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標高1,800mの温泉で、何もない時間を過ごす——万座の硫化水素は、1952年の論文が紹介する報告ですでに日本一とされていた
万座の硫化水素は、1952年の論文が紹介する報告ですでに日本一とされていた。国が浴室の湯面で許す20ppmは、においを感じる濃度の800倍にあたる。小串鉱山の山崩れや冬期閉鎖の数字も、公的な資料に当てて確かめた。
万座温泉へ続く万座ハイウェーを登り切ると、木々が姿を消し、白茶けた岩肌とハイマツの緑、そして強い硫黄の匂いに変わる。嬬恋村の観光案内は、このあたりを海抜1,800mと紹介している。ハイウェーの事業者の案内では、全長は約20kmで、麓の三原が約830m、万座が約1,800mだ。二十キロほどの道のりで、およそ1,000m近く登る。
この高さを、自分は長いあいだ「空気が違う場所」という漠然とした印象で語ってきた。夏でも涼しく、冬は厳しく、夜は星が多い。そう書いてきたが、数字で確かめたことはなかった。今回、公的な資料と論文に当ててみると、書いてきたことの半分ほどは根拠を確認できず、残りの半分は、想像していたのとは違う方向に出た。
有名な温泉地だが、国民保養温泉地ではない
環境省は、温泉の公共的な利用に適した地域を、国民保養温泉地として指定している。令和4年10月現在の一覧で、群馬県のものは三つある。昭和29年に指定された四万、昭和43年に指定された鹿沢、平成30年に指定されたみなかみ町(上牧や法師温泉など6つの温泉)である。草津でも、万座でもない。
万座の名前は、群馬の温泉の中でも、よく知られている部類に入る。山縣と島の報告は、1952年の時点でおよそ400年前にはすでに万座が記録に現れていて、近くには弥生式土器が出たと伝わる岩屋もあることから、非常に古くから存在したものと思われる、と書いている。それでも制度の上では、この一覧に載っていない。老舗の看板が営業許可証と別のものであるのと同じで、知名度と指定は、別々の物差しで決まっているらしい。ただ、指定されていないことが何を意味するのか、湯の質や環境に対する評価とどの程度関係があるのかは、今回調べた資料からは分からなかった。ここでは、一覧に万座がないという事実だけを書いておく。
湯の分類のほうは、はっきりしている。環境省の鉱泉分析法指針では、水素イオンが1mg/kg以上なら酸性、総硫黄が2mg/kg以上なら硫黄泉と呼ぶ。液性は、pH3未満が酸性、3以上6未満が弱酸性とされる。万座の湯は、この定義でいえば、酸性泉であり硫黄泉でもある源泉が多い温泉地として知られている。ただし、嬬恋村の案内にある、泉質が20種類を超えるという数字は、観光案内の記載で、根拠は示されていない。1日の湧出量とされる「およそ540万リットル」も同じだ。参考までに書くが、数字の裏づけとしては頼れない。
1952年の時点で、硫化水素は日本一とされていた
万座の湯の濃さは、古くから測られてきた。1952年の山縣と島の報告は、万座の約20の源泉を調べている。源泉は標高1,700〜1,800mに集まり、温度は平均で71.9℃、半数は80℃以上だった。人が浸かる42度の湯と比べて、源泉は30度ほど高い。源泉のままでは、浸かれない温度である。報告によれば、万座の硫化水素の含量は、衛生試験所の報告で、すでに日本一とされていた。1952年の調査で最も高かったのは奥万座の苦湯で、1リットルあたり524mg(英文の要約では539mg)だった。
この報告が、熱さと濃さの両方を別々に扱っているのは面白い。最も硫化水素が高かった奥万座の苦湯は、51.4℃で、最も熱い源泉ではなかった。ブラヂウム北光泉、鈴湯、塩湯のような、ほとんど沸騰状態の源泉と、硫化水素が濃い源泉は、別のものだった。報告は、硫化水素の量で、20の源泉が1リットルあたり100mg級、10mg級、1mg級の三つの群に分けられると述べ、奥万座の苦湯は最も濃い群に入れている。題名にラドンとあるのは、ラドンの含量も測ったからだが、結果は低く、硫化水素との関係は見出せなかった。万座は、ラドンの温泉ではなかった。
