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花を趣味に——押し花からガーデニングまで、落ち着きの正体

花を趣味に——押し花からガーデニングまで、落ち着きの正体

花の趣味には、押し花からベランダガーデニングまで幅がある。花を眺めると落ち着くという話にはたいてい出典がない。その落ち着きの正体を探る。

TOMOAKI··趣味

週末、ふと気づくとスマホの画面を眺めて数時間が過ぎている。そんな日に、一輪の花が机の上にあるだけで、部屋の空気の密度が少し変わる気がすることがある。この感覚には名前がついていて、たいてい「花には癒やし効果がある」という一文で片づけられる。血圧が下がる、ストレスホルモンが減る、集中力が戻る——検索すればそういう言い回しがいくらでも出てくるが、出典まで遡れることは、私が探した範囲では多くなかった。

花を趣味にすることは、単に植物を愛でることを指すわけではない。押し花のように時間を止める楽しみ方もあれば、ベランダガーデニングのように自然のペースに委ねる楽しみ方もある。どちらも「花が好き」という同じ言葉でくくられてしまうが、そこにある姿勢はむしろ正反対に近い。この記事では、その距離の取り方の違いを軸に、花にまつわる研究をいくつか辿りながら、なぜ人は花に手を伸ばすのかを考えてみる。

世話をしているのは花か、自分の落ち着きか

まず押さえておきたいのは、園芸が気分に与える影響については、根拠のない都市伝説の域を出ない話ばかりではないということだ。東京大学の曽我昌史らが、エクセター大学などの研究者と共同で2017年に発表したメタ分析では、22件の先行研究を統合し、ガーデニングへの参加が抑うつ・不安・BMIの改善、生活満足度や生活の質、地域社会への帰属感の向上と有意に関連することを報告している。身体的な健康指標よりも、気分や満足度といった心理的な指標のほうが、ガーデニングとの結びつきが強く出た点も興味深い(全体の効果量はd=0.42で、出版バイアスを補正すると0.35に下がる)。2023年に発表された別の系統的レビューでは、9か国・20件のランダム化比較試験、参加者998人分のデータをまとめ、園芸による介入を通常のケアに加えた群のほうが、通常のケアのみの群より抑うつ症状の改善が大きい可能性がある、と述べている(通常のケアのみと比べたのは15件で、植物を使わない他の活動と比べた5件では差は有意でなかった)。

ただし、ここで数字を並べて「だから園芸は効く」と言い切ってしまうと、この記事が茶化したいはずの雑な断定と同じ構造になる。2021年に韓国の10か所で行われ、2022年に報告された多施設試験では、111人の参加者が週2回・15週間にわたって園芸プログラムに参加し、抑うつで0.84、不安で0.72という比較的大きな効果量が報告された。ただしこの試験には対照群がなく、参加前後の比較のみで効果を測っている。対照群のない前後比較では、症状の得点が一定以上の人だけを組み入れたことによる平均への回帰や、時間が経てば症状が自然に軽くなる分や、参加すること自体への期待が結果を押し上げる分を切り分けられない。効果量の数字だけが独り歩きしやすいところに、この種の研究の弱さがある。

ここまでの研究を読んで私が考えたくなるのは、花や緑そのものよりも「世話をする」という行為の比重が大きいのではないか、ということだ。水を替える、枯れた葉を取る、次に咲く場所を選ぶ——こうした小さな判断の積み重ねが、責任を持つ対象を自分以外に持つという感覚につながっているのだろう。花瓶に切り花を挿すだけの関わりと、鉢植えの世話を何か月も続ける関わりとでは、得られるものの種類が違うのかもしれない。だとすれば「花には癒やし効果がある」という一文は、半分正しく半分は的を外している。効いているのは花の色や香りというより、世話という行為が生む小さな責任の重さのほうかもしれない。

