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一人の時間を持て余すとき、何が起きているのか

一人の時間を持て余すとき、何が起きているのか

「一人の時間に何をするか」の手前には、孤独と孤立の違い、退屈が持つ機能、内向型をめぐる思い込みなど、活動の選択より先に効いている条件がある。心理学の実験を辿りながら、その手前にある構造を検討する。

TOMOAKI··趣味

一人の時間に何をするか、という問いを立てると、たいてい次に来るのは「向いていることを探しましょう」という助言だ。刺繍が向いているか、ランニングが向いているか、語学が向いているか。向き不向きを診断し、リストの中から選ばせる。二十五個の選択肢が並んだ記事が想定しているのは、読者がすでに一人の時間を心地よく持ちこたえられていて、あとは中身を埋めるだけだという状態だろう。向き不向きの前に、もっと単純で、もっと居心地の悪い事実がある。多くの人は、そもそも一人で何もせずにいることそのものに耐えられない。何をするかを選ぶ以前に、選ぶための時間を持ちこたえられていないのである。

2014年に科学誌サイエンスに掲載されたティモシー・ウィルソンらの実験は、その耐えられなさを数字にして見せた。参加者を家具もない部屋に一人で座らせ、6分から15分のあいだ「ただ考える」よう指示する。手元には一つだけボタンがあり、押すと自分の手首に弱い電気ショックが流れる。参加者は事前に、このショックを避けるためなら金を払ってもいいと申告していた。ところが実際に一人にされ、何もすることのない状態に置かれると、男性の67%、女性の25%が、少なくとも一度はそのボタンを押した。15分間で平均1.47回。痛みを避けたいと明言していたはずの人間が、暇を持て余した挙句に自分から痛みを選ぶ。この結果には異論もある。「ただ考える」という課題設定自体が曖昧で、参加者が何を求められているのか掴みかねていたのではないか、という指摘だ。とはいえ、たとえ課題の設定に難があったとしても、多くの人が一人で座って考えるという状況に強い居心地の悪さを覚えたこと自体は動かない。何もしない一人の時間は、それほどまでに埋めがたい空白として体験されるのである。

孤独と孤立は別の現象である

ここでまず整理しておきたいのは、「一人でいること」と「寂しさ」は同じ現象ではないという点だ。心理学者ジョン・カシオッポの研究群が繰り返し強調してきたのは、孤立(isolation、物理的に一人でいる状態)と孤独感(loneliness、主観的に満たされないと感じる状態)は独立した変数だということである。一人暮らしで人と会う頻度が低くても孤独を感じない人もいれば、大勢に囲まれていながら強い孤独を感じる人もいる。損なうのは接触の量ではなく、望んでいる関係と実際の関係とのあいだの落差だ。これは直感に反するようでいて、実は誰もが経験的に知っていることでもある。パーティーの最中に急に居心地が悪くなる、あの感覚がまさにそれだ。大勢の中にいながら誰とも本当には繋がれていないと感じる瞬間のほうが、静かな部屋に一人でいる時間よりも、よほど寂しさに近い。

この落差がもたらす帰結は軽くない。ジュリアン・ホルト=ランスタッドらが2010年に発表したメタ分析は、先行研究をふるいにかけたうえで、最終的に308,849人を対象にした148の研究データを統合した。結果、良好な社会的関係を持つ人は、そうでない人に比べて生存率がおよそ50%高かった。これは禁煙が寿命に与える効果に匹敵し、肥満や運動不足が与える悪影響を上回る規模だという。数字だけを見れば、一人の時間など持たずに人と過ごし続けたほうがいいという結論に飛びつきたくなる。とはいえ、それはこの研究の読み方として性急にすぎる。ここで測定されているのは関係の質であって、一人で過ごす時間の量そのものではない。一人の時間が長いこと自体を健康リスクだと結論づけるのは、この数字の使い方として誤っている。むしろ重要なのは、一人でいる時間をどう体験しているかという主観の側であり、それは物理的な孤立の量とは別に測定できる。数字が本当に怖いのは孤立ではなく、満たされない関係の方だということになる。

