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意志力の消耗説はもう通用しない——平日の夜に脳が欲しいのは刺激ではなく余白かもしれない

意志力の消耗説はもう通用しない——平日の夜に脳が欲しいのは刺激ではなく余白かもしれない

仕事終わりについスマホを開いてしまうのはなぜか。「自我の消耗」という説明はここ十年でほぼ崩れ、代わりに見えてきたのは資源の枯渇ではなく別の仕組みだった。平日の夜の過ごし方を、仕組みから考え直す。

TOMOAKI··趣味

スマホを開いて、何も得ていない

仕事を終えて家に帰る。夕食を済ませ、風呂に入り、あとは寝るだけという時間になって、なぜかスマホを開いている。ニュースサイトを流し読みし、SNSを何周かし、動画を次々と再生する。気づけば一時間が過ぎていて、何かを楽しんだという実感はほとんどない。むしろ、少し疲れが増している。翌朝、昨夜何を見たか思い出そうとしても、断片的な見出しがいくつか浮かぶだけで、内容らしい内容は残っていない。それでいて時間は確実に減っている。

これを「意志が弱いから」で片づけるのは簡単だが、たぶん違う。一日じゅう会議や資料や他人の要求に注意を向け続けたあとの脳が、次に何を必要としているのかを、そもそも見誤っている可能性のほうが高い。「疲れているなら休めばいい」という助言自体は間違っていない。問題は、その「休む」という行為の中身を、多くの人がほとんど検討せずに済ませている点にある。休むという言葉でひとくくりにされている行動の中には、実際には休息としてほとんど機能していないものが紛れ込んでいる。ただし、この記事はその先で一度、自分の説明をひっくり返すことになる。「疲れの正体」として最も広く流通してきた説明は、ここ十年でほとんど支持を失っているからだ。

「意志力は筋肉のように消耗する」という説明の寿命

疲れの説明として長く人気を博してきたのが、いわゆる「自我消耗(ego depletion)」というモデルだ。意志力や自制心は筋肉のような有限の資源で、使うたびにすり減り、休息や糖分補給で回復する——という筋書きである。心理学者ロイ・バウマイスターらが1990年代末に提唱し、以後20年近く、ビジネス書や自己啓発記事の定番ネタとして再生産されてきた。「意思決定は消耗するから、重要な決断は午前中にしろ」「集中力は有限だから、無駄なことに使うな」といった処世術の多くも、このモデルを下敷きにしている。

直感には合う。何かに集中したあとは確かに頭が回らなくなる感覚があるし、それを筋肉の疲労になぞらえるのは説明として気持ちがいい。だからこそ、この記事の冒頭で書いた「注意力の消耗」という説明も、実はこの自我消耗モデルの語彙をそのまま借りている。気持ちがいい説明ほど、検証もされずに広まりやすいという点は、ここで一度立ち止まって疑ってよい。

ところが、その筋書きはほぼ崩れている

ここで一度、話をひっくり返す必要がある。自我消耗説は、ここ十年の心理学における再現性検証で最も派手に失速した理論のひとつだ。2010年に発表されたヘイガーらによるメタ分析は、198本の先行研究をまとめて自我消耗効果を「中程度から大きい」と結論づけ、理論の権威づけに使われてきた。しかしその後の検証で、この198本のうち第一課題後の疲労感を実際に測定していた研究はわずか12.6%にとどまっていたことがわかっている。効果があると主張する研究の大半が、消耗という現象そのものを測っていなかったということになる。

