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趣味探しを「意思決定」と呼びたくなったら、疑っておきたいこと

趣味探しを「意思決定」と呼びたくなったら、疑っておきたいこと

自我消耗の効果量は、2010年のd=0.62から、大規模追試のd=0.06へ縮んだ。「選ぶと疲れる」を根拠に趣味探しを語る前に、理由を言葉にしてから選ぶことの効果も含めて読み直す。

TOMOAKI·

趣味探しの記事を検索すると、ある種の語彙に必ず行き当たる。自分の価値観を言語化する、判断基準を立てる、選択肢を洗い出して比較検討する、最終的に意思決定マトリクスで絞り込む。診断ツールに答えを打ち込めば向いている趣味が並ぶ、という体裁のものも珍しくない。もっともらしい手順だが、この語彙自体がどこから来ているのかを一度立ち止まって考えてみると、妙な感触が残る。これはもともと、企業が設備投資先を選んだり、就職活動で複数の内定を比較したりするために磨かれてきた語彙である。趣味を選ぶという、本来もっと軽い行為に、なぜこれほど重装備な思考の道具が持ち込まれるようになったのか。

もう少し丁寧に言い直すと、まず疑いたいのは、個々の助言の正しさではない。価値観を言語化することも、選択肢を比較することも、場合によっては役に立つように見える。疑わしいのは、趣味を選ぶという行為に「意思決定」という枠組みを当てはめること自体が、はたして妥当な比喩なのかという、もう一段手前の問いのほうだ。この問いを避けたまま手順の精緻さだけを競っても、土台が傾いていれば上に積んだものごと傾く。

この違和感を掘り下げると、少なくとも二つの独立した理論的な柱が見えてくる。ひとつは「選ぶこと自体が人を消耗させる」という意思決定疲れの発想であり、もうひとつは「趣味という活動は、そもそも外部からの動機づけとは相性が悪いはずだ」という内発的動機づけの理論である。片方は「選ぶ作業を重ねると、決める力そのものが尽きる。だから手順を踏んで選択肢を絞れ」と説き、もう片方は「その絞り込みの手続き自体が、趣味を趣味たらしめている性質を損ないかねない」と警告する。両方を同時に信じたまま趣味探しの記事を読むと、読者はどちらの忠告にも従いようがなくなるはずだが、そのような矛盾を意識させる書き方をしている記事にはほとんど出会わない。

疲れるという直感には、根拠があった

「選ぶと疲れる」という感覚を、単なる比喩ではなく資源の消費として説明しようとした研究がある。1998年、バウマイスターらは、自制の力は使うたびに目減りする、という発想(論文の題名は「自我消耗」だった)を実験で示した。実験室にクッキーを焼いてチョコレートの匂いを満たし、1食抜いて3時間以上何も食べずに来てもらった67人の学生を、三つの条件に分ける。ラディッシュだけを食べる群、チョコレートだけを食べる群、何も食べない群。そのあと、解けない図形なぞりのパズルをどれだけ続けるかを測ると、ラディッシュ群は平均8.35分で投げ出し、チョコレート群は18.90分、何も食べない群は20.86分続けた。目の前のチョコレートを我慢するという自制が、その後の粘りという別の自制を奪った、という解釈になる。

2008年、ヴォースらの研究チームは、この発想を「選択」にまで広げた。消費財や職業、大学の履修科目を実際に選ばせた群と、同じものを評定するだけの群を比べる。酢を混ぜたまずい飲み物を何オンス飲めるかを測った実験では、選んだ群は2.06オンス、選ばなかった群は7.67オンスだった。冷水に腕を浸していられる時間は、27.70秒対67.42秒。いずれも、選ぶ作業を重ねた側のほうが、その後の自制の課題で粘れなかった。

実験室の外でも確かめられている。ショッピングモールで声をかけた買い物客のうち58人に、その日の買い物でどれだけ選択をしたと感じるかを評定してもらい、紙に印刷された3桁の足し算64問を、好きなときにやめてよい条件で解かせた。選択を多く重ねたと答えた人ほど、正答数が少なかった。ただし、これは58人の相関研究で、著者自身も因果の証拠としては弱いと認めている。それでも、趣味探しが、比較検討という小さな選択を何度も積み重ねる作業である以上、この理論に従えば、比較検討を重ねるほど、そのあとの自制や集中が目減りしていくはずだった。