一人の時間には、鎮静という機能がある

では、寂しさを伴わない一人の時間は、心にとって何をしているのか。心理学者ティウィ・グエンとリチャード・ライアン、エドワード・デシが2018年に発表した一連の実験は、この問いに具体的な答えを出している。彼らは参加者に、誰かと一緒にいる条件と一人でいる条件を割り当て、その前後の感情の強度を測定した。結果は単純ではない。一人でいることは、ポジティブな感情もネガティブな感情も、その「覚醒度」の高い成分を同じように鎮める方向に働いた。興奮も苛立ちも、どちらも静まる。誰かと一緒にいるときにはこの鎮静効果は現れず、また一人の時間に何か活動をしていてもいなくても、効果の大きさはさほど変わらなかった。

つまり一人の時間の効能は、何をするかという選択の中身よりも先に、感情の振れ幅そのものを小さくするという、いわば土台の部分にある。読書をするか刺繍をするかは、その土台の上に乗る話であって、土台そのものではない。一人の時間を「何もしていない、無駄な時間」と捉える人は、この鎮静という機能自体を見落としている可能性がある。もっとも、鎮静が常に歓迎されるとは限らない。気分を高めていたい人にとって、覚醒度が下がるという効果は、望んだ結果ではないだろう。仕事の後にどうしても興奮を鎮めたい日もあれば、逆に気分を上げたい日もある。一人の時間の質は、その人がその瞬間、興奮を求めているか、それとも落ち着きを求めているかによっても変わってくる。一日の終わりに一人になった途端どっと疲れを感じるのか、それともようやく息がつけると感じるのか。その分かれ目の正体は、性格の違いというより、その日その瞬間に必要としていた覚醒度と、一人の時間が実際にもたらす覚醒度とのあいだの一致、不一致に近いのかもしれない。

その瞬間の気分では、一人の時間は負けている

ここまで一人の時間の効能を並べてきたが、都合の良い話ばかりではない。心理学者ミハイ・チクセントミハイが開発した経験サンプリング法は、ポケベルを持たせた参加者に一日のうちランダムなタイミングで信号を送り、その瞬間何をしていて、どう感じているかを報告させるという手法である。この手法を使った調査群では、繰り返し同じ傾向が確認されている。一人でいる瞬間の主観的な幸福感は、友人といる瞬間に比べて明確に低い。その場だけを切り取れば、一人の時間は社会的な時間に負けているのだ。

ただし、これで話は終わらない。リード・ラーソンが1997年に発表した研究は、5年生から9年生までの483人を対象に、同じ経験サンプリング法で一週間の気分の推移を追跡した。結果、一人の時間に入った直後は、それが自分で望んで選んだ孤独であっても、気分は一時的に沈む。ところが時系列で追うと、7年生から9年生では、その沈んだ気分のあとに、感情状態がむしろ好転するという後効果が見られた。5年生と6年生にはこの効果は現れなかった。つまり、一人の時間の恩恵は即時には現れず、いったん気分の落ち込みという代償を払ったあとにやってくる遅効性のものらしい。その場の気分の良し悪しだけで一人の時間の価値を判断すると、この遅れて届く分を丸ごと見落とすことになる。ラーソンはこの現象を、社会生活からの「戦略的撤退」と呼んだ。撤退という言葉が示す通り、そこには一時的な後退の感覚が伴う。効果が届くまでの間、気分の落ち込みだけを感じて一人の時間を切り上げてしまえば、後から届くはずだった分は永遠に受け取れないままになる。