この数字は70年以上前のもので、今の濃度を示すものではない。実際、湯畑や奥万座の源泉を1969年から1999年まで追った2002年の木川田らの論文は、湯畑と奥万座の源泉で水温が低下する傾向を報告している。同じ論文の記録では、1993年の空噴の源泉は94.8℃、pH1.37だった。そしてこの論文は、酸性の強さでは、万座より草津のほうが強い、としている。ちなみに論文は、空噴の湧出温度が、その標高における水の沸点にほぼ等しいことを指摘していて、湯の温度は、沸点で頭打ちになっている。
万座といえば強酸性、という印象が自分にはあったが、草津と並べると、順番は逆になるらしい。2009年の木川田らの学会要旨は、万座を草津白根山の南西側山腹、標高約1,800mとして、湯の多くは酸性泉で、中性から弱アルカリ性のものもある、とまとめている。「万座の湯は強い酸性」と一言で言うより、場所と源泉によって、かなり幅がある、と言うほうが正確だ。
湯の白濁についても、確かめた。以前の文章では「湧き出た瞬間は透明でも、空気に触れると乳白色に変わっていく」と書いたが、万座の湯がそうであるという一次の資料は、見つけられなかった。見つかったのは、近い火山の湯の研究である。2003年の恩田らは、草津白根山の湯釜と阿蘇の湯だまりの白濁を調べ、原因は単体の硫黄の微粒子(コロイド)だとした。粒子が小さいと青みがかって見え(レイリー散乱)、粒子が育つと乳白色に見える(ミー散乱)。別府の地獄の色を解説した2011年の大沢の報告では、白池地獄の白濁は、成長したシリカのコロイドによるミー散乱と考えられている。同じ白い湯でも、白さの正体は湯によって違う。万座の白さが何によるのか、湧出の瞬間はどうなのかは、自分の目の記憶以外に、根拠がない。
銀が黒く変わる話は、硫黄の化合物による変色として知られているが、万座の湯での程度を測った資料には、当たれなかった。効能も同じで、旅館の壁に貼られた言い伝えと、環境省が泉質ごとに定めている適応症・禁忌症は、別のものとして考えるのがよさそうだ。
匂いの800倍を許す、という基準
硫黄の匂いは、万座の第一印象だ。この匂いの正体の一つが、硫化水素である。そして硫化水素は、匂いの強さが、危なさの目安として頼りにならない気体でもある。
環境省の硫化水素ガイドライン(2017年)の表では、においを感じ始める濃度は0.025ppmだ。濃度が上がると影響は段階的に重くなる。50ppmを超えると急性の危険が出てくるとされ、700〜800ppmで30分あれば生命が危うくなり、1,000〜2,000ppmで呼吸が止まる。一方で、国が浴室に求める管理の基準は、湯面から10cmの高さで20ppm、床から70cmの高さで10ppmを維持することだ。湯面の20ppmは、匂いに気づく濃度の800倍にあたる。
人が「少し匂う」と感じる濃度と、管理上の上限の間には、これだけの開きがある。ただ、匂いの感覚が鋭いことは、安心の材料にならない。同じ表では、150〜200ppmで悪臭の麻痺が起き、臭気を感じなくなるとされ、700〜800ppmでは、臭気を感じないまま意識を失う。ガイドラインは、低濃度でも長く吸い続けると嗅覚が麻痺するので、臭いを頼りに硫化水素の有無を判断しないことが重要だ、と書いている。匂いは、危なくなるほど、頼りにならなくなる。
この基準ができた背景には、事故がある。環境省の検討会の資料によれば、2005年末に東北の温泉で硫化水素による死亡事故が起き、2006年(平成18年)の告示第59号で、総硫黄が2mg/kg以上の温泉を対象に、湯面10cmで20ppm、床上70cmで10ppmという値と、換気孔の基準が示された。換気孔は2か所以上、そのうち1か所は床面の高さに置く。硫化水素は空気より重く、床の近くに溜まるからだ。告示は積雪地についても注意を促していて、雪で換気孔がふさがれる場合を想定している。2017年の告示66号は、その値を引き継いで改めた。
