見る写真で、見慣れた部屋の並べ替えではない。部屋の配置が変わったこと自体が、床面積や視界の抜けを実質的に変えていなくても、脳にとっては新しい刺激として処理され、気分の底上げにつながっている、という見立ては、あくまで筆者の推測である。
だとすると、模様替えで効いているのは「空間の最適化」ではなく「変化それ自体」かもしれない、というもう一段階の反転が起きる。極端に言えば、家具を右に十センチ動かすのと左に十センチ動かすのとで、効き目にそれほど差はないのかもしれない。これも筆者の見立てで、確かめた研究は見当たらない。配置の工夫に自信を持っていた人にとっては、この可能性はいくらか気恥ずかしいだろう。
引っ越しの高揚でさえ、数年で薄れる
ここで話は住み替えの研究に接続する。ドイツの世帯パネル調査(SOEP)で、引っ越した借家人を追ったヴォルブリングの2017年の分析では、住宅満足度は引っ越し直前に大きく落ち込み——引っ越しを決める人ほど、今の住まいへの不満がもともと強いという選択の効果だ——引っ越し直後に大きく跳ね上がり、その後は年を追うごとに下がっていき、引っ越しの数年前の水準と同程度に戻ることが示されている。抄録によれば、選択の効果のぶん、直前の水準よりは上にとどまる。住まいそのものが理由の引っ越しでは効果がいくらか残る一方、人生の出来事に伴う引っ越しでは効果は一時的なものにとどまった。ただしこの研究は新奇性を扱っておらず、適応の説明としては、慣れや、願望水準の上昇、比べる相手の変化が挙げられている。模様替えは住み替えよりずっと小さな変化だが、同じような曲線の縮小版をたどっている可能性はある。
同じような摩耗が模様替えにも起きるのだとすれば、模様替えを「これで完成」と捉える態度そのものが的外れになる。効果が薄れるのは失敗ではなく、慣れという一般的な性質を考えれば、ありうる帰結である。むしろ問題は、摩耗した後に何が部屋に残るか、の方にある。
新奇性が消えたあとに残るもの——散らかりとコルチゾール
カリフォルニア大学ロサンゼルス校のサックスビーとレペッティが2010年に発表した研究は、新奇性が消えた後の「地の状態」を測るのに近い。米国の共働き夫婦30組(60人)に自宅を案内してもらい、その語りを言語解析にかけ、「散らかっている」「未完成」「直さないといけない」といった言葉(ストレスのかかる家)と、「落ち着く」「自然」といった言葉(回復できる家)を指標化した。妻では、前者の言葉が多い人ほど、平日三日間のコルチゾール——いわゆるストレスホルモン——の一日の下がり方が平坦になり、一日のうちに落ち込みが強まっていく傾きも大きかった。コルチゾールの下がり方が平坦なのは、健康上あまり望ましくないパターンとされている。後者の言葉が多い妻ではその逆の傾向が見られた。ここで注意が必要なのは、この関係が妻でのみ現れ、夫ではほとんど見られなかった点である。同じ部屋に住んでいても、家の状態と心身の結びつきの強さは一様ではない。研究者たち自身も、これは相関であって因果を証明したわけではないと断っている。散らかりが人を疲弊させるのか、疲弊している人ほど部屋が散らかりやすいのか、あるいは家事や「家を整える」役割の分担の偏りが背景にあるのか、この研究だけでは切り分けられない。
ただ、引っ越し後の満足度が数年で元の水準に近づくという先の知見と重ねると、輪郭は見えてくるのかもしれない。模様替え直後の高揚はいずれ薄れる。薄れた後に残るのは、物の絶対量と、散らかりの慢性的な水準そのものだ、というのは筆者の読みである。配置の工夫でも壁紙の色でもなく、そこに戻ってくる。しかもその戻り方は、住む人によって重さが違うかもしれない、というのがサックスビーらの研究の落ち着きどころである。
この男女差については、あまり単純化しない方がいい。著者ら自身も、家事や家の管理の責任の偏りという解釈と、調査者に家を見せる場面での見られ方の意識(自己呈示)という解釈の両方を挙げている。家事や「家の状態を整える」役割が、今も統計的には女性側に偏って配分されがちだという背景を踏まえれば、部屋の乱れがその人の直接のストレスというより、乱れを自分の責任として引き受ける立場に置かれているかどうかの代理指標になっている、という読み方もできる。だとすれば、この研究が測っていたのは部屋そのものの心理的な効果というより、部屋を誰がどう背負っているかという、もう一段上の構造の影だったのかもしれない。狭い部屋の模様替えを語るとき、この構造の話まで一緒に持ち出すのは大げさに見えるかもしれないが、コルチゾールの日内変動という身体的な指標にまで差が出ているという事実は、軽く扱ってよい話ではないはずだ。
