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中学生の半数は平日3時間以上自由、趣味探しに足りないものは

中学生の半数は平日3時間以上自由、趣味探しに足りないものは

中学生の趣味を探すとき、足りないのは時間ではなく行き先かもしれない。NHKの調査、図書館や部活の制度、男子・女子で一覧を分けない理由をたどり、そのあと、続く趣味の見分け方まで。

TOMOAKI··趣味

「趣味は?」に詰まると、なぜ居心地が悪いのか

小学生のころは、趣味がなくても誰も気にしなかった。好きなことを好きなだけやって、それで十分だった。ところが中学生になったとたん、「趣味は?」と聞かれて答えに詰まることが、なぜか居心地悪く感じられるようになる。本人の性格が急に変わったわけではない。年齢が変えたのは、質問の重さの方だ。三日で終わる趣味と、続く趣味を分けるものは何か。習慣になるまでの日数の見積もりは、ある研究では最短18日から最長254日まで、約14倍の開きがあった。

発達心理学者のエリク・エリクソンは、1968年の著作『アイデンティティ――青年と危機』の中で、青年期を、自分が何者であるかという感覚がまとまっていくか、混乱したままになるかのあいだで揺れる時期として描いた。この時期には、自分がまだ何者でもないという感覚を抱えながら、いったん選択を保留にして色々な可能性を試す「心理社会的モラトリアム」の状態に置かれる、というのがエリクソンの説明である。テストの点数や部活の成績のように他人と直接比べられる指標とは違って、趣味は「自分だけの物差し」を持てる数少ない領域の一つでもある。趣味という空白が急に気になり出すのは、この「自分には何がある」という手がかり探しが、無意識のうちに始まっているからだと考えると筋が通る。

ただし、ここでの「モラトリアム」は本来、焦って埋めるべき欠落ではなく、むしろ探索そのものに与えられた猶予期間として説明されている。エリクソンの理論を継承したジェームズ・マーシアは1966年の研究で、青年期のアイデンティティのあり方を「探索したかどうか」と「何かに決めたかどうか」という二軸で四つに分類した。何も探さないまま親や周囲の期待をそのまま自分の答えにしてしまう「早期完了(フォークロージャー)」、探索も決定もしていない「拡散」、探索の最中にある「モラトリアム」、探索を経て自分なりの答えに至った「達成」である。もっとも、マーシアが大学生の男性86人に面接して分けたのは、職業と思想についての選び方で、趣味を調べたわけではない。この分類で私が面白いと思うのは、四つの状態に優劣の順番がついているように見えて、「早く決める」ことが必ずしも良い結果につながらないことを示している点だ。親の望みに沿って早々に決めていた群は、目標を非現実的なほど高く置き、権威主義的な価値観にも強く賛成する傾向があった。四つの状態のうち、最終的に「達成」に至った人だけが評価されるべきだという話でもない。マーシアの枠組みが強調しているのは到達点そのものより、途中に探索という過程を経ているかどうかであって、結論を急ぐこと自体がこの枠組みの中では推奨されていない。この枠組みを趣味に当てはめて読むなら、親の勧めをそのまま自分の趣味として採用するのは「早期完了」に近い。一見すると空白より進んでいるようで、探索を経ていない分だけ、後になって「これは本当に自分がやりたかったことなのか」という疑問が遅れてやってくることがある。「趣味がない」という空白に気づいた時点で、実はすでに拡散から一歩進んで、モラトリアムの入り口に立っているとも言える。焦って何かに飛びつき「早期完了」にしてしまうことだけが、むしろ避けたい選択肢ということになる。

時間が足りないわけではないらしい

中学生の趣味を探している人が欲しいのは、たぶん候補の一覧だ。それは後ろの「具体的にどんなものがあるか」の節に置いてある。その前に、数字を先に置いておく。NHK放送文化研究所の「中学生・高校生の生活と意識調査2022」は、平日に学校以外で好きなことを自由にできる時間をたずねた。3時間くらいか、それ以上と答えた中学生は、596人のうち51.4%。「ほとんどない」は1.8%だった(割合は選択肢ごとの数字を足した筆者の計算)。中学生を責める数字ではない。趣味がないと感じるとき、まず疑われるのは時間だが、少なくともこの調査では、時間のあるほうが半数を超えていた。