内向型だから一人が好き、というのも実は怪しい

内向的な人は一人の時間を好み、外向的な人は人と過ごす時間を好む。この対応関係は、あまりに自明に思えるせいで、疑われることすらない。ところが2022年にティウィ・グエンらがプロスワンに発表した調査は、この前提に静かに水を差している。彼らは、外向性や内向性といった性格特性そのものは、一人の時間を「好むかどうか」にも「自ら望んで選んでいるかどうか」にも、有意な予測力を持たないことを示した。代わりに予測力を持っていたのは、自律性、つまり自分の行動を外からの圧力ではなく自分自身の関心から選んでいるという感覚の強さだった。内向型だから一人の時間が心地よいのではなく、自律的に選んだ一人の時間だから心地よい。因果の矢印は、多くの人が思っているのとは違う場所を指している。

この知見は、性格診断的な発想そのものへの疑いを含んでいる。「あなたは内向型だから、こういう過ごし方が向いています」という助言は、自律性という本当の変数を見えなくし、生まれつきの型に話をすり替えてしまう。診断は魅力的だ。一度型が決まれば、あとはその型に合った活動を探すだけでよくなり、選ぶという行為そのものが持つ負担を免除してくれる。もっとも、その免除と引き換えに実際に効いている変数を見失うのだとしたら、割に合わない取引だろう。一人の時間が合わないと感じている人に必要なのは、内向型・外向型のどちらに属するかを確認することではなく、その時間を誰かに強いられてではなく自分の意志で選べているかを確認することかもしれない。

外向的にふるまうと機嫌がよくなる、という厄介な事実

ここに、もう一つ厄介な変数が絡んでくる。心理学者ウィリアム・フリーソンらが2002年に行った実験では、参加者にその場で「外向的にふるまう」よう指示すると、本人の自己申告する性格特性が内向型であっても、外向的にふるまっている最中のポジティブ感情は上昇した。日記法を用いた二週間の追跡調査でも、同じ傾向は再現されている。つまり、外向的にふるまうこと自体が、内向型・外向型を問わず気分を持ち上げる方向に働く。

2020年にソニア・リュボミアスキーらが行った追跡研究では、参加者に一週間ずつ「できるだけ外向的にふるまう」「できるだけ内向的にふるまう」という指示を交互に与えている。結果はやはり、外向的にふるまった週のほうが主観的な幸福感は高かった。ただしここで見落とされがちなのは、外向的にふるまうことには労力がかかるという点だ。内向型の参加者は、外向的にふるまうことがより多くのエネルギーを要すると報告している。気分は上がるが、消耗もする。一人の時間を選ぶことは、この消耗を避ける合理的な戦略でもありうる、ということになる。だとすれば、一人の時間の質を左右するのは「内向型か外向型か」という単純な二分法よりも、その時間のあとにどれだけ消耗が残るかという収支の感覚のほうかもしれない。人づきあいのあとに気分が良くても、翌日どっと疲れが出るのだとしたら、その日の収支は必ずしも黒字ではない。先の自律性の知見と合わせて読むなら、外向的にふるまうかどうかも、一人でいるかどうかも、それ自体は決め手にならない。決め手になるのは、その選択を自分がどう握っているかという一点に、思いのほか集約されていく。

退屈は敵ではなく、条件である

一人の時間を持て余す、という経験の中心には、たいてい退屈がある。退屈は避けるべき不快として扱われがちである。ところが心理学者サンディ・マンとレベッカ・キャドマンが2014年に行った実験は、この評価に留保をつけている。参加者に電話帳の数字を書き写すという単調な作業をさせたあと、発泡スチロールのコップの新しい使い道をできるだけ多く考えさせたところ、退屈な作業を経た参加者のほうが、創造的な発想の数で上回った。退屈のあいだに生じる白昼夢が、この効果を媒介していると彼らは論じている。

