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高い趣味が買っているのは、道具か、地位か、それとも言い訳か

高い趣味が買っているのは、道具か、地位か、それとも言い訳か

高額な趣味は本当に体験の質を上げているのか。道具の質、排他性、摩擦の除去、意味の肩代わりという四つの効果を、ワインの盲検試験や地位財の研究、幸福研究の知見とともに分けて考える。

TOMOAKI··趣味

ヨットに乗る、絵画を買う、真空管アンプにこだわる。どれも安くはない趣味だが、「お金をかけるほど良い経験になる」という前提そのものを、一度疑ってみる価値はある。高い道具は本当に体験を変えるのか。それとも変えているのは体験ではなく、自分の見え方の方なのか。

この二つは普段、区別されずに語られる。だから「贅沢な趣味」の話は、いつのまにか「成功者の共通点」のような話にすり替わる。ここではその手前で立ち止まりたい。お金は具体的に何を買っているのか、四つに分けて考えてみる。ただし先に断っておくと、四つに分けたところで話がきれいに片付くわけではない。むしろ分けてみて初めて、どの領域にも研究者たちが何十年もかけて掘り崩してきた、直感に反する結果が転がっていることがわかる。

お金が買っているものは、たぶん一つではない

趣味に金額をかけたとき、その支出が働いている先は少なくとも四通りある。

  • 道具や素材の質——性能や精度が実際に上がり、体験そのものが変わる。
  • 排他性——誰でも入れる場ではないという事実が、体験の一部になる。
  • 摩擦の除去——手間や不便が減った結果、単純に続けやすくなる。
  • 意味の肩代わり——趣味以外の場所で満たされていない何かを、支出が埋め合わせている。

厄介なのは、この四つが一つの支出の中に同時に混ざっていることだ。高いワインを買うとき、自分が味わっているのが液体の複雑さなのか、それとも「高いワインを選べる自分」なのかは、飲んでいる本人にもわからない。だからこそ、分けて考える意味がある。

高い道具は体験を変えるのか、変えないのか

ヨットは、道具の質が体験を左右する側の典型に見える。船体やセール、電子機器の精度は、実際に風況の読みやすさや安全マージンに直結する。中古の小型艇と最新のクルーザーでは、同じ「海に出る」でも中身が違う。

ただし、この効果には天井がある。初心者にとって最も体験を左右するのは艇の性能差ではなく、そもそも風をどう読むか、どう舵を切るかという技術の側だ。心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー」理論では、没入感が生まれるのは課題の難易度と自分の技量が釣り合っている瞬間だとされる。技量が追いついていない道具は、難易度を釣り合わせるどころか、扱いきれない機能の分だけ体験を散漫にする。高価な艇に乗っても、技術がなければその性能を引き出せない。道具への投資が効くのは、その道具を使いこなせるだけの技量が追いついてから、という順序がある。

この順序を裏側から証明してしまったのが、ワインをめぐる一連の研究だ。経済学者ロビン・ゴールドスタインらが6000件を超えるブラインドテイスティングを分析した2008年の研究では、価格と評価の相関はごくわずかで、しかもわずかに負の方向に傾いていた。値段を知らされずに飲むと、人は高いワインをむしろ少しだけ低く評価する傾向がある、ということだ。訓練を積んだテイスターに限れば正の相関がわずかに現れるが、それは「価格が味を良くする」のではなく、価格差を生む品質差を言語化できる技術がある、というだけの話である。

さらに踏み込んだのが、神経科学者ヒルケ・プラスマンらが2008年に発表したfMRI研究だ。被験者に同じワインを飲ませながら、片方には「10ドル」、もう片方には「90ドルの高級ワイン」と偽って伝えたところ、高い値段を伝えられたときの方が「美味しい」と申告しただけでなく、快楽を処理する脳の眼窩前頭皮質の活動そのものが強くなっていた。これは演技でも見栄でもない。値札の情報が、味覚という一見客観的なはずの体験を、脳のレベルで書き換えているということだ。道具や素材の質が体験を変えるのは事実だが、その「体験」自体が値段の情報によってどこまでも汚染されうる、という不都合な事実も同時に存在している。

排他性が売っているもの

会員制クラブや招待制のサロンが売っているのは、体験の質そのものというより「入れない人がいる」という構造だ。経済学者ソースティン・ヴェブレンは1899年の著作で、支出の一部が財そのものの実用性からではなく、他者に富や地位を見せつける目的から行われることを指摘し、これを「顕示的消費」と呼んだ。ヴェブレンにとって重要だったのは金額の大小そのものではなく、その支出が誰かに見られているかどうかだった。この見立てを制度の水準に引き上げたのが、経済学者フレッド・ハーシュである。ハーシュは1977年の著作で、このような財を「地位財」と呼んだ。地位財の価値は絶対量ではなく相対的な位置から生まれるため、技術の進歩でみんなが豊かになっても、地位財の希少性だけは決して解消されない。誰もが最新のヨットを持てる社会になったとしても、「誰もが持っていない特別なクラブの会員である」という価値だけは、定義上、増やしようがない。

