目次▼
軍艦島の錆びた鉄が語る近代化の話
軍艦島も足尾銅山も、教材として見に行くと嘘になる。廃墟に惹かれる感覚の正体を、割れた窓の心理学とソラスタルジアという言葉から疑ってみる。
軍艦島の上陸ツアーに申し込んだとき、自分では「近代化の歴史を学びに行く」つもりでいた。船が近づいて、崩れかけた鉄筋コンクリートの塊が波間に見えてきた瞬間、その建前はあっさり崩れた。込み上げてきたのは学習意欲ではなく、もっと単純な、胸の奥をつかまれるような感覚だった。錆びた鉄骨、割れた窓、崩落した階段。歴史の教材としてではなく、ただの壊れた建物として、それは強烈に美しかった。
この感覚を持て余したまま、足尾銅山や富岡製糸場、かつて硫黄を掘っていた山中の廃村を巡るようになった。行くたびに気づくのは、自分が知りたいのは年表ではなく、この「壊れたものに強く惹かれる」という反応の中身の方だということだ。教科書的な説明で片づける前に、この趣味が実際には何を刺激しているのかを、一度分解してみたい。
寺社仏閣を巡る歴史散策と、この産業遺産巡りとを並べてみると、感触の違いは意外なほどはっきりしている。古い神社の前では、そこにある秩序と手入れの行き届き方に感心する。ところが軍艦島の前で感心しているのは、秩序が壊れていく過程そのものだ。同じ「歴史を訪ねる」という行為の名前の下で、まったく逆方向を向いた欲求が動いている。手入れされた過去と、手入れされていない過去。自分が本当に惹かれているのは、明らかに後者の方だった。
教材のふりをした欲望
産業遺産巡りを人に説明するとき、つい「近代化の過程を学べる」という言い方をしてしまう。だがこれは半分嘘だ。純粋に知識を得たいだけなら、写真集と解説書を読めば十分で、わざわざ標高1,600mの山道を登って崩れかけた選鉱場を見に行く必要はない。実際に足を運びたくなるのは、そこに朽ちた建物そのものが放つ、独特の魅力があるからだ。
この魅力には、すでに名前がついている。イギリスの作家ローズ・マコーレーは1953年の著作の中で、ドイツ語の「Ruinenlust(廃墟への渇望)」という語を英語圏に持ち込んだ。廃墟を眺めるときに生じる感情は単純な感傷ではなく、崩壊を目の当たりにする哀しみと、時間が流れていくことそのものへの快感が入り混じった、両義的な状態だとマコーレーは論じている。廃墟の美学を専門とする地理学者ジョアン・サルメントは2019年の論考で、この両義性——魅了と嫌悪、荘厳さと不安が同時に立ち上がる感覚——を廃墟経験の核に位置づけ、そこには「感情を揺さぶる質」と「不穏にさせる質」がほぼ同時に含まれると論じている。つまり、廃墟が心地よいのは、それが安全に整理された過去だからではない。整理されていない、まだ崩れ続けている途中のものだからこそ、心地よさと落ち着かなさが同居する。産業遺産巡りを教育的な行為だと言い張るのは、この落ち着かなさから目を逸らすための、便利な言い訳にすぎないのかもしれない。
産業考古学者もまた、感傷から出発した
「産業遺産を体系的に調べる」という営みには、実はきちんとした学問的な系譜がある。「産業考古学」という言葉が初めて活字になったのは1955年、イギリスの研究者マイケル・リックスが専門誌『アマチュア・ヒストリアン』に寄せた論考の中でのことだ。この分野が本格的に立ち上がったのは1950年代末のイギリスで、蒸気機関や紡績工場、運河橋といった産業革命期の構造物が、戦後の都市再開発によって次々と取り壊されていく状況に対する危機感がきっかけだった。1971年には北米でも産業考古学協会が設立され、以後、建築・工学・都市計画といった複数の分野を横断する学際的な研究領域として定着していく。
この経緯を知ると、産業考古学という言葉が持つ「冷静な学問」というイメージが、少し違って見えてくる。この分野は、失われつつあるものを惜しむ気持ちが先にあって、そこから制度として整えられていった。つまり、自分が軍艦島や足尾銅山を前にして覚える衝動と、産業考古学という学問分野の出発点にあった衝動とは、実のところそう遠く離れていない。歴史学として体系化された知識の背後に、間に合わなくなる前に記録しておきたいという、切迫した感情が張り付いている。「教材として見に行く」という言い訳の背後にすら、感傷が隠れていたということになる。学問の顔をした場所ほど、掘り返してみると案外、個人的な渇望から始まっていたりする。
