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ジーンズの色は、外側からしか抜けない
藍は繊維の芯まで染まらない。色落ちは劣化ではなく、表面だけが摩耗して白い芯が覗く現象だ。この一点をたどると、偽の色落ちを作るために命を落とした工場労働者や、由来のない「それらしさ」を売る市場が見えてくる。膝の薄くなったジーンズを前にして、生地の物質的な性質から手の入れ方を考え直した記録。
膝の生地が薄くなったジーンズが一本、クローゼットの下段に押し込まれている。腰回りはもう入らない。そういう一本を前にして、処分するかどうかを迷う人は多いだろう。迷う前に、この生地そのものをよく見てみたい。デニムという布は、他の布とは違う壊れ方をする。その違い方を理解しないまま鋏を入れるのは、たぶん一番もったいない手の抜き方だ。
なぜ染まっているのは、繊維の外側だけなのか
ジーンズの色落ちを「色が褪せる」という言葉で片づけるのは、半分しか正しくない。多くの染料は繊維の内部にまで浸透し、繊維そのものと化学的に結びつく。色が薄くなるとすれば、それは染料の分子が紫外線や洗濯によって分解されていく現象で、繊維の奥まで均一に薄くなっていく。ところが藍だけは違う仕組みで生地にとどまっている。
デニム生地の製造で使われるインディゴ染色は、糸の断面を輪切りにして観察すると、周辺部だけが青く、中心部は白いまま残っているという構造を作る。バングラデシュ・アーサヌラ科学技術大学のウディンが2014年にまとめた技術解説によれば、浸透を浅く抑えた「シナー・リング」染色では、染料が糸の表面から届く深さは断面のおよそ16から20パーセントにとどまり、残る80パーセントほどが未染色の芯のまま保たれる。逆に、浸透が深く、ばらつきも大きい「ディーパー・リング」染色でも、染料が届く深さは断面のおよそ30から40パーセントで、未染色の芯はなお60パーセントほど残るという。この区分に従えば、芯の6割から8割が白いまま残ることになる。藍は水に溶けない色素で、いったん還元されて水溶性の淡黄色の状態(ロイコ体)に変えてから糸に浸み込ませ、空気に触れさせて酸化させることで初めて青い色素として糸の表面に定着する仕組みになっている。還元された藍は綿に吸い付いて表面に層を作り、その層が奥への浸み込みを妨げる。また、一回の浸漬は数十秒と短く、浸けては空気に晒すことを何度も繰り返して色を重ねるため、芯まで届く前に工程が終わる。しかも藍は綿の繊維と化学的な結合をほとんど作らず、表面に物理的に付着しているだけの状態にとどまる。だから摩擦を受けると、染料の分子が分解するより先に、表面に乗っているだけの粒子ごと剥がれ落ちていく。色落ちの正体は、劣化ではなく剥落だ。膝や腿の内側が擦れて白くなるのは、繊維が傷んでいるからではなく、もともとそこにあった白い芯が、単に顔を出しただけのことになる。
この構造は、デニムという生地が最初から「摩耗した姿を見せるように」設計されているわけではない、という点でむしろ興味深い。染色技術の限界としてたまたま生まれた未染色の芯が、後になって色落ちという現象の土台として利用されるようになった、という順番だ。デニムの色は、劣化する運命を背負って生まれたのではなく、そもそも中まで染まりきらなかっただけなのである。
この「表面に乗っているだけ」という性質は、色落ちだけでなく、もう一つの厄介な現象も同時に説明する。未洗いのリジッドデニムを履き始めると、汗や雨で生地が湿った拍子に、藍が靴や家具、白いソファにまで移ってしまうことがある。染料業界ではこの現象を「クロッキング」と呼び、繊維に化学的に結合していない過剰な染料が、乾いた別の布や表面に物理的に擦れ移ることで起きるとされている。裏を返せば、色落ちを楽しめるだけの未染色の芯を抱えた生地は、同時に色移りのリスクも抱えているということだ。両者は同じ一つの構造上の特徴の、表と裏の顔にすぎない。買ったばかりのジーンズで、白い靴下の甲がうっすら青く染まった、という経験をした人もいるだろう。
藍が「新しい」染料になった年
