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日記が三日で終わるのは完璧主義のせい、という通説を2007年のメタ分析は否定している
日記が三日で終わる原因を「完璧主義だから」で片づける自己診断は、たいてい何かを言い当てた気にさせてくれる。だが完璧主義は一枚岩の性格特性ではなく、その中身によって先延ばしを強めもすれば弱めもする。多次元的完璧主義の研究をたどると、犯人捜しの単純さがまず崩れていく。
新しいノートの1ページ目を開くとき、無地の白さに少し身構える。今日からはちゃんと書こう、そう決めた数日後にはたいてい何も書けなくなっている。この経験を人に話すと、大抵は「完璧主義だからだよ」という診断が返ってくる。自分でもそう思っていた時期がある。高すぎる基準を自分に課し、それを満たせないくらいなら何もしない方がましだと考える性分だから、日記も続かないのだと。
この説明は座りがいい。座りがよすぎることが、むしろ引っかかる。完璧主義という言葉は、几帳面な人から自己嫌悪の強い人まで、性質の違う人々をひとまとめに指すのに使われる便利な袋のようなものだ。しかも自己診断としての完璧主義は、たいてい免罪符も兼ねている。「自分は完璧主義だから」と言ってしまえば、それ以上原因を掘り下げなくて済む。日記が続かない理由をこの一語に押し込めてしまう前に、完璧主義そのものの中身を疑ってみる価値はありそうだ。
完璧主義は一つではない
心理学が完璧主義を単一の性格特性として扱っていた時代は、実はそう長くない。1991年、心理学者ヒューイットとフレットが発表した多次元的完璧主義尺度は、完璧主義を三つの異なる方向性に分けて測る枠組みを提示した。自分自身に非現実的な基準を課し、その基準で自分を厳しく採点する「自己志向的完璧主義」。他人に完璧さを要求し、他人の失敗を許さない「他者志向的完璧主義」。そして、自分を取り巻く社会や他者が自分に完璧さを求めていると感じ取る「社会規定的完璧主義」である。三つは互いに独立した尺度で測られ、相関はするものの同じものではない。
日記という孤独な作業に主に関わってくるのは、この中の自己志向的完璧主義だろう。誰かに読ませるわけでもないのに、自分で自分に「毎日書くべきだ」「意味のあることを書くべきだ」という規則を課してしまう。ただし話はそれだけでは終わらない。ヒューイットとフレットの研究が示してきたのは、自己志向的完璧主義は達成に向かう動機づけとしては機能しつつも、失敗した際の心理的な打撃を大きくし、自分の業績から持続的な満足感を引き出しにくくするという、両義的な性質を持つということだ。高い基準を持つこと自体が悪いのではない。その基準との付き合い方に、後になって効いてくる差がある。
残る二つの次元にも軽く触れておく価値はある。他者志向的完璧主義は、周囲の人間に非現実的な水準を求め、その未達を厳しく咎める傾向で、日記そのものとは縁が薄いが、後年の研究では他人からの称賛を過剰に求める自己愛的な傾向と強く結びつくことが報告されている。社会規定的完璧主義は、他者や社会全体が自分に完璧さを求めていると感じ取る傾向で、三つの中では最も心理的な消耗が大きいとされ、抑うつ症状や希死念慮との関連が繰り返し確認されてきた。日記の場合、この社会規定的な感覚は「立派な記録を残すべきだ」という漠然とした規範として顔を出すことが多い。誰も強制していないのに、まるで見えない基準が外から課されているように感じてしまう。三つの次元は独立に測られるが、現実の一人の書き手の中では、これらが複雑に絡み合いながら同時に働いている。
「完璧主義だから先延ばしにする」というのは本当か
完璧主義と結びつけて語られがちな現象に先延ばしがある。基準が高すぎるから始められない、始めても途中でやめてしまう、という筋書きは、日記についてもよく聞く説明だ。ところがこの筋書きは、一度きちんと検証にかけられて、あっさり崩れたことがある。
