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日記が続かない、について

日記が続かない、について

日記が続かない理由の多くは、根性や几帳面さの問題ではなく、書き方に勝手な正解を課していることにある。完璧主義を手放し、書かない日も含めて続ける方法を考えてみる。

TOMOAKI··趣味

「今日こそは」と意気込んで買った真っさらなノートが、気づけば数日分空白のまま引き出しの奥に入っている。この経験がある人は、たぶん少なくない。根性がないからでも、マメでないからでもなく、単に「日記という行為はこうあるべきだ」という基準を、自分で勝手に高く設定しているだけのことが多い気がする。

「正解の書き方」を探してしまう

子どもの頃から読書感想文や作文で「他人に読まれる文章」の書き方を訓練されてきたせいか、自分しか読まない日記にまで、起承転結が整っているか、有益な気づきがあるか、といった検閲をかけてしまうことがある。でも日記の面白さは、たぶんそういう体裁の外側、誰にも見せない不格好な独り言のほうにある。

一度でも空白のページを作ると失敗した気になる完璧主義も、続かない理由の一つだと思う。長く書いていれば、何も書きたくない日や書けなかった日があるのは自然なことで、空白のページはただ「今は言葉にする必要がなかった」という記録として扱えばいい。

書くことは記録というより、排出に近い

一日の出来事をまとめる作業として日記を捉えると、少し義務感が強くなる。むしろ、頭の中に浮かんでは処理されずに漂っている不安やもやもやを、外に出しておく作業だと考えたほうが気が楽になる。書き出してみると、頭の中で渦を巻いていたときより、少し距離を置いて眺められることが多い。

一ヶ月前の自分が何に悩んでいたかを読み返すのも、地味に効く。当時は大変だと思っていたことを、今の自分がもう乗り越えていると気づく瞬間がある。

書かない日も含めてルールにする

継続の鍵は意志の強さより、挫折を織り込んだ仕組みのほうにある気がする。「毎日ちゃんと書く」の一本ルールをやめて、体調や気分に応じて書き方の水準を変えていい、とあらかじめ決めておく。疲れ切っている日は日付に丸をつけるだけ、時間のない日は箇条書き、余裕がある日だけ内省を書く。「今日は丸をつけただけ」でも達成したことにする、という緩さが、糸を切らせない。

愚痴や嫉妬のようなネガティブな感情も、無理にポジティブに変換せず、そのまま吐き出す場所として使っていいと思う。紙に書きつけた瞬間、少なくとも頭の中を占領していた分だけは外に出る。

道具は紙かアプリか

どちらが優れているという話ではなく、自分がどんな状態になりたいかで選べばいい。iPhoneのメモやNotionのようなデジタルツールは、速さと検索性が強みで、思いついたことを忘れる前に排出したい人に向いている。紙とペンは、書く速度そのものが落ちる分、一文字ずつ自分と向き合う時間になる。日中の気づきはスマホに、週末の夜はノートに、と使い分けている人もいる。どちらか一方に決めなくてもいいはずだ。

習慣に紐づける

「時間が空いたら書く」という発想では、たいてい時間は空かない。心理学でいう if-then プランニング——すでにある習慣に新しい行動をくっつける方法——を借りて、朝のコーヒーを一口飲んだら一行だけ書く、寝る前に布団に入ったら感謝したことを一つだけ思い出す、というふうに、既存の生活動線に組み込んでいる人が多いようだ。最初から一行だけでいいと決めてしまうと、続けるハードルはかなり下がる。「今日の夕食は少し焦げたが、肉汁は多かった」くらいの中身のなさで十分だと思う。

空白のページも記録の一部

一週間ぶりにノートを開いたとき、「またダメだった」と閉じてしまうか、その空白の理由を一行書いてみるかで、後から読み返したときの意味が変わる。「この一週間は自分を顧みる余裕がまったくなかった」という一言は、几帳面に書かれた記録より、当時の状況を雄弁に語ることがある。習慣というのは一度も途切れさせないことではなく、途切れても戻ってこられることのほうを指すのだと思う。

おわりに

日記を書き続けることの効用は、文章がうまくなることでも、過去を忘れないことでもなく、自分の声に自分で耳を傾けているという実感がじわじわ積み重なることにあるのだと思う。今日書けなかったからといって、それ自体は特に何も意味しない。また明日、あるいは来週、開けばいいだけの話だ。