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傷んだ家具を直したくなるのは、本当にモノへの愛着のせいか

傷んだ家具を直したくなるのは、本当にモノへの愛着のせいか

傷んだダイニングテーブルを、買い替えずに磨き直す人がいる。自分で組み立てた収納ボックスの入札額は平均0.78ドル、完成品を見ただけの人は0.48ドル。授かり効果とIKEA効果から、修理に潜む勘定を検討する。

TOMOAKI··趣味

ダイニングテーブルの天板に、十年分の生活の跡がついている家庭は多いだろう。コップの底が焼き付けた白い輪、子どもが力任せに引いた鉛筆の線、何かをこぼして拭き取り損ねた染み。買い替えを検討する理由には困らない。同じ予算があれば、もう少し広いテーブルも、もう少し今の部屋に合う色のテーブルも買えたはずだ。それでも結局、粗い番手のやすりで表面を削り、木肌が出るまで磨き、オイルを染み込ませるという、決して短くはない作業に数時間を費やす人がいる。木屑の匂いに包まれながら手を動かしている間、なぜ自分はこれを新しいテーブルではなく、この傷だらけの板でやっているのかという疑問が、ずっと頭の隅にあるかもしれない。

削っている最中は、単純作業に没頭できるから、と片付けたくなる。粉が舞い、木肌が現れ、指先で触れるとざらつきが少しずつ滑らかさに変わっていく。その過程には確かに気分転換としての価値があるし、仕事の合間に頭を空にする時間としては悪くない。だが後になって振り返ると、その説明はどこか都合が良すぎる。数時間の労力を「気分転換だった」という一言で回収してしまえば、なぜ他の選択肢――たとえば散歩や昼寝――ではなく、わざわざ古い家具を削るという行為が選ばれたのかという問いには何も答えていないことになる。気分転換という言葉は、動機の説明というより、動機を説明したという体裁を整えるための後付けに近い。もっと手前まで遡って考える必要がありそうだ。

なぜ買い替えないのか、という問い

経済的に考えれば、答えは単純なはずだ。修理にかかる時間と材料費、そして仕上がりの不確実性を天秤にかければ、多くの場合、買い替えの方が合理的な選択肢になる。中古のダイニングテーブルは決して珍しい商品ではないし、状態の良いものを探す手間も、やすりをかけ続ける労力と大差ない。それでも人は、すでに持っているモノを手放すことに抵抗を覚える。この抵抗の正体を、行動経済学は比較的早い段階から扱ってきた。感覚としては誰もが一度は覚えのある話でありながら、その仕組みを数字で示した研究とすぐに結びつけて考える人は少ない。

手がかりになるのは、カーネマン、ネッチ、セイラーが1990年に発表した、コーヒーマグを使った実験である。彼らはコーネル大学の書店で6ドルで売られているマグカップを被験者の半数にランダムに配り、残りの半数には配らなかった。マグを受け取った「売り手」役には最低いくらなら手放してもよいかを、受け取らなかった「買い手」役にはいくらなら払ってもよいかを尋ねた。最初の実験の結果、売り手が要求した価格の中央値は5.25ドルだったのに対し、買い手が提示した価格の中央値は2.25ドルから2.75ドルにとどまった。理論上は市場に出るはずの取引の量も、予測値の2割程度しか成立しなかった。ただ実験の直前に手渡されただけのマグカップが、その所有者の中で二倍以上の価値を持つようになっていたわけである。

この現象は「授かり効果」と呼ばれ、損失回避という、より一般的な心理傾向の一部だと説明されている。同じ量の得と損を比べたとき、人は損失の方をはるかに重く感じる。トベルスキーとカーネマンは1991年の論文で、損失は同じ大きさの利得のおよそ2倍の重みを持つと見積もった、と紹介されている。テーブルを手放すことは、新しいテーブルを手に入れる喜びよりも、今あるテーブルを失う痛みとして体験される。だとすれば、傷んだ天板を前にした逡巡は、優柔不断でも懐古趣味でもなく、所有という状態そのものが引き起こす、ごく標準的な計算違いだったのかもしれない。