この相対的な位置づけへのこだわりは、思っている以上に強い。経済学者サラ・ソルニックとデイヴィッド・ヘメンウェイが1998年に行った調査では、回答者に「自分が年収5万ドルで周囲が2万5000ドルの社会」と「自分が年収10万ドルで周囲が20万ドルの社会」のどちらを選ぶか尋ねている。絶対額でいえば後者の方が二倍豊かだ。それでも回答者のおよそ半数が、絶対額の少ない前者、つまり相対的に周囲より豊かな方を選んだ。人は自分の懐具合そのものより、隣の懐具合との差の方を気にする生き物だということが、ここでは数字として表れている。

希少性が価値の感じ方をゆがめること自体は、もっと単純な実験でも確認されている。心理学者スティーブン・ウォーチェルらが1975年に行った研究では、同じクッキーを入れた瓶を、片方には10枚、もう片方には2枚だけ入れて見せたところ、中身は同じであるにもかかわらず、2枚しか入っていない瓶のクッキーの方が高く評価された。さらに、10枚あった瓶から8枚を取り去って2枚にすると、それだけで評価が跳ね上がった。クッキーの品質は一切変わっていない。変わったのは供給量だけだ。会員制クラブの会話が実際に深いこともあれば、閉じていること自体が目的化して、中身は驚くほど薄いこともある。会費や招待制という形式は、質を保証する仕組みではなく、単に人数と属性を絞る仕組みでしかない。絞られた場にいる満足感と、そこで得られる情報や関係の実質的な価値は、切り分けて確かめないと見分けがつかない。

ここでもう一段、話をねじっておく必要がある。排他性が向けられる先は、実は「誰でも」ではなく、自分の身の回りの限られた集団であることが多い、という点だ。経済学者ケルウィン・コフィ・チャールズらが2009年に発表した研究は、もともと排他性一般ではなく、人種間の消費格差を説明するために組み立てられたものだった。全米の消費データを分析したところ、所得水準を揃えて比べても、黒人およびヒスパニックの世帯は白人世帯より、衣服や宝飾品、自動車といった「見える消費」に可処分所得の大きな割合を割いていることがわかった。著者たちが提示した説明は、人種そのものの好みの違いではなく、自分の経済的な地位を周囲に示す「地位シグナリング」だった——そして、そのシグナルが向けられる「周囲」は、州全体でも国全体でもなく、同じ人種集団の中で自分がどの所得水準に位置しているか、といういっそう狭い準拠集団だった。実際、州と人種の組み合わせごとに見ても、周囲の所得水準が低い集団に属する人ほど見える消費の比率が高くなるという、地位シグナリング理論が予測する通りの傾向がはっきり出ている。つまりこの研究が本当に示しているのは、地域の所得水準という一般論ではなく、見せる消費が働く単位が、想像以上に狭い——同じ人種、同じコミュニティといった単位まで縮んでいる、ということだ。会員制クラブの価値が「入れない人がいる」ことにあるとしても、その「入れない人」が誰を指しているのかを取り違えると、支出の意味そのものを見誤ることになる。

この種の準拠集団効果は、格差そのものの広がりとも結びついている。経済学者マリアン・ベルトランとアデア・モースが2016年に発表した研究は、アメリカの各地域で所得上位層の所得が伸びるほど、その地域に住む非富裕層の世帯が衣服や装飾品といった見える消費への支出比率を増やし、貯蓄率を下げていることを示した。恒常所得の変化や物価上昇、資産効果だけではこの現象を説明できないとされ、研究者たちは、上位所得層の消費水準を日常的に目にする機会が増えることで、それに見合う見せる消費への「地位維持」の圧力が働いていると解釈している。同じ研究は、この圧力にさらされた世帯ほど経済的な逼迫を自己申告する割合が高く、個人破産の件数まで増える傾向を報告している。会員制クラブに入るかどうかは個人の選択に見えるが、その選択を後押ししている圧力の出どころは、抽象的な「豊かな社会」ではなく、視界に入る範囲でたまたま所得が伸びている誰かだという方が実情に近い。排他性を買う支出は、思っているより身近な比較から発生し、思っているより逃れにくい。

お金が減らしているのは、体験ではなく面倒くささ

あまり語られないが、たぶん一番地味で一番効いているのがこれだ。高い会費を払ってシェアリングサービスでヨットに乗る人は、船の維持管理という面倒事を金で外注している。プライベートシェフを頼む人は、買い出しと後片付けという摩擦を取り除いている。結果として起きているのは「体験の質が上がった」ことではなく、「その趣味を実際にやる頻度が上がった」ことだ。

