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一人の時間を持て余すとき、何が起きているのか
「一人の時間に何をするか」の手前には、孤独と孤立の違い、退屈が持つ機能、内向型をめぐる思い込みなど、活動の選択より先に効いている条件がある。心理学の実験を辿りながら、その手前にある構造を検討する。
一人の時間に何をするか、という問いを立てると、たいてい次に来るのは「向いていることを探しましょう」という助言だ。刺繍が向いているか、ランニングが向いているか、語学が向いているか。向き不向きを診断し、リストの中から選ばせる。二十五個の選択肢が並んだ記事が想定しているのは、読者がすでに一人の時間を心地よく持ちこたえられていて、あとは中身を埋めるだけだという状態だろう。向き不向きの前に、もっと単純で、もっと居心地の悪い事実がある。少なからぬ人は、そもそも一人で何もせずにいることそのものに落ち着かなさを覚える。何をするかを選ぶ以前に、選ぶための時間を持ちこたえられていないのである。
2014年に科学誌サイエンスに掲載されたティモシー・ウィルソンらの報告は、11の研究で、大学生や地域の大人に、実験室や自宅で一人で6分から15分座ってもらい、「ただ考える」よう求めた。そのうちの一つでは、15分間、手元のキーを押せば自分の足首に電気ショックを流せるようにしておいた。参加者は事前にこのショックを一度体験しており、集計の対象は、もう一度受けずに済むなら金を払うと答えた42人に絞られている。そのうち男性は18人中12人(67%)、女性は24人中6人(25%)が、少なくとも一度は自分でショックを流した。男性の平均は1.47回で、ここには190回押した一人は含まれていない。痛みを避けたいと明言していたはずの人間が、暇を持て余した挙句に自分から痛みを選ぶ。この結果には異論もある。ショックを押した18人のうち14人は、理由として「どんな感じか知りたかった」という好奇心を挙げており、ショックそのものも平均では「わずかに不快」程度だった、という指摘だ。考える時間の楽しさも、平均すれば「やや楽しい」あたりに収まっていた。それでも、ショックを使わなかった6つの研究では、考える時間の楽しさが尺度の真ん中以下だった人が半数近く(49.3%)いた。
孤独と孤立は別の現象である
ここでまず整理しておきたいのは、「一人でいること」と「寂しさ」は同じ現象ではないという点だ。心理学者ジョン・カシオッポらが繰り返し強調してきたのは、孤立(isolation、客観的に人との接触が少ない状態)と孤独感(loneliness、主観的に、つながりが足りないと感じる状態)は同じものではない、という点である。一人暮らしで人と会う頻度が低くても孤独を感じない人もいれば、大勢に囲まれていながら強い孤独を感じる人もいる。孤独感を左右するのは接触の量だけではなく、望んでいる関係と実際の関係とのあいだの落差でもある。これは直感に反するようでいて、実は誰もが経験的に知っていることでもある。パーティーの最中に急に居心地が悪くなる、あの感覚がまさにそれだ。大勢の中にいながら誰とも本当には繋がれていないと感じる瞬間のほうが、静かな部屋に一人でいる時間よりも、よほど寂しさに近い。
人とのつながりの有無がもたらす帰結は軽くない。ジュリアン・ホルト=ランスタッドらが2010年に発表したメタ分析は、先行研究をふるいにかけたうえで、最終的に148の研究、308,849人のデータを統合した。社会的な関係がより強い人は、そうでない人に比べて、追跡期間中に生存している見込み(オッズ)がおよそ1.5倍だった。著者らは、この大きさを禁煙の効果に匹敵し、肥満や運動不足を上回るものと位置づけている。数字だけを見れば、一人の時間など持たずに人と過ごし続けたほうがいいという結論に飛びつきたくなる。とはいえ、それはこの研究の読み方として性急にすぎる。測られているのは婚姻やつながりの数といった関係の構造と、支えがあると感じるかといった機能であって、一人で過ごす時間の長さそのものではない。一人暮らしかどうかという最も単純な指標では、関連ははっきりしなかった(オッズ比1.19、信頼区間は1をまたぐ)。社会的孤立という指標では関連が見られた(オッズ比1.40)ものの、この指標も一人で過ごす時間の長さを直接測ったものではない。一人の時間が長いこと自体を健康リスクだと結論づけることは、この数字からはできない。