同じ調査の関心の設問では、友だちづきあいが59.4%、成績・受験が54.4%で、そのあとにゲームの53.4%、ネット動画の51.3%、音楽の50.0%が続く。この調査に「趣味がある」をたずねる設問はなく、関心は趣味と同じものではない。それでも、時間も関心もあるのに趣味がないと感じるのだとしたら、足りないのは、関心を趣味の形にするまでの行き先のほうかもしれない。

行き先を、三つの型に分けてみる。順位はつけない。どれも得と損を持っている。

一つめは、学校の外の公共の場所だ。公立図書館では、図書館法第17条により、資料の利用に対価を取ってはならないとされている。児童館も、こども家庭庁のガイドラインに「中・高校生世代も利用できる施設」とある。図書館なら、お金をかけずに始められるのが得になる。損は、距離や開館時間、ひとりで入る最初の一回の重さあたりだろうと、私は思う。

二つめは学校の部活動だ。同じNHKの調査で、入っていない中学生は18.5%。入っている人が理由に挙げたのは「自分がやりたかったから」が72.1%で最も多く、「学校で必ず入ることになっているから」も11.8%いた。場と仲間が最初からあるのが得で、損は後の節に書く。なお、公立中学校の休日の部活動は、国のガイドライン(2025年12月)で、令和8年度から令和13年度までの改革実行期間に、原則として地域へ展開することを目指すとされている。いつ何が変わるかは自治体によって違う。

三つめは、家と手元の画面の中だ。始めるまでの摩擦がいちばん小さい。反面、選んだ覚えのない時間になりやすいという損があり、それも後の節で見る。

「男子」「女子」と分けた一覧を探す人もいると思う。この記事は分けない。職業に関する興味について、思春期の41研究をまとめた Baerg MacDonald らは、男子はものや機械を扱う現実的な領域と研究的な領域が、女子は社会的な領域と芸術的な領域が高い傾向にあり、その差が80年間安定していると報告している。差は実在する。49の縦断研究をまとめた Hoff らによれば、職業のステレオタイプに沿った男女差は、年齢でみると早期思春期に最も大きくなり、そのあとは縮む方向にあるという。どちらも趣味そのものを測った研究ではなく、集団の平均の話で、目の前の一人が何を好むかを言い当てるものではない。一覧を分けないのは、差がないからではなく、分けた一覧が、平均を個人に貼りつけてしまうからだ。

かっこよさを調べた研究は、高校生向けの記事で紹介した。行き先が見えても、手が動かない理由は、また別のところにある。この先は、そちらを見ていく。

比較が効きやすい年齢だという事情——ただし単純化はできない

この時期はSNSやクラスの中で、他人の持ち物・過ごし方が絶えず視界に入る。誰かの「趣味」を見るたびに、自分の手元の空白と引き比べてしまう。厄介なのは、比較の対象がたいてい「すでに形になったもの」だという点だ。誰かの完成した作品や堂々とした特技を見て、自分のゼロの状態と比べれば、当然見劣りする。比較しているのは「相手の今」と「自分のゼロ」であって、フェアな比較になっていない。

ここで「だからSNSは害だ」と断じたくなるところだが、研究はそこまで単純な絵を描いていない。エドワード・ヌーンらが2021年に『Journal of Adolescence』誌に発表した、ルーマニアとセルビアの青年・若年成人1,085人(平均年齢は約19歳)に一度だけ尋ねた調査では、Instagram上での「能力」や「意見」の比較が、アイデンティティの探索や決定とどう結びつくかは、年齢によって違っていた。比較は自分への注目を強めることも、さらなる探索を促すこともありうる、というのが著者らのまとめである。気分や落ち込みを測った研究ではなく、平均年齢が約19歳で、中学生が中心の研究でもない。それでも、比較という行為そのものが一様に悪いのではなく、何を比べているか、どの発達段階でそれをしているかで意味が変わりうる、と読むことはできる。