廃墟の割れた窓は、なぜ美しく見えるのか
この「壊れているものが良い」という感覚は、実は日常の中ではむしろ正反対の意味を持つ。1982年、犯罪学者のジェームズ・Q・ウィルソンと社会学者のジョージ・L・ケリングは、雑誌記事の中である仮説を提示した。一枚の割れた窓を放置しておくと、その建物には誰も気にかけていないというサインが発信され、やがて他の窓も割られ、地域全体の秩序が崩れていく——いわゆる「割れ窓理論」である。この理論そのものは、後年の実証研究によって効果の大きさや因果関係にかなりの疑義が呈されており、単純な政策処方箋として扱うのは危うい。だが理論の妥当性とは別に、ここで押さえておきたいのはもっと手前の前提の方だ。割れた窓、錆びた設備、崩れかけた壁面——こうした視覚的な手がかりは、通常の生活環境の中では「危険」「放置」「治安の悪化」を意味する不快なサインとして機能する、という前提である。
ところが廃墟巡りという趣味は、この同じサインを正反対の方向に読み替える行為にほかならない。日常の文脈では避けるべき危険信号として処理される視覚情報が、産業遺産という文脈に置き直されたとたん、わざわざ交通費と時間をかけて確認しに行く対象に変わる。同じ割れた窓、同じ剥がれた塗装が、片方では忌避され、片方では鑑賞される。この落差の大きさこそが、この趣味の奇妙さの核にある。廃墟を美しいと感じる感性は、日常の安全感覚をわざわざ裏返してから成立する、かなり手の込んだ倒錯だということになる。しかも厄介なのは、その倒錯が起きていることに、当の本人がほとんど気づいていない点だ。廃墟の前で「美しい」とつぶやくとき、自分の中でどんな回路が反転しているのか、たいていの人は考えもしない。
懐かしさですらない何か
この感覚を「ノスタルジー」という言葉で片づけてしまいたくなる誘惑もある。心理学者ルートリッジらが2011年に発表した研究は、ノスタルジーが単なる感傷ではなく、人生に意味を感じさせる働きを持つことを実験的に示している。過去を懐かしむ気持ちは、社会的なつながりの感覚を強め、それを介して「自分の人生には意味がある」という実感を底上げする。さらに、死について考えさせられたときに生じる不安に対しても、ノスタルジーを強く感じやすい人ほどその不安の影響を受けにくいことが確認されている。過去を懐かしむことは、逃避ではなく、現在を支えるための実用的な心理的資源だという理解が、この研究以降広がってきた。
だが軍艦島や足尾銅山を歩いているときの感覚を、この意味でのノスタルジーだと呼ぶのは、少し無理がある。ノスタルジーは本来、自分が実際に生きた過去、あるいは自分に連なる集団の記憶に対して働く感情だ。訪れたこともない炭鉱住宅の跡地に立って感傷的になるのは、少なくとも定義上は「懐かしむ」対象を欠いている。ここで手がかりになるのが、環境哲学者グレン・アルブレヒトが2007年に提唱した「ソラスタルジア」という概念だ。これはノスタルジーとは似て非なるもので、故郷から離れたことによる哀しみではなく、住んでいる場所そのものが変わり果てていくことによる哀しみを指す。もともとは干ばつや大規模な露天掘り採掘によって、住民が「家にいながら家を恋しく思う」ような苦痛を説明するために作られた言葉だ。
産業遺産を歩くときに湧き上がる感情は、この定義をさらにひねった、いわば代理のソラスタルジアに近い。自分自身が失ったわけではない場所の喪失を、まるで自分の記憶であるかのように追体験している。軍艦島の住民が実際に味わったであろう喪失感を、当事者でもない観光客が借用して、自分の情緒として消費している格好になる。これは懐かしさでもなければ、単純な同情でもない。むしろ、いずれ自分の生きている場所も同じように崩れていくという予感——まだ起きていない喪失への、先取りされた哀しみに近い。廃墟の前で覚える寂しさの正体は、過去を惜しむ気持ちではなく、未来がすでに終わってしまったかのような感覚、つまり時間の向きが逆転した喪失感なのだと考えると、辻褄が合ってくる。