もう一点、数字を読むときに注意しておきたいのは、メタ分析という手法そのものの性質だ。曽我らのメタ分析が束ねているのは、園芸プログラムの参加前と参加後を比べた研究と、「よく庭いじりをする人はそうでない人より満足度が高い」という、庭いじりをする人としない人を比べた調査である。このメタ分析は、研究を無作為化の有無では分けていない。相関関係を示す調査と、介入によって変化を確かめる実験を同じ土俵で束ねてしまうと、「園芸をする人は元々余裕がある人が多いだけではないか」という逆方向の説明を排除しきれない。2023年のレビューがランダム化比較試験だけに絞って抑うつ症状の改善の可能性を報告したことは、だからこそ意味を持つ。ただしそのレビュー自身も、評価できた19件のうち18件で、結果がゆがむおそれが高いと判定している。同じ「園芸は効く」という結論でも、支えている証拠の質には段階があるということだ。

三日後も機嫌がいい、という報告の読み方

花そのものが感情に与える影響を調べた研究としてよく引き合いに出されるのが、ラトガース大学のジャネット・ハヴィランド=ジョーンズらが2005年に学術誌Evolutionary Psychologyに発表した一連の実験である。最初の実験で花を受け取った女性は、口角だけでなく目元の筋肉まで動く「デュシェンヌ・スマイル」——作り笑いでは再現しにくいとされる本物の笑顔——を、全員が見せたと報告されている。ただし果物かごやキャンドルの群でも、9割と8割弱の人が同じ笑顔を見せていた。さらに、2〜4日後の電話での追跡調査では、全群で感情の強さが下がるなか、花の群だけが楽しさの増加を報告していた。エレベーターの中で見知らぬ人に花を手渡すと、他の物を渡したときより、笑顔や立つ距離の面で友好的な反応が返ってきたという実験も含まれている(会話の始めやすさは差が傾向にとどまり、視線は差がなかった)。同じ論文の中では、55歳以上の高齢者に花を贈った実験も報告されていて、気分の報告が、花を受け取っていない群より良かっただけでなく、研究のために配られた記録冊子の細部(紙の色、縁取りなど)と、そこに書きとめた社会的な出来事を思い出せるかという記憶課題の成績も、花を受け取っていない群より良かったという。花を渡すという単純な出来事が、記憶の残り方にまで影響するというのは、直感的には結びつきにくい話だ。

数字だけ見ると「やはり花はすごい」という結論に飛びつきたくなるが、ここで立ち止まっておきたいことが一つある。この研究のうち二つの実験は、米国の花き業界団体 Society of American Florists の資金で一部まかなわれていたと、論文の謝辞に書かれている。実験に使うブーケも、同団体に人気の組み合わせを相談して選んだという。論文から確認できる関与は、資金の一部と花束の選び方にとどまらない。資金の記載がないエレベーターの実験でも、花を入れたかごにだけ、団体の名を載せた掲示が付いていた。業界団体が協力した研究だからといって結果が捏造されているわけではないし、査読を経て学術誌に掲載されている以上、手続き上の不正があるわけでもない。ただ、花を売る側にとって都合のいい結論が出やすい構造の中で行われた実験だという事実は、数字を受け取る側が覚えておいていい情報だ。エビデンスを引用するのは自分の直感を疑うためであって、都合のいい数字で相手を黙らせるためではない。出典元の利害関係まで込みで読むというのは、地味だが欠かせない作業である。

それでも、この研究のもう一つの側面——花を渡すという行為が、渡した側と受け取った側の両方に社会的なつながりの感覚をもたらすらしいという部分——は、資金源の話とは独立して検討する価値がある。花を趣味にするという行為には、育てる・作る・眺めるという一人称の楽しみと同時に、誰かに贈る・見せる・共有するという二人称の側面がつきまとう。ブーケや花冠、リースといった形が生まれ続けているのは、花が「一人で完結しない趣味」であることの表れなのかもしれない。