2007年、心理学者スティールが先延ばしに関する既存研究を網羅的に統合したメタ分析を発表した。そこで完璧主義と先延ばしの相関を調べた結果は、有意な関連が見られないというものだった。「完璧主義者は先延ばしをする」という広く流布した通念に対して、根拠は薄いと言い切ったに等しい。この結果は当時、完璧主義神話と呼ばれるほどの反響を呼んだ。長年信じられてきた原因と結果の組み合わせが、大規模な統合の前では姿を消したことになる。
ただし、この結論をそのまま鵜呑みにするのも早計だった。スティールの分析が扱った「完璧主義」は、複数の下位次元を一つの変数にまとめた、単一次元的な測り方によるものだったからだ。ヒューイットとフレットが切り分けた三つの方向性や、後述する別の分類の違いを一律に均してしまえば、互いに逆方向に働く効果が相殺されて、見かけ上「関係なし」という結果が出てもおかしくない。統計の魔法というより、測り方の粗さがもたらした見かけの無関係だった可能性がある。
効いているのは基準の高さではなく、基準にまつわる不安の方
この疑問に応えるように、完璧主義研究にはもう一つの分類軸が育っていった。心理学者シュトーバーとオットーが2006年に整理した枠組みでは、完璧主義は「完璧主義的努力」と「完璧主義的懸念」という二つの上位次元に大別される。前者は高い基準を掲げてそこに向かって努力すること自体を指し、後者はミスへの恐れ、行動への疑い、期待と実際の隔たりに対する苦しさといった、基準にまつわる不安や動揺の側面を指す。両者はしばしば正反対の結果と結びつく。努力の側面は達成感や生活満足度といった適応的な指標と結びつきやすく、懸念の側面はほぼ一貫して不適応の指標と結びつく。
2017年、心理学者シロワ、モルナー、ハーシュがこの区分を踏まえて先延ばしとの関連を改めてメタ分析した結果は、先の「関係なし」という結論をひっくり返すものだった。完璧主義的懸念は先延ばしと中程度の正の相関(r=.23)を示した一方、完璧主義的努力は先延ばしと中程度の負の相関(r=-.22)を示している。つまり高い基準を掲げて努力すること自体は、先延ばしを減らす方向に働く。先延ばしを増やすのは、基準の高さではなく、その基準を満たせなかったときの恐怖や、行動した後もそれで良かったのかと疑い続ける癖の方だった。日記が続かない理由を「基準が高いから」で片づけるのは、この意味でも的を外している。3日サボった夜にノートを開けなくなるのは、基準が高すぎるからというより、サボった事実にどう反応するかという、また別の回路の問題らしい。
この区分に対応する形で、心理学者フロストが1990年に発表した別の多次元的完璧主義尺度には、「ミスへの過度の懸念」と「行動への疑い」という下位尺度がある。前者は失敗を致命的な評価の対象として捉える傾向、後者は物事をやり終えてもなお、それで十分だったのか確信が持てない傾向を指す。日記を3日休んだあとにペンを執れなくなる感覚は、この二つの尺度が測ろうとしている心の動きにかなり近い。休んだこと自体より、休んだことの意味づけに追われて動けなくなる。
フロストの尺度にはこのほかに「個人的な基準」という、シュトーバーとオットーの言う努力の側面に近い下位尺度も含まれている。同じ多次元的完璧主義尺度の中に、適応的に働く下位尺度と、不適応的に働く下位尺度が同居しているという構造は、完璧主義という言葉を一つの数値に集約して語ることの危うさを、改めて浮き彫りにする。ある人の完璧主義得点が高いと聞いても、それが個人的な基準の高さによるものなのか、ミスへの懸念や行動への疑いの強さによるものなのかで、その人が日記を続けやすいか続けにくいかはむしろ逆向きに予想されることになる。
0か100かという判定装置
基準を満たせなかった経験を、致命的な失敗として処理してしまう思考の癖には、もっと以前から名前が付いている。1963年、精神科医ベックがうつ病患者の思考パターンを分析した論文で提示した認知的歪みの一覧に、物事を両極端のどちらかに分類し、中間を認めない「全か無か思考」が含まれている。1日書けなかっただけで、それまでの積み重ねすべてが無意味になったように感じるのは、この歪みの典型例だ。日記に限らず、うつや不安の臨床でくり返し観察されてきた、かなり一般的な思考パターンである。