興味深いのは、この効果が発生するのに、長い所有の期間が必ずしも要らないように見える点だ。マグカップの実験で価値が跳ね上がった被験者は、実験の直前にそれを手渡されたにすぎない(所有の期間を操作した実験ではないので、期間と効果の関係はこの実験からは言えない)。ペックとシューが2009年に発表した研究(二人ともマーケティングの研究者)では、所有権が発生していなくても、1分程度の接触だけで知覚的な所有感が高まり、条件によっては評価額も上がることが確かめられている。ただし評価額が上がったのは、触覚が中立か快のときで、触り心地のやや悪い素材では、評価額への主効果は有意ではなかった。原典は、不快な触覚刺激の例に紙やすりを挙げてもいる。やすりをかけながら長く天板に触れ続ければ評価が押し上げられる、と考えたくなるが、それはこの研究の外にある推論で、ざらつく板を触り続ける作業は、むしろ評価が上がらない側に入りうる。

手をかけると、さらに価値は積み上がる

ただし、授かり効果だけでは、やすりを持ち出した理由の説明としては足りない。マグカップの実験で価値が上がったのは、ただ手元に置かれていたからであって、被験者は何もしていない。一方、テーブルを削る人は、数時間分の労力を投じている。この労力の効果を検証したのが、心理学者のノートン、モション、アリエリーが2012年にまとめた研究で、彼らはこれを「IKEA効果」と名付けた。

実験の一つでは、被験者にIKEAの組み立て式収納ボックスを渡し、半数には自分で組み立てさせ、残り半数には完成品をただ見せた。そのうえで、それぞれにいくらまでなら払ってもよいかを尋ねている。結果、自分で組み立てた被験者の入札額は平均0.78ドルだったのに対し、完成品を見ただけの被験者は平均0.48ドルにとどまった。同じ研究の別の実験では、被験者に折り紙を折らせ、自分の作品をいくらまでなら買うかを入札させている。作った本人の評価額は平均0.23ドルだったのに対し、その折り紙を見ただけの第三者が払ってもよいと答えた額は0.05ドルに過ぎなかった。それどころか、素人が折った不格好な折り紙に対する本人の入札額は、熟練者が丁寧に折った作品に別の参加者がつけた入札額0.27ドルと、統計的に有意な差がなかった。

この結果は、単なる「思い入れ」という言葉で片付けるにはもったいない精度を持っている。同じ研究では、工程の途中で止めさせた群(最後の二つの工程の手前で止めた)は、完成させた群より入札額が低く(0.59ドルと1.46ドル)、別の実験では、組み立てたものを自分でばらした群で、自分のセットを他人のセットより高く買う傾向が有意ではなくなった(ばらした群は作業の時間も長かった)。つまり効果を生んでいるのは労力の量だけではなく、労力が完成という結果に結びついたことのようだ。心理学者フェスティンガーが定式化した認知的不協和の理論、それを引き継ぐ形でアロンソンとミルズが1959年に行ったとされる有名な実験(ノートンらの記述による)――厳しい入会儀式を経てグループに参加した被験者は、軽い儀式や儀式なしの被験者より、そのグループを高く評価したという実験――とも符合する(ただしこの実験では全員が加入でき、やり遂げたかどうかは変えられていない)。人は自分がわざわざ払ったコストを正当化するために、その先にある結果の評価を後から吊り上げる。やすりをかけ終えたテーブルが以前より愛着の持てるものに見えたとしても、それは天板が客観的に良くなった分だけではなく、削るのに費やした労力を正当化したい心の動きが、静かに評価に混ざり込んだ結果でもあるのかもしれない。

