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ネクタイをスカーフにリメイクする手順の流れと、残るもの
ネクタイをスカーフにリメイクする手順の流れを、構造、アイロン、端の始末の方法ごとに、資料から整理する。そのうえで、仕立て直しで消えるものと残るものをたどる。
クローゼットの奥に、もう何年も結んでいないネクタイが何本かある。捨てるには忍びなくて、そのまま眠らせてきた。ネクタイをスカーフにリメイクする作り方は、手順だけを見れば単純らしい。難しいのはそこではない。忍びない、という感覚の中身を自分でもうまく説明できないまま、何年もそうしてきた。だが仕立て直しの手順と、物と持ち主をめぐる研究を調べているうちに、その感覚の正体が少しずつ輪郭を持ち始めた。これはただの端切れの再利用の話ではない。一枚の布が背負っていた意味が、誰の手にも渡らないまま宙に浮いている、という話だった。
捨てる、しまい込む、譲る、作り替える。選択肢を並べてみれば単純な四択に見えるが、実際にネクタイを前にすると、どれも簡単には選べない。捨てれば意味ごと消し去るようで気が引ける。しまい込めば場所を取るだけで何も解決しない。譲るにも、受け取ってくれる相手を思い浮かべるのは案外難しい。残るのは作り替えるという選択肢で、これを選ぶのは積極的な決断というより、他の三つが軒並み気まずかった結果に近いのだろう。ただ、この選択肢について調べてみると、その中に、思っていた以上にいろいろな理屈が詰まっていることに気づいた。
ネクタイをスカーフにする手順の、おおまかな流れ
「作り方」を探している人のために、先に手順の流れを置いておく。ただし、これは私が作った経験からではなく、資料から整理したものだ。スカーフにする手順については、公的な資料や、手芸の出版社による解説は見つからず、二次情報に拠るところが多い。スカーフにする場合の流れは、ネクタイの構造の資料と、細身への仕立て直しの手順をもとに、私が組み立てた。
ネクタイは、斜め45度(正バイアス)に裁った表地を縫い合わせ、中に芯地を入れて作られている。航空自衛隊の制服用ネクタイの仕様書(表地はポリエステル、裏地はアセテートの規格で、絹ではない)では、表地も裏地も芯地も正バイアスに取り、はぎ目は2か所、つまり3枚で作ると読める。市販品すべてがそうとは限らない。剣先のあたりには、かんぬき止めと呼ばれる短い補強の止め縫いが入る。背中の中心については、神戸新聞が配信記事で伝えたメーカー社長の発言に、センターステッチは1本の糸で縫われているとある。同じ社長のSNS投稿は、スリップステッチという余裕糸について、1本の糸で縫っているので切るとばらけてしまう、と説明している。
流れは、おおよそ次のとおりになる。背中の糸と、剣先まわりの止め縫いを切る。芯地を抜き出す。折り目や結び目の跡を、アイロンで整える。布を折り込んで、端を始末する。ライフハッカー・ジャパンが翻訳して紹介した、ネクタイを細身に仕立て直す手順(スカーフではない)は、縫い目をほどく、芯を引き出す、芯を切る、芯を端に入れ直す、折り返して重なりを切り落とす、内側に折ってアイロンで跡をつける、裏を縫い合わせる、という7つの工程だった。芯を戻す点が、スカーフの場合と違う。翻訳記事の紹介によれば、原文の筆者は絹、毛、ポリエステルで試し、絹がいちばんやりやすかったという。