物の多い視界では、見えるものどうしが競り合っているのかもしれない
もう一つ、感覚のもっと手前で起きているかもしれないことがある。プリンストン大学のマクメインズとカストナーが2011年に発表した研究は、視野の中に複数の視覚刺激が同時に存在すると、それらが視覚皮質の神経反応のうえで互いの活動を抑制し合うという、先行研究(カストナーらの1998年)で知られる競合を前提に、10人の被験者の脳活動を調べた。図形がまとまって一つの形に見えるほど、この抑え合いは小さく、注意による調整もそれに応じて変わった。使われた刺激は視野の一角に置かれた四つの図形で、部屋ではない。この知見を部屋に当てはめれば、物が多い視界は、視覚皮質の段階で刺激どうしが競合している可能性がある、と言えるが、これは筆者の推測で、この研究は気分も部屋も測っていない。なお、まとまりで抑え合いが変わるという点は、並べ方が見え方を変えうることを示唆していて、先の配置の話とは緊張関係にある。
カプラン夫妻の1989年の著書で展開され、S・カプランの1995年の論文で整理された注意回復理論は、別の方向から関係しそうな理論だ。仕事や画面作業のような、意識して方向づける注意を使い続けると、その注意そのものが疲弊する。逆に、努力を要さずに気を引かれる「柔らかな面白さ」のある環境に身を置くと、その疲弊が回復するという理論で、彼らはこうした環境が持つ性質を、日常から距離を置けること、探索したくなる広がりがあること、目的に合っていること、努力なしに関心を引くことの四つで説明した。この理論は片づけについては何も言っていない。片づいた部屋がもたらすのは広さの錯覚というより視覚系にかかる負荷の軽減で、新奇性の効果とは別の、もっと持続的な部類の話かもしれない、というのは、ここまでの知見をつないだ筆者の推測である。もっとも、この理論はもともと自然環境の回復効果を説明するために組み立てられたもので、八畳の賃貸部屋がどこまで「日常から距離を置ける場」になり得るかは、理論が扱ってきた範囲の外にある(カプランらは博物館のような場にも当てはめている)。
模様替えの高揚と、片づけによる負荷の軽減は、混同されやすいが別の現象かもしれない。前者は薄れていく。後者は、物の絶対量を減らし続ける限り、続くのではないか。この二つを同じ「模様替えの効果」として一括りにしてしまうと、なぜ去年あれほど気に入っていた配置に、今年は何も感じないのかが説明できなくなる。去年の配置そのものは何も変わっていないのに、感じ方だけが変わったのだとすれば、その落差の説明として「配置が古くなった」という言い方は、原因と結果を取り違えている。古くなったのは配置ではなく、それに対する反応の方なのかもしれない。
この区別は、模様替えをやめるべきだという話にはつながらない。ただ、二つの効果を混同したまま、片づけをしても物を減らしても一向に部屋への飽きが収まらないとしたら、それは片づけが足りないからではなく、単に新奇性という別の資源が切れているだけかもしれない、という見立てはできるようになる。負荷の軽減で解決できる不満と、新奇性でしか解決できない不満を、同じ「模様替えで何とかする」という一つの動作にまとめて期待するのは、そもそも無理があったということだ。
賃貸という制約は、思うほど効き目を左右しない
賃貸だから壁に穴を開けられない、という制約は、模様替えの語りでは大きな障害として扱われがちだ。突っ張り式の柱を使えば棚を作らずに済むとか、貼ってはがせる壁紙シートなら原状回復ができるとか、そうした工夫を積み重ねることに意味を感じる人は多い。しかしここまでの知見を踏まえると、その制約は、効き目を左右する変数としては、思われているほど本質的ではないのかもしれない。突っ張り棒の柱を使おうが、本来なら壁に釘を打とうが、床に置く物の総量が減って視覚的な競合が減るなら効果は変わらないはずで、よく言われる配置の工夫の効果は、直接確かめた研究が見当たらない。ここまでの研究で示唆された変数は、家具の有無(物の量に近いもの)と、壁と天井の明るさ(天井の高さの見積もりについて)で、賃貸でもコントロールしやすい。制約への工夫それ自体に注いだ労力の一部は、報われにくいのかもしれない。
賃貸という条件が模様替えの語りの中で過大に扱われがちなのは、それが「できないことの言い訳」としても「工夫の見せ場」としても、物語として使い勝手がいいからだろう。壁に穴を開けられないという制約を乗り越える創意工夫、という筋書きは、それ自体がひとつのコンテンツとして成立してしまう。だが、ここまでの研究がかすかに示した変数——家具の有無と、天井の高さの見え方に効いた壁・天井の明るさ——から見れば、賃貸か持ち家かは、大きな違いにはならないのかもしれない。制約を克服する話は面白いが、面白さと効果の大きさは別の軸にある。