一人の時間には、鎮静という機能がある
では、寂しさを伴わない一人の時間は、心にとって何をしているのか。心理学者トゥイヴィ・グエンとリチャード・ライアン、エドワード・デシが2018年に発表した4つの研究は、この問いに具体的な答えを出している。最初の実験では、大学生を15分間、一人で何もせず座っている条件と、研究補助者と決められた質問を交わす条件に割り当て、その前後で感情を測った。一人でいた人では、ポジティブな感情もネガティブな感情も、覚醒度の高い成分がそろって下がった。興奮も苛立ちも、どちらも静まる。会話をした人には、この変化は見られなかった。次の実験では、一人で読み物を読んでいても同じように静まった。この実験では、落ち着きが増すのと同時に、寂しさや悲しさもわずかに増す方向だった。3つ目の実験では、自分で選んだことやポジティブなことを考えていた人で、高揚した感情の下がり方が弱まった。さらに日記の研究では、一人の時間がリラックスにつながったのは、自分から一人を選んだ日だった。
つまり一人の時間の効能の一部は、何をするかという選択の中身よりも先に、感情の振れ幅そのものを小さくするという、いわば土台の部分にあるらしい。読書をするか刺繍をするかは、その土台の上に乗る話ではあるが、一人で何を考えるかによって、土台の効き方も変わる。一人の時間を「何もしていない、無駄な時間」と捉える人は、この鎮静という機能自体を見落としている可能性がある。もっとも、鎮静が常に歓迎されるとは限らない。気分を高めていたい人にとって、覚醒度が下がるという効果は、望んだ結果ではないだろう。仕事の後にどうしても興奮を鎮めたい日もあれば、逆に気分を上げたい日もある。一人の時間の質は、その人がその瞬間、興奮を求めているか、それとも落ち着きを求めているかによっても変わってくる。一日の終わりに一人になった途端どっと疲れを感じるのか、それともようやく息がつけると感じるのか。その分かれ目の正体は、性格の違いというより、その日その瞬間に必要としていた覚醒度と、一人の時間が実際にもたらす覚醒度とのあいだの一致、不一致に近いのかもしれない。
その瞬間の気分では、一人の時間は負けている
ここまで一人の時間の効能を並べてきたが、都合の良い話ばかりではない。心理学者ミハイ・チクセントミハイがリード・ラーソンらと開発した経験サンプリング法は、ポケベルを持たせた参加者に一日のうちランダムなタイミングで信号を送り、その瞬間何をしていて、どう感じているかを報告させるという手法である。この手法を使った研究では、一人でいる瞬間の気分は、誰かといる瞬間より低いという結果が繰り返し報告されてきた。25人の十代の一週間、753回分の報告を分析したラーソンとチクセントミハイの1978年の研究も、一人でいることは「おおむね否定的な経験」だとまとめている。その場だけを切り取れば、一人の時間は社会的な時間に負けているのだ。
ただし、これで話は終わらない。リード・ラーソンが1997年に発表した研究は、アメリカの5年生から9年生まで483人に、同じ経験サンプリング法で一週間、誰といてどう感じているかを報告してもらった。一人の時間は、この年齢を通じて依然として寂しい時間ではあった。ところが時系列で追うと、7年生から9年生では、一人の時間のあとに感情状態がよくなるという後効果が見られた。5年生と6年生には、この効果は現れなかった。つまり、一人の時間の恩恵は、その場の気分には現れず、少し遅れて現れるものらしい。その場の気分の良し悪しだけで一人の時間の価値を判断すると、この遅れて届く分を見落とすことになる。ラーソンは、思春期に一人の時間が担うようになるこの役割を、社会生活を補う「戦略的撤退」と呼んだ。撤退という言葉が示す通り、そこには一時的な後退の感覚が伴う。
内向型だから一人が好き、というのも実は怪しい
内向的な人は一人の時間を好み、外向的な人は人と過ごす時間を好む。この対応関係は、あまりに自明に思えるせいで、疑われることすらない。ところが2022年にトゥイヴィ・グエンらがプロスワンに発表した研究は、この前提に静かに水を差している。大学生183人と270人に、一人で過ごした時間について7日間の日記をつけてもらった二つの研究で、外向性・内向性は、一人の時間を好むかどうかも、それを自分の意志で選んでいるかどうかも予測していなかった。後者を一貫して予測していたのは、普段から自分の関心や納得にもとづいて行動を選ぶ傾向、つまり自律性の強さのほうだった。ただし自律性も、一人の時間を「好むかどうか」とは関係がなかった。