平成27年度の環境省のアンケートでは、群馬県が硫化水素の濃度測定が必要と認めた温泉地として、万座温泉と草津温泉を挙げている。万座は、そういう温泉地の一つとして、行政に把握されている。
火山ガスの歴史は、この一帯では浅くない。気象庁の記録では、1902年に万座温泉で降灰が3cmあり、1932年には湯釜が噴火して2人が死亡した。1971年12月には、温泉造成のボーリング孔から硫化水素が漏れて6人が亡くなり、1976年8月には、本白根山の白根沢でたまったガスにより登山者3人が亡くなった。2018年1月の本白根山の噴火では、1人が死亡し、11人が負傷した。「地面の下で何かが今も動いているのを肌で感じる」と以前書いたのは、露天風呂から眺めた噴煙の印象にすぎないが、記録を読むと、その印象は、間違ってはいなかった。
季節の表情は、数字にするとどうなるか
以前は「夏でも25度を超える日は少なく、冬は氷点下15度まで下がる」と書いた。万座の気温を直接測った資料は見つけられず、どちらの数字も、直接の裏づけはなかった。代わりに、近くの草津(標高1,223m)の観測値を借りてみる。万座は、草津より約600m高い。
先に断っておくと、以下で万座について書く気温と積雪は、草津の値から標高差で見積もった概算で、万座の測定値ではない。草津の平年値(1991〜2020年)では、8月の日最高気温の平均が24.2℃、日最低が16.2℃。1月は日最高が−0.4℃、日最低が−7.8℃。年間の最深積雪の平年値は99cmである。年最深積雪は、その年に積もった雪が一番深かった日の値で、冬のあいだずっと1mの雪が続くという意味ではない。それでも、1,223mの草津で1mに迫るなら、600m高い場所の冬の雪が、これより浅いとは考えにくい。極値は、最低が−15.9℃(1981年2月27日)と−15.5℃(2023年1月25日)、最高が32.0℃(2022年6月29日)だった。1月は、日中の最高の平均でさえ氷点を下回っている。標高が100m上がるごとに気温はおよそ0.6℃下がる、という一般的な目安で600m分を引くと、万座の1月の朝は、平均でも−11℃前後になる。冷気は低いところにたまるため、最低気温にこの目安を当てはめるのは、とくに粗い。
「夏は25度を超える日が少ない」は、草津では当てはまらなかった。日最高が25℃以上になった日は、2023年が7月に23日、8月に22日。2024年が7月に20日、8月に21日。2025年が7月に25日、8月に26日だった。先の目安を当てれば、600m高い万座の日最高気温は、草津より3〜4℃ほど低くなる。8月の日最高の平均なら、20℃前後だろうか。
「氷点下15度」のほうは、草津の極値が−15.9℃だから、万座はもっと冷えているはずだ、とも言えそうだが、それは推測で、数字ではない。確かめられたのは、草津で、冬の朝に氷点下15℃を下回る年が、実際にあることまでだ。
道路の数字は、はっきりしている。国道292号の天狗山ゲートから万座三差路までは12.9km、万座三差路から渋峠までは5.0kmで、冬は閉鎖される。令和6年は11月13日の午後1時から閉まり、解除は令和7年4月23日の予定だった。ところが、草津側の天狗山ゲートから万座三差路までの12.9kmは、雪崩で延期になり、全面通行止めが解かれたのは5月22日の朝8時で、それも片側交互通行だった。この区間の閉鎖は、約190日、六か月余りに及んだ。令和7年の冬は、天狗山ゲートから渋峠までの17.9kmが、11月12日の午後1時から、令和8年4月22日の午前10時の予定になっている。この道には、国道としては日本一の標高となる2,172mの地点がある。