2014年、心理学者エヴァン・カーターとマイケル・マカロウは、同じヘイガーらのデータを統計的に再検証し、小規模な研究ほど効果を過大に報告する「小規模研究バイアス」の典型的なパターンを指摘した。研究費や被験者集めの都合上、初期の研究ほどサンプル数が少なくなりがちで、少人数の実験は偶然大きな差が出た場合に限って発表されやすい。バイアスを補正すると、効果はゼロに近づくか、消えてしまう水準だったという。とどめとなったのが2016年、23の研究室が同一プロトコルで臨んだ大規模な事前登録型追試だ。あらかじめ分析手法を公開してから実験する「事前登録」という手続きを踏むことで、都合のいい結果だけを選んで報告する余地をなくしている。結果として検出された効果量はd=0.04——統計的にはほぼ「差がない」に等しい数字だった。2021年に自我消耗説の支持者自身が設計に加わって行われた追試でも、標準的な理論を支持するには小さすぎる効果しか見つかっていない。支持者が設計に関わってもなお効果が出なかったという点は、この結果の信頼性を補強する材料として扱われている。

つまり「意志力は使うと減る燃料タンクのようなものだ」という、あれほど広まった説明は、いま学術的にはかなり分の悪い立場に置かれている。もっとも、この論争自体が完全に決着したわけではなく、消耗という現象を課題の種類や個人差まで含めて捉え直そうとする研究もまだ続いている——自我消耗が「存在しない」と言い切るのも、また性急だろう。ただ、少なくとも「意志力は筋肉のように一様に減っていく」という単純な物語をそのまま信じてよい根拠は、今のところかなり薄い。

では、平日の夜に起きているのは何なのか

資源が減るという比喩が怪しいなら、仕事帰りの「もう何も考えたくない」という感覚は何なのか。ここでもう一段、話を組み直す必要がある。手がかりになるのは、組織心理学者ザビーネ・ゾンネンタークらが提唱してきた「心理的デタッチメント(psychological detachment)」という概念だ。これは資源の量の問題ではなく、仕事に関する思考から意識的・無意識的に離れられているかどうかという、いわば注意の向け先の問題として捉え直す考え方である。

ゾンネンタークらの一連の研究が示してきたのは、仕事から心理的に離れられている人ほど、翌日の疲労感や燃え尽きの兆候が少なく、長期的な心身の健康も良好だという関連だ。逆に、身体的には家にいても、頭の中では未処理のメールや明日の会議のことを反芻し続けている状態は、休息としてほとんど機能していない。ゾンネンタークが整理した「ストレッサー・デタッチメントモデル」では、仕事上のストレス要因そのものよりも、その要因から意識的に離れられているかどうかが、その後の心身の状態を左右する重要な分岐点として位置づけられている。これは「資源が空になったから休む」という自我消耗のイメージとは似て非なる話で、量ではなく、意識がどこに向いているかという「質」の問題に近い。同じ一時間でも、頭の中が仕事の続きでいっぱいのままなら休息の名に値しないし、逆に短い時間でも意識が仕事から完全に離れられていれば、それなりの回復として機能し得るということになる。

自然を眺めれば回復する、という説にも留保がいる

「反応を要求されない対象に身を置くと注意力が回復する」という考え方自体は、心理学者スティーブン・カプランとレイチェル・カプラン夫妻が1980年代末に提唱した「注意回復理論」に由来する。木々の揺れや水の流れのような、努力を要さず穏やかに関心を引く対象(ソフト・ファシネーション)に触れることで、意識的に方向づける注意力が回復するという理論だ。

この理論もまた、額面どおりには受け取れない。自然環境と注意力の関係を調べた31本の研究を対象にした系統的レビューでは、支持する結果は一定数あるものの、そもそも厳密な効果量を報告していない研究が多く、理論の広い知名度に見合うだけの実証の厚みがあるとは言い切れないと指摘されている。研究デザインも一様ではなく、自然の中を実際に歩かせた実験もあれば、自然の写真や映像を見せただけの実験もあり、両者を単純に同列に扱ってよいのかという疑問も残る。「自然を見れば脳が回復する」という話は、仕組みとしては筋が通っているが、確立した事実というより、まだ検証途上の仮説として扱うほうが正確だ。