空気を吸っているのは植物ではなく思い込みの方だった

観葉植物の話でもう一つ触れておきたいのが、「植物は部屋の空気をきれいにする」という、ほとんど常識のように流通している主張だ。この話の出どころは1989年にNASAの研究者ビル・ウォルバートンらが発表した報告で、密閉したチャンバーの中に観葉植物を置き、ホルムアルデヒドなどの揮発性有機化合物をどれだけ減らせるかを測定したものだった。実験室の小さな密閉空間での測定としては意味のあるデータだったが、この結果が一般の住宅やオフィスにそのまま当てはまるかのように広まってしまった。

2019年にドレクセル大学のカミングスとウェアリングが、それまでに発表されたVOC除去効率に関するデータを再分析したところ、典型的な建物の外気との入れ替え(1時間に1回ほど)と同じだけの除去率に達するには、床面積1平方メートルあたり10から1000鉢という、現実には置きようのない数の植物が必要になるという計算結果が出た。植物が空気をきれいにしているという感覚は、密閉されたラボの実験結果が、換気のある実際の部屋の話にすり替わっていく過程で生まれた誤解だったことになる。

この一件が示しているのは、植物と人の関係を語るときに紛れ込みやすい、ある種の飛躍のパターンだ。実験室での小さな効果が、生活空間での大きな効果であるかのように語られ、そこに「自然はやはり体にいい」という気分のいい結論が乗っかると、検証されないまま定着してしまう。花や緑にまつわる話には、こういう「本当らしいけれど確かめられていない」情報が特に多い。だからこそ、気分が良くなる理由として植物を挙げるときは、空気の化学的な話ではなく、世話をする行為や視覚的な効果といった、実際に測定されてきた領域に的を絞ったほうが誠実だろう。

誤解が生まれた経緯を辿ると、報告書そのものに、建物への適用がすでに書かれていたことが分かる。報告書の要約は、観葉植物と活性炭フィルターの組み合わせを、省エネ建築のシックビル症候群を和らげる最も有望な手段の一つだと述べていた。しかもこの研究は、NASAと米国の造園業者の団体(Associated Landscape Contractors of America)が共同で支援したものでもある。花の研究で業界団体の関与を気にしたのと、同じ観点をここにも当ててよい。密閉した箱の中の結果を建物へ広げたのは、後から広まる途中の取り違えだけではなかった、ということになる。

40秒と2時間——量について分かっていること

植物と人の関係を実証的に扱った研究として最も早い時期のものの一つに、建築心理学者ロジャー・ウルリッヒが1984年に学術誌Scienceに発表した論文がある。アメリカ郊外の病院で胆嚢の手術を受けた患者の1972年から1981年までの記録をさかのぼり、病室の窓から木立の見える患者23人と、レンガの壁しか見えない患者23人の術後経過を比較したところ、木立の見える病室にいた患者のほうが入院日数が短く(平均7.96日対8.70日)、強い鎮痛剤を必要とする回数も少なく、看護記録に残された否定的なコメントの数まで少なかった。窓の外の景色という、本人には何もできない環境の違いと、これだけの差が結びついていたことになる。ただし、これは記録をさかのぼった観察で、患者を無作為に部屋へ割り当てたわけではない。花を育てる能動的な関わりの前段階として、ただ視界に緑や自然の要素があることに一定の効果があるのかもしれない、と読める。なお、ウルリッヒ自身が、比べた相手が単調なレンガの壁なので、結論をすべての建物の眺めや他の患者に広げることはできないと書いている。

