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中学生に趣味がないと落ち着かないのはなぜか、続く趣味の見分け方

中学生に趣味がないと落ち着かないのはなぜか、続く趣味の見分け方

中学生の時期に「趣味がない」ことが急に気になり始める理由を、発達心理学の知見から読み解く。誰かの完成した作品と自分のゼロの状態を比べれば当然見劣りするだけの話だが、そのからくりを踏まえたうえで、三日で終わる趣味と続く趣味を分ける条件を探る。

TOMOAKI··趣味

「趣味は?」に詰まると、なぜ居心地が悪いのか

小学生のころは、趣味がなくても誰も気にしなかった。好きなことを好きなだけやって、それで十分だった。ところが中学生になったとたん、「趣味は?」と聞かれて答えに詰まることが、なぜか居心地悪く感じられるようになる。本人の性格が急に変わったわけではない。年齢が変えたのは、質問の重さの方だ。

発達心理学者のエリク・エリクソンは、1968年の著作『アイデンティティ――青年と危機』の中で、青年期(おおむね12歳から18歳ごろ)を「アイデンティティ対役割の混乱」という課題の時期として位置づけた。この時期には、自分がまだ何者でもないという感覚を抱えながら、いったん選択を保留にして色々な可能性を試す「心理社会的モラトリアム」の状態に置かれる、というのがエリクソンの説明である。テストの点数や部活の成績のように他人と直接比べられる指標とは違って、趣味は「自分だけの物差し」を持てる数少ない領域の一つでもある。趣味という空白が急に気になり出すのは、この「自分には何がある」という手がかり探しが、無意識のうちに始まっているからだと考えると筋が通る。

ただし、ここでの「モラトリアム」は本来、焦って埋めるべき欠落ではなく、むしろ探索そのものに与えられた猶予期間として説明されている。エリクソンの理論を継承したジェームズ・マーシアは1966年の研究で、青年期のアイデンティティのあり方を「探索したかどうか」と「何かに決めたかどうか」という二軸で四つに分類した。何も探さないまま親や周囲の期待をそのまま自分の答えにしてしまう「早期完了(フォークロージャー)」、探索も決定もしていない「拡散」、探索の最中にある「モラトリアム」、探索を経て自分なりの答えに至った「達成」である。この分類がよく引用されるのは、四つの状態に優劣の順番がついているように見えて、実際には「早く決める」ことが必ずしも良い結果につながらない点を示しているからだ。四つの状態のうち、最終的に「達成」に至った人だけが評価されるべきだという話でもない。マーシアの枠組みが強調しているのは到達点そのものより、途中に探索という過程を経ているかどうかであって、結論を急ぐこと自体がこの枠組みの中では推奨されていない。親の勧めをそのまま自分の趣味として採用してしまう「早期完了」は、一見すると空白より進んでいるようで、探索を経ていない分だけ、後になって「これは本当に自分がやりたかったことなのか」という疑問が遅れてやってくることがある。「趣味がない」という空白に気づいた時点で、実はすでに拡散から一歩進んで、モラトリアムの入り口に立っているとも言える。焦って何かに飛びつき「早期完了」にしてしまうことだけが、むしろ避けたい選択肢ということになる。

比較が効きやすい年齢だという事情——ただし単純化はできない

この時期はSNSやクラスの中で、他人の持ち物・過ごし方が絶えず視界に入る。誰かの「趣味」を見るたびに、自分の手元の空白と引き比べてしまう。厄介なのは、比較の対象がたいてい「すでに形になったもの」だという点だ。誰かの完成した作品や堂々とした特技を見て、自分のゼロの状態と比べれば、当然見劣りする。比較しているのは「相手の今」と「自分のゼロ」であって、フェアな比較になっていない。