アイロンは、まず品物のタグを見る。消費者庁によれば、令和6年8月20日以降の取扱い表示では、アイロン記号の点が3つで底面温度210℃まで、2つで160℃まで、1つで120℃までを表す。それ以前の平成28年12月からの表示は200℃、150℃、110℃で、さらに前は点ではなく「高・中・低」の表示だった(上限は210℃、160℃、120℃)。古いネクタイのタグは、そのどれかかもしれない。絹の適温を示した公的な基準は見つからなかったが、京都府織物・機械金属振興センターの報告は、序論で、絹はアイロンを160℃までの中温でかけることが推奨されるなど、一般に耐熱性の低い繊維と考えられている、と書いている。日立のアイロンの取扱説明書(CSI-J905)は、絹や化学繊維などの熱に弱いものには当て布をし、目立たない所でためしがけをするよう書く一方、安全上の注意に「革製品・絹製品などには使用しないでください」という項目もある。説明書の中でも書き方が揺れるので、どちらに従うかは、品物のタグと手元の説明書を突き合わせて決めることになる。スチームは、湯滴でやけどをするおそれがあり、「スチームなし」の記号がついた品物もある。
端の始末には、手縫いとミシンと、縫わない方法がある。紹介された仕立て直しは、針と糸で裏側を縫い合わせ、表側に縫い目が出ないよう気をつけるとしている。手縫いなら針と糸があれば始められるが、ミシンより時間がかかりそうだ。ミシンは速そうだが、バイアスに裁った布は伸び縮みするので、縫い目が波打ちやすいかもしれない。どちらも私の推測にすぎない。縫わずに熱で貼る接着シートのような方法もある。
長さは、航空自衛隊の制服用の規格で男子用が140cm、大剣の幅が8cmとされている。ネクタイ作りのキットを扱う販売店は、自店では143〜145cmを主流にしていると書いている。
資料が見つからなかったことも、まとめて書いておく。リッパーや針の扱いに関する公的な注意喚起、絹の適温の公的な基準、接着シートが絹に使えるか、ほどいたあとの布の幅とスカーフとしての巻き方。いずれも、確かな記述や数字に行き当たらなかった。
手順の流れを追うと、これくらいの手間らしい。冒頭で「難しいのはそこではない」と書いたとおり、手順は入口にすぎない。この先は、その手前で手が止まる理由を見ていく。
一本のネクタイが背負っていたもの
ネクタイの起源を遡ると、17世紀の三十年戦争にたどり着く。フランス軍に雇われたクロアチア人傭兵たちが首元に巻いていた布飾りに、当時のフランス王ルイ14世が目を留めたことから流行が始まったという説が広く紹介されている。「クラヴァット」という語自体、フランス語で「クロアチア人」を指す言葉に由来するとされる。もっとも、この起源譚は何度も語り直されるうちに輪郭が整えられた側面もあるだろうから、事実そのものというより、ヨーロッパで広く共有されてきた由来の物語として受け取っておくのが誠実だろう。
いずれにせよ、ネクタイは早い段階から社会的地位や近代性を示す記号として機能していた。着ける理由は防寒でも装飾でもなく、自分がどの階層に属しているか、あるいは属したいかを他人に読み取らせるためだった。今日の「格上のポストにふさわしい服装をしておく」という処世術めいた感覚は、実は数世紀前からある発想の焼き直しにすぎない。1920年代にニューヨークのテーラー、ジェシー・ラングスドルフが生地を斜めに裁つ製法を確立し、結んでも型崩れしにくいネクタイが量産できるようになったことで、この記号は大量生産品として一気に広く行き渡った。つまりネクタイは、最初から個人の趣味の表明として生まれたわけではなく、集団への帰属証明として設計された布だった、ということになる。個人の好みを語るための道具として選ばれたのではなく、逆に、個人の好みを引っ込めて集団の記号に従うための道具として選ばれた。ここがまず、後の話につながる出発点になる。
もう一つ付け加えておきたいのは、ネクタイが自分で選んで買う物であると同時に、頻繁に贈られる物でもあるという事実だ。父の日の贈り物、就職祝い、退職の記念品。この国では、ネクタイは長らく「本人の趣味を聞かずに贈れる無難な品」の代表格として扱われてきた。皮肉なのは、地位の記号としての性格が強いはずのこの品が、贈る側の趣味判断をあえて避けるための道具としても選ばれてきた、という点だ。自分の好みを表明する記号でありながら、他人が選ぶときにはむしろ好みを問わない無難さの記号になる。この二重性が、後で触れる「捨てられなさ」の一因にもなっている。贈られた物には、贈り主の意図という別の履歴が重なっているからだ。