以前の文章にあった、五月の万座ハイウェーの「数メートルの雪の壁」と、国道最高地点からの「雲海」、九月下旬の紅葉は、公的な資料からは裏づけが取れなかった。景色の印象は、毎年の雪の量と天気に左右される。見た年の記憶として残すのはよいが、季節の決まりのように書くのは控えたい。
ハイウェー自体は、通年で通行できる。積雪時はスタッドレスタイヤとチェーンが勧められていて、普通車の料金は1,070円、歩行者・自転車・125cc以下のバイクは通れない。
火山の規制も、季節と別に動く。令和7年8月4日、草津白根山の湯釜が噴火警戒レベル2となり、殺生から万座三差路までの8.5kmが規制された。令和8年5月15日には、気象庁が湯釜付近のレベルを2から1へ下げ、5月29日の午後1時に規制が解除される、と案内されていた。本白根山は、2018年1月の噴火以降、噴火していない。レベル1でも、湯釜火口の500mの範囲には注意が必要とされる。
かつて、ここは硫黄の鉱山だった
温泉のすぐ近くには、小串硫黄鉱山の跡がある。以前の文章では、これを「東洋一の硫黄鉱山」と呼び、標高1,600mの山中に2,000人以上が暮らしていた、と書いた。調べ直すと、この数字は、どれも合わなかった。
1938年の久保時夫の報告によれば、鉱山の麓の標高は1,700m、山崩れが始まった崩れ口は約1,760mだった。鉱山には約1,300人、270世帯が暮らしていた。昭和4年に三井系の北海道硫黄が買収して、純度99.8%の硫黄を産し、年産は昭和5年の約6,000トンから、昭和11年には20,371トンに伸びていた。報告は、これを本邦第2位としている。「東洋一」ではない。観光庁の多言語解説では、20世紀の前半にアジア全域で最も産出量の多い硫黄鉱山だったのは、岩手の松尾鉱山だとされている。
年産は、昭和5年から昭和11年までの六年間で、約3.4倍に伸びていた。伸びていく途中の1937年11月11日、午後3時30分ごろに山が崩れ、35棟、約244名が埋没した。約1,300人という人口の、およそ5人に1人にあたる。崩れた土砂は、全長が約620m、動いていたのは約60秒で、速度は最大で秒速15〜20m、平均で秒速10mだった。地震はなく、爆薬にも異状はなかった。この年の10月の降水量は、平年を上回っていた(観測点によって平年の1.13〜1.69倍)。
原因は、この報告が書かれた時点では、はっきり断定されていない。報告は、地震も爆薬の異状もなく、坑道も無事だったことを記したうえで、直前の多雨を、ありうる原因の一つとして挙げるにとどめている。ここで言えるのは、記録に残った事実までだ。
この土地が観光地である以前に、命がけの労働の現場だったことは覚えておきたい。麓から山道を登った1,700mの山に、千人以上が暮らしていたこと自体が、今の万座の「不便さ」を、一段と相対化してくれる。
足もとの地面も、同じ火山の働きでできている
鉱山の山崩れは、遠い昔の話に見える。ところが、同じ地域では、2001年にも大きな地すべりが起きている。山崎らの報告(2003年)によれば、2001年9月、台風15号の接近で、万座温泉では連続雨量が363.5mmに達し、最大の時間雨量は70mmだった。万座温泉へ向かう道路に、長さ110m、最大の落差1.5m、水平の移動量1mの滑落崖ができ、観光客と住民の780人が孤立した。隣の斜面では、9月18日に高速の地すべりが起き、崩れた土砂が約1km下流まで流れた。
報告の核心は、すべり面の性質にある。この地域の地盤は、火山活動に伴う熱水変質を受けていて、すべり面の粘土には、スメクタイトという水を吸う鉱物が多く含まれていた。硫化水素を含む蒸気と地表水の作用で、浅い地下水が酸性になり、方解石が溶け、石膏ができ、脆い粘土の層がつくられる。著者らは、これが地すべりの素因だとしている。
湯を酸性にし、硫黄の匂いをつくっている火山の熱と硫黄が、足もとの地面の浅いところも、脆く変えていた。比喩のように聞こえるかもしれないが、報告が書いているのは、文字どおり、そのことだ。