ノートンらは同じ論文の別の実験で、IKEA効果が授かり効果や、触れている時間の長さによる所有感の高まり(ペックとシューの知見)では説明しきれないことも確かめている。組み立て済みの製品をただ受け取っただけの条件では、これほど大きな評価の上昇は起きなかった(0.32ドルと0.26ドルで、差は有意でない)。効果の源について著者らが推測しているのは、完成させたという達成感や、自分の手を動かした結果、目の前の物が変化したという実感の方だ。やすりで削って木肌の色が変わる瞬間の高揚感がそれにあたるのかは、この研究からは言えない。

もう一つ付け加えておきたいのは、この効果が「日曜大工が好きな人」に限られた話ではないらしい、という点である。ノートンらの研究では、作業のあとに被験者が自分をどれくらい日曜大工好きと思うかを七段階で尋ねたが、日曜大工好きの程度によって、労力による評価の上昇の大きさが変わることは示されなかった(交互作用は有意でない。同じ大きさだと示されたわけでもない)。日曜大工志向の人ほど、もともと高く入札する傾向もあった。器用さは測られていない。

ここまでは、労力が評価を吊り上げる相手を、労力を投じた本人に限定して考えてきた。ところが心理学者のクルーガー、ワーツ、ファン・ボーヴェン、アルターマットが2004年に報告した研究(実験の設計は二次情報による)は、この上乗せが本人の外にまで漏れ出す可能性を示している。詩の実験では、制作に18時間かかったと伝えた群の方が、4時間と伝えた群より作品を高く評価した。絵画の実験では、2枚の絵の制作時間の説明を入れ替えて比べている。作った本人でさえない第三者が、費やされた時間の長さを手がかりに価値を底上げしたことになる。彼らはこれを「労力ヒューリスティック」と呼んだ。ただし、後に事前登録された追試(ツィアーノらの2023年、計1405人)では、絵の結果は再現されたが、詩の結果は一部の標本で再現されなかった。この知見がテーブルに当てはまるとすれば、友人がかかった時間を知っているときに限られ、その場合の「手をかけた甲斐がある」という感想は、天板の出来栄えとは独立に、かかった時間の長さから逆算されたものである可能性が残る。人間関係の中で評価が増幅されるかどうかは、筆者の推測にとどまる。

労力の効果は、いつでも起きるわけではない

この理屈を裏返すと、修理という行為には賭けの要素があることになる。手を入れて満足のいく仕上がりになれば愛着は跳ね上がるが、途中で失敗したり、思うような色に染まらなかったりすれば、その労力はむしろ後悔として残る。ツァイガルニクが1927年に報告したとされる、未完了の課題ほど記憶に残りやすいという現象は、近年のメタ分析(ギベリーニとマイヤー、2025年)では、中断課題と完了課題の想起の比が0.99で、元の値は膨らんでいたとされる。残っているのは、中断した課題を再開したくなる傾向(オフシャンキナ効果)のほうだ。サビツキーらが1997年に示したのは、数週間後の想起で、行動しなかった後悔のほうが行動した後悔より多く思い出されるという結果で、ツァイガルニク効果はその説明の一部として検討されたにとどまる。中途半端な修理は「やった選択」なので、この枠組みにそのまま入るわけではない。それでも、途中で止めた作業が気がかりとして残る、という筆者の推測は成り立つ。買い替えを先送りにするどころか、かえって後味の悪さを長引かせる可能性もある。仕上がりが思いのほかきれいに戻るかどうかは、運に左右される面がある。粗い番手で削ったところに白い粉が出て、それが古い塗膜の名残だと分かった瞬間には、「やってよかった」と思えるだけの手応えがあるだろう。だがこの手応え自体、すでに投じた労力を正当化したいという動機に、多少なりとも支えられているはずだ。

作業の途中には、当然ながら不安な時間帯もありうる。削りムラができて色が均一にならないのではないか、そもそも自分にこの作業をやり通す根気があるのかという疑いは、削り始めてからしばらく続くかもしれない。そのとき頭にあるのは、テーブルの仕上がりのことよりも、ここでやめてしまえば中途半端な板が残るだけだという焦りの方が大きいことも多いだろう。この焦りの正体を、途中で投げ出すことへの恐れと呼んでもいいし、未完了の課題への居心地の悪さと呼んでもいい。いずれにせよ、その感覚に押されて作業を続けたのだとすれば、完成後の満足感を、純粋な達成感として語るのは少し正直さに欠ける。