その資源は、あとになって見つからなくなった

ところがこの「自我消耗」という理論は、その後の検証でかなり揺らいでいる。2010年、ハガーらの研究チームが83本の研究・198の検定結果をまとめてメタ分析にかけた。のちの研究者の紹介によれば、効果量は中程度、d=0.62だった。当時としては、理論を裏づける十分な蓄積があるように見えた数字である。

しかし2014年、カーターとマカラは、同じデータに、小規模な研究ほど効果が大きく出る偏りを補正する方法を当てた。小さな研究は、大きな効果が出たときだけ発表されやすい。うまくいった日の釣果だけが記録に残り、釣れなかった日は誰も書かない釣り場から、本当の釣れ具合を逆算する作業に近い。こうした偏りを出版バイアスと呼ぶ。それを補正した推定は、d=−0.10(95%信頼区間−0.23〜0.02)。ゼロと区別できない値だった。

2016年には、世界の研究室が参加する事前登録の追試がおこなわれた。実験の手順、測定方法、分析計画のすべてを事前に公開し、24の研究室が同じ実験を繰り返す。参加者の母語が実験の条件から外れた1研究室を除いた23研究室・2,141人の結果は、d=0.04、95%信頼区間−0.07〜0.15で、ゼロをまたいでいた。この手順は、事前にバウマイスター本人も確認していた。のちに、課題の選び方に批判が出た。追試で使われた課題が、そもそも自制の力を消耗させていなかったのではないか、という反論が、元の理論を支持する側から出ている。

その後の追試も、結果は小さい。ヴォースが筆頭を務めた2021年の事前登録追試(36研究室・3,531人)は、d=0.06(95%信頼区間−0.02〜0.14)で有意でなく、データは「効果なし」のほうが約4倍もっともらしかった。別の12研究室・1,775人の追試(2021年)は、d=0.10(0.01〜0.19)と、小さいながら有意な値を出した。2021年の二つの追試では、あるとしても、元の0.62の6分の1から10分の1ほどである。2008年の選択の研究を率いた研究者自身が、のちに大規模な検証をおこなって、自我消耗の効果を見つけられなかった。

意思決定疲れの「証拠」として、もう一つよく引かれる研究がある。イスラエルの仮釈放審査で、休憩の直前には好意的な判断が約65%からほぼゼロまで落ち、休憩のあとに戻る、という2011年の研究だ。しかし、その後に出た分析は、弁護士のいない受刑者が各セッションの最後に回されやすかったと指摘した。別に集めた227件のデータで、延期を除いた許可率は、弁護人ありで67%、なしで39%だった。別の分析は、許可の審理のほうが時間がかかるので、休憩前に長くかかりそうな案件を避けるだけで、同じ形が現れうることを、シミュレーションで示した。疲れとは別に、もっと退屈な説明ができる。

選択肢が多いと満足や決定が悪くなる、という「選択過多」の研究も、少し事情が似ている。2010年のメタ分析は、平均の効果はほぼゼロだとした。一方、2015年の別のメタ分析は、特定の条件のもとでは起きるとしている。ここで注意が要るのは、選択過多と自我消耗が、別の現象だということだ。前者は選択肢の数が選択や満足に及ぼす影響、後者は選ぶ行為を重ねることが、そのあとの別の自制に及ぼす影響を指す。「選択肢が多いと疲れる」と一言で言うとき、この二つが混ぜて語られている。

この経緯を知ったうえで意思決定疲れという言葉に戻ると、話はやや厄介になる。趣味探しの記事が読者に「選択肢を絞りなさい、そうしないと決める力が尽きてしまう」と説くとき、その説得力の一部は、確立された心理学の知見という体裁を借りている。だがその知見の土台そのものが、心理学の内部から疑いを向けられている。ならばなぜ、意思決定疲れという物語はこれほど広く流通し続けているのか。答えの一つは単純で、それが正しいと決着がついたからではなく、選ぶことに疲れるという体感に寄り添う、心地よい説明の形をしているからだろう。売れる物語であることと、正しい物語であることは、別の基準で動いている。

