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「デジタルデトックス」という言葉を使わずに、スマホとの距離を考える
デジタルデトックスの語彙は、脳科学の装いをまとった大きな物語を作りやすい。DMNやドーパミンといった言葉を外して、実際にスマホを置いて変わったことだけを書き出してみる。
「デジタルデトックス」という言葉には、独特の重々しさがある。デトックスという以上、体には毒素が溜まっていて、それを排出する処置が必要だ、という前提が入り込んでいる。スマホを置くという、ただそれだけの行為に、治療めいた響きを与えてしまう言葉だと思う。
この手の記事は、たいてい脳科学の用語を伴う。デフォルト・モード・ネットワークが活性化する、ドーパミンの報酬系がリセットされる、というような話だ。数字がついていると説得力があるように見えるが、出典を辿ってみようとすると、たいてい辿り着けない。断定できるほど確かな話ではないものが、断定の形で流通している。
「通知で途切れた集中力は元に戻るまで23分かかる」という数字も、あちこちで見かける。ただ、これを裏取りしようとすると、少し奇妙なことが分かる。この数字を調べに行くと、たいていカリフォルニア大学アーバイン校の情報科学者グロリア・マークの名前に行き着くのだが、彼女自身が発表した査読論文の中には、この「23分15秒」という数字そのものが見当たらない。実際にオフィス労働者の作業を数日間観察した2008年の論文はあり、中断によって作業のペースが上がりストレスが増えるという知見は確かに存在する。だが「23分」という具体的な値は、2006年のインタビュー記事で語られた発言が独り歩きしたものらしく、査読を経た論文としての出どころは、今回調べた範囲では見つからなかった。DMNやドーパミンの話のように完全な作り物というわけではないが、査読論文に基づく確かな数字でもない。実在する研究者の名前がついているぶん、かえって出典があるように見えてしまう、という点では厄介さが増しているとも言える。
もっとも、中断そのものに代償がないわけではない。経営学者ソフィー・ルロワが2009年に「注意の残留(attention residue)」と名付けた現象によれば、ある作業を中断して別の作業に移っても、意識の一部は前の作業に留まり続け、次の作業の成績を落とすという。この効果自体は、彼女自身が行った複数の実験(研究室での実験とフィールド調査の両方)を通じて確認されている。ただしルロワが測ったのは「意識の一部が残る」という質的な傾向であって、23分という具体的な数字ではない。中断に代償があること自体は本当らしいが、その代償に正確な単位をつけられるほど、まだ研究は精密ではない、というのが実情に近い。
治療の言葉を外すと、何が残るか
脳科学の装いを外して、実際にスマホを置いてみて変わったことだけを書き出すと、驚くほど地味なものしか残らなかった。
- 通知を切ると、確認する回数そのものが減る。これは体感として分かりやすい。理由を「ドーパミン・システムの正常化」と呼ぶ必要はなく、単に見る機会が減っただけの話だ。
- 寝室に持ち込まないようにすると、寝る前に見る時間がなくなる。当たり前のことだが、当たり前のことしか効いていない。
- 電車の中で画面を見ない時間を作ると、手持ち無沙汰になる。その手持ち無沙汰こそが目的だったはずなのに、数分もすると別の何か(大抵はまた画面)で埋めたくなる自分に気づく。
並べてみると、これは「聖域を作る」でも「憲法を策定する」でもなく、通知を切る、置く場所を決める、というだけの話だった。仰々しい言葉を持ち込まなくても、効果があるとすればこの程度のことで、なぜかそれ以上の大きな物語が必要とされる。
物語が必要とされる理由
おそらく、「通知を切りました」だけでは記事にも自己申告にもならないからだろう。そこに「脳の革命」や「自己変革」という言葉を足すと、地味な生活習慣の調整が、何か達成したことのように見えてくる。デジタル・ファスティングという言葉も、リトリートという言葉も、同じ機能を果たしている。行為そのものの小ささを、言葉の大きさで埋め合わせている。
そして物語が大きくなるほど、抜け出せなかったときの敗北感も大きくなる。「23分間の深い集中」を取り戻すはずが取り戻せなかった、「聖域」を守れなかった、というふうに、失敗の基準までセットで輸入してしまう。何もしていない時間に耐えられなかった、というだけのことが、依存というラベルの下でより重く扱われてしまう。
「置いてあるだけ」の効果も、一枚岩ではなかった
もう一つ、よく引用される話がある。心理学者エイドリアン・ウォードらが2017年に発表した実験では、スマホの電源を切って何もしなくても、机の上に置いてあるという事実だけで、被験者の作業記憶を測る課題の成績が下がった。触っていない、通知も来ていない。それでも「そこにある」というだけで、注意力の一部が奪われていたことになる。約800人を対象にしたこの実験では、スマホを別室に置いた条件が、机の上に置いた条件より11.2パーセント高い成績を出した。ポケットやバッグにしまった条件との差は2.3パーセントで、視界にも手の届く範囲にも入れない場合が最も成績が良かった。「見えない場所に置く」というだけの単純な工夫に、それらしい裏付けを与えてくれる結果だった。
ただし、この話にも留保がいる。2022年に行われた追試では、同じ課題設定でスマホの位置を変えても、成績に有意な差は見つからなかった。「机の上に置いてあるだけで注意力が落ちる」という効果そのものが、思われているほど頑健ではないかもしれない、ということだ。ある実験で確認された効果が、別の研究室で同じ手順を踏んでも再現されないというのは、心理学の実験ではめずらしい話ではない。この記事の冒頭でDMNやドーパミンの話を「出典を辿れない」と切り捨てたが、出典があるはずの実験でさえ、この程度の不確かさはついて回る。
置くか置かないかだけの話
スマホを置いて生まれる時間に、何か特別な意味を用意しておく必要はないと思う。手が空いた、それだけでいい。そこに退屈が残るなら、退屈のままにしておいてもいいし、前から気になっていた別のことをやってもいい。いずれにせよ、それは「脳の余白」という壮大な名前をつけるほどのことではなく、ただの空き時間だ。
デジタルデトックスという言葉を使わずに済ませられるなら、その方が身軽だという気がしている。
出典
Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U. (2008). "The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress." Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems.(中断とストレス・作業速度の関係についての知見。「23分」という具体的な数値はこの論文には含まれておらず、出典は2006年のインタビュー記事とされるが、査読論文としての一次情報は確認できなかった)
Leroy, S. (2009). "Why Is It So Hard to Do My Work? The Challenge of Attention Residue When Switching Between Work Tasks." Organizational Behavior and Human Decision Processes, 109(2).
Ward, A. F., Duke, K., Gneezy, A., & Bos, M. W. (2017). "Brain Drain: The Mere Presence of One's Own Smartphone Reduces Available Cognitive Capacity." Journal of the Association for Consumer Research, 2(2).
"Brain Drain"効果の追試(2022年、同一手順による再現実験、有意差なし).