念のために付け加えると、この報告は2001年の地すべりを扱ったもので、1937年の小串鉱山の山崩れの原因を述べたものではない。報告は、同様の地質条件が、万座温泉にかけて広い範囲に分布することを指摘している。ただ、1937年の山崩れが、これと同じ仕組みで起きたかどうかは、読んだ資料からは言えない。
標高1,800mで、体はどう反応するのか
高さの話を、体のほうから確認しておく。1993年のホニグマンらは、アメリカ・コロラドの標高6,300〜9,700フィート(約1,920〜2,960m)のリゾートを訪れた3,158人を調べた。高山病の症状を示したのは25%で、その65%は到着から12時間以内に出ていた。居住地の標高が3,000フィート(約910m)未満の人は、そうでない人に比べて、症状が出るオッズが3.5倍だった。
2009年のマイラーらは、東アルプスの山小屋に泊まった登山者431人を調べ、高山病の割合を標高別に報告している。2,200mで6.9%、2,500mで9.1%、2,800mで17.4%、3,500mで38.0%だった。標高が上がるほど、割合は急に増えていく。
どちらも、万座の1,800mより高いところの数字だ。ホニグマンらの調査の下限が約1,920m、マイラーらの最低の区分が2,200mである。自分が手にしている資料には、1,800m前後での頻度の数字がない。1,800mが、高山病の統計の「手前」にある、とだけは言える。それが「安全」という意味かどうかは、別の話だ。症状の多くが到着直後に出ていたことを考えると、宿に着いた最初の半日が、統計の上では山場にあたる。湯に入る前の、荷物を置いた時間である。
一方で、万座ハイウェーは、麓の約830mから、およそ20kmで1,800mまで登る。低地に住む人ほど症状が出やすかったという、ホニグマンらの結果に照らせば、麓の街から車で一気に上がってくる旅行者は、その側に入る。自分は、到着の晩に頭が重くなった記憶がない。ただ、記憶にないことは、統計の代わりにならない。
星空のことも、確かめた。以前は「夜になれば街灯は消え、星空だけが残る」と書いた。環境省の夜空の明るさの調査で、群馬県の登録地点は四つで、今回データが寄せられたのは二つだけ、地点の名前は公表されていない。万座の星空を数字で語る材料は、今回は見つからなかった。星の多さは、見た夜の天気と、自分の目の記憶に、頼るしかない。
何もない、とは何がないのか
以前の文章は、「温泉街にコンビニもスーパーもない」と書き出し、「麓の嬬恋村や草津町で食料とガソリンを済ませておく必要がある」と続けた。今回、公的な資料で、万座にコンビニやスーパーがあるかどうかを確認することはできなかった。かつて自分が見た光景は、確かにそうだったが、それを今の状態として書くのは控える。バスと特急を乗り継ぐ経路も、運行の最新の状況を確かめていない。
確かめられたのは、別の「ない」だ。国民保養温泉地の一覧に、万座はない。万座の気温を直接測った資料も、見つけられなかった。環境省の夜空の調査に、万座の名前はなかった。標高1,800mでの高山病の頻度を示す、手元の統計もなかった。制度の側の「ない」が、これだけ並んでいる。
もっとも、ないことと、何もないことは、同じではない。20ppmという管理値のもとで浸かる湯、冬の五か月から六か月は閉ざされる道、60秒で620m流れた土砂の記録。何もない時間を過ごしに行ったつもりが、帰ってから調べると、これだけのものが、そこにあった。
気づかないまま過ごせたのは、不便さが情報を絞ってくれていたからだ、と言いたくもなる。ただ、それは都合のいい言い方でもある。管理値も、床に近い換気孔も、積雪地への注意書きも、宿の側が背負っている仕事の裏側だ。客として何も考えずに済んでいたのは、考える仕事を、誰かが引き受けていたからである。
不便さを我慢するというより、不便さごと引き受けに行く場所なのだと思う。ただ、引き受けるものの中身を、自分はこれまで、半分しか知らなかった。
出典
- 環境省, 「国民保養温泉地一覧」(令和4年10月現在).