記章が外れていく音
その記章としての役割が緩み始めたのは、そう昔のことではない。ただし、この後退の起源についてはよくある勘違いがあるので、順を追って正しておきたい。話の出発点は1990年代の不況ではなく、それよりずっと早い1960年代のハワイにある。リーバイスの社史記事によれば、地元の服飾業界団体が、アロハシャツなどの売上を伸ばす策として、1966年に「アロハ・フライデー」を打ち出した。これが州内の職場に広まり、金曜日はアロハシャツで出勤するという地域限定の習慣として根を張った。この段階では、コスト削減とも不況対策とも無関係な、純粋に地元産業のためのマーケティング施策だったという点は押さえておく必要がある。話がねじれるのは、それから四半世紀ほどたった1990年代初頭のことだ。今度は本土の企業が、費用をかけずに従業員の士気を上げる手立てとして、ハワイ生まれのこの習慣を金曜日限定で借用し始めた。これが「カジュアルフライデー」という呼び名を得て広まったのだが、当初は何を着てよいのか分からず困る人が多かった。アロハシャツにビーチサンダルという組み合わせに、人事部門が頭を悩ませたと伝えられている。基準が失われた場所には、必ず誰かがその基準を新しく売りに来る。そこに商機を見出したのがリーバイスだった。同社は1992年、「カジュアルビジネスウェアの手引き」と題した小冊子を作成し、全米の約2万5000人の人事担当者に配布した。実質的には自社のドッカーズブランドの宣伝だったが、この一冊は、何を着ればよいか迷う人事担当者に、「オフィスにふさわしいカジュアル」の目安を示す役目を担った。リーバイスの社史記事は、社員に私服を認める会社が1992年の約3分の2から1995年には10社に9社へ増えたという、エヴァンス・リサーチの調査を紹介している。ネクタイという記章の後退は、価値観が自然に成熟していった結果というより、発祥地では地域産業の宣伝文句だったものが、遠く離れた本土で従業員の士気を上げる策として横取りされ、さらに一枚の販促用パンフレットに基準を委ねられるという、何重にも屈折した経路をたどっていた。装いの権威というものがどれほど脆い土台の上に立っていたかが、この経路の曲がりくねり方からも透けて見える。
ネクタイがかつてどれほど売れていたかは、数字からも想像がつく。1991年のクリスチャン・サイエンス・モニター紙は、業界団体の推計として、アメリカでは年に約1億本、10億ドルを超えるネクタイが売れていると伝えていた。1992年の業界団体の資料を出典とする二次情報には、年間9500万本、14億ドルという数字もある。資料によって数字は揺れるが、桁は変わらない。いまの後退を同じ物差しで示せる数字は、私は見つけられなかった。後退を単に「ネクタイが時代遅れになった」という一言で片づけるのは簡単だが、それでは記号としての強度がどう失われていったかという過程を見落とすことになる。記号は一夜にして無効になるのではなく、着用を義務づけていた場が一つずつ消えていくことで、じわじわと効力を失っていく。ネクタイを結ぶ理由がまず消え、次に結ぶ習慣が消え、最後にネクタイという物自体が持ち主の生活の中で行き場を失う。順番はいつもこうだ。物が先に消えるのではなく、物を必要とする場が先に消える。
記章はただの飾りではなかった、という反転
ここで一つ、見落としがちな事実を挟んでおきたい。ネクタイの後退を、単なる価値観の緩みとして語ると、実はもう一つの側面を見逃す。日本では2005年、当時の小泉内閣のもとで環境省が「クールビズ」を提唱し、夏場のノーネクタイ・ノージャケットを推奨する運動が始まった。冷房時の室温を28度にする代わりに、着るものを軽くして体感温度を調整する、というのが基本の発想だった。28度という数字は、当時の法令が事務所の室温の基準として定めていた範囲(17度以上28度以下)の上限に由来するとされる。そのうえで、財団法人省エネルギーセンターが首都大学東京大学院の研究室に委託して2005年に行った実験では、室温28度で半袖シャツにズボンだけの軽装をした場合と、室温26度でネクタイと上着まで着込んだスーツ姿でいる場合とで、体が感じる暑さがほぼ同じになったと紹介されている。この紹介のとおりなら、ネクタイと上着を着けているだけで、体感としてはおよそ2度分、余計に暑くなっていたことになる。