選ぶことの疲れは、趣味探しに当てはまるのか

意思決定疲れの理論が仮に正しかったとしても、それがそのまま趣味探しに当てはまるとは限らない。ヴォースらの研究は、消費財の選択だけでなく、履修科目や、いま受けている授業の内容についての35の選択といった、先々まで影響する選択も扱っていた。日用品選びだけの結果ではない。ただ、そこで測られたのは、選んだ直後の数分間の自制であって、何年も続くかもしれない趣味を、数週間かけて探す場面ではない。

同じ論文には、趣味探しに近い結果もある。結婚祝いのリストを作る課題で、選ぶ時間を0分、4分、12分に変えた実験(100人)では、選ぶことを楽しいと予想した人は、4分なら消耗しにくかった。ただし12分になると、楽しいかどうかに関係なく消耗した。趣味探しが休みなく選び続ける作業になる場面なら、この結果からは、長く選び続ければ疲れる、という側の読みが出てくる。実際の趣味探しは数週間にわたり、間に休みも入る。休みで区切られた一回ごとの選択が短いなら、楽しければ疲れない、という読みのほうが当てはまるかもしれない。どちらの読みも、条件つきでしか成り立たない。しかもこの実験は、前の節で見た、揺らいでいる枠組みの上にある。趣味探しが疲れるのかどうかは、この記事で見た研究からは決められない。

趣味とは、そもそも何によって動くものか

心理学者デシとライアンが体系化した自己決定理論は、人間の動機づけを大きく二つに分ける。ひとつは、報酬や評価、義務といった外部の要因によって行動が引き出される外発的動機づけ。もうひとつは、その活動自体が面白い、あるいは満足だという理由だけで行動が続く内発的動機づけである。自律性、有能感、関係性という三つの基本的心理欲求が満たされるほど、動機づけと精神的な健康は高まるとされる。内発的動機づけのばらつきを説明する要因としては、とくに自律性と有能感への支えが目立ち、関係性は一段離れた位置に置かれている。

趣味という営みは、この理論の言う内発的動機づけの、わかりやすい例に見える。給料のために働くのとは違い、誰かに評価されるためでも、履歴書に書くためでもなく、ただそれをしている時間そのものが目的になっているのが、趣味の定義に近い。だとすれば、ここで一つの奇妙な組み合わせが生まれる。内発的動機づけによって支えられているはずの営みを選ぶために、外部の基準や評価軸を組み上げる装置――意思決定フレームワーク――を持ち込むという組み合わせである。フレームワークとは本質的に、選択肢を外部の基準に照らして採点し、比較可能な形に変換する道具だ。

もちろん、内発と外発は白か黒かの二択ではない。自己決定理論には、外部から始まった動機が、自分のものとして取り込まれていく中間段階がある。外的な調整、取り入れ、同一化、統合。ただし、人がこれらの段階を順に進む必要はなく、どの段階からでも取り込みが起きうると、自己決定理論の論文自身が書いている。最も内側にある「統合」でさえ、内発的動機づけと多くの性質を共有するが、別の成果を得るためにおこなわれるという意味で、外発的なものに数えられる。それでも、外部から始まった動機が自分のものになりうる以上、外部の基準を経由して趣味に出会うこと自体が、常に有害だと決めつけるのは早計だ。問題になるのは、外部の基準が「入口」として機能する場合と、選んだあとも「この選択が正しかったかどうかを測る物差し」として居座り続ける場合との違いのほうだろう。

報酬が動機を奪うという、直感に反する実験

この組み合わせの危うさを考える手がかりが、報酬が内発的動機づけを損なうことを示したとされる一連の実験である。デシは1971年、学生24人にソーマキューブというパズルを解かせた。三回のセッションのうち、二回目だけ、一方の群に、13分以内に完成させた形1つにつき1ドルを払う。三回目は、報酬がなくなる。それぞれのセッションの途中で、実験者が部屋を出て、雑誌とパズルが置かれた部屋に8分間一人で残す。その間にパズルに触っていた時間を、窓越しに測った。報酬を受け取った群は、出発点の248秒から、三回目の199秒に減り、受け取らなかった群は、214秒から242秒へ、やや増えた。ただし、この差は24人という少数から得たもので、主要な検定は片側でp<.10と、有意の手前にとどまる。

