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自炊湯治の「本来は三週間」は、どこまで本当か

自炊湯治の「本来は三週間」は、どこまで本当か

自炊湯治の「本来は三週間」を資料で確かめる。湯治場時代の滞在は7〜14日と言われ、箱根では一夜湯治が事実上公認され、国内の観光宿泊旅行は1泊が約6割。効能・休暇・自炊・郷愁を数字と資料で疑う。

TOMOAKI··趣味

自炊湯治という言葉を最初に見たとき、内容よりも先に語感に反応した自分に気づいた。温泉に長く滞在し、旅館の会席料理ではなく自分で台所に立って食事をつくる。それだけの説明で、なぜかもう少し詳しく知りたくなる。硫黄泉や塩化物泉の効能を並べた宿の案内よりも先に、この言葉そのものが持つ引力の方が強い。効能を調べる前に、まずこの引力の正体を疑ってみる価値がある。だとすれば最初に検証すべきは温泉の成分ではなく、なぜ自分がこの言葉に反応したのか、という側の話になる。そもそも「湯治」という字面は、湯で治すと書く。効くという前提が、言葉の成り立ちにあらかじめ組み込まれている。効能の看板を掲げる前から効能を約束してしまっている言葉には、なおのこと慎重になっておいたほうがいい。

この言葉の周りでは、湯治は本来三週間だった、という説明を見かける。三週間と、二泊三日ほどのいまの旅の短さを並べると、確かに落差がある。自炊湯治に限った泊数の統計は公的統計に見当たらないので、ここでは観光旅行全般の数字で見ておく。この記事では、その落差を出発点にして三つのことを確かめる。「本来は三週間」は史料でどこまで言えるのか。いまの旅行者は実際に何泊しているのか。そして、効能、休暇の解放感、自炊の手応え、郷愁のうち、看板ほど確かなものはどれなのか。

三週間の湯治は、資料のどこにあるのか

湯治の期間には、古くから目安があった。国立国会図書館の電子展示「本の万華鏡」の解説によれば、中世にはすでに七日間を「一廻り(ひとまわり)」と数え、少なくとも三廻り、つまり二十一日は湯治を行うべきだという認識があった。江戸時代の湯治を解説した山本博文も、三廻りを標準的な期間として語っている。環境省が2014年に出した通知にも、温泉療法で十分な効用を得るには通常二〜三週間の療養期間が適当だという記述がある。同じ通知は、短期間でも精神的なリフレッシュなど相応の効用は得られる、とも書いている。「本来は三週間」という言い方には、少なくとも三つの方向から支えがあることになる。ただし環境省の通知は現代の療養の目安で、歴史そのものを示すものではない。

ところが、実際の滞在がそうだったかどうかは別の話になる。温泉地の滞在期間を整理した浦達雄は、湯治場時代の滞在は七日から十四日と言われ、利用の主体は農閑期の農民だったと書く。山本博文は、三廻りで費用が一両を超えるので、湯治にはそれなりの裕福さが要った、とも書いている。三週間は、時間と金を出せる人の型だったのかもしれない。「本来は三週間」と呼ばれているのは、余裕のある側の型のほうだろうか。

一廻りの長さそのものが、土地によって違った。1950年代から60年代に山形県の十六の温泉地で行われた湯治客の調査を、内田彩が2021年に論文でまとめ直している。それによると、一廻りは蔵王で三日、瀬見と小野川で五日、銀山で一週間、湯田川で二週間だった。滞在日数の表(表3、日数の上位)には、二十一日は出てこない。論文は、滞在が短期(二日)と長期(十四日)の二通りに分かれたと書く。ところが論文の本文には、三廻りの例として湯野浜と温海が挙がっていて、表の数字と合わない。一廻りの長さが土地で違う以上、本文の「三廻り」が二十一日を指すのかも、私には判断できない。この調査は戦後のもので、江戸の話とは時代が違う。元の論文群は私は見ておらず、内田の論文による紹介にとどまる。

さらに、短い湯治は現代の商品化の産物ではない。国立国会図書館の解説は、箱根では文化二(1805)年に「一夜湯治」が事実上公認され、温泉地に長期滞在して湯治を行うという前提に変化が生じていた、と書いている。「本来は三週間」と現代の短い滞在のあいだには、江戸の後期にすでに一夜だけの湯治があった、というもう一つの事実が挟まる。本来の型を一つに決めることは、史料の側からはできない。

