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「循環」という言葉を使わずに、ベランダのコンポストについて書く
生ゴミを堆肥に変える作業は、循環型ライフスタイルやSDGsといった大きな言葉とセットで語られがちだ。看板を外して、実際にやっている地味な調整作業だけを書き出してみる。
ベランダで生ゴミを堆肥に変える話は、たいてい大きな言葉とセットで語られる。「循環型ライフスタイル」「小さな循環経済」「家庭でできるSDGsの体現」。生ゴミをバケツに入れて時々かき混ぜるだけの地味な作業に、ずいぶん立派な看板がついているものだと思う。
実際にやってみると、看板の大きさと作業の地味さのギャップに戸惑う。毎日か数日おきに蓋を開けて、米ぬかを足して、かき混ぜる。水分が多ければ新聞紙を足し、乾いていれば水を足す。虫が出れば土をかぶせる。これは循環というより、ただの管理作業だ。地球を救っている感覚は、正直ほとんどない。
「循環」の実態は、ただの調整作業
コンポストが教えてくれるのは、壮大な物語ではなく、地味な事実の積み重ねだった。
- 生ゴミは思っていたより早く量が減る。野菜くずやコーヒーかすを入れるたびに袋の重さが軽くなるのは、単純に気分がいい。
- 虫やにおいの問題は、だいたい水分と密閉の管理不足に帰着する。原因が分かってしまえば、対策は地味な調整の繰り返しでしかない。
- できた堆肥をベランダの鉢に混ぜても、劇的に植物の育ちが変わるわけではない。心なしか土がふかふかになった気がする、という程度の実感が正直なところだ。
並べてみると、これは「命の循環」というより、生ゴミの置き場所を変えているだけの話に近い。ゴミ箱からコンポスト容器に移し、しばらく待って、土に混ぜる。それだけのことに、教育的な物語や気候変動対策としての意味を過剰に背負わせなくてもいいのではないかと思う。
大きな言葉が誘う、大きな期待
この手の記事には、よく「植栽でベランダの温度が2〜5℃下がる」といった数字が添えられる。出典を辿ろうとすると、たいてい条件がまちまちで、自分のベランダでも同じだけ下がる保証はどこにもない。数字がついているだけで、なんとなく確からしく見えてしまうのが厄介なところだ。
SDGsやヒートアイランド対策といった大きな文脈に接続すればするほど、鉢植えひとつ増やすという小さな行為が、何か社会的な意義を帯びているように感じられてくる。実際にやっていることは、水やりと生ゴミの管理という地味な日課でしかないのに。
それでも続いている理由
大きな物語を外して残るのは、単純な理由だった。ゴミ袋が軽くなるのは気分がいいし、育てたバジルを刻んで料理に使うのは、買ってきたものを使うのと少し違う満足感がある。それで十分だという気がしている。循環経済でも気候アクションでもなく、ただの小さな習慣として続けている。
