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趣味の道具が増えていくことについて
収納グッズを買い足せば趣味のモノは片付く、という話を疑ってみる。実際に効いていたのは容器の性能ではなく、手を伸ばす距離と、戻すときの動作の数だった。
趣味を続けていると、道具は放っておいても増えていく。手芸の端切れ、カメラの周辺機器、キャンプ用品。気づけば部屋の一角が占領されていて、くつろげる場所が減っていく。
この手の悩みに対して、ネット上には「便利グッズ10選」や「収納を維持する5つのルール」といった記事が大量にある。有孔ボード、透明ケース、キャスター付きワゴン。眺めている分には面白いし、実際に便利な道具もあるのだろう。ただ、こうした記事を読んで新しい収納グッズを買い足すこと自体が、次の収納問題の種になっている場面を何度か見てきた。道具を整理するための道具が増えるという、少し滑稽な循環だ。
この循環には、名前がついている。
買い足しが買い足しを呼ぶ構造には、名前がある
人類学者グラント・マクラッケンが1988年の著書で「ディドロ効果」と名づけた現象がある。哲学者ドニ・ディドロが上等な部屋着を贈られたあと、それに釣り合わないという理由で書斎の家具を次々に買い替えてしまった、という随筆が下敷きになっている。
マクラッケンの整理では、人の持ち物はばらばらの集合ではなく、互いに釣り合いの取れた一組として維持されている。そこへ一点だけ水準の違うものが入ると、釣り合いが崩れる。崩れた釣り合いを戻そうとして、周辺のものが順に入れ替わっていく。
収納グッズは、この構造に妙によく当てはまる。透明ケースをひとつ導入すると、隣の不揃いな箱が急に気になりはじめる。棚を新調すると、上に載っているものの雑然さが目につく。片付けるために買ったはずのものが、片付けたい対象を増やしている。
ただし、ここは正直に書いておきたい。ディドロ効果は概念であって、測定された効果ではない。マクラッケンが提示したのは消費行動を読むための枠組みで、「収納グッズを買うと平均してこれだけ支出が増える」といった数字が背後にあるわけではない。腑に落ちるからといって、検証済みの話として扱うわけにはいかない。
それでも名前があると便利なのは、自分がその循環の中にいるかどうかを、買う前に一度確かめられるからだ。いま欲しいものが、いま困っていることを解決するのか、それとも一つ前に買ったものと釣り合わせるためなのか。
効いていたのは、道具ではなく距離だった
実際に自分の身の回りで機能していた工夫を思い返してみると、拍子抜けするほど地味なものばかりだった。よく使うものは腰から肩の高さに置く。それだけで、出し入れの面倒さがかなり減る。逆に、年に一度しか使わないものは、多少しまい込んでも困らない。つまり効いていたのは収納用品の性能ではなく、「どれくらいの頻度で触るか」を基準に置き場所を決めていたことのほうだった。
もうひとつ効いていたのは、道具を使い終えた後、片付けまでを一連の作業として終わらせる習慣だ。趣味の時間の最後に軽く戻しておくだけで、翌週に散らかった状態から再開しなくて済む。これも収納グッズとは関係のない話で、単なる順番の問題にすぎない。
この「距離が効く」という感触は、収納の話に限らない。行動を変えようとするとき、説得より配置の方が効くことがある、という指摘は古くからある。
もう少し細かく言うと、出すときと戻すときでは、必要な摩擦の低さが違う。出すときは目的があるので、多少の手間は乗り越えられる。撮りたい写真があれば、蓋くらい開ける。ところが戻すときには目的がない。撮り終わって満足している人間にとって、片付けは純粋な負債でしかない。
だから同じ収納でも、戻す側の摩擦の方が効きやすい。出すのに三動作かかる場所は使われるが、戻すのに三動作かかる場所は使われない。使われないというのは、物がそこへ帰らず、机の上に残るということだ。
「片付けまでを一連の作業として終わらせる」という工夫が効いていたのも、たぶんこの非対称に関係している。趣味の時間の中に片付けを含めてしまえば、まだ目的が切れていない。目的が切れた後に片付けを置くと、負債として単独で立つ。順番を変えただけで、同じ動作の重さが変わる。
説得は態度を動かし、地図は行動を動かす
ハワード・レヴェンタールらが1965年に行った実験は、健康行動の研究では繰り返し引かれるものだ。学生に破傷風の危険を訴える資料を読ませ、実際に予防接種を受けたかどうかを追跡している。
恐怖を強く煽った資料は、接種への態度を好意的にし、受けようという意図も強めた。ところが実際の接種率はほとんど動かなかった。動いたのは、資料に保健センターの地図と、無料で接種できる時間帯を書き添えたときだった。