成功物語が終わった場所
この代理のソラスタルジアは、対象がどこの国の廃墟かによって、質感がかなり違ってくる。デトロイトの自動車工場の廃墟を日本人が眺めるとき、そこにあるのは異国の産業の盛衰であり、自分の生活とは一枚壁を隔てた距離がある。ところが軍艦島や足尾銅山、富岡製糸場は、そのまま戦後日本の高度経済成長という、自分たちが今も生活の土台として立っている物語の出発点そのものだ。生糸を輸出して外貨を稼ぎ、石炭を掘って重工業を支え、銅を精錬して近代兵器から家電まで賄ってきた——その成功物語の一次資料が、今ちょうど朽ちている。
だからここで揺さぶられているのは、見知らぬ土地の哀しみを借りてくる感情だけではない。自分たちの生活を成り立たせている前提そのものが、いずれ同じように朽ちていくという予感を、目の前の鉄骨に重ねて見ている面もある。今のオフィスビルやデータセンターも、百年後には同じように苔むした残骸として観光の対象になるのかもしれない。産業遺産を訪れるという行為が単なる懐古趣味に留まらない不穏さを帯びるのは、この重ね合わせのせいだ。見ているのは過去の栄光ではなく、進行中の自分たちの現在が、いずれたどる先の姿でもある。
保存という名の凍結
この時間の逆転は、実は「保存」という制度そのものが抱えている矛盾でもある。地理学者ブラッドリー・ギャレットは2011年の論文で、都市探検者たちへの参与観察をもとに、彼らが廃墟の中で経験しているものを「時間的接合点」と呼んだ。廃墟に足を踏み入れる行為は、過去のある一点をそのまま体験し直すことではなく、過去と現在という本来分かれているはずの時間軸が、その場所の中で一時的に重なり合う経験なのだという。
ギャレットが同じ論文で対比させているのが、文化財としての正式な「保存」のあり方だ。行政や保存団体が史跡を整備するとき、そこで起きているのは、崩壊し続けている建物のある一瞬を選び取り、そこで時間を止める作業にほかならない。ギャレットはこれを、保存する側が抱える一種の不安の表れだと見ている。朽ちていくものをそのまま朽ちさせておくことに耐えられず、代わりに一つの「正しい姿」を確定させて、そこに閉じ込めてしまう。ところが皮肉なことに、こうして時間を止めた瞬間、その建物はもう本当の意味で朽ちてはいない。剥製にされた廃墟は、もはや廃墟ではなく、廃墟の形をした別の何かになる。
富岡製糸場が世界遺産として整備され、レンガの壁が丁寧に補修されているのを見ると、この矛盾がよくわかる。あそこにあるのは紛れもなく貴重な近代化の証人だが、同時に、時間の流れをせき止められた展示物でもある。一方、軍艦島の居住区画の多くは、あえてほとんど手を加えられないまま、風化するに任されている。どちらが「正しい」という話ではない。ただ、自分が本当に見たいと思っているのがどちらの種類の時間なのかは、一度自分に問うてみる価値がある。止められた時間を確認しに行っているのか、それとも今この瞬間も進行中の崩壊に立ち会いに行っているのか。同じ産業遺産巡りという言葉の下に、まったく別の欲望が二つ隠れている。
廃墟がブームになった日本の事情
この趣味を「普遍的な人間の感性」として語ってしまう前に、日本国内での廃墟趣味そのものの歴史も押さえておきたい。観光学者の飯田侑里が2016年にまとめた研究によれば、日本で廃墟が趣味として明確に立ち上がってきたのは1980年代のレトロブームの中でのことで、写真集やガイドブックの刊行を通じて広がっていった。2001年に刊行された廃墟写真集は1万5千部、翌2002年に刊行された廃墟探訪のガイドブックは2万6千部を売り上げ、いずれもヒットと呼べる規模に達している。担い手として中心にいたのは10代後半から30代半ばの層で、そこに見出されていたのは単なる好奇心だけでなく、廃墟の中に一種の神秘性と、奇妙な安心感の両方を求める心性だったと分析されている。