これらの研究自体にも、留保はいる
ここまで積み重ねてきた反転を、そのまま鵜呑みにするのも危うい。フォン・カステルらの実験は模型とVRという、実際の生活空間とは別の環境で行われている。サックスビーとレペッティの研究は60人、30組という決して大きくないサンプルで、しかも米国の共働き夫婦という特定の層に限られる。ブンツェックとデュゼルの新奇性研究は健康な成人を対象にした実験室の課題であり、実生活での部屋の模様替えとは刺激の強さも文脈もまるで違う。ヴォルブリングの住宅満足度の分析はドイツの家計パネルという一国のデータに基づいており、賃貸文化も住宅事情も異なる社会にそのまま当てはめられる保証はない。
それぞれの研究は、それぞれの範囲でしか語っていない。これらを並べても、「配置より総量、コツより新奇性、そして新奇性は摩耗する」という筋が実証されたわけではなく、それぞれが別々のことを測っている。視覚神経科学の知見と、社会心理学の知見と、経済パネルデータの知見が、ゆるやかに似た方向を指しているように見える、というのが、筆者に言える範囲だ。「証明された」という強さではなく、「いくつかの弱い証拠を、筆者がつないだ」という、慎重な強さの話として受け取っておきたい。
変化を求める気持ちを、否定する話ではない
ここまで並べた話は、模様替えの意味を薄めるためのものではない。新奇性が生む高揚が起こりうるもので、いずれ薄れるとしても、その薄れるたびに新しい刺激を求めるのは、自然なことだろう。新しさに反応する仕組みが中脳にあるらしい(ブンツェックらの研究が測ったのは血中の酸素の信号で、ドーパミンそのものではない)以上、それを気の迷いとして切り捨てる理由はない。住宅満足度の研究では、住まいそのものが理由の引っ越しには、効果がいくらか残っていた。模様替えについても、単なる気晴らし以上のものが積み重なっている可能性はある。
ただ、次に部屋を変えるとき、自分が説明として使う言葉には注意したい。「視線が抜けるようになった」も「配置を工夫した」も、後付けの物語であることも多く、実際に起きているのは、物が減ったことによる視覚的な負荷の軽減と、変化そのものが気分に与える一時的な効果という、もっと地味な二つの現象かもしれない(どちらも、部屋の模様替えで直接確かめた研究は見つけられていない)。部屋を変えるたびに広くなった気がするのは、部屋が変わったからというより、脳が変化を評価する仕組みを律儀に働かせているからではないか、というのが、ここまでの筆者の見立てだ。
この理解に立つと、模様替えの頻度についての態度も少し変わる。新奇性が摩耗するのを前提にするなら、一度の模様替えで「完成形」を目指す発想自体が、そもそも成り立たない目標を追いかけていることになる。数か月おきに小さく変え続けるのと、数年に一度大きく変えるのとで、気分への効果の総量にどれほど差があるのかは、今回調べた範囲の研究では答えが出ない。ただ、少なくとも「今度こそ完璧な配置を見つければ、この満足感がずっと続く」という前提だけは、手放しておいたほうがよさそうだ。ヴォルブリングの分析が示していた数年という推移も、住宅という大きな変化についてのものであり、部屋の中の小さな模様替えがどれくらいの周期で摩耗するのかは、まだ誰も測っていない。
そして、もし本当に効いているのが物の総量と壁・天井の明るさ、それに新奇性という三つだけなのだとしたら、模様替えにかける時間の配分は、見直す余地がある。配置のシミュレーションに費やす時間を、単純に物を減らす作業と、次にどんな変化を持ち込むかを考える時間に振り向けたほうが、同じ労力でより長く効く可能性はある。もっとも、配置をあれこれ試すこと自体が楽しいのであれば、それはそれで新奇性を生む行為の一つであり、効率だけで測れる話でもないのだが。
「空間を最適化する」という言葉で呼ばれる営みが、実際には「脳に新しい刺激を与え続ける」営みと、「視界にかかる負荷を減らし続ける」営みという、性質の異なる二つの作業を混ぜているのかもしれない、というのが、ここまでの話から言えることだ。前者は次々と乗り換えていくもので、後者は一度整えたら維持するだけのもの、という見立てである。この二つを混ぜて一つの「模様替え」という言葉に押し込めていることが、混乱の出どころなのかもしれない。
出典