宿の形も確かめておく。山本博文によれば、宿賃は一廻りで二百文ぐらい、布団代は一廻りで二百五十文で、駕籠代や食事代も含めると、三廻りで一両を超えた。寝具が別料金で、食事が宿賃に含まれていなかったことは分かるが、江戸の湯治で自炊が一般的だったと言えるかどうかは、私が見た資料からは決められない。戦後の東北では、内田が自炊部(長期滞在型)を従来の湯治宿の基本と書いていて、観光庁の解説文も、伝統的な自炊形式の長期滞在を選ぶ客は東北でも減り、宿泊客全体の一割以下だと書いている。もし自炊が普通だったのなら、それは選び取った自由というより、そういう商売の形だった可能性があり、現代の自炊湯治が売りにする、自分のペースで過ごせるという価値は、ずっとあとになって言い直されたものなのかもしれない。

湯治場は社交の場でもあった。観光庁の事業で外国人旅行者向けに書かれた解説文(日本語版は訳とみられる)は、18世紀には温泉街が社交の場になったと書く。近代以降も東北の奥地の農家には、毎年同じ時期に同じ家族が同じ温泉を訪れ、食べ物を交換し、みんなで民謡を歌う文化が残っていた、とも描いている。同じ解説文は、江戸時代には庶民が布団や米を背負って旅したとも書いていて、山本博文の貸し布団とは向きが逆の情報になる。宿や人によって違ったのかもしれないが、私にはそこまで決められない。18世紀には訪れた人々が大抵数週間滞在したとも書いていて、滞在日数の言い方が資料によって揃っていないことは、ここまでで見たとおりだ。一次史料まではたどれていない。静養の場という像だけでは、湯治場の半分しか見ていないことになる。

二泊三日どころか、いちばん多いのは一泊

では、いまの旅行者は何泊しているのか。観光庁の旅行・観光消費動向調査(2025年)で、観光・レクリエーション目的の国内宿泊旅行を泊数別に見ると、いちばん多いのは一泊の57.9%で、二泊(二泊三日)は27.4%で二番目だった。二泊以下で85.3%を占め、六泊以上(七日以上)、つまり一廻り以上の旅行は1.33%しかない。三廻りにあたる二十泊以上の割合は、この表からは取れないが、六泊以上でこの割合なので、ごくわずかだろう。二泊以上の旅行は全体の四割ほど(引き算で出した値で42.1%)、三泊以上は15%弱(同じく14.7%)である。平均は1.70泊だった。割合は人ではなく旅行一回ごとの数え方で、温泉旅行に限った泊数の分布は、公的統計には見当たらない。

宿の側の統計にも、短さが表れている。観光庁の宿泊旅行統計調査(2025年)では、旅館の「一人当たり平均宿泊数」は1.20泊だった(全施設で1.42泊)。ただしこれは一つの施設での連続宿泊の長さで、旅行全体の泊数とは違う。宿を移れば別の人として数えられるし、温泉旅館とそれ以外の旅館を分けた数字もない。旅行者側の1.70泊と、施設側の1.42泊を、同じ物差しとして並べることもできない。

三週間の側にも、数字を当てておく。厚生労働省の令和7年就労条件総合調査(2024年の1年分)では、年次有給休暇は平均18.1日が付与され、12.1日が取得されていた。取得率は66.9%である。完全週休二日の人が三週間休むには、平日に15日が要る(二十一日から土日を除いた私の計算)。年間の平均取得日数を上回る。対象は常用労働者30人以上の企業の、期間を定めずに雇われている労働者(パートタイムを除く)で、連続して何日取れたかは調べられていない。三週間の湯治は、平均的な人が一年に取る有給の量を、一度の休みで超える長さになる。付与された日数(18.1日)には収まるので不可能ではないが、付与された日数の八割あまりをそこに充てることになる。