今かっこよく見えているものも、始めた瞬間はぎこちなかったはずだ。この歪みに気づいておくだけでも、焦りの質は少し変わる。ただし「比較するな」という助言自体が処方箋めいていて、あまり役に立たない。比較は青年期に自然に起きる認知的な作業であって、止めようとして止まるものではない、と私は考えている。むしろ、比較した結果として何も行動しないまま反芻し続けるか、比較を一つのきっかけとして具体的に何かを試してみるか——分かれ目はそちらの方にある。

もう一つ付け加えておきたいのは、比較の対象は他人だけではないという点だ。クラスの中で目立つ誰かの特技と自分を比べるのと、半年前の自分と今の自分を比べるのとでは、同じ「比較」でもまったく別の作用をする。前者は自分でコントロールできない相手の状態に左右されるが、後者は自分の手元にある記録さえあれば、いつでも確認できる。趣味が続く人は、意識しないままこの二つを使い分けているのかもしれない。出典のある話ではなく、私の見立てだ。他人との比較で焦りを覚えたときほど、代わりに「先週の自分」と比べる材料を持っておく、という程度の工夫は、処方箋というより単なる選択肢の一つとして試す価値がある。

スマホとゲームが「選んだもの」になっていないという問題

暇な時間ができると、気づけばスマホを触っている。これ自体は責められることではない。むしろ設計上そうなるようにできている。内閣府(現・こども家庭庁)が実施した令和3年度の「青少年のインターネット利用環境実態調査」によると、インターネットを使っている中学生の利用時間は、平日1日あたり平均で約4時間19分(スマートフォン以外の機器も合わせた時間)に達し、10〜17歳全体では、利用機器としてスマートフォンが最も多い。この数字自体を問題視したいわけではない。着目したいのは、その4時間19分のうち、どれだけが「今日はこれをやろう」と決めて始まった時間で、どれだけが気づいたら始まっていた時間か、という内訳の方だ。調査は目的ごとの時間も出していて、10〜17歳全体では「趣味・娯楽」が最も長く、約2時間45分だった。ただ、趣味・娯楽という分類からは、それが選んで始めた時間かどうかまでは読めない。

行動デザインの分野では、通知や次々に流れてくるコンテンツが「予測できない報酬」を与える設計になっている点が指摘されてきた。起業家のニール・イヤールは著書『Hooked』の中で、スロットマシンの仕組みになぞらえて、いつ・どんな反応が返ってくるかが読めない設計ほど、人はそれを確かめたくなると論じている。トリガー(きっかけ)、アクション(行動)、変動する報酬、投資、という一連の流れを組み込むことで、ユーザーが「つい」戻ってきてしまう製品になる、というのがこのモデルの骨子だ。良い悪いの前に、これは偶然そうなっているのではなく、意図して作られた設計だという点は押さえておいていい。時間を埋める選択肢としては、これ以上ないほど摩擦が少ない——ボタン一つで始まり、何も準備しなくていい。

問題は、それが悪いことだからではなく、選んだ覚えがないまま一日の隙間時間の大半を持っていかれてしまう点にある。「趣味がない」という感覚の正体は、実は「何もしていない」ことではなく、「自分で選んでいない時間ばかりが積み重なっている」ことへの違和感なのかもしれない。裏を返せば、同じスマホの時間であっても、自分でジャンルを選び、能動的に検索し、比較し、選び取って使っている時間であれば、この違和感の対象にはならない。時間の長さそのものより、その時間に自分の意思がどれだけ介在したかの方が、本人の実感を左右している。

ここで注意しておきたいのは、スマホの中にも「選んで使っている」時間は当然あるという点だ。動画で調べ物をする、好きな配信者の解説を追いかける、といった時間まで一律に「奪われている」と扱うのは実情に合わない。区別すべきは媒体ではなく、始める前にその時間の使い方を自分で決めていたかどうかである。同じアプリを開く動作でも、「これを見るために開いた」のか「気づいたら開いていた」のかで、後に残る感覚はまるで違う。

始めた趣味が続くか、三日で終わるかを分けるもの

何かを始めてみたものの、一週間で興味が失せた経験は誰にでもある。これは意志の弱さの証明ではなく、たいてい構造の問題だ。この構造を説明する枠組みが、心理学にはいくつか用意されている。