心理学者のカプラン夫妻が唱えた注意回復理論は、都市環境が人の注意力を絶えず消耗させる一方で、自然の風景は意識的な努力なしに緩やかに注意を引きつけ、消耗した注意力を回復させると説明する。この理論を検証した実験の中で印象に残るのは、2015年にケイト・リーらが発表した研究だ。持続的な注意を要する課題を参加者に行わせ、休憩中の40秒間、花の咲く草地で覆われた屋上のある街の画像を画面で眺めたグループと、むき出しのコンクリートの屋上の画像を眺めたグループを比較したところ、緑を見たグループのほうが課題の見落としが少なく、成績のばらつきも小さかった(大学生150人の実験で、見落としの差は課題の後半だけに出て、コンクリート群だけが後半に増えた)。休憩の長さそのものは変えず、視界に入れるものだけを変えて起きた違いだという点に、この結果の面白さがある。画面の中の数十秒の緑でも、注意課題の成績に差が出た、ということになる。

一方で、時間が長いほど関連が際限なく強くなるわけではない、というデータもある。2019年にイギリスのエクセター大学のホワイトらが約2万人分の調査データを分析した研究では、週に合計120分以上を自然の中で過ごした人は、まったく過ごさない人に比べて健康状態や心理的な幸福感を良好と報告する割合が有意に高かった。ここまでは予想の範囲内だが、興味深いのはその先で、好ましい関連は週200分から300分あたりで頭打ちになり、それ以上時間を増やしても追加の関連は確認されなかった(120分も200〜300分の頭打ちも、著者ら自身が暫定的な数字だと断っている)。しかも1回にまとめて過ごしても、何回かに分けて過ごしても結果に差はなかったという。多ければ多いほどいい、という直感的な前提は、少なくともこの研究の範囲では支持されなかった。ただし、ここでいう自然は、公園や海辺、森への余暇の外出で、自宅の庭で過ごす時間は数えていない。また、ある時点の調査なので、健康な人ほど外に出やすい、という逆向きの説明も排除できない。

この三つの研究を並べても、量について言えることは限られる。40秒の研究は、短い休憩に緑の画像があった場合の結果で、量を変えて比べたわけではない。週120分という目安は、ホワイトらの調査が見た、公園や海辺への外出の量から出た数字で、庭やベランダの世話について同じことが言えるかは、この調査からは分からない。休日をまるごと庭仕事に費やすことが、平日にちらりと窓の外を見る習慣より優れているとも、劣っているとも、これらのデータからは言えない。花を趣味にすることの効能を語るときに抜け落ちがちなのは、量についてはまだほとんど測られていない、という事実だろう。

とはいえ、ここで一つの疑問が残る。窓越しに緑を眺めるだけでも回復の効果があるかもしれないのなら、わざわざ手を汚してガーデニングをする意味はどこにあるのか。前の章で見た園芸のメタ分析が、身体的な健康指標よりも心理的な指標のほうに強い関連を示していたことを思い出したい。眺めるだけの効果は、注意力の回復(ケイト・リーらの屋上の画像の実験)や術後の経過(ウルリッヒの病室の窓)として測られてきたのに対し、世話を続ける営みでは、生活満足度や地域社会とのつながりといった、もう一段広い領域との関連が報告されている。引いた研究はどれも両者を直接比べてはいないので、ここからは私の推測になる。窓の外の緑と、鉢の中の緑は、同じ「植物」という言葉でくくられていても、人に与えているものの種類が違うのだろう。

花を止める人と、花に委ねる人

ここまでの話を踏まえたうえで、花との関わり方の違いに戻りたい。押し花やハーバリウムは、満開の瞬間を平面や液体の中に閉じ込める作業だ。花はもう変化しない。作業する側が完全に主導権を握り、時間の進行を止めてしまう。対してベランダガーデニングや盆栽は、思い通りにならない自然のペースに付き合う趣味で、主導権の一部を植物の側に手渡している。水耕栽培で根が伸びる様子を眺める楽しみも、育てる側が待つことしかできない時間を含んでいる。同じ「花が好き」という動機から出発していても、片方は時間を止めたい欲求に、もう片方は時間に委ねたい欲求に応えている。