この時期の廃墟ブームは、軍艦島のような産業遺産だけでなく、廃校や廃病院、遊園地の跡地まで幅広く対象にしていた点が特徴だ。産業遺産巡りという、今回自分がやっている行為は、この大きな廃墟趣味の系譜の中の一部にすぎない。しかも、その系譜自体が「歴史を学ぶ」という文脈からではなく、「廃墟という様式への嗜好」という、もっと審美的な文脈から生まれてきたことになる。近代化の記録として語られがちな産業遺産だが、少なくともその人気の出自をたどれば、教育的な動機よりも、崩れた建築物そのものへの美的関心の方が先にあったという順番になる。歴史の解説板は、後から取り付けられた正当化の看板だったのかもしれない。
この美的な吸引力は、国境を越えて映画製作者の目にも留まった。2012年公開の『007 スカイフォール』に登場する、荒廃した無人都市のセットは、軍艦島の映像に着想を得たものだった。安全上の理由から実際の撮影は軍艦島では行われなかったが、廃墟としての完成度の高さが、フィクションの舞台としてそのまま通用すると判断された格好になる。学術的な価値づけを経る前に、まず映像作品の美術として消費された事実は、この趣味の出発点がどこにあるかを、これ以上ないほど端的に物語っている。
もう一つ付け加えておきたいのは、この教材のふりがいつも悪いわけではないという点だ。歴史的な意義を語る言葉を借りることで、廃墟という本来はグロテスクにもなりうる対象に、公的な立ち入りの許可と、鑑賞のための語彙が与えられている。「学びのため」という建前がなければ、軍艦島は今も一般人が近づけない、ただの危険な廃墟のままだっただろう。嘘も方便という言い方は好きではないが、この場合の建前は、対象を守りながら開いておくための、実務的な装置として機能している側面はある。
人間の消えた写真
廃墟の写真には、ほとんど例外なく人が写っていない。軍艦島の朽ちたアパート群も、足尾の選鉱場跡も、たいてい無人の状態で、光の入り方だけが計算されたように美しく切り取られている。この構図そのものを問題視する声もある。アメリカの文芸研究者ジョン・パトリック・リアリーは2011年、デトロイトの廃墟写真をめぐる論考の中で、こうした無人の廃墟写真が持つ効果を鋭く指摘した。人の姿を排除した廃墟の写真は、見る側に「自分はすでに崩壊を生き延びた後の世界にいる」という、一種の考古学者めいた空想を許してしまう。むしろその街では実際には今も人が暮らし、今まさに進行中の衰退のただ中にいる。無人の構図は、その進行形の現実を、すでに完了した過去の物語へとこっそりすり替えてしまう。
この指摘は、そのまま日本の産業遺産写真にも当てはまる。軍艦島の廃墟写真がしばしば黒澤明の映画のワンシーンのように美しく仕上げられるのも、小串硫黄鉱山の廃村が神秘的な雲海の中に佇む姿で紹介されるのも、そこに人が写っていないからこそ成立する美しさだ。だが、その無人の構図が隠しているのは、単なる不在ではない。かつてそこに詰め込まれていた過密な暮らしと、そこで実際に命を落とした人々の存在そのものだ。廃墟の写真を撮るという行為は、無自覚のうちに、そこにあった人間の生活を画面の外へ追い出す作業でもある。美しく撮れば撮るほど、そこにいた人の輪郭は薄くなっていく。
死者の数を伴った風景
ここでもう一つ、目を逸らしてはいけない事実がある。産業遺産の多くは、美しく撮影された一枚の写真の裏に、具体的な死者の数を抱えているという事実だ。足尾銅山は「東洋一の銅山」と呼ばれ、明治期の日本の外貨獲得を支えた一方で、1890年代以降、渡良瀬川流域に鉱毒被害をもたらし、日本で最初の公害事件と位置づけられている。群馬県の小串硫黄鉱山では、最盛期に2,000人を超える人々が標高1,600mの山中で暮らしていたが、1937年11月、長雨による大規模な地すべりが集落を襲い、245人が命を落とした。軍艦島にしても、最盛期の人口密度は1平方キロメートルあたり8万3千人を超え、東京23区の9倍以上に達していたと推計されている。これは繁栄の数字である以上に、当時そこに暮らしていた人々がどれほど過密な環境で生活していたかを示す数字でもある。