これは象徴の話のようでいて、実は身体の話でもある。ネクタイが「きちんとして見える」ために人に強いていたのは、視覚的な緊張感だけではなく、汗をかくという物理的な負担でもあった。記章としての意味を保つために、人は実際に体温という代償を払っていたわけだ。冷房を強めて涼しさを演出する代わりに、ネクタイを外して涼しくする、という方向転換が国の主導で行われたという事実は、一枚の布が持っていた社会的な重みが、いかに具体的な身体感覚と結びついていたかを逆説的に示している。記号が緩むという出来事は、心の中だけで起きるのではなく、汗腺のレベルでも起きていたのである。
それでも捨てられない、という反応
記号としての効力を失った物が、ではただのゴミになるかというと、そうはならない。消費者研究者ラッセル・ベルクは1988年の論文「所有物と拡張された自己」で、人は自分の持ち物を通じて自己を外側に拡張していると論じた。持ち物は単なる道具ではなく、自己の一部として認識される、という主張である。ネクタイをもう結ばなくなっても捨てられないのは、それが単なる布ではなく、かつての職業人としての自分、あるいはそれを贈ってくれた誰かとの関係を含んだ「拡張された自己」の断片だからだ、と考えると腑に落ちる部分がある。
この感覚をさらに極端な形で示す実験がある。心理学者ジョージ・ニューマン、ギル・ディーゼンドラック、ポール・ブルームが2011年に発表した研究では、好きな著名人のセーターを買いたいかを、想像の場面で答えてもらった。その人が実際によく着ていたと聞けば買いたい気持ちは強まり、一度も袖を通していないと聞けば弱まった。接触の痕跡を滅菌で取り除いたと伝えた追試でも、同じ傾向が出ている。参加者が嫌いな著名人では向きが逆になり、接触が減ったほうが買いたい気持ちは上がる。対象の「本質」のようなものが接触を通じて物に移り、洗浄によってそれが失われると人々が無意識に感じている、という説明である。笑い話として片づけるにはもったいない発見だ。誰かの物だったという事実から、人は、洗えば落ちてしまうと感じられる何かを読み取っている。父から譲られたネクタイ、あるいは特別な日に贈られたネクタイを、着なくなった後もクリーニングにすら出さずしまい込んでしまう感覚は、この「本質が失われることへの抵抗」とそう遠くない場所にあるのだろう。
セーターに宿るのが「洗えば落ちてしまう何か」だとするなら、その何かの正体は物質ではなく、物と人との接触の記録そのものなのだろう。皮膚に触れた、汗が染みた、長い時間そばにあった、という履歴の集積を、人は「本質」という言葉で丸めて理解しているにすぎない。同じ研究チームのうち、ニューマンとブルームは翌年、対象を美術作品にも広げている。原作が複製される場面を想像してもらった五つの実験から、人がオリジナルの絵画に高い価値を見出すのは、それが一回きりの創作行為の産物だと見なされることと、作者が実際に手を触れたという接触の痕跡と、その二つによる、という結論が出ている。さらに遡って心理学者ブルース・フッドとポール・ブルームが2008年に行った実験では、三歳から六歳の子どもたちに、ぬいぐるみや毛布などの愛着のある物を「コピー機」で複製できると見せた。愛着のある物を持ってきた子ども22人のうち4人は、複製させること自体を拒み、残る18人でも複製を選んだのは5人だけだった。愛着のないおもちゃを持ってきた子ども21人では、6割ほどが複製を選んでいる。これらの研究に共通しているのは、人が物の価値を、見た目や機能ではなく「それがどんな経緯を経てきたか」という履歴によって判断している、という点だ。ネクタイもまた、生地としての性能だけを見れば量産品にすぎないが、誰の首に何年結ばれてきたかという履歴を含めて評価すれば、まったく別の物になる。