この知見は、性格診断的な発想そのものへの疑いを含んでいる。「あなたは内向型だから、こういう過ごし方が向いています」という助言は、動機づけと結びついていた自律性という変数を見えなくし、生まれつきの型に話をすり替えてしまう。診断は魅力的だ。一度型が決まれば、あとはその型に合った活動を探すだけでよくなり、選ぶという行為そのものが持つ負担を免除してくれる。もっとも、その免除と引き換えに動機づけと結びついている変数を見失うのだとしたら、割に合わない取引だろう。一人の時間が合わないと感じている人に必要なのは、内向型・外向型のどちらに属するかを確かめることより、その時間を誰かに強いられてではなく自分の意志で選べているかを見てみることのほうかもしれない。
外向的にふるまうと機嫌がよくなる、という厄介な事実
ここに、もう一つ厄介な変数が絡んでくる。心理学者ウィリアム・フリーソンらが2002年に発表した研究では、参加者に2週間、3時間おきに「いまどれくらい外向的にふるまっているか」と気分を記録してもらうと、どの参加者も、外向的にふるまっているときのほうがポジティブな感情が強かった。週単位の日記でも、実験室で外向的にふるまうよう指示した実験でも、同じ関係が再現された。後の研究者のまとめによれば、この効果は本人の性格特性が内向型かどうかで変わらなかったという。
2020年にセス・マーゴリスとソニア・リュボミアスキーが行った実験では、大学生131人に、一週間は「できるだけ外向的にふるまう」、もう一週間は「できるだけ内向的にふるまう」よう指示した(どちらを先にするかはくじで決めた)。外向的にふるまった週には幸福感が上がり、内向的にふるまった週には下がった。この効果は、もともと内向型かどうかでは変わらなかった。ただし、外向的にふるまうことには代償もある。2019年にジャック=ハミルトンらが、外向的にふるまう一週間を実生活で試させた別の実験では、内向的な参加者ほどポジティブ感情の伸びが小さく、ネガティブ感情と疲労感が増え、自分らしくないという感覚も強まった。気分は上がるが、消耗もする。一人の時間を選ぶことは、この消耗を避ける合理的な戦略でもありうる、ということになる。だとすれば、一人の時間の質を左右するのは「内向型か外向型か」という単純な二分法よりも、その時間のあとにどれだけ消耗が残るかという収支の感覚のほうかもしれない。人づきあいのあとに気分が良くても、翌日どっと疲れが出るのだとしたら、その日の収支は必ずしも黒字ではない。先の自律性の知見と合わせて読むなら、外向的にふるまうかどうかも、一人でいるかどうかも、気分を動かしはするが、それだけで時間の質が決まるわけではない。一人の時間については、それを自分の意志で選ぶかどうかを予測していたのは、自律性という傾向のほうだった。
退屈は敵ではなく、条件である
一人の時間を持て余す、という経験の中心には、たいてい退屈がある。退屈は避けるべき不快として扱われがちである。ところが心理学者サンディ・マンとレベッカ・キャドマンが2014年に行った実験は、この評価に留保をつけている。参加者に電話帳の電話番号を15分間書き写させたあと、発泡スチロールのコップの使い道をできるだけ多く挙げさせると、何もせずに課題に取りかかった人より多くの案を出した(平均でおよそ11個対7個)。もっとも、出た案が「より独創的」だったかを評定させると、この最初の実験では差はなかった。2本目の実験では電話帳を書き写さずに読むだけの条件も加え、こちらでも案の数は増えた。彼らは、退屈のあいだに浮かぶ白昼夢がこの効果を媒介しているのではないかと論じている。白昼夢の程度を測って媒介を確かめたわけではなく、それは今後の課題だと自分たちで書いている。