レヴェンタール自身が後年の総説で、この違いをこう書いている。特別に一度出かけなければならない場合より、昼食の予定を医者の前を通るように組んだ場合の方が、自分は破傷風の注射を受けやすい、と。態度の問題ではなく、経路の問題として書いている。
ここで一つ、断っておかなければならないことがある。この実験でよく引かれる「3パーセントが28パーセントに」といった数字は、紹介する文献によって食い違う。今回調べた範囲でも、3パーセントから28パーセントとするものと、3.3パーセントから33パーセントとするものの両方が見つかった。原論文そのものには当たれていないので、ここでは具体的な数値は使わない。使えるのは、態度と行動が別々に動いたという方向だけである。
それでも、この方向は収納の話にそのまま重なる。趣味をやろうという気持ちを強めることと、実際にやる回数を増やすことは、別の操作で動く。棚の位置は後者に効いている。
近づけるのは簡単で、遠ざけるのは難しい
ただ、この原理を素直に適用しようとすると、片側だけが実行しやすいことに気づく。
よく使うものを手の届く場所に置くのは、誰でもできる。面倒がないから続く。ところが、年に一度しか使わないものを遠くへやる作業は、そう簡単ではない。遠くへやるという判断は、それが1年使われなかったという事実を認める作業と同じだからだ。
だから実際の部屋では、近づける方だけが実行され、遠ざける方が滞る。手前によく使うものが増え、奥に何があるかは分からなくなる。距離で管理するという方針は正しいのに、運用すると片側に偏る。
収納グッズが売れる理由の一端も、たぶんここにある。奥のものを手放す判断を先送りしたまま、手前の密度だけを上げようとすると、必要になるのは容器だ。
増える速度は、趣味を選んだ時点でだいたい決まっている
冒頭に挙げた例——手芸の端切れ、カメラの周辺機器、キャンプ用品——を並べ直すと、ひとつ気づくことがある。どれも、続けるほど物が増える種類の趣味だ。
そうでない趣味もある。走る、泳ぐ、歩く、歌う。道具が要らないか、要っても更新されるだけで積み上がらない。10年続けても、占有する空間はほとんど変わらない。
つまり収納の問題は、片付けが下手だから起きているとは限らない。蓄積する種類の趣味を選んだ時点で、量の増加は織り込まれている。同じ人が同じ几帳面さで走る趣味を続けていたら、この問題は最初から立ち上がらなかった。
これは慰めのようでいて、少し面倒な含みもある。収納で解決しようとしている問題の一部は、実は趣味の選択によって決まっていて、収納側の努力では原理的に届かない。届かない部分に努力を注ぎ続けると、うまくいかない理由が自分の管理能力に見えてくる。
減るものと、減らないもの
蓄積する趣味の中でも、物の性質は一様ではない。
端切れ、糸、絵の具、木材。これらは使えば減る。放っておけば増えるが、作れば確実に目減りする。在庫という言い方が素直に当てはまる種類のものだ。
一方、レンズ、三脚、ランタン、治具。これらは使っても減らない。むしろ使うほど手放しにくくなる。所有物であって在庫ではない。
収納の困りごととしては同じ「増えた」に見えるのに、解き方はまったく違う。減るものは、作る頻度が上がれば自然に片付く。減らないものは、作る頻度をいくら上げても減らない。前者に対して収納を増やすのは時間稼ぎとして機能するが、後者に対しては先送りにしかならない。
自分の部屋を占領しているのがどちらなのかを分けておくと、少なくとも「収納を買い足すべきかどうか」の判断はしやすくなる。減るものの一時的な滞留なら、容器は役に立つ。減らないものが溜まっているなら、容器は問題を隠すだけだ。
ややこしいのは、ひとつの趣味の中に両方が混ざっていることだ。手芸なら、端切れと糸は減るが、裁ちばさみとミシンは減らない。キャンプなら、燃料と食材は減るが、テントとランタンは減らない。同じ棚に、時間が経てば消える物と、消えない物が並んでいる。
そして棚を見ているときに目に入るのは、たいてい大きい方——つまり減らない方である。減るものは小さく、袋や箱にまとめられていて、量として意識されにくい。実際には後者が体積の多くを占めていても、判断の対象になるのは前者になる。
この見え方のずれがあるので、「何を減らすか」を棚の前で考えると、答えが偏る。目立つ道具を手放すかどうかで悩んでいるあいだ、目立たない材料は静かに増え続けている。
「収納スペース」という言葉が、先に決めていること
検索されている言葉の方を、少し眺めてみたい。「趣味の道具 収納スペース」。この並びは、問題を空間の量として立てている。
空間の量として立てれば、解法も量になる。棚を増やす、高さを使う、外部の倉庫を借りる。どれも筋は通っているし、実際に片付く。ただ、この立て方は「道具の量は与件である」という前提を、問いに入る前に済ませてしまっている。
与件として扱う理由はある。趣味の道具を減らすという話は、趣味そのものを減らす話に容易に横滑りするからだ。収納の相談をしている人が聞きたいのは、たいていそれではない。