これは軽んじていい話ではない。行動科学者ウェンディ・ウッドの習慣研究によれば、人の行動の多くは目標や意志の強さではなく、身の回りの環境的な手がかりによって自動的に引き起こされている。引っ越しなどで環境の手がかりが失われると、それまで何年も続いていた習慣ですらあっさり途切れる。逆に言えば、道具を出しっぱなしにする、予約を自動化する、面倒な準備工程をまるごと人に任せるといった形で環境側の摩擦を減らすことは、意志の力に頼らずに継続を左右できる、数少ない実際的な手段だということになる。多くの趣味が続かない理由は、体験の質が低いからではなく、始めるまでの手間や、続けるための雑務が多すぎるからだ。お金でその摩擦を減らせるなら、それは十分に意味のある使い道になる。

ただし、これは「体験そのものの価値が上がった」という話とは別物だ、ということは分けておいた方がいい。摩擦が減ったから続けられている、という自覚がないと、いつのまにか「便利になったこと」を「良くなったこと」と取り違えてしまう。プライベートシェフの料理が美味しいのは事実だとしても、その支出が買っているのは主に「買い出しをしなくて済む時間」であって、料理そのものの美味しさへの寄与分は、値段が示すほど大きくないかもしれない。

もっとも、摩擦は減らせば減らすほどいい、という単純な話でもない。フロー理論が示すように、没入が生まれるのは課題の難易度と技量が釣り合っている瞬間であり、趣味の中には、面倒に見える工程そのものが技量を育てる部分になっているものがある。写真を例にとれば、露出や色調整の手間をまるごと自動補正に任せてしまえば続けやすくはなるが、光の条件を読んで自分で判断する力はそのぶん育たない。フィルム時代の暗室作業が「省いていい手間」ではなく「腕を上げる手間」だったのと同じで、摩擦のすべてが取り除くべき敵というわけではない。減らしていい摩擦と、減らすとかえって趣味の中身を薄くしてしまう摩擦とを区別せずに、金で一律に消してしまうと、続けやすさと引き換えに、上達という別の満足を手放すことになりかねない。

興味深いのは、この種の支出が実際にはほとんど選ばれていない、という点だ。心理学者アシュリー・ウィランズらが2017年に発表した研究は、面倒な作業を金で外注する「時間を買う」支出が、同額の物品購入よりも生活満足度を高めるという因果関係を、実験を通じて示した。ところが同じ研究が報告しているのは、その効果が広く知られていないという事実である。調査対象となったオランダの富裕層818人のうち、嫌いな家事や雑務を金で人に任せていない人がおよそ半数に上った。40ドルの臨時収入があったら何に使うかを尋ねた別の調査でも、時間を節約する使い方を選んだ人はわずか2パーセントにとどまっている。摩擦を減らす支出は、費用対効果で見れば有力な選択肢でありながら、資産の多寡にかかわらず、人はなぜかそこにお金を向けたがらない。趣味において摩擦除去への支出が過小評価されがちだとすれば、それはこの一般的な傾向の延長線上にあると考えた方が筋が通る。

意味を肩代わりさせているだけの支出

四つ目が一番見えにくい。腕時計のコレクションや高額な美術品の購入が、機構の美しさや作品への理解ではなく、キャリアや人間関係の手薄さを埋め合わせる方向に働いていることがある。これ自体は責められる話ではない——人はいろいろな方法で自分を支える。ただ、支出の理由を「審美眼」や「文脈の所有」といった言葉で説明しているうちに、本人もその区別を見失っていくことがある。

心理学者ティム・キャッサーは2002年の著書で、物質的な達成や所有を重視する価値観——マテリアリズム——が強い人ほど、年齢や所得や文化を問わず、不安や抑うつ、自己肯定感の低さ、人間関係の希薄さと結びついていることを、一連の研究として示している。2014年に発表されたヘルガ・ディットマーらのメタ分析でも、マテリアリズムと主観的な幸福感の間には一貫した負の関連があることが確認された。物を持つこと自体が悪いのではない。物を持つことに、本来別の場所で満たすべき承認や意味を肩代わりさせている場合に、幸福感が目減りするという話である。

キャッサー自身がこの関連の説明として依拠しているのが、心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンの自己決定理論だ。この理論は、人が心理的に満たされるために欠かせない基本的な欲求として、自律性・有能感・関係性の三つを挙げる。物を所有すること自体は、この三つのどれも直接には満たさない。それでも物質的な達成に価値の重心を置いてしまうと、本来この三つの欲求を満たすはずだった時間や注意力が、物を手に入れることそのものへとすり替わっていく。腕時計のコレクションが悪いわけではなく、コレクションに注ぐ時間が、本来なら人間関係や自分の技量を伸ばすことに向けられていたはずの時間を、気づかないうちに置き換えている場合に、問題が生じるということになる。