ここで「だからSNSは害だ」と断じたくなるところだが、研究はそこまで単純な絵を描いていない。エドワード・ヌーンらが2021年に『Journal of Adolescence』誌に発表した、ルーマニアとセルビアの青年・若年成人1,085人を対象にした調査では、Instagram上での社会的比較とアイデンティティ形成の関係が、年齢によって異なる方向に働くことが報告されている。比較の対象が「能力」であるか「意見」であるかによっても結果は分かれ、年代が上がるにつれて、同じ比較行為が自己没入や反芻に向かうこともあれば、逆に新しい選択肢への探索を後押しすることもある、というのがこの報告の要点である。つまり比較という行為そのものが一様に悪いのではなく、何を比べているか、どの発達段階でそれをしているかによって、意味合いが反転しうる。年少の中学生ほど、他人の「できあがった能力」を見て落ち込みやすい一方で、その落ち込みが「じゃあ自分は何を試そうか」という次の一歩につながる場合もある、というのはやや意外な指摘でもある。

今かっこよく見えているものも、始めた瞬間はぎこちなかったはずだ。この歪みに気づいておくだけでも、焦りの質は少し変わる。ただし「比較するな」という助言自体が処方箋めいていて、あまり役に立たない。比較は青年期に自然に起きる認知的な作業であって、止めようとして止まるものではないというのが、この分野の研究がおおむね共有している前提でもある。むしろ、比較した結果として何も行動しないまま反芻し続けるか、比較を一つのきっかけとして具体的に何かを試してみるか——分かれ目はそちらの方にある。

もう一つ付け加えておきたいのは、比較の対象は他人だけではないという点だ。クラスの中で目立つ誰かの特技と自分を比べるのと、半年前の自分と今の自分を比べるのとでは、同じ「比較」でもまったく別の作用をする。前者は自分でコントロールできない相手の状態に左右されるが、後者は自分の手元にある記録さえあれば、いつでも確認できる。趣味が続きやすい人ほど、無意識にこの二つを使い分けている——他人との比較で焦りを覚えたときほど、代わりに「先週の自分」と比べる材料を持っておく、という程度の工夫は、処方箋というより単なる選択肢の一つとして試す価値がある。

スマホとゲームが「選んだもの」になっていないという問題

暇な時間ができると、気づけばスマホを触っている。これ自体は責められることではない。むしろ設計上そうなるようにできている。内閣府(現・こども家庭庁)が実施した令和3年度の「青少年のインターネット利用環境実態調査」によると、中学生のインターネット利用時間は平均で1日あたり4時間19分に達し、利用機器としてはスマートフォンが最も多くを占めている。この数字自体を問題視したいわけではない。着目したいのは、その4時間19分のうち、どれだけが「今日はこれをやろう」と決めて始まった時間で、どれだけが気づいたら始まっていた時間か、という内訳の方だ。

行動デザインの分野では、通知や次々に流れてくるコンテンツが「予測できない報酬」を与える設計になっている点が指摘されてきた。起業家のニール・イヤールは著書『Hooked』の中で、スロットマシンの仕組みになぞらえて、いつ・どんな反応が返ってくるかが読めない設計ほど、人はそれを確かめたくなると論じている。トリガー(きっかけ)、アクション(行動)、変動する報酬、投資、という一連の流れを組み込むことで、ユーザーが「つい」戻ってきてしまう製品になる、というのがこのモデルの骨子だ。良い悪いの前に、これは偶然そうなっているのではなく、意図して作られた設計だという点は押さえておいていい。時間を埋める選択肢としては、これ以上ないほど摩擦が少ない——ボタン一つで始まり、何も準備しなくていい。

問題は、それが悪いことだからではなく、選んだ覚えがないまま一日の隙間時間の大半を持っていかれてしまう点にある。「趣味がない」という感覚の正体は、実は「何もしていない」ことではなく、「自分で選んでいない時間ばかりが積み重なっている」ことへの違和感なのかもしれない。裏を返せば、同じスマホの時間であっても、自分でジャンルを選び、能動的に検索し、比較し、選び取って使っている時間であれば、この違和感の対象にはならない。時間の長さそのものより、その時間に自分の意思がどれだけ介在したかの方が、本人の実感を左右している。

ここで注意しておきたいのは、スマホの中にも「選んで使っている」時間は当然あるという点だ。動画で調べ物をする、好きな配信者の解説を追いかける、といった時間まで一律に「奪われている」と扱うのは実情に合わない。区別すべきは媒体ではなく、始める前にその時間の使い方を自分で決めていたかどうかである。同じアプリを開く動作でも、「これを見るために開いた」のか「気づいたら開いていた」のかで、後に残る感覚はまるで違う。