1973年のレッパー、グリーン、ニスベットによる実験は、この現象をさらに具体的な場面で確かめている。スタンフォード大学附属の保育園で、もともとフェルトペンでの絵描きが好きな園児を選び、最終的に51人を分析した。「よいプレイヤー賞」という、金色の星と赤いリボンのついた賞状を、描く前に見せて約束した群、描いたあとに予告なく渡した群、何ももらわない群の三つに分ける。7〜14日後、自由時間に絵を描く机で過ごした時間の割合は、事前に報酬を約束された群で8.59%、賞なしの群で16.73%、予告なしに賞をもらった群で18.09%だった。約束された群だけが、およそ半分になった。この群は、実験中に描いた絵の質の評価も低かった。日常に置き換えれば、好きで通っていた喫茶店で、「通えばポイントを付ける」と事前に告げられるようなものだ。ポイントが目当てになると、ポイントがなくなったあとで、足が向かなくなる。実験では、予告なしに賞をもらった群は、そうならなかった。

もっとも、報酬と動機の関係をめぐっては、議論が続いている。1999年のデシらのメタ分析(128研究)は、自由時間の行動で測ると、有形の報酬全体で効果量d=−0.34、予期しない有形の報酬でd=0.01と報告した。それに対し、キャメロンらのメタ分析は、報酬は一般に害にならず、害が出るのは条件が限られた場合だとしている。両陣営が合意できる範囲は、予期された有形の報酬が、課題をするだけで与えられる場合に、自由時間の行動が減る、というあたりだろう。キャメロンらは、害が出るのは、面白い課題で、有形の報酬が事前に予告され、しかも成績の良し悪しにゆるくしか結びついていない場合に限られる、と整理している。

これらはいずれも、パズルや園児の遊びという限定された場面での実験であり、大人が趣味を選ぶという、もっと複雑で長期にわたる意思決定に当てはめられる保証はない。一見すると、レッパーらが選んだのは、絵を描くのがもともと好きな園児で、損なわれる興味がすでにあった。入口は違う、と言いたくなる。だが、デシらのメタ分析には、自由時間の行動で測った11研究を、課題の面白さで分けた補足分析がある。初期の興味が高かった課題では報酬の害が大きく(d=−0.68)、低かった課題では有意でなかった(d=0.18)。試してみたいと思って選ぶ活動は、前者に入りうるから、興味が育っていないことを、害を免れる理由にはできない。入口が実験と違うと言える根拠は、別のところにある。入口で試す活動には、やれば何かがもらえるという約束が、ふつうは付いていない。害が出たのは、報酬を事前に知らされていた場合で、予期しない報酬では、効果はほぼなかった。当てはまりうるのは、選んだあとの趣味に、外部の物差しが居座る場面のほうだ。「この趣味は、あなたの価値観に合い、投資対効果も高い」と確かめ続ける理由は、金銭のような直接の報酬ではないが、報酬と似た機能を果たす可能性がある。入口の問題には、次の実験のほうが近い。

理由を言葉にしてから選ぶと、選ぶ物が変わる

先に、入口なら害は小さいかもしれないと見たが、そう言い切れない実験もある。入口の作業そのものが問題になりうることを、報酬とは別の仕組みで示すものだ。理由を言葉にすること自体の影響を直接測ったもので、ウィルソンらが1993年に報告した。バージニア大学の女子学生43人に、ポスターを見せて、一枚持ち帰らせる。ポスターには、モネやゴッホの絵画の複製と、ユーモラスなポスターが混じっていた。一方の群には、選ぶ前に、それぞれのポスターを好きな理由と嫌いな理由を書かせ、もう一方には、経歴を書く質問票に答えさせた。後者の21人中20人(95%)は、絵画の複製を選んだ。理由を書いた群では、22人中14人(64%)だった。平均25日後に満足度を尋ねると、理由を書いた群のほうが、持ち帰ったポスターへの満足度が低かった。

この実験が趣味探しの全体を説明するわけではない。選ぶ対象は一枚のポスターで、趣味のように何年も付き合うものではない。それでも、理由を言語化してから選ぶという手続きが、選ぶ物を変え、あとの満足を下げうる、という結果は、意思決定フレームワークの最初の一歩、価値観の言語化に近い作業に関わっている。冒頭で役に立つように見えると書いた言語化にも、条件がつくことになる。