ジーンズの藍色には、どこか土着で伝統的な響きがまとわりついている。インド藍、天然染料、手仕事——そういった言葉が連想として浮かびやすい。ところが、いま世界中のジーンズを染めている藍のほとんどは、植物から採れたものではない。ドイツの化学者アドルフ・フォン・バイヤーは1865年からインディゴの構造解明に取り組み、1878年には人工的な合成にも成功しているが、当初の合成法は工業化するにはコストが高すぎた。量産に耐える合成法を確立したのはBASF社で、1897年に「インディゴ・ピュアBASF」として市場に投入している。この合成インディゴが登場してからの数年間で、天然藍の市場はほとんど消滅した。よく引かれる数字では、世界の天然インディゴ生産量は1897年時点でおよそ1万9000トンあったのが、1914年にはわずか1000トンにまで落ち込んだという。インドのベンガル・ビハール地方を中心に広がっていた藍のプランテーションは、この十数年の間にほぼ壊滅している。
つまり、いま自分が履いているジーンズの青は、江戸時代から続く藍染めの伝統と地続きの色ではなく、19世紀末にドイツの化学工場が置き換えた、比較的新しい工業製品の色だということになる。デニムの藍色に「懐かしさ」や「手仕事の温かみ」を感じるとしたら、その感覚はたぶん歴史的な事実というより、後から色そのものに貼り付けられたイメージの方だろう。合成インディゴが天然藍を駆逐したという事実は、皮肉にも、いま「本物らしさ」の象徴として扱われている色そのものが、かつて本物を市場から追い出した側の色だったことを示している。
綾織りが体の動きを記録する
デニムはただの平織りではなく、斜めに畝が入った綾織りの一種で、経糸(たていと)を三本、緯糸(よこいと)を一本というように交差させる「3×1」の構造を持つ。この織り方の結果、生地の表側にはほとんど経糸だけが見え、裏側には緯糸が多く覗くようになる。経糸だけがインディゴで染められ、緯糸は染めずに白いままにしておくのがデニムの標準的な作り方だから、この織り方一つで、表は青く裏は白っぽいという、あの独特の見た目が生まれている。摩耗によって色が抜けるとき、実際に擦り減っているのは、表面に多く露出しているこの経糸の部分だ。
硬いリジッドデニムを繰り返し折り曲げると、最初に折れた場所がそのまま次に折れる場所になりやすい。曲げに対する抵抗がいちばん低い経路が、最初の着用でいったんできてしまうと、その後は同じ経路を繰り返し使う方が生地にとって「楽」になるからだ。膝の裏に生まれる網目状の色落ちや、腿の付け根から放射状に伸びる線状の色落ちは、この繰り返しの折り目が積み重なった結果で、業界では前者を「ハニカム」、後者を「ヒゲ」と呼ぶ。ヒゲが濃く鋭く出る人は同じ姿勢で座る時間が長く、ハニカムの位置や深さは歩き方の癖をそのまま映すとされている。つまりこの色落ちの模様は、デニムというより、その人の体の動かし方そのものの記録に近い。同じ型番の同じ工場で作られた一本でも、色落ちの模様は誰一人として同じにはならない。生地が記憶しているのは流行でも意匠でもなく、単に「誰が、どう動いたか」という、当人にすら意識されていなかった動作の癖である。
色落ちを買うという発想の代償
この色落ちの模様が「格好いい」と見なされるようになると、当然、何年も待たずに同じ見た目を再現したいという需要が生まれる。工業的にこれを実現する方法の一つが、生地に研磨材を高圧で吹きつけるサンドブラスト加工だった。トルコ・アタテュルク大学の呼吸器内科医アクギュンらが2008年に発表した調査は、この加工に従事していた元労働者を対象にしたもので、対象者は全員男性、平均年齢23歳、平均17歳から働き始め、平均勤務期間は36か月だったにもかかわらず、レントゲン検査で珪肺の所見が確認された割合は53パーセントに達していた。83パーセントが何らかの呼吸器症状を訴えていた。同じ研究班の4年後の追跡では、再検査できた74人のうち82パーセントにレントゲン上の進行が見られ、作業場で寝泊まりしていたことは、進行と関連した因子の一つに挙がっている。珪肺は肺の組織が石のように硬化していく不可逆の病気で、根本的な治療法はない。わずか三年ほどの労働で、十代で働き始めた若者の肺に、消えない傷が刻まれていたことになる。