それでも、この理論から拾えるものはある。「刺激の有無」ではなく「反応を求められるかどうか」という切り口自体は、自我消耗説より筋が良い。ソフト・ファシネーションが指しているのは、判断や返答を迫らずに、ただ関心を引く程度の対象のことだからだ。

「何もしない」だけが回復ではないという厄介な事実

ここまでの流れだと、休息とはひたすら反応を減らすことだという結論に落ち着きそうになる。ところが、ゾンネンタークとチャーロット・フリッツが2007年に提示した回復体験の枠組みは、もう少し込み入っている。二人は仕事からの回復を、心理的デタッチメント・リラクゼーション・熟達(マスタリー)・コントロールという四つの経験に分けて整理した。このうち熟達とは、仕事とは違う領域で自分のペースで技能を使い、小さくとも「うまくできた」という手応えを得る経験を指す。語学の練習でも、楽器の練習でも、料理でも、ちょっとした挑戦と達成感を伴う活動全般が含まれる。

この四つの経験のうち、最も一貫して健康や幸福感との関連が確認されてきたのは心理的デタッチメントだが、熟達やコントロールの経験も無視できない予測力を持つことが、複数の追跡調査で示されている。つまり、何もせずぼんやりする時間だけが正解ではない。負荷の質が違う——仕事のように結果を評価され続けるのではなく、自分のペースで区切りをつけられる——挑戦であれば、それ自体が回復の材料になり得るということだ。実際、子どもを対象にした調査でも、運動やボランティアのような能動的な余暇活動のほうが、テレビや動画視聴のような受動的な余暇活動より幸福感との相関が強く出るという報告があり、高齢者を対象にした研究でも、趣味の会やものづくりといった能動的な活動が生活満足度を高めるという結果が出ている。一方で、テレビ視聴やSNS利用のような受動的な余暇は、幸福感と負の相関を示すことが多いという指摘もある。

これは、この記事の前半で書いた「反応を要求されない時間がいい」という話と、一見矛盾しているように見える。だが実際には矛盾ではなく、軸が違うだけだ。判断や返答を外部から絶え間なく強いられる状態と、自分のペースで区切れる挑戦に没頭する状態は、どちらも「反応させられている」わけではない。対して受動的にスマホの通知や次々流れてくる投稿に反応し続ける時間は、外形上は「何もしていない」ように見えても、内実はずっと反応させられ続けている。つまり分かれ目は能動か受動かではなく、主導権が自分にあるかどうか、なのかもしれない。何かを黙々と作る時間と、通知に急かされて画面を追う時間は、傍目にはどちらも椅子に座っているだけの光景に見えて、脳が置かれている状況はまるで別物だということになる。

スマホそのものが問題なのではないらしい

ここでもう一つ、単純化を避けたい点がある。「スマホが悪い」という言い方は、実はやや不正確だ。オランダの研究者ダーンチェ・デルクスとアーノルド・バッカーが69人の会社員を5営業日にわたって追跡した日誌式調査では、仕事に関係する内容でのスマホ利用が、就業後の心理的デタッチメントを妨げることが確認されている。一方で同じ調査は、仕事に関係しない私的な利用まで一律に悪者扱いしているわけではない。問題は媒体(スマホ)ではなく、そこで何をしているか——仕事の続きをしているのか、していないのか——のほうにあるということになる。

もっとも、SNSやニュースフィードの多くは「仕事に関係しない」ことになっていても、構造としては仕事中の意思決定と地続きだ。研究者ディアナ・リーガーらが行った、待ち時間におけるスマホ利用と回復体験を調べた調査では、スマホでの気晴らしが必ずしも単純にリラックスにつながるわけではなく、使い方によって回復効果にばらつきが出ることが示されている。同じ「スマホを見ている」という行動でも、友人からの一通のメッセージに返信するだけの利用と、次々に流れてくる見知らぬ投稿を延々と評価し続ける利用とでは、内実がまるで違うということだ。いいねを押すか、次の投稿へスワイプするか、見出しの続きを読むかどうか——絶え間ない小さな意思決定の連続という点で、これは仕事中の判断とメカニズム上さほど変わらない。「仕事に関係ない」という体裁を保ちながら、実質的には同じ種類の負荷をかけ続けているとすれば、一時間スクロールしても疲れが取れた感じがしないのも無理はない。