環境省自身の資料も、この長短をめぐって揺れている。2017年の「新・湯治」の有識者会議の提言は、滞在期間は問わないとしつつ、より長期の滞在が効果的だとしている。ところが、その効果を測ったとされる六年間の調査(有効回答19,575件)の結論は、長期の滞在でなくても、日帰りや年間を通した高頻度の訪問で心身によい影響が見られる、というものだった。回答者の滞在は一泊二日が約62%、三泊以上は約6%にとどまる。もっとも、この調査は温泉地で回答を集めた自記式の質問票で、対照群はなく、回答者も無作為に選ばれていない。結果の図も、有意差のあったものから抜粋したと断っている。長い滞在が効くのか、短くてよいのかを決める根拠には使えない。令和5年度の滞在期間別の比較調査は、ワーケーション滞在の実証実験で、結果が「滞在が長いほど好ましい可能性」という向きだったが、二泊三日から移住までの各群が二人、合計八人(協力者は首都圏の会社員など)で、実施主体は湯治の事業者だった。根拠としては、さらに弱い。

効能の看板を、まず外から眺める

温泉が体に働きかける仕組みそのものは、それほど神秘的ではない。体が温まる、浮力や水圧がかかるといった物理的な作用と、含まれる成分による化学的な作用が組み合わさる、という説明は一般的だ。環境省の2014年の通知は、もう一歩踏み込んでいる。温泉療養の効用を、成分の働きだけでなく、利用者の生活リズムの変化などによる総合作用や心理反応を含む生体反応だと説明し、温泉の成分のみで各温泉の効用を確定することは困難だとしている。環境が変わること自体も、効用の一部に数えているわけだ。

問題は、実際にどれだけ効くのかという臨床の検証のほうにある。イタリアのプロタノらが2023年にRheumatology Internationalで発表した、変形性関節症とバルネオセラピー(温泉療法)のシステマティックレビューは、抄録で、対象とした研究のすべてで痛みや生活の質の改善が報告されたと述べる。ただし本文の結果を見ると、痛みの改善を報告したのは17件中16件で、生活の質は8件だった。しかもバイアスのリスクが高いと判定されたのが7件、中程度が8件で、17件中15件が中程度以上である。スペインのガルシア=ロペスらが2024年に発表した線維筋痛症のメタ分析は、痛みと機能障害の改善が、治療の終了後1か月、3か月、6か月のどの時点でも有意だったと報告する。それより先のデータはない。副作用は、16件中10件が記録しておらず、「なし」が5件、「あり」が1件だった。著者ら自身が、盲検化できないことによる過大評価の可能性を認めている。ここまで読むと効能はそれなりに確からしく見えるが、確からしさの中身はこの程度である。

この分野の設計の傾向を調べた研究もある。ハンガリーのセンディらが2025年にBMC Complementary Medicine and Therapiesで発表したスコーピングレビューは、バルネオロジーの臨床試験109件を精査し、74%あまりが盲検化をまったく行っていない設計だったと報告する。1990年以降でダブルブラインドを試みたのは12件(11%ほど)で、検証済みのプラセボ水を使った研究は1件だけだった。大半はそもそも二重盲検を試みておらず、試みる難しさの一つとして、鉱泉水は色や匂い、肌触りが水道水と違うため、被験者が見分けてしまう可能性が挙げられている。プロタノらのレビューで17件中15件がバイアスのリスク中程度以上だったことは、この傾向と重なる。仕組みが説明できることと、その仕組みが厳密な比較対照で確かめられていることは、別の話として扱う必要がある。

専門家団体が、この分野を切り捨てているわけでもない。国際変形性関節症学会(OARSI)の2014年のガイドラインは、多関節に及ぶ変形性関節症で、関連する持病もある人に限って、バルネオセラピー(死海の塩浴や硫黄浴などを含む)を「適切(appropriate)」と判定した。持病のない人や膝だけの人については「不確か(uncertain)」である。「適切」とされた理由は、多関節で持病もある人には他の治療の選択肢が乏しいことで、試験の質は低いとも書かれている。2019年版では、推奨の表にバルネオセラピーは載っていない。補足表でどの区分に置かれているかまでは、私は確かめられていない。厳密な証明と臨床の推奨は、同じ基準で動いているわけではない。エビデンスの質が低いという指摘と、専門家が条件付きで認めたことがあるという事実は、矛盾せずに両立する。

