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マインドフルネスは、座らなくても始められる
瞑想と何が違うのか、科学的にはどこまで言えるのか、日常の動作の中でどう実践できるのか——マインドフルネスについて一度整理してみる。
スマートフォンの通知、SNSに流れてくる他人の近況、終わらないタスクリスト。意識はたいてい「まだ終わっていない未来」か「引きずっている過去」のどちらかにあって、肝心の「今」が空白になっていることが多い。マインドフルネスという言葉で語られているのは、評価や判断を一旦脇に置いて、今この瞬間の感覚に意識を向ける、という単純なことだ。
呼吸だけが入口ではないらしい
マインドフルネスというと座って目を閉じる姿を想像しがちだが、それだけではない。呼吸に意識を向ける瞑想はもちろん基本だが、食事を一口ずつ味わって食べる、足裏の感覚に注意を向けながら歩く、植物の葉を拭きながら土の湿り気を感じる、といった日常の動作の中でも同じことができる。座るのが苦手な人には、むしろこちらのほうが取り組みやすいかもしれない。
科学的にどこまで言えるか
マインドフルネスはスピリチュアルな話ではなく、1970年代以降、医学・神経科学の分野でかなりの研究が積み重ねられてきた。MRIを使った研究では、定期的な実践によって不安に関わる扁桃体の反応が落ち着いたり、意思決定に関わる前頭前野の活動が変化したりする、という報告がある。ただし研究によって条件や効果の大きさにはばらつきがあり、「これをやれば脳が変わる」と言い切れるほど一様な結果ではない。ストレスホルモンの減少や睡眠の質の改善についても同様の留保がつく。過度な期待をしないくらいがちょうどいいと思う。
瞑想とマインドフルネスの違い
この二つはよく混同されるが、瞑想は心を整えるための手法やトレーニングを指し、マインドフルネスはそれによって育つ「今に意識を向けている状態」そのものを指す、と整理するとわかりやすい。瞑想が筋トレだとすれば、マインドフルネスはその筋肉を使って普段の生活を送ることに近い。ルーツは約2500年前の仏教瞑想にあるが、現代語られる形は1979年にジョン・カバット・ジンがマサチューセッツ大学で開発した「マインドフルネスストレス軽減法(MBSR)」を境に、宗教色を抜いた形で医療や心理学の領域に取り込まれていった。
趣味の没頭も、たぶん同じ状態
心理学でいう「フロー」——時間を忘れて何かに没頭している状態——も、マインドフルネスの一種だと考えられている。木材の断面をやすりで磨く、花を選んで生ける、カメラを持って街の影を追いかける。こうした趣味に没頭している時間は、座って瞑想している時間と、脳の状態としてはそう遠くないのかもしれない。
続けるうえでの誤解
「雑念を消さなければならない」と思われがちだが、雑念は消えない。浮かんできたことに気づいて、また意識を戻す。それを何度でも繰り返すこと自体が実践であって、100回逸れたら100回戻ればいいだけの話だ。「無にならなければならない」わけでもなく、今感じているイライラや疲れを、そのまま「今、疲れているな」と実況するだけでも十分だとされている。
継続のコツとしてよく言われるのは、歯磨きや信号待ちのような既存の習慣に紐づけること、3分が無理なら深呼吸一回でよしとすること、この二つくらいだと思う。毎日やらなければという義務感のほうが、よほど続かない原因になる。