死亡例の報告が相次いだのち、トルコ政府は2009年にサンドブラスト加工を禁止したが、労働環境の規制が緩い他国へ同じ工程が移っただけだったという報告も国際的な労働団体から出ている。ここで直視しておきたいのは、この加工が再現しようとしていたのが、まさに前の章で述べた摩耗による色落ちの見た目だったという事実だ。何年もかけて着用した人の体の動きが刻んだはずの模様を、工業的に短時間で偽造しようとした結果、動きも記憶も持たない布に、代わりに労働者の肺の中の傷が刻まれた。色落ちという現象を、生地の物質的な仕組みとして理解しておくことは、単なる豆知識にとどまらない。それは、誰の身体的な代償の上に「それらしい見た目」が成立しているのかを見極めるための、最低限の見取り図でもある。
似ていることと、由来があることは別だ
消費者研究者ケント・グレイソンとラドスラフ・マルティネツが2004年に発表した論文は、「本物らしさ」という感覚には二種類の異なる根拠があると整理している。ひとつは、文化的に共有されている「それらしいイメージ」にどれだけ似ているかという「類似的な本物らしさ」。もうひとつは、対象が実際にたどってきた歴史と、事実として因果的につながっているかという「指標的な本物らしさ」だ。サンドブラスト加工が作り出す色落ちは、この枠組みに照らせば前者にしか当たらない。見た目はジーンズの色落ちのイメージに似せてあるが、その布自体は誰の体の動きも経ていない。摩耗の物語に似せた模様ではあっても、摩耗の物語そのものではない。
この違いが極端な形で表れているのが、ヴィンテージデニムの市場だ。1893年にアリゾナの店主が買い、数回穿いただけでしまわれていた、来歴のはっきりした一本のリーバイスが、2018年に私的な売買で10万ドル近い値で買われたと報じられ、鉱山の坑道跡から発見された19世紀のジーンズが、2022年のオークションで8万7400ドルで取引された例も報じられている。これらの価格を説明するのは、色落ちの模様の美しさだけではなく、その一本が実際にどこで、誰の手を経てきたかという由来の確からしさの方だ。同じような色落ちの見た目を新品の生地に施しても、この由来までは複製できない。坑道から見つかった一本のように、色落ちの模様が本人の体の動きから生まれた、いわば意図せざる指標だとすれば、ヴィンテージ市場が評価しているのは、この指標が本物であることの証明の方だということになる。似ていることと、由来があることは、まったく別の勘定で動いている。
硬さを手放さない、という選択
もう一つ、デニムの扱いにくさを支えている物質的な性質がある。伸縮性のないリジッドデニムは、洗濯していない状態だと生地が板のように硬く、最初に袖を通したときの窮屈さは相当なものだ。米国の起業家サンフォード・クルエットは、生地をあらかじめ湿らせたゴム製のベルトに押し当てて縮ませておく防縮加工の技術を開発し、1930年に特許を出願している。この「サンフォライズド」加工が普及したことで、洗濯後に生地が縮んで寸法が変わる問題はほぼ解消された。ところが一部の生地は、あえてこの加工を施さない「リジッド」あるいは「未加工」の状態のまま流通している。伸縮性を補うためにポリウレタン系の弾性繊維を織り込んだストレッチデニムも広く出回っているが、洗濯や乾燥の熱で弾性繊維は傷み、伸縮性は少しずつ失われるとされる。伸びて戻る性質そのものが、使い込むほど摩耗していくわけだ。
この二つの性質を並べると、リジッドデニムがなぜあえて選ばれ続けているのかが見えてくる。伸縮性のある生地は体に合わせてすぐに馴染む代わりに、折り目や皺が生地の中に固定されにくい。伸びて元に戻ろうとする弾性繊維の性質が、繰り返しの折り目を消してしまうからだろう。逆にリジッドデニムは、最初は硬くて動きにくいが、伸び縮みせずに折れた形をそのまま保持し続ける。前章で触れたヒゲやハニカムといった色落ちの模様が明瞭に出るのは、生地が伸び縮みせず、折れた場所を律儀に記憶し続ける、この不便な硬さのおかげだ。硬さは克服すべき欠陥ではなく、記録を刻むための条件でもある。買ってすぐ快適な生地を選ぶか、しばらく不便を我慢して自分だけの折れ方を刻ませるか——これは性能の優劣の話ではなく、その生地に何を期待するかという、単純な選択の話にすぎない。