それでも、量として立てた問いには、量としての答えしか返ってこない。空間は有限で、趣味は必ずしも有限ではない。この不均衡は、棚を一段増やしても縮まらない。
ここから「だから減らすべきだ」という方向へ進めることもできるが、その道は断捨離が本当に効いているのは何なのかという別の話になる。減らすことそれ自体が効いているのかどうかは、思われているほど自明ではない。ここではその手前で止めておく。
「いつか使う」が、いちばん強い
手放す判断がとりわけ滞りやすいのは、材料の方だと思う。
使っていないレンズは、使っていないという事実がはっきりしている。ところが端切れは違う。まだ使っていないだけで、将来の作品の一部として存在している。捨てるという判断は、その作品を作らないと決める判断と同じ形をしている。
これは意志の弱さの話ではなく、判断の構造の問題だ。所有物を手放すのは過去の清算だが、材料を手放すのは未来の取り消しになる。後者の方が難しいのは、たぶん当然である。
そして材料は、たいてい小さい。小さいものは、一つ一つが決断に値しないので、判断が保留されたまま積み上がる。大きな道具は場所を取るぶん定期的に意識に上るのに、小さな材料は意識に上らないまま体積だけを増やしていく。
「収納スペースが足りない」と感じるとき、実際に足りていないのは判断を下す機会の方かもしれない。容器はその機会をさらに減らす方向に働く。見えなくなれば、考えなくて済む。
外部の倉庫は、何に対して払っているのか
量として立てた問いの、いちばん素直な解法が外部の倉庫だ。空間が足りないなら、空間を買えばいい。実際それで片付く。
ただ、月額で払っているものが何なのかは、一度言語化しておく価値がある。倉庫が提供しているのは空間だが、その空間が引き受けているのは「手放すかどうかを決めない」という状態の維持である。決めれば要らなくなり、決めなければ払い続ける。
これは倉庫を否定する話ではない。決めないでおくことに価値がある場面は普通にある。転居の途中、制作の合間、いつか再開するかもしれない趣味。判断を保留する権利を月額で買っている、と理解できていれば、それは筋の通った買い物になる。
問題になるのは、空間の不足を解決したつもりでいる場合の方だ。その理解でいると、契約は自動的に更新され続ける。解決したと思っている問題は、もう検討されない。
見えることと、取り出せることは別々に効く
冒頭で名前だけ挙げた三つ——有孔ボード、透明ケース、キャスター付きワゴン——を、距離の原理の側から見直してみたい。良し悪しを決めたいのではなく、それぞれが何を減らしているのかを分けておきたい。
透明ケースが減らしているのは、探す手間である。中身が見えるので、どこに何があるかを思い出さなくて済む。ただし蓋がある。取り出すには開ける動作が要り、戻すには閉める動作が要る。見つけるまでの摩擦は下がるが、手を伸ばしてから戻すまでの摩擦はむしろ上がっている。
有孔ボードは逆の性質を持つ。中身は見えるどころか常時見えていて、しかも掛けるだけなので取り外しに動作が要らない。距離の原理にいちばん素直に沿っているのはこれだと思う。ただし掛けられるものに限られる。薄くて引っかかる形をしていなければ載らないので、対象を選ぶ。
キャスター付きワゴンが減らしているのは、また別のものだ。物と自分の距離ではなく、物の集合ごと動かす手間を減らしている。作業の場所が固定されていない人には効くが、場所が決まっているなら、動かせることに意味はあまりない。
並べてみると、同じ「収納グッズ」でも、減らしている摩擦の種類が違う。自分が困っているのが探すことなのか、出し入れなのか、移動なのかを先に決めていないと、買ったのに楽にならないという結果になりやすい。冒頭に書いた滑稽な循環の一部は、この取り違えから来ているのだと思う。
ここまでの話の、足場の弱さについて
最後に、この記事が何に基づいているかを整理しておきたい。
ディドロ効果は概念であって測定値ではない。レヴェンタールらの実験は方向としては信頼できるが、よく引かれる数値が紹介ごとに食い違っていて、原論文には当たれていない。そして「腰から肩の高さが楽だった」「片付けまでを一続きにすると翌週が楽だった」という部分に至っては、単なる個人の観察である。比較対象を置いて確かめたわけではない。
個人の観察が弱いのは、うまくいった工夫だけが記憶に残るからだ。試してやめた配置は思い出せない。思い出せるものだけを並べれば、どんな方針でも機能しているように見えてくる。
それでも書いたのは、収納の話がほとんど道具の紹介で占められていて、距離や頻度という地味な変数がめったに前に出てこないからだ。前に出てこない理由も、たぶん単純である。棚の位置を変えることには、誰も物を売れない。
整理している時間は、趣味の時間なのか
もう一つ、判定の難しい問題がある。収納を考えている時間の扱いだ。