難しすぎず、易しすぎないこと

心理学者のミハイ・チクセントミハイとバーバラ・シュナイダーの共著『Becoming Adult』(2000年)は、アメリカの6・8・10・12年生を追った調査をもとにしている。使われたのは経験サンプリング法という手法で、生徒に、一日のうちランダムな時刻に8回鳴るようにした腕時計を着けてもらい、鳴るたびに「今何をしていて、どう感じているか」を書いてもらう。この調査の設計は、同じ調査を分析したマリガンらの2000年の報告による。本の該当箇所には当たれていないが、二人も共著者に入った2003年のデイヴィッド・シャーノフらの論文は、全米の高校生526人の授業中の記録を分析し、課題の手ごたえと本人の腕前がどちらも高く、しかも釣り合っているときに、没入が深まっていたと報告している(フロー状態と呼ばれるものに近い)。逆に、スキルに対して課題が簡単すぎれば退屈になり、難しすぎれば不安になる。三日で飽きる趣味の多くは、実はこのどちらかに寄っている——拍子抜けするほど単調か、最初から手も足も出ないほど難しいか、のどちらかであることが多い。始めて三日で「向いていない」と感じたときは、自分に才能がないのではなく、単に難易度の合わせ方を間違えている可能性の方を先に疑ってもいい。厄介なのは、この釣り合いが固定ではなく、続けるうちにスキルの側が上がっていく点だ。最初は釣り合っていた課題も、上達すれば相対的に易しくなり、放っておけば退屈の方に寄っていく。難易度を後から自分で足し引きできる趣味——ルールや段階を自分で決められるもの——が長続きしやすいのは、この釣り合いを自分で調整し直せるからだと考えれば説明がつく。

始めるまでの摩擦が小さいこと

専用の道具や場所を用意しないと始められないものは、その準備段階で熱が冷めやすい。逆に、家にあるもので今日から手が動かせるものは、最初のハードルを越えやすい。道具をそろえること自体が目的化してしまい、道具だけ増えて手を動かさない、という状態に陥りやすいのもこのタイプの趣味の特徴だ。

自分で選んだという実感があること

心理学者のリチャード・ライアンとエドワード・デシが2000年に発表した自己決定理論の論文(American Psychologist誌)では、人には「自律性」「有能感」「関係性」という三つの心理的欲求があり、それが満たされると、自分から動く力や心の健康が高まるとされる。面白いからやるという内発的な動機づけとの結びつきがはっきり示されているのは、このうち自律性と有能感で、関係性はもう少し遠くから支えるものとして扱われている。誰かに強制されて、あるいは「これをやっていたらすごいと思われそう」という理由で始めたものは、自律性の欲求を満たしていない。注目が得られなければ途端に色あせるのは、そもそも動機が自分の内側になかったからだと考えると説明がつく。逆に、見せる予定がなくても続けたくなるものは、本人の中に理由がある証拠で、長持ちしやすい。同じ論文では、外から与えられた統制的な動機づけ(褒美や評価のために行うこと)が、かえって元々あった興味そのものを損なう場合があるとも指摘されている。誰かに褒められたくて始めた趣味が、褒められなくなった途端に手につかなくなるのも、同じ力学で説明できるのではないか、と私は思う。もっとも同じ論文は、できたことを認める肯定的なフィードバックは、自分で選んでいるという感覚を伴うかぎり、内発的な動機づけをむしろ高めうるとも書いている。褒められること自体が悪いわけではなさそうだ。

この三つは、ジャンルを問わず効く。運動でも創作でも収集でも、当てはめて考えると、なぜ以前続かなかったのかが見えてくることがある。三つの条件のうち一つでも欠けていれば、意志の力で無理に埋め合わせようとするより、条件そのものを見直したほうが早い。