ここで「エビデンスが弱いから効かない」と結論づけるのも、飛躍になる。先に見た環境省の通知が言うとおり、処置そのものの作用と、非日常の空間に身を置くことによる心理的な作用は、分かちがたく混ざっている。硫黄泉は体を温める、塩化物泉は保湿に効く、といった説明は、この二つを区別しないまま語られることがある。話半分に聞いておくべきなのは、効能そのものというより、その効能の説明の仕方のほうだ。泉質の名称にしても、環境省の鉱泉分析法指針にもとづく成分の分類で決まっている。温泉法が決めているのは、温泉に当たるかどうかだけだ。塩類泉では、成分の量だけでなく、どのイオンがいちばん多いかの比率で名前が決まる。名前が分かれているからといって、それぞれの効能が個別に臨床試験で確かめられたわけではない。分類の精緻さと、効能の証明の精緻さは、別の軸の話だ。

制度の側の変遷も、参考になる。環境省は温泉法にもとづく禁忌症の掲示の基準を2014年に改め、1982年から32年ぶりに、一般的な禁忌症から「妊娠中(特に初期と末期)」を外した。三十二年間、基準が更新されないまま公的な文書に残っていたことになる。ただ、禁忌症の更新が遅れたことから、効能の言い伝えの根拠の弱さまで推すのは飛躍だろう。ここでは、制度が医学の知見に追いつくまでに時間がかかる例として挙げるにとどめる。

予定のなさ、という体験の賞味期限

効能の話を脇に置くと、自炊湯治の滞在で語られがちなのは、成分の効き目よりも「予定のない数日間」という感覚のほうだ。決められた食事の時間がなく、入浴の順番も自分で決める。旅館の時間割に生活を合わせる滞在とは違う体験を生むのは、確かだろう。この感覚がどれくらい続くかは、休暇一般については検証がある。ドイツのシュペートらが2023年にEuropean Psychologistで発表したメタ分析は、13件の研究、1,428人分のデータをまとめた。平均的な休暇日数は11日で、4日から23日までのばらつきがある。幸福感全体の改善は効果量でd=0.25、ポジティブ感情やストレスなど個々の側面では0.18から0.38の幅だった。人生満足度には有意な改善がなく(d=0.10)、職場に戻って1週間を過ぎると、休暇前との差は有意でなくなった。その時々の気分は動くが、人生全体の評価までは動かない、ということだ。ここで効果量に開きが出た二つの指標を混同したまま「人生が変わった」と語ると、測定された変化の大きさから、話がずいぶん先走る。

意外なのは、休暇の長さが効果を左右しなかった点だ。4日から23日の範囲で、長い休暇のほうがよく効く、という関係は見られなかった。平均は11日で、三週間を超える休暇にはさらに研究が必要だと、著者らも書いている。二泊三日はこの範囲の外にあるので、短い滞在が同じ効果を持つとまでは言えない。それでも、「三週間でないと意味がない」とも「二泊三日では足りない」とも、この研究は言っていない。休暇の長さよりも、戻ってからの一週間のほうに、気分の改善が薄れる境目があるように読める。

これは、自炊湯治という体験の価値を否定する話ではない。むしろ、価値の置き場所を間違えないための話だ。数日の滞在で人生観が変わる、暮らし方が根本から更新される、といった大仰な物語を背負わせると、帰宅した翌週にはその物語ごと色褪せてしまう。予定のなさが心地よかったという事実だけを、身の丈のまま持ち帰る、という受け取り方もある。

なぜ「予定のなさ」自体が商品として成立するのかについても、一応触れておく。行き先も食事も他人任せにできる旅行商品はいくらでもあるのに、あえて予定を持たないことを言葉にして売る滞在が求められるのは、日常の側の予定が過密になっていることの裏返しなのかもしれない。ただしこれは推測の域を出ない話で、数字として裏づけられているのは、戻って一週間を過ぎると差が有意でなくなる、というほうの話だ。

自炊は休息なのか、家事の延長なのか

もう一つ、自炊湯治という言葉の核にあるのが「自炊」の部分だ。共同のキッチンで野菜を切り、味噌汁をつくる。この作業に手応えを感じる人は少なくない。料理と心理的な効用の関係は、栄養学の分野でも調べられている。ダ・フォンセカらが2025年にFrontiers in Nutritionで発表した、調理ワークショップのスコーピングレビューでは、対象とした研究の八割以上で、食に関する自律性(献立や調理を自分でこなせる力)や自己効力感、調理の実践の向上が報告された。一方、心理面はそれほど明確ではない。論文は、生活の質を調べた7件のうち3件で有意な改善があったと書くが、不安などを個別に見ると、有意な改善が表から確かめられるのは1、2件にとどまる。ある研究では、抑うつと不安をまとめた苦痛の得点のわずかな低下が、15週で消えていた。自分でつくる力がつくことと、気持ちが休まることは、別の話である。