保存することと、手放すことの間
ただし、この「持ち物に本質を見る」性質を無条件に肯定していいわけではない。精神科医ヴァミック・ヴォルカンは、死別を経験した人が故人の遺品を「つなぎの物」として保持し続ける現象を臨床的に記述した。もともとは複雑性悲嘆、つまり喪の作業がうまく進まない状態の文脈で論じられた概念であり、物への執着それ自体が回復を妨げる場合があることを示唆している。一方で、子どもを亡くした親49人を調べたイネセ・ウィーラーの記述的な研究では、過半数が故人とつながる物を持っていたが、それが喪の妨げになっている様子は見られず、親たちはその物を大切なつながりとして語っていた。つまり「持ち続けること」は救いにも足枷にもなりうる、という両義的な結論しか出ていないわけだ。ここで安易にどちらか一方の立場に肩入れするのは、エビデンスに対して不誠実だろう。物を持ち続けることそのものに善悪の判定を下せるほど、この分野の研究はまだ単純な結論に到達していない。持ち続け方、あるいは持ち続けている間に自分がその物とどう向き合っているかのほうが、たぶん物を持っているという事実そのものより重要なのだ。
消費者研究者リサ・プライス、エリック・アーノルド、キャロリン・クラシによる高齢消費者を対象にした2000年の研究は、この両義性にもう一つの角度を加える。彼らは高齢の消費者80人への聞き取りから、思い出の品の処分には強く揺れ動く感情が伴い、多くの人が、誰に・いつ渡すかを自分で選び、品物に「よい居場所」を見つけようとしていたことを描いた。ただ棚にしまっておくことは、意味を守っているようでいて、実はその意味を宙吊りにしたまま更新を止めてしまう行為でもあるのかもしれない。これは研究の結論ではなく、私の読みだ。クローゼットの奥で何年も眠っているネクタイは、まさにこの宙吊り状態にある。捨てるには忍びないが、結ぶ機会も戻ってこない。持ち続けることが正解だと思い込みがちだが、それ自体がすでに一つの停滞なのかもしれない。
仕立て直すという儀式
この停滞から抜け出す方法として示唆的なのが、消費者研究者グラント・マクラッケンが1986年に整理した「儀礼」の枠組みである。マクラッケンは、物から人へ、あるいは人から物へと文化的な意味が移動する際に、人は交換・所有・手入れ・そして「離脱」という四種類の儀礼を経由すると論じた。離脱の儀礼とは、ある物に染みついた意味を意図的に剥ぎ取り、次の持ち主や次の役割に引き渡せる状態にする手続きを指す。形見のネクタイを「仕立て直す」という手作業は、この離脱の儀礼を物理的な工程として体現している、と考えると腑に落ちる。あくまで連想だが、プライスたちの研究が描いていた、次の担い手を自分で選びたいという関心を、他人に譲る代わりに、物そのものの形を変えることで自分の手の中で完結させる、というやり方だとも言える。
手順の流れは、最初の節に書いた。糸を切り、芯地を抜き、折り直して端を留める。どの工程も、物から前の役割を剥がして、次の役割を与える手続きとして読める。
それは同じ物なのか、それとも別の物なのか
仕立て直しの途中で浮かびそうな疑問がある。これは本当に「あのネクタイ」の続きなのか、それとも見た目だけそれらしい別物を作っているだけなのか。フッドとブルームの実験が示していたのは、人が物の同一性を、材質や見た目ではなく由来の連続性によって判断しているということだ。姿形がどれだけ変わろうと、糸をほどいて縫い直したという物理的な連続性さえ保たれていれば、それは複製ではなく同じ布の続きだと感じられる。逆に言えば、もし同じデザインのスカーフを新品の生地で一から作ったとしたら、それは見た目が同一でも、まったく別の物として受け取られるだろう。仕立て直しという行為の価値は、効率や節約にあるのではなく、この「由来の連続性を保ったまま形を変えられる」という一点にあるのかもしれない。買い直しでは代替できない部分がここにある。