感情を揺さぶる設計と、就寝前の負荷

ニュースフィードやSNSのもう一つの特性として、感情を強く動かす投稿ほど目に留まりやすいという構造がある。人間の注意は元来、ネガティブな情報に強く引きつけられる傾向があるとされ、フィードのアルゴリズムはその傾向を利用する形で最適化されていく。いわゆる「ドゥームスクローリング(doomscrolling)」として知られる現象では、数分間スクロールを続けただけで不安や苛立ち、無力感といった感情が強まりやすいことが報告されている。継続的にネガティブな内容にさらされることで注意システムが慢性的に刺激され続け、認知的な回復がかえって妨げられるという指摘もある。就寝前の時間帯にこれを行うと、感情的な覚醒に加えて画面光による入眠への影響も重なり、翌日への疲労の持ち越しという形で跳ね返ってくる。皮肉なのは、こうした情報を追う行為自体が「世の中を把握しておかなければ」という一種の義務感に支えられていることが多く、休息のつもりで始めたはずが、いつのまにか別の緊張を抱え込んでいるという点だ。

「何もしない」がこんなに苦手な理由

ここでもう一つ、意外な実験結果を挟みたい。心理学者ティモシー・ウィルソンらが2014年に『サイエンス』誌に発表した研究では、被験者を6分から15分ほど、何もない部屋にひとりで座らせ、ただ考え事をしてもらうという単純な実験を11通り行っている。部屋には携帯電話も本もなく、椅子と、腕に取り付ける装置だけがある。結果、多くの参加者がこの体験を楽しめなかったと報告し、外的な作業を伴う退屈な課題のほうがまだましだと答えた。さらに踏み込んだ実験では、部屋には軽い電気ショックを自分に与えるボタンが用意されていたのだが、男性参加者の67%が、何もしない時間に耐えかねて少なくとも一度は自分にショックを与えることを選んでいる。女性でも4人に1人がそうした。実験前の段階で、この参加者たちは自分でお金を払ってでもそのショックを避けたいと答えていた。それでも、何もしない15分間を前にすると、自分でボタンを押すことを選んでしまう。何もしないよりは、多少不快なことをしているほうがまだましだと、多くの人が判断したことになる。

この結果は、平日の夜にスマホへ手が伸びる現象をかなり正確に説明している。「何もしない」ことには、想像以上に耐性がいる。手持ち無沙汰の不安を埋めるために、いちばん手近にある刺激に反射的に手が伸びるのは、意志の弱さというより、ヒトに広く見られる傾向に近い。しかも「時間を無駄にした」という罪悪感を先回りして避けるために、ニュースを読んだとか情報収集をしたとか、何かをした体裁だけは整えたくなる。結果として、休めていないのに休んだ気だけはしている、という状態に落ち着く。皮肉なのは、その「した気」を得るために選ばれる行為が、たいてい先述したような判断の連続を強いるものだという点だ。何もしない不安を埋めるために、また別の形で反応させられ続けている。

退屈は、無駄ではないかもしれない

ただし「何もしない時間」を単純に美化するのも早計だ。退屈やマインドワンダリング(意識がとりとめもなくさまよう状態)が創造性や問題解決に寄与するという研究はいくつも存在し、意識が内側に向いている間、脳のデフォルト・モード・ネットワークが働き始めて、思いがけない発想の結びつきを生む土壌になるという説明がなされている。実際、退屈を感じた被験者のほうが創造性テストで高いスコアを示したという報告もある。心理学者ベンジャミン・ベアードらが2012年に発表した実験では、創造性を測る課題にいったん取り組ませたあと、負荷の軽い単調な作業を挟んだグループのほうが、負荷の重い作業を挟んだグループや、休憩を挟まなかったグループより、再開後の課題成績が伸びるという結果が出ている。単調な作業の間に意識がどれだけ自由にさまよっていたかが、その後の成績の伸びと結びついていたという。