- von Castell, C., Oberfeld, D., & Hecht, H. (2014). The Effect of Furnishing on Perceived Spatial Dimensions and Spaciousness of Interior Space. PLoS ONE, 9(11), e113267.(本文で確認)
- Oberfeld, D., Hecht, H., & Gamer, M. (2010). Surface Lightness Influences Perceived Room Height. Quarterly Journal of Experimental Psychology, 63(10), 1999–2011.(本文で確認)
- Bunzeck, N., & Düzel, E. (2006). Absolute Coding of Stimulus Novelty in the Human Substantia Nigra/VTA. Neuron, 51(3), 369–379.(抄録で確認。本文は未入手で、一部はプレスリリースによる二次情報)
- Wolbring, T. (2017). Home Sweet Home (原題の感嘆符は省略): Does Moving Have (Lasting) Effects on Housing Satisfaction? Journal of Happiness Studies, 18, 1359–1375.(抄録と著者のスライドで確認。本文は未入手)
- Saxbe, D. E., & Repetti, R. (2010). No Place Like Home: Home Tours Correlate With Daily Patterns of Mood and Cortisol. Personality and Social Psychology Bulletin, 36(1), 71–81.(本文で確認)
- McMains, S., & Kastner, S. (2011). Interactions of Top-Down and Bottom-Up Mechanisms in Human Visual Cortex. Journal of Neuroscience, 31(2), 587–597.(本文で確認)
- Kastner, S., De Weerd, P., Desimone, R., & Ungerleider, L. G. (1998). Mechanisms of Directed Attention in the Human Extrastriate Cortex as Revealed by Functional MRI. Science, 282(5386), 108–111.(McMains & Kastner 2011 に引かれた先行研究。書誌のみ確認)
- Kaplan, R., & Kaplan, S. (1989). The Experience of Nature: A Psychological Perspective. Cambridge University Press.(本は未入手。四つの性質は二次情報による)
- Kaplan, S., Bardwell, L. V., & Slakter, D. B. (1993). The Museum as a Restorative Environment. Environment and Behavior, 25(6), 725–742.(書誌のみ確認)
- Kaplan, S. (1995). The Restorative Benefits of Nature: Toward an Integrative Framework. Journal of Environmental Psychology, 15(3), 169–182.(書誌のみ確認)
- Barker, R. G., & Wright, H. F. (1955). Midwest and Its Children: The Psychological Ecology of an American Town. Row, Peterson.(本は未入手。観察研究。二次情報による)
- Barker, R. G. (1968). Ecological Psychology: Concepts and Methods for Studying the Environment of Human Behavior. Stanford University Press.(行動セッティングの体系化。二次情報による)