この結果が意味するのは、退屈を素早く埋めることが必ずしも最適解ではない、ということだ。一人の時間に「やることがない」状態そのものを、埋めるべき欠陥として扱うか、思考が横道にそれるための猶予として扱うかで、その時間の意味は変わってくる。何かで埋めなければ落ち着かない、という焦りこそが、退屈が本来持っているこの機能を先回りして潰している可能性がある。スマートフォンを取り出す動作は、たいていこの焦りへの反射であって、退屈を吟味した末の選択ではない。手が勝手に伸びる速さと、退屈から何かを引き出す遅さは、そもそも競争にならない。実験室で電話帳を書き写すという課題と、通勤電車の中で手持ち無沙汰になる数分間とでは状況は違うが、白昼夢が生まれる余地を先に奪ってしまうという点では、通知を確認する指の動きも同じ働きをしている。

一人を選ぶ理由は、一つではない

発達心理学者ロバート・コプランらの研究群は、子どもの「一人でいることを好む」傾向を掘り下げる中で、重要な区別を提示している。人が一人を選ぶ理由には、少なくとも二つの異なる動機がありうる。一つは他者との交流に不安を感じて避ける「シャイネス」、もう一つは他者への関心自体が低く、積極的に一人の活動を選ぶ「非社交性(unsociability)」である。この二つは統計的にも別の構成概念として区別され、後者は前者に比べて心理的な適応との相関がはるかに弱いとされる。同じように部屋で一人本を読んでいる子どもでも、その内側で起きていることはまったく違う。

この区別を大人の一人の時間に当てはめるなら、同じ「一人で過ごす」という行動の裏に、まったく異なる心理状態が隠れていることになる。人と会うのが怖いから一人でいるのか、一人でいることそのものが積極的に選ばれているのか。外から見た行動は同一でも、その帰結は同じではない。心理学者クリストファー・ロングとジェームズ・アヴェリルが2003年の論文で整理したように、自発的に選ばれた孤独(solitude)は、他者からの要求や社会的な抑制から解放され、自分の思考や活動を自由に選べる状態として経験される。同じ「一人」という言葉が、不安の産物にも、自由の産物にもなる。読書という同じ行為の名前の下に、逃避と選択という正反対のものが同居しうるということだ。他人からは見分けがつかないという点も厄介で、部屋にこもって本を読んでいる人を見て、それが回避なのか選択なのかを推測することは、本人の内側を覗かない限りほとんど不可能だろう。

足りない一人の時間、という逆の問題

ここまでは、一人の時間をどう過ごすか、あるいは一人の時間にどう耐えるかという話をしてきた。それに対し、同じコプランの研究チームは2019年にこれとちょうど逆の現象にも名前をつけている。「アロンリネス(aloneliness)」、すなわち一人の時間が足りないと感じることから生じる不満だ。孤独感(loneliness)が社会的なつながりの不足から生じる負の感情だとすれば、アロンリネスはその鏡像として、一人の時間の不足から生じる負の感情だと定義される。彼らの調査では、この不足感の強さは抑うつ症状や知覚されたストレス、苛立ちといった指標と関連していた。

この概念が示しているのは、一人の時間は多ければ多いほど良いという単純な話でも、社会的な時間さえあれば十分という単純な話でもない、ということだ。人にはそれぞれ、心地よいと感じる一人の時間の分量があり、そこから足りなくても、多すぎても、不調が生じうる。子育て中の親や、常に誰かと同じ空間にいる働き方をしている人にとって、この不足の感覚は珍しいものではないはずだ。一方で、一人の時間が多すぎることに悩む人向けの記事は世に溢れていても、足りなさに悩む人向けの言葉はあまり用意されていない。孤独感を訴えることは社会的に理解されやすいが、一人の時間が足りないと訴えることは、贅沢な悩みとして片づけられがちだからだろう。しかし研究が示す不調との関連は、こちらの不足感にも等しく当てはまる。一人の時間に何をするかを論じる前に、まずどれだけの一人の時間を自分が必要としているかという、もっと基礎的な自己理解が要る。この自己理解を飛ばして活動のリストから選ぼうとするから、選んでも何かがずれている感覚が残る。分量が合っていない服に、いくら柄を選んでも似合わないのと同じ理屈だ。