「見つける」ものなのか、「育てる」ものなのか

もう一つ、別の角度から見てみる。オキーフ、ドゥエック、ウォルトンが2018年に報告した研究は、興味についての「理論」を調べた。情熱は、すでに自分の中にあって、見つけ出すものだと考える人と、時間をかけて育てるものだと考える人では、何が違うのか。5つの研究のうち、研究4では、情熱は見つけるものだと考える人ほど、見つかれば動機は尽きないと予想し、ときに難しいこともあると予想しにくい傾向があった。研究5(短大生70人)では、技術的な論文を読んで難しいと感じた人について、読んだあとの興味(6段階)の予測値が、見つける、という理論を前提にした条件で2.75、育てる、という条件で3.59だった。探した範囲では、独立した直接の追試は見つからなかった。単独の報告にすぎないから、この結果を過信はできない。それでも、趣味探しの手続きが、「自分に合うものを選べば、あとは楽しいはずだ」という枠組みを前提にしているなら、そこに含まれる想定の側に、疑いの余地がある。

自律性を最適化しようとすると起きること

自己決定理論が重視する三つの欲求のうち、ここで特に問題になるのは自律性である。自律性とは、自分の行動を誰か他者や外部の基準に強制されたものとしてではなく、自分自身が選び取ったものとして経験できることを指す。ところが意思決定フレームワークというもの自体が、選択の手順をあらかじめ規定する外部の構造である。価値観を先に言語化しろ、判断基準を明文化しろ、比較検討の手順を踏め――これらはすべて、フレームワークという外部の枠組みが、選ぶ人間の内側に向かって課してくる要求だ。自分で選ぶための助けとして持ち込んだ手段が、手段であるという理由だけで、すでに何らかの外部からの規定を含んでしまっている。

ここには、公平のために添えておくべき留保がある。目標を選ぶ「理由」と持続の関係を調べた自己一致モデル(シェルドンとエリオット、1999年)では、「自分が大事だと信じるから」という理由も、自律的な動機に数えられる。つまり、価値観を言語化して選ぶことが、必ずしも外から理由を持ち込むことになるとは限らない。ただし、そこで見つかった、自己一致と努力・目標達成との関連は小さく(相関は.20〜.24、最初の研究の値)、対象は米国の一大学の学生だった。価値観に沿った理由で選んでも、努力や達成への効き目は大きくない、という読みもできる。

先に見た、手段が外部の規定を含むという矛盾は、フレームワークの精度を上げても、一部は残る。むしろ精緻なフレームワークほど、選ぶ手順そのものへの拘束は強くなりそうだ。簡易な診断と、二十項目にわたる自己分析シートとでは、後者のほうがより「正しく」選べそうに見えるが、同時に、選ぶという経験そのものを、あらかじめ用意された手順に従う作業へと変えてしまう度合いも大きい。似たような逆説は、有能感という欲求のほうにも顔を出す。フレームワークはしばしば、選んだ結果を後から評価するための指標もセットで用意する。継続日数、上達の速度、費やした金額に対する満足度。これらの指標は、有能感を確認するための足場のように見えて、実際には「うまくいっているかどうか」という外部の視線を、趣味の時間の中にまで持ち込む働きをしうる。もっとも、指標は他人のほめではなく自分で決めるものだが、フィードバックという点では近い。デシらのメタ分析では、言葉によるほめは大学生の内発的動機づけをむしろ高めていた(自由時間の行動で測ると、子どもでは有意でなかった。統制的に与えたほめは、下げうるとされる)。指標が自分への励ましとして働くのか、外からの視線として働くのかで、話は違ってくる。

このサイトにも、趣味診断というツールがある。ここまでの議論は、それにも当たる。診断結果を入口の一つとして眺めるぶんには、害は小さいかもしれない。診断は、理由を書かせるものではなく、選択式の質問に答えるものだから、ウィルソンの実験と同じ手続きではない。この診断にも、最初の一歩として、記録できる小さな指標を決めることを勧める結果のタイプがある。ただ、診断が出した理由や指標を物差しにして、選んだあとの趣味を採点し始めると、この記事が疑ってきた構図になる。