鋏を入れるなら
理屈を並べたところで、腿の付け根に放射状のヒゲが出て、膝の裏にも薄いハニカムが見える一本に鋏を入れるなら、何ができるかを考えてみる。ウエストが入らないのだから、このまま穿き続ける選択肢はもうない。まず考えられるのは、色落ちの模様が濃く出ている部分を、切り離してどこかに残す方法だ。ヒゲの部分を長方形に切り出し、端をほつれないように折り込んで縫えば、そのままコースターになる。デニム一枚の厚みでは、鍋つかみには足りないだろう。熱を通しにくい耐熱用の芯を挟む必要がある。ポリエステルなどの化学繊維は高温で溶けることがあるので、芯は綿のものか、製品の説明に従った耐熱芯にしたい。生地が厚いぶん、普通地用の針だと折れやすい。厚手のデニム用の針に替え、四枚重なる角の部分は目打ちで先に穴を開けてから針を通す、という手がある。折れた針の破片が飛ぶこともあるので、目を守る眼鏡があると安心だし、折れた針先は拾っておきたい。
膝から下、裾にかけての部分は色落ちがほとんどなく、生地としてはまだ十分に丈夫だ。ここを切り離して、幅を落とせば、ポーチなどの袋ものの本体になる。裾のステッチと縫い代の始末がすでに済んでいる部分をそのまま活かせば、新たに縫う場所は最小限で済む。厚手の生地にミシンをかける前に、縫い代の段差を木槌で叩いて繊維を潰しておくと、針が通りやすくなるとされる。仮止めを省くと生地がずれやすいので、面倒でも、クリップで止めてから縫うほうが結局は早いだろう。
ウエスト側の生地は、色落ちも少なく、比較的平らな面積が広く取れる。ここは小さなトートバッグの本体に転用できる。もともとの脇縫いと股上の縫い目を一部そのまま活かせば、底の補強を新たに施す手間が省けるだろう。ポケットは切り取らずにそのまま外側に残せば、鍵や小銭を入れる場所として使える。もとの構造をどこまで壊さずに済ませられるかを考えるほうが、一から採寸して裁断するより、早く形になりそうだ。
厚みのある部分を縫うと、家庭用ミシンの針が生地の重なりに負けて曲がることがある。デニム地は経糸の密度が高いぶん、シャツ地やニット地よりも針にかかる抵抗がずっと大きい。デニム用の太い針に替え、針が負けないよう縫う速度を落とすと、安定しやすいとされる。同じ一本のジーンズの中でも、部位によって硬さはかなり違うはずだ。腰回りは生地が何枚も重なっていて特に硬く、裾に近い部分は重なりが少なく柔らかい。同じ設定のまま縫い進めるのは、見込み違いになりやすい。硬い部分に差し掛かるたびに、一度手を止めて針の状態を確かめる、というのは、当たり前だが省きがちな手順だろう。
継ぎを置く場所という判断
作業で迷うとすれば、膝の薄くなった部分をどう扱うかだろう。ハニカムの色落ちがちょうどその薄くなった箇所に重なっていて、当て布で補強すればハニカムごと隠れてしまう。前の章で見てきた通り、ハニカムはこの生地とこの体の間だけで成立していた、いわば意図せざる指標だ。ここに継ぎを当てるということは、由来の記録を一枚の布で覆い隠す作業でもある。ならば、当て布は膝の少し下、色落ちの模様がほとんど出ていない場所にずらして置く、という手がある。強度を補うという目的は同じでも、由来のある模様をわざわざ潰す必要はない。継ぎを当てる場所を数センチずらすだけの判断だが、これは単なる見た目の好みというより、この生地のどの部分を「証拠」として残しておきたいかという、もう少し具体的な選び方になる。
当て布には、切り離した裾の生地の余りを使う、という手がある。同じインディゴの経糸を持つ生地同士なら、洗濯を重ねたときの縮み方や色の抜け方がある程度揃うため、後から歪みが出にくいと考えられる。違う繊維の生地を当て布にすると、洗濯を重ねるうちに収縮率の差で、当て布の際目だけが浮き上がってくることがあるかもしれない。同じ本体からの生地なら、その心配はひとまず小さくて済む。