この結果が意味するのは、退屈を素早く埋めることが必ずしも最適解ではない、ということだ。一人の時間に「やることがない」状態そのものを、埋めるべき欠陥として扱うか、思考が横道にそれるための猶予として扱うかで、その時間の意味は変わってくる。何かで埋めなければ落ち着かない、という焦りこそが、退屈が本来持っているこの機能を先回りして潰している可能性がある。スマートフォンを取り出す動作は、たいていこの焦りへの反射であって、退屈を吟味した末の選択ではない。手が勝手に伸びる速さと、退屈から何かを引き出す遅さは、そもそも競争にならない。実験室で電話帳を書き写すという課題と、通勤電車の中で手持ち無沙汰になる数分間とでは状況は違うが、白昼夢が生まれる余地を先に奪ってしまうという点では、通知を確認する指の動きも似た働きをしているのではないか。
一人を選ぶ理由は、一つではない
発達心理学者ロバート・コプランらの研究群は、子どもの「一人でいることを好む」傾向を掘り下げる中で、重要な区別を提示している。人が一人を選ぶ理由には、少なくとも二つの異なる動機がありうる。一つは、人と関わりたい気持ちはあるのに、不安や怖さが先に立って避けてしまう「シャイネス」。もう一つは、そもそも人と関わりたいという動機が弱い「非社交性(unsociability)」である。二つは別々の尺度で測り分けられ、6〜8歳の子どもを調べた研究では、内面の不調(不安や落ち込み)や仲間との困難、孤独感が多かったのはシャイな子のほうで、非社交的な子は、一人で遊ぶことが多い点を除けば、ひとりでいない子とほとんど差がなかった(男児では仲間との困難が出やすいという留保つき)。同じように部屋で一人本を読んでいる子どもでも、その内側で起きていることはまったく違う。
この区別を大人の一人の時間に当てはめるなら、同じ「一人で過ごす」という行動の裏に、まったく異なる心理状態が隠れていることになる。人と会うのが怖いから一人でいるのか、一人でいることそのものが積極的に選ばれているのか。外から見た行動は同一でも、その帰結は同じではない。心理学者クリストファー・ロングとジェームズ・アヴェリルは2003年の論文で、孤独(solitude)を、目の前の他者からの要求から離れた状態と定義した。紹介記事によれば、社会的な抑制が弱まり、何を考え何をするかを選べる自由が増す状態とも説明しているという。孤独感(loneliness)と違い、避けるものではなく求められることもある状態だ、というのが彼らの整理である。同じ「一人」という言葉が、不安の産物にも、自由の産物にもなる。読書という同じ行為の名前の下に、逃避と選択という正反対のものが同居しうるということだ。他人からは見分けがつかないという点も厄介で、部屋にこもって本を読んでいる人を見て、それが回避なのか選択なのかを推測することは、本人の内側を覗かない限りほとんど不可能だろう。
足りない一人の時間、という逆の問題
ここまでは、一人の時間をどう過ごすか、あるいは一人の時間にどう耐えるかという話をしてきた。それに対し、同じコプランの研究チームは2019年にこれとちょうど逆の現象にも名前をつけている。「アロンリネス(aloneliness)」、すなわち一人の時間が足りないと感じることから生じる不満だ。孤独感(loneliness)が社会的なつながりの不足から生じる負の感情だとすれば、アロンリネスはその鏡像として、一人の時間の不足から生じる負の感情だと定義される。大学生を中心とする若い成人を調べた一連の研究では、この不足感の強い人ほど、抑うつ症状やストレス、ネガティブな気分が強い傾向があったという。
この概念が示しているのは、一人の時間は多ければ多いほど良いという単純な話でも、社会的な時間さえあれば十分という単純な話でもない、ということだ。人にはそれぞれ、心地よいと感じる一人の時間の分量があり、そこから足りなくても、多すぎても、不調が生じうる。子育て中の親や、常に誰かと同じ空間にいる働き方をしている人にとって、この不足の感覚は珍しいものではないはずだ。一方で、一人の時間が多すぎることに悩む人向けの記事は世に溢れていても、足りなさに悩む人向けの言葉はあまり用意されていない。孤独感を訴えることは社会的に理解されやすいが、一人の時間が足りないと訴えることは、贅沢な悩みとして片づけられがちだからだろう。しかし不調との関連は、こちらの不足感にも報告されている。一人の時間に何をするかを論じる前に、まずどれだけの一人の時間を自分が必要としているかという、もっと基礎的な自己理解が要る。この自己理解を飛ばして活動のリストから選ぼうとするから、選んでも何かがずれている感覚が残る。分量が合っていない服に、いくら柄を選んでも似合わないのと同じ理屈だ。