「66日で習慣になる」という数字も、鵜呑みにしないほうがいい

「新しい習慣は21日で身につく」という話を聞いたことがあるかもしれない。だがこの数字は、もともと習慣の研究から出たものではない。マクスウェル・マルツが1960年の著書『Psycho-Cybernetics』に書いた、整形手術を受けた患者がたいてい21日以内に新しい外見に心理的に慣れた、という逸話が起点らしい——と、このあと紹介するラリー自身が共著の解説記事で書いている。マルツの原本には当たれていない。心理学者のフィリッパ・ラリーらが2010年に発表した研究(European Journal of Social Psychology誌)では、96人の参加者に、食べる・飲む・体を動かす行動のうち自分で選んだ一つを、12週間毎日、同じ状況で続けてもらい、その行動が「意識しなくてもやってしまう」状態、つまり自動化されるまでの日数を、行動が習慣化した度合いを測る尺度を使って追跡した。最終的に、習慣化までの推移を曲線でうまく表せた39人分の分析では、習慣になるまでにかかった日数の代表的な値は66日だった。これが中央値なのか平均なのかは、私は原論文の該当箇所で確かめられていない(2012年の共著の解説では「平均」と書かれている)。21日よりずっと長い。

ここまでは「21日神話」を「66日」に置き換える、よくある紹介のされ方だ。だがこの研究のもう一つの数字の方が、実は意外性がある。66日という数字の裏にある個人差の幅は、見積もりで最短18日から最長254日までとされている。約14倍の開きだ。254日は、観察した12週間を超えた先を、曲線を延ばして見積もった値である。つまり「66日」という一つの数字に集約してしまうこと自体が、実態を覆い隠しているとも言える。ある趣味が二週間で板についてくる人もいれば、8か月以上かかっても不思議ではない人もいる。三日や一週間で「自分には向いていない」と結論づけるのが、いかに早すぎる判断かがこの分布からわかる。逆に言えば、66日どころか半年続けてようやく「板についてきた」と感じても、それは何もおかしくないということでもある。数字を追いかけること自体に意味はない。意味があるのは、この分布の幅を知っておくことで、短期間の結果だけを見て見切りをつける癖から自由になれる、という点の方だ。ラリーらの研究で対象になった行動は、あくまで「毎日決まった文脈で繰り返す」という条件のものだった点も付け加えておく。趣味は毎日やる必要はなく、週に一度、気が向いたときだけ、という関わり方も十分に成立する。自動化されるかどうかだけを基準にすると、そうした緩やかな続け方まで「習慣になっていない」と切り捨ててしまいかねない。

部活や習い事という、もう一つの経路

先に触れた部活動は、個人で始める趣味とは別の経路になる。学校の部活は、しばしば「決められた枠組み」として個人の趣味と対比されがちだが、集団的な活動もまた、自分が何に向いているかを探る場になり得るのではないか、と私は考えている。これは研究で確かめた話ではない。ただ、アンヌ=ソフィ・ドゥノーとフランソワ・プーランが7年生から11年生まで約300人を毎年追った2009年の研究(部活に限らない組織的な活動が対象)では、参加する活動の分野の数(7つの分野のうちいくつにまたがるか)は学年とともにほぼ同じ幅で減り、活動1つあたりに使う時間(年間の総時間を活動の数で割ったもの)は、平均で10年生までほぼ横ばいのあと、11年生で急に減った。その一方で、早い時期によく参加していた生徒ほど、11年生の時点で学校への関わりや社会への前向きな価値観が強かった。関連を見た研究であり、参加が原因かどうかを確かめる設計ではないし、アイデンティティを測ってもいない。集団的な活動と個人の趣味は、競合するというより、探索の異なる経路として並べて考えたほうが実情に近い。部活には、個人では得にくい「役割」がある——後輩ができる、パートを任される、といった経験は、集団の中での自分の位置を確かめる材料になる。

もっとも、部活には個人の趣味にはない制約もある。顧問や先輩との関係、成果を上げなければならないという外からの圧力は、自己決定理論でいう「自律性」を損ないやすい環境でもある。部活で結果を求められることに疲れて、家で一人でやる別の何かに救われる、という組み合わせも珍しくない。一つの活動だけに答えを求める必要はなく、集団の中で確かめる自分と、一人の時間で確かめる自分は、別々に持っていてかまわない。