2015年に韓国と日本の研究者チームが行った実験では、若い男性24人が、観葉植物の植え替え作業とパソコン作業の両方を、順番を入れ替えて行い、作業中の心拍の変動から自律神経系の活動を比べている。植え替えのほうが、主観的に「快適」「落ち着いた」「自然な」という評定が高く、拡張期血圧も低かった。交感神経の活動は、15分全体の平均では差がなく、最後の3分でだけ抑えられていた(片側検定)。作業自体は地味な単純作業で、使われたのは花のない観葉植物であり、比べた相手はパソコン作業だった。そのため、生き物の世話という行為の質が効いたのか、画面の作業から離れたことが効いたのかは、分けられない。私の推測では、後者の寄与も小さくないだろう。押し花のように完成させて終わる作業と、ガーデニングのように終わりのない世話を続ける作業とでは、得られるものが違うのかもしれない。フラワーアレンジメントやリース作りが、正解のない形を自分の手で決める達成感を提供するのに対し、盆栽やベランダガーデニングは、何年も先の姿を想像しながら今できることだけをする、我慢に近い満足感を提供している。

食用花や花のクラフトビール、花とハーブの石鹸作りのように、視覚以外の感覚を動員する関わり方もある。これらは花を「見て終わる」対象から、「使って終わる」対象へと変える点で、また別の距離の取り方だ。皿の上に一輪あるだけで食事の印象が変わるという体験は、花を眺める体験とは別の回路を使っているのかもしれない。花にまつわる趣味を一つの効能でまとめてしまうと、こうした違いが見えなくなる。

切り花という存在そのものが、この「止める」と「委ねる」の間に立っていることも付け加えておきたい。花を摘んだ時点で、その花はもう根を持たず、いずれ確実に枯れていく。生きた植物の時間を断ち切るという意味では、押し花に近い介入だ。ところがブーケやフラワーアレンジメントに向き合う人の多くは、花瓶の水を替え、茎を切り直し、少しでも長く保たせようとする。切ってしまった以上は止まっている時間のはずなのに、あがくようにして時間を引き延ばそうとする。この矛盾した態度こそが、切り花を扱う趣味の面白さなのかもしれない。ドライフラワーは、その引き延ばしを途中で諦め、色褪せていく過程ごと引き受けるという、また別の選択だ。生花が色を失っていく過程を欠点ではなく味わいとして扱うところに、ガーデニングとも押し花とも違う、三つ目の距離感が生まれている。

盆栽のように何十年という時間軸を扱う趣味に目を向けると、この対比はさらにはっきりする。盆栽では、今日の一回の剪定が実際に姿へ表れるまでに、年単位でかかることもあると言われる。手を入れた結果が見えるまでに長い時間がかかる時間感覚の中で作業を続けるという点で、即座に結果が見える多くの趣味とは根本的に違う時間の流れ方をしている。花を止める趣味が「今この瞬間」に執着するのに対し、盆栽的な趣味は「今はまだ見えない将来」に執着している。どちらも花や木という同じ対象を扱っていながら、向いている時間の方向がまったく逆なのは、興味深い対称性だ。

正解のない選び方に居心地悪くならなくていい

「枯らしてしまったらどうしよう」という不安は、花の趣味を始めるときに誰もが一度は感じるものだと思う。ただ、枯れることも含めて花との付き合いの一部で、失敗のたびに「この環境には少し暑すぎた」「水が多すぎた」という情報が一つ増えるだけのことでもある。ここまで見てきた研究は世話そのものの効き目を分けて測っていないが、私の推測では、その失敗を含めた世話の過程が、続ける理由の中心にあるのだろう。花を枯らさずに保つ技術より先に、世話を続けられる距離感を見つけるほうが、遠回りに見えて近道になるのではないか。