この傾向を測る尺度として、2009年に心理学者大石が開発した二分法的思考尺度がある。因子分析の結果、この尺度は「二分法への選好」「二分法的な信念」「損得的思考」という三つの側面から成ることが分かっている。単に物事を両極端で捉えやすいという傾向だけでなく、白黒つけることを好ましいと感じる態度や、うまくいかなかった経験を損失として勘定してしまう発想までもが、一つの構えとして絡み合っている。この尺度は抑うつや自己愛傾向、境界性パーソナリティの特徴と正の相関を示すことが報告されており、全か無か思考は単なる口癖ではなく、もう少し根の深いものの見方に属するらしい。
興味深いのは、この思考パターンが完璧主義そのものとは独立した、もう少し一般的な認知のクセとして扱われている点だ。基準が高いかどうかとは別に、達成をどう採点するかという回路の設定として、全か無か思考は存在する。基準の高い人がこの回路まで併せ持つと、わずかな未達成が即座に総崩れとして処理される。日記が三日で止まるのは、基準の高さと、その基準の判定方法という、本来別々の二つの歯車がたまたま同時に噛み合ってしまった結果に近いのかもしれない。
大石の尺度に含まれる「損得的思考」という側面は、日記との関係でとりわけ示唆的だ。これは物事の結果を、良かったか悪かったかという二値ではなく、得をしたか損をしたかという勘定として捉える傾向を指す。書いた3日分を「積み立てた資産」のように捉えていると、4日目の空白は資産の目減りとして経験される。だが3日分の記述は、書かれた時点ですでにその日を過ごした本人の役に立っており、後から積み立てが途切れたところで、過去に遡って無価値になるわけではない。損得の勘定として日記を捉える発想そのものが、継続を評価の対象に変えてしまう最初の一歩なのかもしれない。
「べき」という言葉遣いそのものが症状である
全か無か思考が判定の仕方の歪みだとすれば、その判定の土台になる規則の立て方にも、別の角度から光を当てた理論がある。1962年、心理学者エリスが提唱した論理情動行動療法は、「〜すべきだ」「〜でなければならない」という硬直した命令形の思考を、不合理な信念の中核に据えた。単なる願望であれば「そうであってほしい」で済むところを、絶対的な義務として自分に課してしまう転換そのものが、苦しみの発生源だという考え方だ。
この枠組みと完璧主義の関係を直接調べた研究もある。1991年、心理学者フレット、ヒューイット、ブランクステイン、コレディンが、ヒューイットとフレットの多次元的完璧主義尺度とエリスの不合理な信念を測る尺度を同じ被験者に実施したところ、自己志向的完璧主義は「自分に高い期待を課すべきだ」「完璧な解決策が存在するはずだ」といった信念と結びつき、社会規定的完璧主義に至っては、社会的承認への渇望や、他者への依存、非難への傾きや慢性的な懸念といった、より広範な不合理な信念のかたまりと結びついていた。「日記は毎日書くべきだ」という一文は、一見すると単なる習慣目標のようでいて、すでにこの転換を済ませている。書けなかった日に生じる自己嫌悪は、書かなかったという事実そのものより、絶対的な義務を破ったという解釈から生まれる。基準の高さそのものより、その基準を絶対化する言葉遣いの癖の方が、書くという行為の手前で先に効いているのかもしれない。
誰も読まないノートにも観客がいる
完璧主義には、もう一つ見落とされがちな側面がある。基準の中身ではなく、その基準を満たしていないことを、どう扱うかという振る舞いの様式だ。2003年、ヒューイットとフレットが同僚らと発表した研究は、完璧主義的自己呈示という概念を提示している。自分の完璧さを積極的に見せびらかす「完璧の誇示」、不完全な振る舞いを人前で見せまいとする「不完全さの非開示」、そして自分の欠点を言葉にして人に伝えまいとする「不完全さの秘匿」の三つから成る。この研究が強調しているのは、完璧主義者は基準が高いだけでなく、その基準を満たしていない自分をどう見せるか、あるいは見せないかについても、独自の様式を持っているという点だ。