モノは自己の一部になる、という説明

授かり効果とIKEA効果は、いずれも一回限りの実験室的な状況で確認された現象であり、何年も使い込んだ家具に対する態度をそのまま説明できるわけではない。より長期的な視点を提供しているのが、消費者行動論の研究者ベルクが1988年に発表した「拡張自己」という考え方である。ベルクは、人が所有物を通じて自己の輪郭を確認し、時には所有物そのものを自己の一部として扱っていると論じた。長く使ったテーブルには、そこで交わされた会話や、そこで過ごした年月の記憶が染み込んでいる。傷や染みはテーブルの欠陥であると同時に、自分の生活史の索引でもある。買い替えるという選択は、単に家具を新調するだけでなく、その索引ごと手放すことを意味してしまう。授かり効果が価値の勘定における歪みだとすれば、拡張自己は、その勘定に自分自身の履歴という項目を密輸入する仕掛けだと言える。

もっとも、この説明を過大に評価するのも危うい。あらゆる持ち物に自己が宿っているのだとすれば、部屋を片付けられない状態や、不要品を溜め込む状態も同じ理屈で正当化できてしまう。私の考えでは、ベルクの議論が有効なのは、あくまで一部の対象――日々長時間触れ、生活の節目に立ち会ってきたモノに限られる話であって、あらゆる所有物に等しく当てはまる普遍法則として扱うと、途端に説得力を失う類のものだ。ダイニングテーブルがこの条件に当てはまりやすいのは、それが食卓という、家庭内でも特に反復的な行為の舞台になっているからにすぎない。

ここで、拡張自己と混同しやすいが別の話として整理しておきたいのが、いわゆる埋没費用の誤りである。すでに投じた費用や時間は取り戻せないにもかかわらず、それを惜しんで非合理な選択を続けてしまう傾向のことで、たとえば途中まで読んだつまらない小説を「ここまで読んだのだから」と最後まで読み通してしまう行動がその典型とされる。テーブルの場合で言えば、「これまで十年使ってきたのだから今さら手放せない」という考え方がこれに当たる。だがこの記事で扱ってきた授かり効果やIKEA効果は、埋没費用の誤りとは発生の仕組みが異なる。埋没費用は過去の投資額そのものに引きずられる現象であるのに対し、授かり効果は現在の所有という状態が生む評価の歪みであり、IKEA効果は労力の結果に対する遡及的な意味づけである。三つの効果は似た結論――モノを手放しにくくする――にたどり着くが、そこに至る経路は別々のものとして説明されることが多い。テーブルを手放せない理由を一つの理論だけで説明しようとすると、この重なりを見落とすことになる。

修理を美談にする前に、確認しておきたい数字

ここまでの説明は、修理という行為を心理学的に筋の通ったものとして扱ってきた。しかし、この筋の通し方には、都合よく見落とされがちな側面もある。米環境保護庁の2018年時点の推計(耐久財のページ)によれば、その年アメリカ国内で発生した家具・什器類の廃棄物は約1,210万ショートトン(メートルトンで約1,100万)にのぼり、そのうち80.1パーセントが埋め立て処分に回された。リサイクルされた割合は0.3パーセントで、約19.5パーセントはエネルギー回収に回った。この区分にはソファやマットレスも含まれる。ただしEPAは、回収を測れたのはマットレスだけで、木材や金属の回収はデータがないと書いている。0.3パーセントは、データの欠落も反映した数字だ。この数字から言えるのは、ごみとして出た家具の大半が埋め立てに回っていることまでで、修理や再使用がどれだけ行われているかは、この統計には表れない。一人が古いテーブルにやすりをかけたところで、この数字が動くわけではない。