旅行研究では、サレヒらが2025年にJournal of Travel Researchで発表した、自炊型の休暇に関する、28人への詳しい聞き取りがある。自炊型の休暇は普段の家での暮らしを映すものとして研究が組まれ、分析では、旅先の台所に暮らしを「根付かせる(ネスティング)」段階から始まる三つの段階(Nesting、Investigating、Stamping)が示された。調理の腕と台所の設備がある場合には、食の好みを守りやすい、という解釈も出ている。質的な研究なので、効果を測ったものではない。

ただし、見落としてはいけない逆説がある。有給休暇を取り、宿代を払って出向いた先で、献立を考え、買い出しをし、皿を洗う。字義どおりに読めば、休息の対極、つまり家事労働そのものだ。ダ・フォンセカらのレビューが扱うのは、数週間から数か月にわたって続く調理ワークショップで、旅先の二泊三日とは前提が違う。継続的な習慣が自己効力感を育てるという知見を、数日間の非日常にそのまま当てはめるのは、都合のいい借用になりかねない。旅先の台所に暮らしを根付かせるという見方は、裏返せば、休息の場所でありながら日常の労働の場所にもなる、という私の読みも成り立たせる。サレヒらの論文がそう言っているわけではない。同じ労働が、場所を温泉地に移し、名前を「自炊湯治」に変えたとたん、休息や自己ケアとして語られることがある。この転換こそが、成分表よりも注意して見るべき部分だろう。

休暇中にまで何かを「する」ことを求めてしまう感覚は、自炊湯治に限った話ではないだろう。余暇を成果に変換したがる姿勢は、趣味でも副業でも見かける。自炊もまた、何もしない滞在では落ち着かない人にとって、罪悪感なく手を動かせる格好の口実になっているのかもしれない。だとすれば、自炊湯治が満たしているのは静養への欲求というより、休んでいる間も何かを達成していたいという、別の欲求だという見方もできる。皮肉なのは、その欲求を満たすために選ばれた作業が、毎日の家事の中でも特に評価されにくい台所仕事だという点だ。ふだんは面倒に思っている作業が、場所と名前を変えただけで、急に充実感の源に変わる。変わったのは作業の中身よりも、場所と、その作業に添えられた説明のほうだろう。

懐かしいのに、経験したことがない

ここまでの検証を踏まえてもなお残るのが、最初に感じたあの語感への引力だ。効能への期待や、休暇の解放感、料理の手応えだけでは説明しきれないとすれば、もう一つ考えられるのは、言葉そのものが呼び起こす感情、つまりノスタルジーに近い何かだ。心理学者セディキデスらが2008年にCurrent Directions in Psychological Science誌で発表した論考は、ノスタルジーの機能として、ポジティブな感情の喚起、自尊心の下支え、他者とのつながりの感覚の回復、存在論的な不安の緩和という四つを挙げている。過去の記憶を呼び戻すことで、今の自分を支える。ただしこれは、自分自身の過去の記憶に対するノスタルジーの話である。経験していない過去への郷愁に同じ機能があるかどうかは、この論考からは言えない。

ここにはねじれがある。この記事を読んでいる大半の人は、江戸時代の湯治客でもなければ、昭和の湯治場に通った人でもない。つまりこれは自分の記憶への郷愁ではなく、経験したことのない過去への郷愁だ。この種の感情は、地理学者バンスが1994年の著作で論じた「田園の理想」のイメージと似ている。バンスの議論は、田園の理想が都市の側から生まれたものだ、という方向にある(原著は私は確認できておらず、二次的な紹介による)。都市に住む人間が、暮らしたことのない田舎の生活を、単純で満ち足りたものとして思い描く。自炊湯治という言葉の魅力も、同じ構造の上に乗っているのかもしれない。最初の節で見たとおり、湯治の実態は一つの「本来の型」にまとまるものではなかった。三週間の型は費用のかかるものと指摘され、農民の湯治は七日から十四日と言われ、戦後の山形の調査の表には二十一日が上位に出てこず、箱根には一夜湯治もあった。いま私たちが受け取っているのは、そのうちの都合のいい一つの像なのだろう。