- 環境省, 「鉱泉分析法指針」(平成26年改訂).
- 環境省, 「温泉法第18条第1項の規定に基づく禁忌症及び適応症の改訂について」(環自総発第1407012号, 平成26年7月1日).
- 環境省, 「硫化水素による事故防止のためのガイドライン」(2017年9月)および告示(平成18年告示、平成29年告示66号).
- 環境省, 温泉の硫化水素に関する検討会資料(平成27年度アンケートを含む).
- 山縣登, 島誠, 「萬座温泉の硫化水素及びラドン含量」, 陸水学雑誌, 16巻, 64-67頁, 1952.
- 木川田喜一, 大井隆夫, 小坂丈予, 「群馬県万座地域主要源泉の溶存成分濃度経年変化」, 地球化学, 36, 35-49頁, 2002.
- 木川田喜一, 小川晃司, 大井隆夫, 「群馬県万座温泉の熱水系の検討」, 日本地球化学会年会講演要旨, 2009.
- 恩田裕二, 大沢信二, 高松信樹, 「活動的強酸性火口湖の呈色因子に関する色彩学的・地球化学的研究」(英題: A colorimetric and geochemical study of the coloration factor of hyper-acid active crater lakes), 陸水学雑誌, 64, 1-10頁, 2003. 要旨および本文の一部による.
- 大沢信二, 「様々な色を呈する別府の地獄」(「水文科学が解き明かす不思議な天然水」3), 日本水文科学会誌, 41(3), 103-110頁, 2011.
- 久保時夫, 「群馬縣小串硫黄鑛山山崩踏査報告」, 験震時報, 10(2), 287-293頁, 1938.
- 観光庁, 多言語解説文データベース(松尾鉱山の項).
- 気象庁, 草津白根山の火山活動の解説、噴火警戒レベル関連情報、有史以降の活動.
- 山崎勉, 小島健, 山崎孝成, ほか, 「群馬県万座地域の地すべりと変質」, 地すべり(日本地すべり学会誌), 40(1), 2003.
- 衛生試験所の報告: 原典は未確認で、山縣・島(1952)による紹介に基づく二次情報.
- 気象庁, 草津アメダス(観測所番号0343)の平年値(1991〜2020年)および日別値.
- 群馬県道路管理課, 国道292号の冬期閉鎖・解除情報(令和6年度〜令和8年度).
- 関東地方整備局, 日本風景街道「浅間・白根・志賀さわやか街道」の資料(国道292号の最高地点).
- 西武(万座ハイウェー), 公式案内.
- 嬬恋村, 万座温泉エリアの観光案内. 観光案内であり、数字の根拠は示されていない.
- 環境省, 夜空の明るさ調査(令和7年冬).
- Honigman B, Theis MK, Koziol-McLain J, et al., "Acute mountain sickness in a general tourist population at moderate altitudes", Annals of Internal Medicine, 118(8), 587-592頁, 1993.
- Mairer K, Wille M, Bucher T, Burtscher M, "Prevalence of acute mountain sickness in the Eastern Alps", High Altitude Medicine & Biology, 10(3), 239-245頁, 2009.