それでも、この統計を根拠に「だから修理すべきだ」と主張するのは、このサイトが距離を置きたい種類の物言いだ。ある行動が個人の心理としてどれほど筋が通っていても、それが社会全体の廃棄物問題を解決する処方箋になるとは限らない。むしろ危ういのは、修理という個人的な満足感を、環境配慮という体裁のよい言葉に横滑りさせてしまうことの方である。テーブルを磨き直す動機を振り返ってみても、廃棄物削減への意識が最初にあるとは限らない。手を動かしている間に頭が空になる感覚や、削った跡から立ち上る木の匂いに気持ちよさを覚えることの方が、動機としてはよほど大きい場合もある。環境への配慮は、後から付随してくる理屈なのかもしれない。動機の順序を偽ってまで、自分の趣味的な満足を高尚な行為に見せかける必要はない。

修理のしやすさそのものを制度の側から扱っている国もある。フランスは2020年に成立した循環経済法にもとづき、2021年から、特定の電化製品(当初はスマートフォン、ノートパソコン、テレビ、洗濯機、芝刈り機)について、10点満点の「修理可能性指数」を、販売者が価格の近くに表示することを義務付けた。部品の入手のしやすさや分解のしやすさが点数化され(算出と提供はメーカー)、消費者は購入前にその製品がどれだけ直しやすいかを比較できる。家具にこの指数はないが、フランスには2013年から家具の拡大生産者責任の制度があり、2023年からは修理基金も動いている。電化製品の修理可能性は政策の対象になり得ても、ダイニングテーブルが直しやすい構造かどうかを気にする消費者は少数派だろう。修理という行為に対する社会の関心は、品目によってかなり偏っているのかもしれない。テーブルを一人が直すことの意味は、廃棄物政策への貢献というより、個人の勘定の側にあるのだろう。

合板や賃貸という条件が変える計算

無垢材や突板の天板であれば、削って再塗装するという選択肢が成り立つ。しかし合板や化粧板でできたテーブル、あるいは持ち主が大掛かりな加工を許されていない賃貸住宅の家具となると、話はまるで違ってくる。この場合に選ばれるのが、リメイクシートを貼るという方法だが、ここでも授かり効果とIKEA効果の力学は形を変えて働く。安価なシートを選んで数か月で浮きや剥がれが生じれば、投じた労力は失敗として記憶され、後味の悪さだけが残るかもしれない。逆に、多少値の張る建築内装用のシートを選んで仕上がりが安定すれば、テーブルへの評価は、やすりで削った場合と同じように底上げされると考えられる(ノートンらの実験は収納ボックスやレゴで、シートで確かめたものではない)。素材の物理的な条件が変わっても、労力と結果が評価に及ぼす作用そのものは変わらないはずだ、というのが筆者の推測だ。

興味深いのは、素材の違いによって、投じられる労力の質そのものが変わるという点だ。無垢材を削る作業は、力加減を間違えれば削りすぎてしまうという、後戻りのしにくい緊張感を伴う。一方、シートを貼る作業は、失敗しても貼り直しがきくという意味で、労力に対する心理的なリスクが低い。同じ「テーブルに手を入れる」という行為であっても、後戻りできない選択の方が、成功した際の評価の上昇幅は大きくなりやすいと考えられる。危険を冒した分だけ、成功の実感も大きくなるという構図は、投資の世界でリスクとリターンが結びつけて語られるのと、どこか似た形をしている。もっとも、これは実証された話ではなく、ここまで見てきた諸理論から導かれる推測にとどめておく。

迷いを晴らすための記事ではない

やすりをかけ終えたテーブルは、手触りが良くなったように感じられるだろう。木目も心なしか際立って見えることがある。ただ、この満足感のどこまでが天板そのものの変化で、どこまでが授かり効果と労力の正当化が生んだ錯覚なのかを、正確に切り分けることはできない。おそらく本人にも分からないというのが正直なところであり、それこそがこの手の心理効果の厄介な点でもある。効果が働いているという自覚があっても、効果そのものを打ち消せるとは限らない。知っているからといって免れられるわけではないという点では、視覚の錯覚を見破った後でも図形が歪んで見え続けるのとよく似ている。理屈を知って変わりうるのは、テーブルに対する見方そのものではなく、その見方を疑いながら眺める習慣の方だろう。