社会学者のリサ・コート=バトラーが2012年に発表した論考(The Prevention Researcher誌)は、課外活動と自尊感情についての先行研究をまとめたもので、一般に、課外活動への参加は自尊感情と結びついているという。参加の仕方を細かく分けると、自尊感情や心理的な適応と最も一貫した関連を示すものの一つは、いくつかの領域にまたがって参加する「幅」だった、ともまとめている。一つに絞らず、いくつか試してみるというこの記事の流れと、重なるところがある話だ。ただ、同じ論考は、もともと自尊感情の高い子ほど活動に入りやすく、続けやすいという選択の効果も指摘している。参加が自尊感情を育てるのではなく、自尊感情の高さが参加のしやすさにつながっている可能性だ。子どものためを思って活動に押し込んでも、自尊感情にはさしたる効果は見込めないだろう、とも書いている。部活や習い事を「やれば自己肯定感が上がる」と単純に読み替えるのは、この論考が示している範囲を超えてしまう。

具体的にどんなものがあるか

ランキングにする気はないが、ここまで見てきた条件——摩擦の小ささ、スキルと難易度の釣り合い、進歩の可視化、自分の内側にある動機——を満たしやすい例をいくつか挙げておく。どれも特別な才能や環境を必要とせず、今日の手持ちで始められるものだ。

  • 読書。図書館を使えば費用はかからず、続ける・やめるの判断も一冊単位で気軽にできる。難易度も本の選び方でいくらでも調整できるので、フロー状態を保ちやすい。
  • ノートに文章や図を書き溜める習慣。上達が自分の手元にそのまま残るので、他人の評価を待たずに進歩を確認できる。有能感を満たしやすい典型例と言える。
  • 自重の運動。回数や時間という数字で、自分の変化がそのまま見える。最初の負荷を自分で決められるので、難しすぎる状態を避けやすい。
  • 料理や製作など、手を動かして何かが完成する作業。工程ごとに区切りがあるので、続けやすい単位で区切れる。失敗しても材料と時間の範囲で被害が収まるのも、始めるまでの摩擦を下げている一因だ。
  • 観察を伴うもの——植物の世話、天気や星の記録など。派手さはないが、続けるほど気づく量が増えていく実感がある。他人と比べようがない領域なので、比較の罠にもはまりにくい。

ここに挙げなかったものが劣っているわけではない。大事なのは項目のリストではなく、自分の候補がこれらの条件に当てはまるかどうかを確かめることだ。同じ「読書」でも、義務感で読まされる課題図書ならこの条件を満たさないし、逆にここに載っていない趣味でも、条件さえ満たしていれば続く。ゲームや動画の視聴そのものも例外ではない。攻略情報を自分でまとめる、感想を自分の言葉で書き残す、といった「作る側」の要素を一つ足すだけで、条件をいくつか満たす方向に近づく。媒体の新旧よりも、そこに何を足せるかの方が判断材料として役に立つ。

選んでは手放す、という繰り返し自体が探索である

趣味は、誰かに勧められて始めた瞬間から借り物になる。合っているかどうかは、実際に手を動かしてみないとわからない。三日で終わったとしても、それは失敗ではなく、マーシアの言う「早期完了」を回避できたという意味では、むしろ健全な経過だとも言える。何も探さずに一つに飛びつくよりは、いくつか試してどれも合わなかったと分かる方が、後々の判断材料は多くなる。手放した趣味の数だけ、「自分に合わないもの」の輪郭がはっきりしていくとも言える。

「趣味がない」という空白は、埋めることを急ぐより、なぜ気になっているのかを一度考えてみる価値がある。比較のせいなのか、選んでいない時間への違和感なのか、それとも本当に何かに没頭してみたいだけなのか。理由が分かれば、次に何を試すかも自然と絞られてくる。空白の期間そのものが、後から振り返れば探索の記録になっている——そう捉え直せるかどうかが、この時期をどう過ごすかの分かれ目になる。

周りの大人が言う「若いうちにいろいろ試しておいたほうがいい」という言葉も、聞き飽きた説教のように響くかもしれないが、ここまで見てきた研究に照らせば、あながち的外れでもない。ただし、それは「早く何かに決めろ」という意味ではなく、むしろ逆——決めることを急がず、試すことに時間を使ってかまわない、という許可の言葉として受け取ったほうが、元の趣旨には近い。