物理的に一人であることと、心理的に一人であることは別だ

ここまで「一人の時間」という言葉を、物理的に他者がいない状態として扱ってきた。実際には、心理学者ネッタ・ワインスタインらが2023年に発表した調査が、この前提そのものに疑問を投げかけている。彼らは19歳から80歳までの成人を対象に半構造化面接を行い、人々が実際に「孤独(solitude)」をどう定義しているかを分析した。その結果として浮かび上がったのは、孤独の核心は物理的な一人という条件ではなく、「自分自身との関係が支配的になっている状態」だという定義である。誰か他人と同じ部屋にいても、注意が完全にその場から離れ、他者を介した相互作用から距離を取れていれば、それは心理的には孤独として経験されうる。逆に、物理的には一人の部屋にいても、頭の中がずっと誰かとのやり取りやその後の返信のことでいっぱいなら、それは孤独とは呼べない。

この定義を踏まえると、「一人の時間に何をするか」という問い自体が、実は問いの立て方として不十分だとわかる。同じ部屋で同じ時間を過ごしていても、スマートフォンの通知に断続的に気を取られていれば、そこにあるのは物理的な一人でしかなく、心理的な意味での孤独ではない。逆に、電車の中で他人に囲まれていても、意識を完全に自分の内側に向けられるなら、そこにはこの意味での孤独が成立しうる。活動の種類を選ぶ以前に、その時間のあいだ自分の注意がどこにあるのかという、もっと目に見えにくい条件のほうが、経験の質を左右している。二十五個の活動リストのどれを選んでも、注意がそこに留まらなければ、リストは消費されるだけで、時間の質には何も起きない。

結論を急がないという選択

ここまでの研究をつなぐと、一人の時間の質を決めているのは、活動の種類そのものよりも先に存在するいくつかの条件だとわかる。その一人が、望んだ末の一人なのか、仕方なく残った一人なのか。感情の高ぶりを鎮める時間として機能しているか、それとも埋めるべき空白として扱われているか。退屈を切り上げる先回りをしているか、それとも少し漂わせているか。外向的にふるまう消耗を避けたいのか、それとも別の理由で一人を選んでいるのか。その瞬間の気分の良し悪しだけで判断していないか、遅れて届く効果の分を勘定に入れているか。注意が本当にその場に、自分自身に向いているか、それとも別の誰かとのやり取りに引っ張られたままか。そして、そもそも今の自分に一人の時間が足りているのか、足りていないのか。これらはどれも、刺繍をするか読書をするかという選択の手前にある変数であり、手前にあるがゆえに見落とされやすい。二十五個の選択肢を並べる記事が飛ばしているのは、まさにこの手前の部分である。

厄介なのは、これらの条件が互いに独立していないことだ。自律的に選んだはずの一人の時間でも、注意がスマートフォンの通知に引っ張られ続ければ、心理的な意味での孤独は成立しない。逆に、仕方なく一人になった状況でも、そこで自分の関心に完全に没頭できれば、鎮静の効果は現れる。だから「今日は一人でいるから何をしよう」と考える前に確認すべきことは、実はいくつも積み重なっている。ただ、それを毎回すべて点検してから一人の時間に入るというのも、それはそれで息苦しい話だろう。むしろ、うまくいかなかった一人の時間を振り返るときに、これらの条件のどれが欠けていたかを考える材料として使う方が、現実的な使い方に近い。

だからこの記事は、一人の時間に何をすればいいかという答えを渡さない。渡せるとしたら、それは処方箋の体裁をした別の焦りにしかならないだろう。ウィルソンらの実験が示したように、人は空白に耐えられずボタンを押してしまう生き物である。ただ、その空白を埋める前に、なぜ埋めたくなっているのかを一拍おいて眺めることはできる。焦って埋めた空白と、一拍おいてから選んだ活動は、外形としてはまったく同じに見えても、経験としては別物になる。一人の時間が持て余されるのだとしたら、それは活動の選択肢が足りないからではなく、多くの場合、その一拍が省略されているからなのだ。

出典

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