とはいえ、この連続性の感覚を過大評価するのも危うい。由来への信仰が強すぎれば、それは単なる物神崇拝と紙一重になる。布そのものに魔法のような力が宿っているわけではなく、宿っているように感じてしまう心の働きがあるだけだ、という一歩引いた見方も同時に持っておきたい。仕立て直しに意味があるとすれば、それは布に宿る本質を信じ込むことそのものではなく、その信じ込みを自覚しながら、それでも手を動かして形を変えるという、いくぶん醒めた実践のほうにある。贈られた物であればなおさらだ。贈り主の意図まで丸ごと保存しようとすれば、それはいずれ重すぎる荷物になる。かといって由来ごと手放してしまえば、最初から何もなかったことになる。仕立て直しは、その中間に落としどころを見つけるための、地味で具体的な作業なのだろう。
役割は変わっても、由来は消えない
スカーフに仕立て直したあとも、それが元々ネクタイだったという由来は、意識のどこかに残り続けるのではないか。だからこそ、仕立て直しは意味の消去ではなく、意味の役割変更として理解したほうが正確だろう。かつて「どの階層に属するか」を他人に示すための記号だった布が、仕立て直しを経て「誰との関係を携えているか」を自分自身に示すための布に変わる。読み手が他人から自分自身へと入れ替わる、という変化だ。地位を示す記号としての役目は、もう期待されない。その代わり、かつての持ち主の記憶と今の自分の暮らしが縫い合わされた物として、手元に置いておく対象になる。布そのものは変わっていないのに、それを見る自分の側の意味づけだけが入れ替わる、というのはよく考えると奇妙な現象だ。同じ繊維、同じ織り、同じ光沢でありながら、かつては他人に読ませるための記号だったものが、自分だけが読める私信に変わる。物の側には何の変化もないのに、その物に投げかける問いだけが「これは自分をどう見せるか」から「これは誰との記憶をつないでいるか」へと丸ごと入れ替わる。変わるのは、仕立て直した布に対して自分が何を期待するか、という一点だけである。
記号のコードごと外れる
もう一つ、仕立て直しが静かに壊しているコードがある。ネクタイは長らく男性の正装を構成する部品として扱われてきた。首元に何を巻くかという選択肢そのものが、性別によってあらかじめ振り分けられていたわけだ。スカーフという品目は、同じ「首に巻く布」でありながら、慣習的には女性の装いや、休日のカジュアルな装いに割り当てられてきた。ネクタイをスカーフに仕立て直すという工程は、だから単に用途を変えているだけでなく、その布がどちらの性別のコードに属するかという振り分け自体をまたいでいる。地位の記号だった布が、誰でも使える私的な布になる過程には、階層のコードだけでなく性別のコードも同時に外れていく、という側面がある。
この点を大げさな主張に育てるつもりはない。一本のネクタイを縫い直したところで、社会に根付いた装いの性別分業が揺らぐわけではない。ただ、仮にそうしたとして、その一枚の布に限って言えば、それが誰のために、何を示すために存在するのかという条件が、仕立て直しの前後でそっくり入れ替わる。この小さな入れ替わりを面白がる程度の距離感が、たぶんちょうどいい。
忍びなさの正体
一本のネクタイを解いて、また別の形に縫い直す。この手順を単なる節約や手芸の技巧として片づけてしまうと、そこで起きている出来事の半分しか見えていないことになる。物が担っていた意味は、着用の機会が失われた瞬間に消滅するわけではないし、かといって永遠にそのままの形で保存されるべきものでもない。手を動かして形を変えるという工程そのものが、古い意味に区切りをつけ、新しい役割を布に与え直す、地味な儀式になりうる。忍びない、と感じていた正体は、たぶんこれなのだろう。捨てることは意味の廃棄であり、しまい込み続けることは意味の凍結であり、そのどちらでもない選択肢が、手を動かして布と向き合うことの中にあるのかもしれない。