軍艦島についてはもう一段、踏み込んでおくべき事実がある。この人口密度の高さの裏側には、戦時中の労働力不足を補うために朝鮮半島や中国から連行された人々の存在があった。1939年から1945年にかけて、「募集」の名目を取りながら実質的には本人の意思に反する動員によって、多くの朝鮮人・中国人労働者が島に送り込まれ、日本人労働者よりも過酷な坑内の奥部に配置されている。1944年の記録をもとにした分析では、こうした外国人労働者の死亡率は日本人労働者のおよそ2倍に達していたとされる。2015年に軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」がユネスコ世界遺産に登録された際、日本政府自身が「多数の朝鮮人などが、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」という趣旨の説明を世界遺産委員会に提出し、その経緯を伝える情報センターの設置を約束している。ところが2020年に開設されたその産業遺産情報センターの展示内容は、この約束を十分に果たしていないとして韓国側から強く批判され、2021年にはユネスコの委員会自体が、日本側の対応がなお不十分だとする見解を示すに至った。軍艦島の廃墟は、この経緯を一切知らなくても十分に美しく見えてしまう。だからこそ、知らないまま眺めることを自分に許してはいけない。
観光学者ジョン・レノンとマルコム・フォーリーは2000年の著作の中で、こうした死や災厄の記憶を伴う場所を訪れる動機として、好奇心や学びたいという欲求に加えて、日常とは異なる強い感情を体験したいという欲求があることを指摘している。産業遺産巡りとダークツーリズムのあいだに明確な境界線はない。しかも、廃墟の写真がしばしば黒澤明の映画のワンシーンのように美しく仕上げられていること自体が、245人の死者や公害病の被害者たち、そして軍艦島で命を落とした動員労働者たちの記憶を、審美的な背景画像へと薄めてしまう危うさをはらんでいる。錆びた鉄骨を「絵になる」と評する感性と、そこで実際に人が死んだという事実とのあいだには、埋めがたい距離がある。廃墟を美しいと感じることそのものは咎められることではないが、その美しさが、そこにあった具体的な苦しみを覆い隠す薄皮になっていないかは、たびたび確認し直す必要がある。
錆に触れた指先が覚えているもの
ここまでをたどり直すと、この趣味を支えていた前提の多くが、思っていたより頼りないことがわかる。近代化を学ぶための教材だという言い分は、廃墟そのものへの美的渇望を隠すための後付けにすぎなかった。壊れたものへの好みは、日常の安全感覚をわざわざ裏返した上に成り立つ、かなり手の込んだ感性だった。感じている哀しみは、自分の過去を懐かしむノスタルジーではなく、まだ起きていない喪失を先取りする、時間の向きが逆転した感情に近かった。保存という営みは、崩壊を止める代わりに、廃墟からその本質である「進行中の崩壊」を奪ってしまう。そしてこの趣味の日本での広がり自体、歴史教育の延長ではなく、様式としての廃墟への嗜好から始まっていた。
それでも、次の休日にまた古い炭鉱や工場の跡地に足を運ぶだろうとは思う。ただし今度は、割れた窓を見て湧き上がる快さの正体を、少しだけ疑いながら歩くつもりでいる。その快さは、自分が何かを学んでいる証拠ではなく、崩れていくものに対して人間が持っている、説明のつきにくい引力そのものの証拠だ。錆びた手すりに触れたとき、指先に残るざらついた感触は、そこにあった暮らしの手触りではなく、ただの酸化した鉄の感触にすぎない。それをわかった上でなお触れに行くところに、この趣味の落ち着かなさと、たぶん本当の面白さの両方がある。