語彙が流れてきた場所について

ここまで見てきたことは、個人の心の弱さを責める話ではない。問題があるとすれば、それは意思決定という語彙、あるいはその語彙とともに輸入されてくる思考の型そのものにある。判断基準、評価軸、投資対効果、機会費用――これらはもともと、限られた資源をどこに配分するかという、企業経営や個人のキャリア形成の文脈で磨かれてきた道具立てである。そこでは選択の正しさを事後的に検証できることが前提になっている。売上が伸びたか、昇進できたか、という具合に。趣味には、そもそもこの種の外部基準による事後検証がなじまない。続けているうちに好きになった、あるいは続けているうちに飽きた、という結果でしか良し悪しを測れない対象に、投資判断のための語彙をそのまま流用しようとすることのほうに無理がある。

この無理を指摘することは、意思決定という営み全般をからかうことにはならない。仕事や資産運用のように、外部の基準で結果を検証できる領域では、判断基準を明文化し、選択肢を比較する作業には十分な意味がある。からかうべきなのは、その語彙と手順を、性質のまったく異なる領域にまで無反省に持ち込む姿勢のほうだ。この流用がとりわけ都合よく機能してしまうのは、意思決定という語彙が、選んだ結果に対する責任の所在をわかりやすくしてくれるからでもある。手順を踏んで選んだのに合わなかったのなら、それは手順の精度が足りなかっただけであり、次はもっと良い診断ツールを使えばよい、という説明が立つ。逆に、これといった手順を踏まずに何となく始めた趣味が合わなかった場合、そこには手順という言い訳が存在しない。フレームワークが売れる理由の一部は、選択の精度そのものよりも、この種の心理的な保険としての機能にあるのかもしれない。

この違和感をどこに置いておくか

ここまでの議論は、では趣味はどう選べばよいのかという問いに、直接の答えを用意しているわけではない。趣味探しの手続きそのものを、別の手続きと比べて検証した実験は、探した範囲では見つからなかった。意思決定疲れの理論的な基盤が揺らいでいるからといって、選択肢が多いことが常に無害だと言えるわけでもないし、内発的動機づけの議論が成り立つからといって、あらゆる自己分析が有害だと結論づけられるわけでもない。むしろここで確認できたのは、二つの柱のうち、選ぶことは資源を消耗するという発想は、追試でほとんど検出できなくなっている、ということである。もう一つの、外部からの理由づけは内発的な動機を損なうという発想は、入口にそのまま当てはめる根拠が乏しい。当てはまりうるのは選んだあとの段階のほうだが、そこは見立てにとどまる。そして、入口で理由を言葉にすること自体が、選ぶ物とあとの満足を変えうるという実験が、手元に残った。冒頭で、二つの忠告のどちらにも従いようがなくなると書いたが、片方の足場が揺らいだいま、残る問いは、絞り込みの手順が入口で何を変えるのか、のほうである。

だとすれば、趣味探しの記事に出てくる意思決定という言葉に触れたとき、まず疑ってよいのは、その言葉が指し示している手続きの正しさそのものよりも、その言葉を使うことで何が暗黙のうちに前提とされているか、という点かもしれない。自分の余暇の時間に対して、経営判断や進路選択と同じ種類の厳密さを要求してよいのか。その厳密さを求める前提そのものが、すでに趣味という営みの性質と噛み合っていないのではないか。

この噛み合わなさは、おそらく完全には解消できない。趣味を選ぶ場面で自己分析や比較検討を一切やめてしまえば済む、という単純な話でもないからだ。人はどのみち何かを考え、何かを比べながら物事を選んでいく生き物であり、その営みから理屈を完全に取り除くことはできない。できるとすれば、理屈を使っている最中に、いま自分がどちらの語彙を借りているのかに気づいておくことくらいだろう。

この趣味は好きだから続けているのか、それとも選んだ手順が正しかったことを証明するために続けているのか。この二つの動機は、外から見ればほとんど同じ行動として現れる。違いが表に出るのは、その趣味を続ける理由が本人の中で静かに入れ替わっていることに気づく瞬間だろう。答えを急いで出す必要はない。性急な結論に飛びつくより、この噛み合わなさをしばらく手元に置いたまま考え続ける、という選択肢もある。

出典

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