仕立て直したスカーフを首に巻いても、誰もそれが元ネクタイだったとは気づかないだろう。気づかれる必要もない。かつて記章として機能していた頃は、他人に読み取らせることこそがこの布の仕事だった。仕立て直したあとは違うはずだ。読み取るのは自分だけでよく、読み取られる相手は他人ではなく、布を渡した過去の誰かと、それを仕立て直した自分の二人だけでいい。読み手が減ることを寂しいと感じる必要はない。むしろ、読み手を絞り込めば、この布はようやく誰かに読まれる緊張から解放される、とも言える。地位を示す記号から、私的な記憶の保管場所へ。役割は静かに移り変わるだけで、消えてなくなるわけではない。
出典
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- Newman, G. E., Diesendruck, G., & Bloom, P. (2011). Celebrity Contagion and the Value of Objects. Journal of Consumer Research, 38(2), 215-228.
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- Levi Strauss & Co. (2014). "Dockers® And The Birth of Casual Fridays" 社史記事より、1992年の「カジュアルビジネスウェアの手引き」配布に関する記述と、私服勤務の広がりを示すエヴァンス・リサーチの調査の紹介、アロハ・フライデーを1966年とする記述。
- 環境省「クールビズ」に関する報道発表資料、および財団法人省エネルギーセンターが首都大学東京大学院研究室に委託して2005年に実施した室温・着衣量に関する実験結果の紹介記事(ウェザーニュース「『クールビズ』導入20年、上着・ネクタイなしで体感温度はどれぐらい違う?」等)。
- Gentleman's Gazette「History & Evolution Of Ties, Scarves & Neckwear」ほか、ネクタイの起源とバイアス裁断の製法史に関する記事。
- Christian Science Monitor(1991年)のネクタイ市場に関する記事(業界団体の推計を伝えるもの。二次情報)
- MadeHow.com「Necktie」(1992年の業界団体の資料などを出典とする二次情報)
- 政府広報オンライン(2011年)のクールビズに関する解説(室温の基準について。一次の条文は未確認)
- 航空自衛隊 仕様書 C&LPS-D84486-6「ネクタイ改」(令和7年3月改正)(制服用ネクタイの規格)
- 神戸新聞 (2021年8月24日) 「「絶対に切っちゃダメ」 ネクタイの裏から出ている“糸”の重要性を説く投稿が話題に」(まいどなニュース特約の配信記事。メーカー社長のインタビューと投稿の引用)
- 消費者庁「新しい洗濯表示」ほか(アイロン記号の温度。令和6年8月20日以降の表示と、それ以前の新旧の表示)
- 日立 アイロン CSI-J905 取扱説明書(製品の説明書であって、一般的な基準ではない)
- 浜岡容子、松田克哉、片山直浩、中居千和「絹の耐熱性に関する研究」(平成26年度 京都府織物・機械金属振興センター 研究報告。序論の一般論の記述として引用)
- ライフハッカー・ジャパン (2010) 「使い古しのネクタイを自分で仕立て直すというファッションリメイク術」(米国の記事の翻訳。細身のネクタイへの仕立て直しで、二次情報)
- タイ工房「ネクタイサイズについて」(ネクタイ作りのキットを扱う販売店の解説。二次情報)