ここまで並べてきた研究は、どれも「花が好き」という漠然とした自己申告よりも、もう少し解像度の高い問いを立てている。眺めているだけなのか、世話をしているのか。誰かに贈っているのか、自分だけで完結させているのか。時間を止めたいのか、委ねたいのか。同じ人の中でも、疲れている週は眺めるだけでよく、余裕がある週は手をかけたくなるというように、この配分は固定されたものではないだろう。花を趣味にするということは、一つの正しい関わり方を選び取ることではなく、そのときどきの自分の状態に応じて、この配分を調整し続けることに近いのかもしれない。だとすれば、今どの距離感がしっくりくるかを自分に問い直す作業そのものが、すでに趣味の一部になっている。

道具を揃える前に、近所の花屋で目についた花を一輪だけ買ってグラスに挿してみるくらいのことは、どの距離感を選ぶにしても無駄にはならない。そこから先の分岐は、実のところ本人にもすぐには分からない。もっと長く残したいと感じる人にとっては、押し花やドライフラワーが「止める」側の答えになるだろうし、逆に自分で育てたいと感じる人にとっては、ガーデニングや盆栽のように「委ねる」側に身を置くことのほうが性に合っているはずだ。もっと綺麗な形を自分の手で決めたいと感じるなら、アレンジメントやリース作りが提供する達成感のほうが近い。どれか一つが正解というわけではなく、押し花には時間を止める代わりに失敗のリスクが小さいという利点があり、ガーデニングは手間と不確実性を引き受けることになるが、生活満足度や地域とのつながりとの関連が報告されており、アレンジメントには正解のない形を自分で決める達成感がある一方で完成した瞬間に終わってしまうという儚さもある。一輪の花を眺めながら自分がどちらの欲求に傾いているかを確かめる作業は、単なる好みの問題ではなく、時間を止めたいのか委ねたいのかという、この記事で見てきた二つの欲求のどちらに近いかを教えてくれる手がかりでもある。

花の趣味に完成はない。季節が巡るたびに、扱う花も、そのとき自分が求めている距離感も変わっていく。研究から言えるのは、「花は効く」という単純な結論ではなく、関わり方によって得られるものが違うのではないか、という問いを立て直すところまでだ。業界団体が資金の一部を出した研究の数字をそのまま信じることも、密閉されたラボの実験結果を自宅の空気清浄効果として受け取ることも、どちらも同じ種類の早とちりである。花にまつわる情報がこれほど気持ちよく流通してしまうのは、対象そのものが人の警戒心を緩めやすいからかもしれない。だからこそ、心地よさの理由まで一歩踏み込んで確かめておく価値がある。

それでも、確かめた上でなお花に手を伸ばしたくなるのなら、その気持ちは十分に信じていいはずだ。自分にしっくりくる関わり方がまだ見つからないなら、当サイトの趣味診断も一つの手がかりになるかもしれない。AIは使っていない。6問の選択を3つのアーキタイプに数えて、多かったものを表示するだけの集計だが、無料で登録も不要なので、試してみるのもいいと思う。

出典

  • Soga, M., Gaston, K.J., & Yamaura, Y. (2017). Gardening is beneficial for health: A meta-analysis. Preventive Medicine Reports, 5, 92-99.(本文で確認)
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  • Yang, Y., Ro, E., … Choi, K.-H. (2022). The Multi-Sites Trial on the Effects of Therapeutic Gardening on Mental Health and Well-Being. International Journal of Environmental Research and Public Health, 19(13), 8046.(本文で確認)
  • Haviland-Jones, J., Rosario, H.H., Wilson, P., & McGuire, T.R. (2005). An Environmental Approach to Positive Emotion: Flowers. Evolutionary Psychology, 3, 104-132.(雑誌版PDFで確認)
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  • Kaplan, R., & Kaplan, S. (1989). The Experience of Nature: A Psychological Perspective. Cambridge University Press.(注意回復理論の初出。書誌のみ)
  • Wolverton, B.C., Johnson, A., & Bounds, K. (1989). Interior Landscape Plants for Indoor Air Pollution Abatement. NASA Final Report (NTRS 19930073077; NASA-TM-101766)(本文で確認).
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