もっとも、この判断を大げさな哲学のように語るつもりはない。単に、同じ生地の中でどこを見せてどこを隠すかという、限られた選択肢の中の一つを選ぶだけの話だ。当て布をずらしたところで、この一本が経てきた由来がより「真正」になるわけではない。ヒゲやハニカムを消さずに残したところで、それが誰かに評価される保証もない。ただ、消してしまえば二度と戻らないものと、消さなくても実用上は何も変わらないものとが、たまたま同じ数センチの範囲で重なっていることがある。だったら消さない方を選ぶ、というだけの、わりあい単純な理屈だ。
傷が持つ、もう一つの効き目
継ぎ目の針目が揃っていなくても、この不揃いさを恥じる必要はないのではないか。マーケティング研究者フックス、シュライヤー、ファン・オセラールが2015年に発表した研究は、同じ見た目の製品でも「手作りだ」と伝えられた場合の方が、機械で作られたと伝えられた場合よりも高く評価される傾向があることを、複数の実験を通じて示している。研究者たちはこの現象を、手作りの品には作り手の「愛情」が込められているという消費者側の思い込みによって説明している。この研究は出来栄えをそろえて比べたもので、不揃いな針目が許されるかどうかまでは教えてくれない。不揃いな針目は失敗の証拠であると同時に、この一枚が量産品の複製ではなく、自分の手を経由したという事実の、ささやかな指標でもある。
ここでもう一度、由来の話に戻ってくる。サンドブラスト加工が再現しようとしていたのは、色落ちという「見た目」だった。自分で継ぎを当てるなら、その継ぎ目が示すのは、見た目の完成度ではなく、自分がこの生地に手を動かしたという、これもまた一つの指標になるだろう。うまく縫えなかった部分は、次にほどいてやり直せばいい。それができるのも、この布がもう工場の管理下にはなく、完全に自分の手の中にあるからだ。
ただし、フックスたちの実験結果をそのまま自分への免罪符にするのは、少し虫が良すぎる。この研究で効果を強めていた条件は、手間が伝わるかどうかではなかった。実験では、費やされた手間、品質、珍しさ、本物らしさ、作り手の誇りといった別の説明は、むしろ統制変数として脇に置かれ、そのうえで、効果の強弱に関わっていたのは別の二点だった、と読める。ひとつは、贈る相手が心理的にどれだけ近いか——同じ手作りの品でも、家族や親しい相手への贈り物としてのときほど購買意向が上がり、疎遠な相手向けだとその上乗せはほぼ消える。もうひとつは、贈る動機が「最も性能の良いものを渡す」ことではなく「愛情を伝える」ことにあるかどうかで、動機が後者に寄るほど効果は強まる。家族への贈り物として仕立て直すなら、受け取り手の近さという条件には当てはまりそうだが、自分の動機を「愛情を伝えるため」と言い切れるかどうかは、作る側が自分に問うことになる。
色の抜けた場所は、まだ何も証明していない
切り分けた生地のうち、まだ形の決まっていない端切れが残ることもあるだろう。色落ちがほとんど出ていない、腰の脇の一枚のような部分だ。そこは今のところ、ただの藍色の布でしかない。ヒゲもハニカムも刻まれていない、指標としてはまだ空白の場所だ。この空白を急いで埋める必要はないのだろう。合成インディゴが天然の藍を市場から追い出した年も、珪肺で肺を傷めた労働者の平均年齢も、ヴィンテージに値がついた由来も、すでに動かしようのない事実として確定している。だがその端切れが次に何になるかは、まだどこにも書かれていない。
藍は繊維の内部にまでは染み込まず、表面にとどまり続けたからこそ、後になって剥がれ、抜け、誰かの動きを記録することができた。深く染み込んでいたら、たぶんこの生地は最後まで均一な青いままで、何の記録も残さずに終わっていただろう。中途半端にしか染まらなかったという、製造上の限界に近い性質が、結果として一番雄弁な部分になっている。その端切れも、まだ何も記録していないという意味では、この生地の中でいちばん何も語っていない場所だ。だが語っていないことと、語る余地がないこととは違う。急いで裁断せず、しばらくこのままにしておく、という選択もある。