だとすれば、この文章が導くべき結論は、「修理は美徳だから勧める」でも「単なる思い込みだから買い替えた方が合理的だ」でもないはずだ。どちらの立場も、自分の判断の理由を単純化しすぎている。傷んだ家具を前にして人が迷うのは、そこに複数の勘定――所有による過大評価、労力による正当化、記憶という私的な資産、廃棄物という社会的なコスト――が同時に働いているからであり、その複雑さを一本の答えに縮めてしまう方が、むしろ不誠実なのだと思う。

もう一つ言えるのは、この種の分解作業は一度やったら終わりというものでもないということだ。次にまた別の家具を前にして同じ迷いに直面したとき、前回と同じ結論にたどり着くとは限らない。天板の傷み具合も、そのときの時間的な余裕も、そもそも自分がその家具にどれだけ触れてきたかも、条件はそのつど変わる。授かり効果やIKEA効果は、判断を一度きれいに片付けるための道具ではなく、なぜ自分がある選択に傾いているのかを、そのつど問い直すための道具として使う方が性に合っている。次に何かを直すか買い替えるか迷ったときには、その迷いの中身がどの勘定から来ているのかを、少しだけ分解して眺めてみる価値はあるかもしれない。

出典

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  • Tversky, A., & Kahneman, D. (1991). Loss Aversion in Riskless Choice: A Reference-Dependent Model. The Quarterly Journal of Economics, 106(4), 1039-1061.(全文は開けず、「約2倍」は二次情報による)
  • Norton, M. I., Mochon, D., & Ariely, D. (2012). The IKEA Effect: When Labor Leads to Love. Journal of Consumer Psychology, 22(3), 453-460.(著者の最終稿で確認)
  • Festinger, L. (1957). A Theory of Cognitive Dissonance. Stanford University Press.
  • Aronson, E., & Mills, J. (1959). The Effect of Severity of Initiation on Liking for a Group. Journal of Abnormal and Social Psychology, 59(2), 177-181.(原論文は開けず、設計は Norton ら 2012 の記述による二次情報)
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  • Ghibellini, R., & Meier, B. (2025). Interruption, recall and resumption: a meta-analysis of the Zeigarnik and Ovsiankina effects. Humanities and Social Sciences Communications, 12, 962.(本文で確認)
  • Savitsky, K., Medvec, V. H., & Gilovich, T. (1997). Remembering and Regretting: The Zeigarnik Effect and the Cognitive Availability of Regrettable Actions and Inactions. Personality and Social Psychology Bulletin, 23(3), 248-257.(抄録で確認)
  • Belk, R. W. (1988). Possessions and the Extended Self. Journal of Consumer Research, 15(2), 139-168.(抄録で確認)
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  • Kruger, J., Wirtz, D., Van Boven, L., & Altermatt, T. W. (2004). The Effort Heuristic. Journal of Experimental Social Psychology, 40(1), 91-98.(原論文は開けず、設計は Ziano ら 2023 による二次情報)
  • Ziano, I., Yeung, S. K., Lee, J., Shi, S., & Feldman, G. (2023). Effort heuristic: Replication and extension of Kruger et al. (2004). Collabra: Psychology, 9(1).(本文で確認)
  • U.S. Environmental Protection Agency. Durable Goods: Product-Specific Data(2018年のデータ。家具・什器類の発生量と処理の内訳)。Advancing Sustainable Materials Management: 2018 Fact Sheet (2020) には家具の内訳がない
  • フランスの環境担当省の修理可能性指数のページ(2020年循環経済法〔AGEC法〕にもとづく、2021年施行。現在の対象品目は変わっている)
  • フランスの環境担当省の家具(Éléments d'ameublement)の拡大生産者責任のページ(2013年からの制度と、2023年からの修理基金の出どころ)
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