この区別を裏付ける形で、心理学者リーフ・ヴァン・ボーヴェンとトーマス・ギロビッチが2003年に発表した研究は、モノを買うことより経験を買うことの方が、人の満足感に長く効くと報告している。理由の一つは、経験は他人との社会的なつながりを生みやすく、モノは他人との比較の対象になりやすいという非対称性にある。腕時計は隣の人の腕時計と比べられるが、旅行の記憶は比べようがない——比べようがないからこそ、色あせにくい。この違いは、趣味を「モノ寄り」と「経験寄り」のどちらに寄せて設計するかという、実務的な選び方にもつながる。同じ予算を腕時計一本に注ぎ込むのと、その額を旅先での体験や技術の習得に配分するのとでは、満足感の減衰のしかたがそもそも違う、という前提を持っておく意味はある。

お金と幸福の関係そのものについても、直感に反する更新が起きている。2010年にダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンが発表した研究は、年収7万5000ドルを超えると感情的な幸福感の伸びは頭打ちになる、という結果で広く知られた。ところが2023年、カーネマン自身がマシュー・キリングスワースおよびバーバラ・メラーズと組んで行った「敵対的協業」——あえて対立する立場の研究者同士が一つの調査を設計し直す手法——では、頭打ちが起きるのはもともと不幸せだった層に限られ、それ以外の大多数にとっては年収が上がるほど幸福感も上がり続けることが示された。かつて「お金で幸せは頭打ちになる」という話は、多くの人にとって当てはまらない、局所的な現象だったことになる。金額の大小そのものよりも、その金額が何に向けられているかの方が、幸福感への効き方をずっと大きく左右している。

見分け方は単純で、その趣味の対象について、他人に見せる前提を外しても同じだけ時間を使えるかどうかだ。誰にも見せない前提の腕時計に、それでも興味を持ち続けられるなら、そこにあるのは道具や技術への関心だろう。見せる相手がいなくなった途端に熱が冷めるなら、その支出が買っていたのは時計ではなく、時計を持っている自分への評価だったということになる。どちらが悪いという話ではない。ただ、自分がどちらにお金を払っているのか、知らないまま払い続けるのは、あまり賢い使い方とは言えない。

値段が保証しているもの、していないもの

「高額な趣味イコール質の高い体験」という等式が広まりやすいのは、それが検証しにくい主張だからだ。体験の質は数値化できないし、比較対象を用意するのも難しい。だからこそ、値段という一目でわかる指標が代わりに使われる。だが、ここまで見てきた研究が示しているのは、値段が保証しているのは支払った金額そのものであって、体験の質でも、そこに費やした時間の充実度でもない、ということだ。むしろ値段は、味覚のような一見客観的な体験にすら介入してくる——プラスマンの実験が示したのは、値札を信じ込むことで脳が実際に「美味しさ」を作り出してしまう、という逆向きの因果関係だった。高いから良いのではなく、高いと信じているから良く感じられる場面が、確かに存在する。

だからといって「高い趣味はやめておけ」という結論にもならない。道具の質が効く場面は確かにあるし、技量が追いついている限りにおいて、その効果は本物だ。摩擦を減らすための出費も理にかなっている——意志の力に頼らず継続を買うという意味では、むしろ費用対効果の良い部類に入る。排他性への支出でさえ、それが何を買っているかを自覚したうえでのことなら、悪い選択とは言い切れない。問題は、その支出が四つのどれに効いているのかを分けて見ないまま、「高いのだから良いはずだ」で片づけてしまうことの方だ。そうしてしまうと、自分が本当は何を求めていたのかがわからないまま、支出だけが積み上がっていく。

次に趣味にお金をかけたくなったとき、自分に聞いてみるとすれば、こういう問いになる。この金額は、道具の性能を買っているのか、入れない場所に入る権利を買っているのか、面倒を減らして続けやすくしているのか、それとも何か別のものの代わりを務めているのか。答えが一つに決まらなくても構わない。ただ、分けて考えたかどうかで、その趣味との付き合い方は変わってくる。値札は雄弁だが、雄弁であることと正直であることは、必ずしも同じではない。

この四分割を、他人の消費を採点するための物差しにしてしまうと、たぶん本来の趣旨からは外れる。誰かの高価な趣味を見て「あれは見栄だ」と決めつけるのは簡単だが、それは自分の判断力を働かせたことにはならない。四つのどれが効いているかは、支出した本人にしかわからないことが多く、しかも一つの支出の中で比率が入れ替わっていくこともある。今日は道具の質に払っていたはずの金が、来月には意味の肩代わりに変わっていても、本人はなかなか気づかない。だとすれば、この分類が向いているのは、他人を裁く場面よりも、自分の支出を折に触れて振り返ってみる場面の方かもしれない。

出典

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