日記は誰にも見せない前提で書かれることが多い。だとすれば、この自己呈示の様式は関係ないはずだと考えたくなる。だが不完全さの秘匿という振る舞いは、他人向けの舞台装置としてだけでなく、自分自身に向けても働きうる。3日分の空白のページを見て、それを取り繕うように「本当は忙しかっただけだ」と書き添えたくなる衝動、あるいは空白のページごと破って捨てたくなる衝動は、誰に見せるためでもない。それでも、不完全な記録を不完全なまま置いておくことへの抵抗感という点では、この自己呈示のパターンと同じ形をしている。観客が実在しなくても、自分を評価する視線という役柄だけは、書き手のどこかに居座り続けているらしい。
ヒューイットらの研究がもう一つ示しているのは、この自己呈示の様式が、完璧主義の三つの次元とは別に、それ自体で心理的な苦痛の強さを予測するという点だ。基準がどれだけ高いかを知っただけでは、その人がどれだけ苦しんでいるかは分からない。基準を満たしていない自分をどう扱っているか、隠すのか、認めるのか、取り繕うのかという振る舞いの方が、苦痛の大きさをより直接に説明する。日記が続かない理由を基準の高さに求め続ける限り、この振る舞いの様式という、もう一つの変数が視界から抜け落ちたままになる。
自分に厳しくすることが改善を生むとは限らない
ここまでの話を「基準を下げれば楽になる」という結論で締めくくりたくなるが、それも単純化が過ぎる。完璧主義者が基準を手放したがらない背景には、厳しくあり続けることが向上心の源泉になっているという実感がある。自分を甘やかせば、そのまま堕落するのではないか。この感覚は直感的には筋が通っているように見えるが、実験で確かめると必ずしもその通りにはならない。
2012年、心理学者ブレインズとチェンが行った一連の実験がそれを示している。参加者に自分の弱点や過去の失敗を振り返らせたうえで、一方には自分に対して思いやりを持って接するよう教示し、もう一方には自尊心を高めるよう教示するか、何も教示しなかった。結果、自分に思いやりを持って接するよう促された参加者の方が、自分の弱点は変えられるという信念を強く持ち、実際に難しい試験に向けてより長く勉強し、弱点を改善しようとする意欲も高く報告した。自分を厳しく評価することが向上心を保証するという直感とは逆に、自分の失敗を一旦受け止めて許すことの方が、次の一歩への意欲を強めていたことになる。
この結果を日記にそのまま適用して「自分に優しくしよう」と教訓化するのは、この一連の研究が積み重ねてきた慎重さを裏切ることになる。ブレインズとチェンの実験が示したのは、あくまで自己批判と自己への思いやりという二つの態度が、改善への動機づけに対して逆方向に働きうるという一つの事実であって、日記が続くための処方箋ではない。それでも、三日書けなかった自分を厳しく採点することが、四日目に机に向かう力を強めてくれるという保証は、少なくともこの実験群のどこにも見当たらない。
個人の性格というより、世代の指標かもしれない
完璧主義を個人の内面の問題として扱うことにも、留保が必要かもしれない。2019年、心理学者カランとヒルは、1989年から2016年までの27年間に発表された164の研究、合計41,641人の大学生を対象にしたデータを横断的に統合し、完璧主義の水準が世代を追ってどう変化してきたかを調べた。結果、自己志向的完璧主義、他者志向的完璧主義、社会規定的完璧主義のいずれも、この期間を通じて直線的に上昇していた。中でも上昇幅が最も大きかったのは社会規定的完璧主義、つまり「他者や社会が自分に完璧さを求めている」という感覚の方だったという。