棚の配置を検討し、ケースを比較し、レビューを読む。この時間は楽しい。楽しいのだから趣味の時間だと言ってもよさそうだが、当人の実感としては、たいてい「趣味をやるための準備」に分類されている。準備は本番の前段であって、本番そのものではない。
厄介なのは、この二つが外から見分けられないことだ。カメラの収納を検討している人と、カメラを使っている人は、どちらもカメラという趣味に時間を使っている。使っている本人にも、実のところ区別がつかない。準備をしている自覚はあるが、その準備がいつまで準備なのかを決める基準がない。
そして準備には、本番にはない利点がある。失敗しない。棚の配置を考えているあいだ、下手な写真は一枚も撮らずに済む。道具の手入れについて書いたときにも似た構造に行き当たったが、対象に触れる手前で止まっている作業は、対象そのものより安全にできている。
収納を整えることが趣味の妨げになりうるとすれば、時間を食うからというより、こちらの理由の方が大きいかもしれない。整った棚は、まだ何もしていないことを、していないように見せない。
「1つ買ったら1つ手放す」を、守れなかった記録
「1つ買ったら1つ手放す」というルールも、よく見かける。実践してみると、これは収納を維持するための鉄則というより、増え続けるものに対する現実的な妥協点に近い。守れないときのほうが多いし、守れなくても大きな問題にはならなかった。
守れなかった理由を後から考えると、このルールが数の釣り合いだけを見ていることに行き当たる。買うものと手放すものが、同じ大きさ、同じ用途、同じ頻度とは限らない。レンズを一本買って、使わないケーブルを一本捨てても、占有している空間はまったく釣り合わない。
それでもこのルールが広く語られるのは、守れているかどうかが自分で判定できるからだと思う。空間の余裕は測りにくいが、数は数えられる。測れるものを基準にすると管理している感じが出るが、測れることと効いていることは別である。
実際に効いていたのは、数ではなく頻度の方だった。年単位で触っていないものが何であるかを把握しているかどうか。把握していれば、そこが空いていることも分かる。
収納が整うことと、趣味が続くことは別の話
収納がきれいに整うと気分がいいのは確かだが、それと趣味そのものが続くかどうかは、あまり関係がないように思う。道具が完璧に整理された部屋より、多少乱雑でも、やりたいと思った瞬間に手を伸ばせる場所のほうが、結局は趣味に向かう回数を増やしていた。
この二つを混同しやすいのは、整った状態が写真に写るからだろう。手を伸ばせる距離は写真に写らない。写るものの方が語られやすく、語られやすいものの方が目標になりやすい。
収納は、趣味を続けるための舞台装置ではあっても、趣味そのものの代わりにはならない。道具をどうしまうかに時間をかけすぎるくらいなら、多少雑然としたままで、その時間を趣味そのものに使ったほうがいいのかもしれない。
とはいえ、雑然としていることを肯定して終わるのも、それはそれで雑な話になる。散らかった部屋が心身に及ぼす影響については物を持たない趣味について書いたときに触れたが、そちらはそちらで無視できる大きさではなかった。ここで言えるのは、収納の目的を「片付いて見えること」に置くか「手が届くこと」に置くかで、買うものが変わってくる、という程度のことだ。前者を目的にすると容器が要る。後者なら、たいてい何も要らない。要るのは、いま何をどれくらいの頻度で触っているかを、一度だけ正直に数えることの方だ。数えたところで棚は片付かないが、少なくとも何を買わずに済むかは分かる。
出典
- McCracken, G. (1988). Culture and Consumption: New Approaches to the Symbolic Character of Consumer Goods and Activities. Indiana University Press.(ディドロ効果は同書で提示された概念であり、測定された効果ではない)
- Leventhal, H., Singer, R., & Jones, S. (1965). Effects of Fear and Specificity of Recommendation upon Attitudes and Behavior. Journal of Personality and Social Psychology, 2(1), 20–29.(原論文には当たれていない。本文で数値を使わなかったのはこのため)
- Leventhal, H. (1971). Fear Appeals and Persuasion: The Differentiation of a Motivational Construct. American Journal of Public Health, 61(6).(昼食の経路に関する記述はこの総説による)