数年後、当時の自分に「趣味は何だったか」と聞かれたら、今のこの空白の時期こそが、答えを探していた期間として思い出されるのかもしれない。エリクソンの言うモラトリアムも、マーシアの四分類も、ラリーの66日という数字も、突き詰めれば同じことを別の角度から言っているにすぎない——確かめる前に決めつけないこと、そして一つの結果だけで全体を語らないことだ。趣味に限らず、これから先いくつも訪れる「まだ何者でもない」時間の過ごし方にも、そのままあてはまる話でもある。

出典

  • Erik H. Erikson (1968) “Identity: Youth and Crisis”
  • James E. Marcia (1966) “Development and validation of ego-identity status”, Journal of Personality and Social Psychology, 3(5), 551–558(要旨で確認)
  • Edward Noon, Leon Schuck, Smaranda Gutu, Burak Sahin, Bojana Vujovic, Zeynep Aydın (2021) “To compare, or not to compare? Age moderates the relationship between social comparisons on Instagram and identity processes during adolescence and emerging adulthood”, Journal of Adolescence, 93, 134–145(要旨で確認)
  • 内閣府 (2022)「令和3年度 青少年のインターネット利用環境実態調査 調査結果(概要)」
  • Nir Eyal (2014) “Hooked: How to Build Habit-Forming Products”
  • Mihaly Csikszentmihalyi, Barbara Schneider (2000) “Becoming Adult: How Teenagers Prepare for the World of Work”(本の該当箇所は未確認)
  • Casey B. Mulligan, Barbara Schneider, Rustin Wolfe (2000) “Time Use and Population Representation in the Sloan Study of Adolescents”, NBER Technical Working Paper 265(全文で確認)
  • David J. Shernoff, Mihaly Csikszentmihalyi, Barbara Schneider, Elisa Steele Shernoff (2003) “Student engagement in high school classrooms from the perspective of flow theory”, School Psychology Quarterly, 18(2), 158–176(要旨で確認)
  • Richard M. Ryan, Edward L. Deci (2000) “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being”, American Psychologist, 55(1), 68–78(全文で確認)
  • Phillippa Lally, Cornelia H. M. van Jaarsveld, Henry W. W. Potts, Jane Wardle (2010) “How are habits formed: Modelling habit formation in the real world”, European Journal of Social Psychology, 40(6), 998–1009(要旨で確認)
  • Benjamin Gardner, Phillippa Lally, Jane Wardle (2012) “Making health habitual: the psychology of ‘habit-formation’ and general practice”, British Journal of General Practice, 62(605), 664–666(全文で確認)
  • Maxwell Maltz (1960) “Psycho-Cybernetics”(原本は未確認。Gardner らの記述による)
  • Anne-Sophie Denault, François Poulin (2009) “Intensity and Breadth of Participation in Organized Activities During the Adolescent Years: Multiple Associations with Youth Outcomes”, Journal of Youth and Adolescence, 38(9), 1199–1213(全文で確認。大学リポジトリの著者稿による)
  • Lisa A. Kort-Butler (2012) “Extracurricular Activity Involvement and Adolescent Self-Esteem”, The Prevention Researcher, 19(2), 13–16(全文で確認)
  • 中山準之助 (2023) 「コロナ禍の不安やストレス,ネット社会の中高生」(NHK放送文化研究所「中学生・高校生の生活と意識調査2022」の単純集計を含む), 『放送研究と調査』73(5), 26–61
  • 図書館法 第17条
  • こども家庭庁「児童館ガイドライン」(2024年12月改正)
  • 文部科学省 (2025) 「部活動改革及び地域クラブ活動の推進等に関する総合的なガイドライン」
  • Kevin A. Hoff, Daniel A. Briley, Colin J. M. Wee, James Rounds (2018) “Normative changes in interests from adolescence to adulthood: A meta-analysis of longitudinal studies”, Psychological Bulletin, 144(4), 426–451(要旨で確認)
  • Kristi Baerg MacDonald, Alex Benson, John Kitchener Sakaluk, Julie Aitken Schermer (2023) “Pre-Occupation: A Meta-Analysis and Meta-Regression of Gender Differences in Adolescent Vocational Interests”, Journal of Career Assessment, 31(4), 715–738(要旨で確認)
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