この結果が示唆しているのは、若い世代が以前の世代より「自分に厳しい」ようになったこと以上に、「周囲から厳しく評価されている」と感じる度合いの方が強く上昇してきたということだ。カランとヒルはこの背景として、競争的な個人主義を重視する社会統治の広がりや、他者の理想化された生活が絶えず可視化される環境の拡大を挙げている。誰かの完璧に整った暮らしぶりを日常的に目にする機会が増えれば、自分の基準がその見せかけの水準に引き寄せられても不思議はない。日記が「ちゃんと書かなければ」という圧力を帯びて感じられるのだとしても、その圧力の一部は、書き手個人の性格から生まれたものというより、書き手が育ってきた時代の空気を反映したものである可能性がある。
完璧主義を純粋に個人の資質として語ってしまうと、この時代的な背景が見えなくなる。日記が続かない理由を自分の性格だけに帰属させる前に、その基準そのものがいつ、どこから自分の中に据えられたのかを考える余地は、まだ残っている。もっとも、この研究が扱っているのはあくまで大学生を対象にした横断的な比較であり、同一人物を何十年も追跡した縦断研究ではない。世代が変われば調査対象になる大学の顔ぶれや入試の競争度も変わる。上昇の傾きをそのまま個人の生きづらさの増加と読み替えるのは、この研究が示している以上のことを読み込むことになる。それでも、完璧主義を語るときの視点を、個人の内面だけに閉じない方がいいという示唆は、十分に残る。
三日分の空白は、まだ判定を待っている途中かもしれない
ここまで並べてきた研究は、互いに補い合いながらも、一つの結論には収束しない。完璧主義は単一の性格特性ではなく、自分に向かうものと他者に向かうもの、社会から課されると感じるものとに分かれる。高い基準を掲げて努力すること自体は先延ばしを減らす方向に働き、先延ばしを増やすのはむしろ基準を満たせなかったときの不安や疑いの方だ。全か無かという判定の仕方や、「べき」という言葉遣いで基準を絶対化してしまう癖は、完璧主義そのものとは別の回路として存在し、両者が重なったときに被害が大きくなる。基準を満たさない自分をどう扱うかという自己呈示の様式は、誰も見ていない場面でも働き続ける。自分を厳しく採点することが向上心を保証するという直感には、実験の裏付けが乏しい。そして、この一連の傾向自体が、個人の資質である以上に、この数十年で強まってきた社会的な空気を映している面もある。
止まったノートをもう一度開き直す必要は、実はあまりない。3日分の記述は、書かれた時点ですでにその日を過ごした本人の役目を果たし終えている。4日目に何も足されなかったという事実は、その3日分の値打ちを後から目減りさせたりしない。目減りしたように感じられるとすれば、それは大石の尺度が言う損得的思考——継続を積立金のように数え、中断をその取り崩しとして勘定する発想——を、無意識のうちに当てはめてしまっているからにすぎない。積立でないものを積立として扱えば、途切れることはすべて損失に見えてしまう。
ここまで並べてきた要因は、一つに絞り込めるようにはできていない。基準を課すこと自体は問題の中心ではなく、その基準が満たされなかったときに何が起こるかという、後段の回路の方に重みがある。全か無か思考は基準の高低とは別に存在し、「べき」という言葉遣いはその回路に燃料を足す。不完全さをどう扱うかという自己呈示の様式は、読者のいない場所でも律儀に作動し続け、世代を追って強まってきた社会規定的な空気は、そのすべての背景に薄く敷かれている。どれか一つを名指しして「これが原因だ」と言い切れないまま、これらは同時に、しかし別々の強さで効いている。
だとすれば、完璧主義という一語で片づけたくなる誘惑そのものが、この文章で繰り返し疑ってきた全か無か思考の、もう一つの現れだということになる。原因を一つの性格特性に集約してしまえば、それ以上分けて考える手間は省けるが、省いた手間の分だけ、実際に噛み合っている歯車を見誤る。ノートを閉じたまま次の一手を決める前に、閉じたくなった衝動がどの歯車から来ているのかを、面倒でも一つずつ数え直してみる方が、結局は近道になるのかもしれない。
出典
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