歴史や他人の暮らしから、自分に都合のいい断片だけを取り出して物語を組み立てるのは、旅先に限らずよく見る営みだ。ただ、それを自覚しているかどうかで、受け取り方は変わってくる。この言葉がこれほど好んで使われる理由も、ここまで考えると見えてくる。「湯治」という響きには歴史の重みがあり、「自炊」という響きには自律や誠実さの気配がある。どちらも単体では地味な言葉だが、組み合わせることで、豪華な旅館とは違う価値を持った滞在に見えてくる。実際に売られているのは温泉でも台所でもなく、経験したことのない過去への郷愁と、休暇中の家事を意味づけ直す物語がセットになった、言葉の編集そのものなのかもしれない。これは誰かが仕組んだ話ではなく、効果のはっきりしない言葉ほど、意味の重ね塗りによって支えられやすいという、言葉の構造に宿るよくある現象の一例にすぎない。

もっとも、構造を見抜いたところで、郷愁そのものを消すことはできない。共同のキッチンも古い湯治場の写真も、日常から遠い分だけ、実物より美しく見えているはずだ。実物に近づいて確かめる手段が乏しいぶん、憧れの側だけが育っていく。

看板を外したあとに残るもの

温泉療法には何らかの効果が報告されているが、質の高い証拠に支えられているとは言いがたい。成分ごとの効能を個別に確かめた研究は、ここで見たなかにはない。プロタノらの報告する改善は本物かもしれないが、センディらが示したとおり、厳密に確かめる設計の研究は一握りしかない。専門家団体の評価も、条件付きか、推奨の表の外にある。休暇による気分の改善は、人生全体の満足度までは届かず、職場に戻って一週間を過ぎると差が有意でなくなった。二泊三日は調べられた範囲(4〜23日)より短く、同じ効果があるかは分からない。一泊の旅には、なおさらだ。自炊の手応えは、日常の習慣として積み重ねたときの話で、数日の旅行にそのまま流用できる保証はなく、その正体は言い換えられた家事でもあるのかもしれない。郷愁は、自分のものではない過去へのものだったのかもしれない。そして「本来は三週間」は、規範としては古くからあったが、実態は土地や人によってばらついていた型にすぎず、いまの国内観光旅行は、八割半が二泊以下である(観光・レクリエーション目的の宿泊旅行の、旅行一回ごとの数え方で、温泉旅行に限った数字ではない)。看板を一つずつ外すと、看板ほど確かなものは残らなかった。一つ一つの主張は、どれも単独では嘘とまでは言えない。ただ、それらを積み上げて「暮らしを整え直す滞在」のような一つの完成された物語に仕立ててしまうと、裏づけられている以上の重みを背負わされている。

それでも、この言葉の引力が消えるわけではない。中身を検証したからといって、引かれる気持ちが嘘になるわけではないからだ。考えてみて浮かんだのは、自分が惹かれていたのは温泉の泉質でも三週間という滞在日数でもなく、いくつかの異なる要素——一時的な解放感、料理という手作業の実感、経験していない過去へのぼんやりした憧れ、そして労働を休息と呼び替える言葉の技術——が一つの言葉に束ねられている、その編集のうまさのほうだったのではないか、ということだ。大げさな効能も、暮らしを一新する物語も背負わせず、ここでは、期限付きの心地よさとして受け取っておくことにする。

言葉の成り立ちも、効能の証拠も、休暇の統計も、田園の理想の構造も、調べれば調べるほど、この言葉の中身は心もとなくなっていく。それでも「自炊湯治」という響きだけは、検証を終えた後もなお、最初と同じ強さで胸のあたりに残っている。中身がすかすかだと分かっていながら、なぜかまだ気になっている言葉というのは、案外そう多くない。たいていの看板は、裏側を確かめた瞬間に色褪せる。この言葉だけが、確かめてもなお色褪せずに残った。その事実のほうを、今回は持ち帰ることにする。