写真を撮るときも、これまでとは少し違うやり方を試したくなっている。無人の構図の美しさに逆らって、案内板の隅や、崩れた壁の落書きの中に、そこを通り過ぎた誰かの痕跡を意識して探してみる。完璧に無人の一枚よりも、雑然とした生活の名残が写り込んだ一枚の方が、実際には見返す価値が高いのかもしれない。整えられた廃墟の美しさより、整っていない痕跡の方に、たぶん本当に見たかったものがある。
富岡製糸場のレンガ壁を初めて見たとき覚えた、あの切実さの正体をようやく言葉にできる気がする。あれは歴史への感動ではなく、まだ結末のわからない話の途中に、たまたま自分が立ち会ってしまったことへの緊張だったのだろう。錆びた鉄は何も語らない。語っているのは、その前に立った自分の側の、崩れゆくものへの落ち着かない執着の方だ。
出典
- Macaulay, R. (1953). "Pleasure of Ruins." Weidenfeld & Nicolson.
- Rix, M. (1955). "Industrial Archaeology." The Amateur Historian, 2(8), 225–229.
- Wilson, J. Q., & Kelling, G. L. (1982). "Broken Windows: The Police and Neighborhood Safety." The Atlantic Monthly, 249(3), 29–38.
- Routledge, C., Arndt, J., Wildschut, T., Sedikides, C., Hart, C. M., Juhl, J., Vingerhoets, A. J. J. M., & Schlotz, W. (2011). "The Past Makes the Present Meaningful: Nostalgia as an Existential Resource." Journal of Personality and Social Psychology, 101(3), 638–652.
- Albrecht, G., Sartore, G-M., Connor, L., Higginbotham, N., Freeman, S., Kelly, B., Stain, H., Tonna, A., & Pollard, G. (2007). "Solastalgia: The Distress Caused by Environmental Change." Australasian Psychiatry, 15(sup1), S95–S98.
- Garrett, B. L. (2011). "Assaying History: Creating Temporal Junctions through Urban Exploration." Environment and Planning D: Society and Space, 29(6), 1048–1067.
- 飯田侑里 (2016).「日本の廃墟ブームとその時代性」『東海大学観光学研究』1号, 23–39頁.
- Leary, J. P. (2011). "Detroitism." Guernica, January 2011.
- Sarmento, J. (2019). "The Aesthetics of Ruins: Failure, Decay, Planning and Poverty." Finisterra, 53(109), 171–175.
- Lennon, J., & Foley, M. (2000). "Dark Tourism: The Attraction of Death and Disaster." Continuum.
- UNESCO World Heritage Committee (2015). "Decision 39 COM 8B.14: Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining."