出典
- Uddin, M.G. (2014). "Indigo Ring Dyeing of Cotton Warp Yarns for Denim Fabric." Chemical and Materials Engineering, 2(7), 149-154.
- BASF社史「1897年 / "Indigo Pure BASF"」。および、アドルフ・フォン・バイヤーによるインディゴの構造解明(1860年代から取り組み、確定的な時期には資料によって幅がある)と合成(1878年)の経緯を紹介する化学史資料(eltamiz.com "Chemistry of Blue Jeans: Indigo Synthesis and Dyeing"ほか)。
- 天然インディゴの生産量の数値は、英語版 Wikipedia「Indigo dye」の記述(Nature 2018年のニュース記事を典拠に挙げている)など、二次情報による。
- デニムの色落ち(ヒゲ・ハニカム)の形成メカニズムに関する紹介記事:Heddels「Why Denim Fades - A Scientific Explanation」および「Fade Types - Whiskers/Hige & Honeycombs」(いずれも業界メディアによる二次的な解説記事)。
- トルコの2009年のサンドブラスト禁止と、他国への工程の移転については、Bianet「After 39 Deaths, Denim Sand Blasting is Banned」、Clean Clothes Campaign「Fashion Victims」の報告による。
- Akgun, M., et al. (2008). "An Epidemic of Silicosis Among Former Denim Sandblasters." European Respiratory Journal, 32(5), 1295-1303.
- Akgun, M., et al. (2015). "Silicosis Appears Inevitable Among Former Denim Sandblasters: A 4-Year Follow-up Study." Chest, 148(3), 647-654.
- Grayson, K., & Martinec, R. (2004). "Consumer Perceptions of Iconicity and Indexicality and Their Influence on Assessments of Authentic Market Offerings." Journal of Consumer Research, 31(2), 296-312.
- ヴィンテージ・リーバイスの取引価格に関する報道(ABC7 Chicago「Vintage Levi's jeans from the 1800s sell for nearly $100K」、CNN「19th-century Levi's jeans found in mine shaft sell for more than $87,000」)。
- サンフォライズ加工の開発史については、Wikipedia「Sanforization」および「Sanford Lockwood Cluett」の記述、ならびにヌーディージーンズ社ブログ「Sanford's war on shrinkage」の紹介記事による。
- ストレッチデニムの弾性繊維が洗濯や乾燥の熱で傷むという一般的な説明は、繊維業界の技術解説記事(LYDENIM「Denim Stretch Material」ほか)による。
- Fuchs, C., Schreier, M., & van Osselaer, S.M.J. (2015). "The Handmade Effect: What's Love Got to Do with It?" Journal of Marketing, 79(2), 98-110.