ただしここにも留保がつく。退屈がそのまま創造性につながるわけではなく、苛立ちを伴う退屈は逆に学習や発想の妨げになるという指摘もある。同じ「何もしていない時間」でも、穏やかに漂っている状態と、不快感に急かされている状態とでは、たどり着く先が違うということだ。「何もしない」ことそのものに効能があるというより、それをどう過ごすかという質のほうが、また一段大事になってくる。ここまで来ると、結局のところ万能の一言では片づかない話だということが、かえってはっきりしてくる。

反応を要求しない時間の見分け方

ここまで見てきた話を一度たたむと、次のような像が浮かぶ。仕事帰りの疲れは、資源が空になったタンクというより、判断や返答を求められ続けたことで、心理的に仕事から離れられなくなっている状態に近い。そこに、同じ構造で判断を求め続けるスマホの画面を重ねても、休息としては機能しにくい。かといって、ただじっと何もせずにいることが唯一の正解というわけでもない。自分のペースで区切れる小さな挑戦であれば、それもまた回復の材料になり得る。だとすれば、平日の夜に選ぶべきかどうかを判断する基準は、活動の種類そのものよりも、それが自分に何を要求してくるかにある。判断や返答を外から求められるか、それとも、進め方やペースを自分の側が握っていられるか。

  • 湯船に浸かって、何も考えずに換気扇の音を聞く
  • 使い慣れた音楽をかけて、ただ皿を洗う
  • ストーリーのない写真集を、読み切るつもりもなく眺める
  • 目的地を決めずに近所を歩く

どれも特別ではないし、目新しさもない。共通しているのは、次に何をすべきか判断する必要がなく、途中でやめても何も失わないことだ。効果を測る必要すらない。むしろ「これでちゃんと回復できているか」と気にし始めた時点で、また判断という仕事を始めてしまっている。逆に、同じ夜でも楽器の練習や編み物のような、多少の技術と集中を要する活動を選ぶ人もいるだろう。それが外部から急かされる評価や締め切りを伴わない限り、これもまた反応を要求されない時間の一形態だと言える。

正解のリストを探すのは、たぶんもう一段ずれている

平日の夜に何をすべきか、正解のリストを求める気持ちはよくわかる。この記事の冒頭で自分自身が書いた「注意力の消耗」という説明でさえ、たどっていくと足場のかなり怪しい理論に行き着いた。「意志力は消耗する」という説明も、「刺激をなくせば回復する」という説明も、額面どおりには成り立たない。仕組みは一つの理論できれいに片づくほど単純ではなく、資源の枯渇でもなければ、自然を見れば解決する話でもなく、心理的にどこまで仕事から離れられているか、外から反応を強いられていないか、そして自分のペースで進められる挑戦があるかという、いくつもの層が絡み合っている。

皮肉なのは、これほど基礎の怪しい理論の上に、何十年分もの自己啓発的な処世術が積み上げられてきたという事実そのものだろう。根拠のない断定を疑うという態度は、他人の主張だけでなく、自分がこれまで当然のように信じてきた説明にも同じだけ向けられていい。

上に挙げた四つの過ごし方も、それぞれの人の生活や好みによって全く合わないかもしれないし、それでいい。大事なのは項目の中身ではなく、選ぶときの基準——これは自分に何かを要求してくるか、それとも委ねていられるか——のほうだ。今日一日、自分がどれだけ「反応すること」を強いられたかを一度数えてみる。そのうえで夜に何を選ぶかは、結局のところ自分にしかわからない。少なくとも、その判断を誰か別の人間の書いたリストに委ねてしまう必要はない。

出典

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