出典

  • 国立国会図書館 電子展示会「本の万華鏡」第23回「本から広がる温泉の世界」第1章「湯治場としての温泉」(一廻り・三廻り、文化2年の箱根の一夜湯治).
  • 山本博文「温泉」、imidas『時代劇用語指南』(2008年).(三廻り、費用、寝具代。解説記事による二次情報)
  • 浦達雄「温泉地における長期滞在について」、大阪観光大学観光学研究所『観光研究論集』14号(2015年).(湯治場時代の滞在日数。概説による二次情報)
  • 内田彩(2021)「東北地方における湯治文化について——1950年代〜1960年代の山形県を中心に——」『温泉地域研究』36, 1-12.(元の論文群は未見。論文による紹介)
  • 観光庁 地域観光資源の多言語解説文「湯治の歴史 健康を求める旅人たち」(十和田八幡平、2023年).(観光庁の事業で外国人旅行者向けに書かれた解説文。補助的に使用)
  • 環境省「温泉法第18条第1項の規定に基づく禁忌症及び入浴又は飲用上の注意の掲示等の基準」(環自総発第1407012号、2014年7月1日).(通知で確認)
  • 環境省「鉱泉分析法指針」(平成26年改訂。泉質名の決まり方).
  • 環境省「新・湯治」有識者会議の提言(2017年7月)、全国「新・湯治」効果測定調査プロジェクト 6カ年調査の概要と集計(平成30〜令和5年度)、「新・湯治の効果に関する協同モデル調査」(令和5年度).(資料で確認)
  • 観光庁「旅行・観光消費動向調査」2025年年間値(確報)第1表・第4表.(表で確認。割合は旅行一回ごとの数え方で、延べ旅行者数に対する派生値)
  • 観光庁「宿泊旅行統計調査」2025年確定値 表3.(表で確認)
  • 厚生労働省「令和7年就労条件総合調査」.(表で確認。三週間に要する平日の日数は筆者の計算)
  • Protano C, Fontana M, De Giorgi A, et al.(2023)"Balneotherapy for Osteoarthritis: A Systematic Review." Rheumatology International, 43(9), 1597-1610.(全文で確認)
  • García-López H, García-Giménez MT, Obrero-Gaitán E, et al.(2024)"Effectiveness of Balneotherapy in Reducing Pain, Disability, and Depression in Patients with Fibromyalgia Syndrome: A Systematic Review with Meta-Analysis." International Journal of Biometeorology, 68(10), 1935-1951.(全文で確認)
  • Szendi K, Lohner S, Szenczi Á, et al.(2025)"Challenges of Blinding in Clinical Balneology Trials: A Scoping Review." BMC Complementary Medicine and Therapies, 25(1), 132.(全文で確認)
  • McAlindon TE, Bannuru RR, Sullivan MC, et al.(2014)"OARSI Guidelines for the Non-Surgical Management of Knee Osteoarthritis." Osteoarthritis and Cartilage, 22(3), 363-388.(全文で確認)
  • Bannuru RR, Osani MC, Vaysbrot EE, et al.(2019)"OARSI Guidelines for the Non-Surgical Management of Knee, Hip, and Polyarticular Osteoarthritis." Osteoarthritis and Cartilage, 27(11), 1578-1589.(本文の推奨の表で確認。補足表は未確認)
  • Speth F, Wendsche J, Wegge J(2023)"We Continue to Recover Through Vacation!: Meta-Analysis of Vacation Effects on Well-Being and Its Fade-Out." European Psychologist, 28(4), 274-287.(抄録で確認)
  • da Fonseca PG, Siqueira LC, Raposo A, et al.(2025)"From Kitchen to Health: How Culinary Workshops Influence Eating Habits, Autonomy, and Wellbeing in Adults—A Scoping Review." Frontiers in Nutrition, 12, 1653406.(全文で確認)
  • Salehi M, Filimonau V, Lin MS, Kim B, Lin PMC(2025)"Exploring Sustainable Healthy Food Consumption in Self-Catering Holidays." Journal of Travel Research.(オンライン先行公開。確認したのは抄録まで)
  • Sedikides C, Wildschut T, Arndt J, Routledge C(2008)"Nostalgia: Past, Present, and Future." Current Directions in Psychological Science, 17(5), 304-307.
  • Bunce M(1994)The Countryside Ideal: Anglo-American Images of Landscape. Routledge.(原著は未確認。紹介による二次情報)
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