物理的に一人であることと、心理的に一人であることは別だ
ここまで「一人の時間」という言葉を、物理的に他者がいない状態として扱ってきた。実際には、心理学者ネッタ・ワインスタインらが2023年に発表した調査が、この前提そのものに疑問を投げかけている。彼らは19歳から80歳までの成人60人に半構造化面接を行い、人々が実際に「孤独(solitude)」をどう定義しているかを分析した。たどり着いた定義は、孤独とは「自分自身との関係が支配的になっている状態」だというものだ。物理的に一人であることと、注意が内側に向いていることは、どちらか一方だけでも孤独の条件になりうる。そして多くの参加者は、物理的に離れることを大事にしながらも、孤独を主に心の状態として語っていた。誰かと同じ部屋にいても、相手と関わらずに自分の内側に向かっていれば、それは孤独として経験されうる。一方で、一人の部屋にいても、スマートフォン越しに誰かと言葉を交わしているあいだは、孤独はいったん途切れる。参加者たちはそう語っていた。
この定義を踏まえると、「一人の時間に何をするか」という問い自体が、実は問いの立て方として不十分だとわかる。同じ部屋で同じ時間を過ごしていても、スマートフォンで誰かと返信を重ねているあいだは、そこにあるのは物理的な一人でしかなく、心理的な意味での孤独ではない。逆に、電車の中で他人に囲まれていても、意識を完全に自分の内側に向けられるなら、そこにはこの意味での孤独が成立しうる。活動の種類を選ぶ以前に、その時間のあいだ自分の注意がどこにあるのかという、もっと目に見えにくい条件のほうが、経験の質を左右している。二十五個の活動リストのどれを選んでも、注意がそこに留まらなければ、リストは消費されるだけで、時間の質には何も起きない。
結論を急がないという選択
ここまでの研究をつなぐと、一人の時間の質を決めているのは、活動の種類そのものよりも先に存在するいくつかの条件だとわかる。その一人が、望んだ末の一人なのか、仕方なく残った一人なのか。感情の高ぶりを鎮める時間として機能しているか、それとも埋めるべき空白として扱われているか。退屈を切り上げる先回りをしているか、それとも少し漂わせているか。外向的にふるまう消耗を避けたいのか、それとも別の理由で一人を選んでいるのか。その瞬間の気分の良し悪しだけで判断していないか、遅れて届く効果の分を勘定に入れているか。注意が本当にその場に、自分自身に向いているか、それとも別の誰かとのやり取りに引っ張られたままか。そして、そもそも今の自分に一人の時間が足りているのか、足りていないのか。これらはどれも、刺繍をするか読書をするかという選択の手前にある変数であり、手前にあるがゆえに見落とされやすい。二十五個の選択肢を並べる記事が飛ばしているのは、まさにこの手前の部分である。
厄介なのは、これらの条件が互いに独立していないことだ。自律的に選んだはずの一人の時間でも、注意がスマートフォン越しのやり取りに引っ張られ続ければ、心理的な意味での孤独は成立しない。選んでいない一人の時間のほうも同じで、先に見たグエンらの日記の研究のとおり、リラックスにつながりにくい。だから「今日は一人でいるから何をしよう」と考える前に確認すべきことは、実はいくつも積み重なっている。ただ、それを毎回すべて点検してから一人の時間に入るというのも、それはそれで息苦しい話だろう。むしろ、うまくいかなかった一人の時間を振り返るときに、これらの条件のどれが欠けていたかを考える材料として使う方が、現実的な使い方に近い。
だからこの記事は、一人の時間に何をすればいいかという答えを渡さない。渡せるとしたら、それは処方箋の体裁をした別の焦りにしかならないだろう。ウィルソンらの実験では、一人で考える時間の楽しさが尺度の真ん中以下だった人がおよそ半数いた。空白を、すぐに何かで埋めたくなる人は、珍しくないのだろう。ただ、その空白を埋める前に、なぜ埋めたくなっているのかを一拍おいて眺めることはできる。焦って埋めた空白と、一拍おいてから選んだ活動は、外形としてはまったく同じに見えても、経験としては別物になる。一人の時間が持て余されるのだとしたら、それは活動の選択肢が足りないからではなく、多くの場合、その一拍が省略されているからなのだ。
出典
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