始めた趣味が続くか、三日で終わるかを分けるもの

何かを始めてみたものの、一週間で興味が失せた経験は誰にでもある。これは意志の弱さの証明ではなく、たいてい構造の問題だ。この構造を説明する枠組みが、心理学にはいくつか用意されている。

難しすぎず、易しすぎないこと

心理学者のミハイ・チクセントミハイは、バーバラ・シュナイダーとの共著『Becoming Adult』(2000年)の中で、経験サンプリング法という手法——生徒たちにポケベル型の端末を持たせ、ランダムなタイミングで「今何をしていて、どう感じているか」を記録させる調査——を使い、課題の難易度と本人のスキルが釣り合っているときに、最も高い没入感(フロー状態)と充実感が得られると報告している。逆に、スキルに対して課題が簡単すぎれば退屈になり、難しすぎれば不安になる。三日で飽きる趣味の多くは、実はこのどちらかに寄っている——拍子抜けするほど単調か、最初から手も足も出ないほど難しいか、のどちらかであることが多い。始めて三日で「向いていない」と感じたときは、自分に才能がないのではなく、単に難易度の合わせ方を間違えている可能性の方を先に疑ってもいい。厄介なのは、この釣り合いが固定ではなく、続けるうちにスキルの側が上がっていく点だ。最初は釣り合っていた課題も、上達すれば相対的に易しくなり、放っておけば退屈の方に寄っていく。難易度を後から自分で足し引きできる趣味——ルールや段階を自分で決められるもの——が長続きしやすいのは、この釣り合いを自分で調整し直せるからだと考えれば説明がつく。

始めるまでの摩擦が小さいこと

専用の道具や場所を用意しないと始められないものは、その準備段階で熱が冷めやすい。逆に、家にあるもので今日から手が動かせるものは、最初のハードルを越えやすい。道具をそろえること自体が目的化してしまい、道具だけ増えて手を動かさない、という状態に陥りやすいのもこのタイプの趣味の特徴だ。

自分で選んだという実感があること

心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが2000年に発表した自己決定理論の論文(American Psychologist誌)では、人が何かに内発的に動機づけられるためには「自律性」「有能感」「関係性」という三つの心理的欲求が満たされる必要があるとされる。誰かに強制されて、あるいは「これをやっていたらすごいと思われそう」という理由で始めたものは、自律性の欲求を満たしていない。注目が得られなければ途端に色あせるのは、そもそも動機が自分の内側になかったからだと考えると説明がつく。逆に、見せる予定がなくても続けたくなるものは、本人の中に理由がある証拠で、長持ちしやすい。同じ論文では、外から与えられた統制的な動機づけ(褒美や評価のために行うこと)が、かえって元々あった興味そのものを損なう場合があるとも指摘されている。誰かに褒められたくて始めた趣味が、褒められなくなった途端に手につかなくなるのは、この力学の裏返しだと考えられる。

この三つは、ジャンルを問わず効く。運動でも創作でも収集でも、当てはめて考えると、なぜ以前続かなかったのかが見えてくることがある。三つの条件のうち一つでも欠けていれば、意志の力で無理に埋め合わせようとするより、条件そのものを見直したほうが早い。

「66日で習慣になる」という数字も、鵜呑みにしないほうがいい

「新しい習慣は21日で身につく」という話を聞いたことがあるかもしれない。だがこの数字の出どころははっきりせず、後年の研究では否定されている。心理学者のフィリッパ・ラリーらが2010年に発表した研究(European Journal of Social Psychology誌)では、96人の参加者に食事・運動などの行動を12週間毎日続けてもらい、その行動が「意識しなくてもやってしまう」状態、つまり自動化されるまでの日数を、行動が習慣化した度合いを測る尺度を使って追跡した。最終的にデータがそろい、習慣化までの推移をモデル化できた39人分の分析では、平均は66日だった。21日よりずっと長い。

ここまでは「21日神話」を「66日」に置き換える、よくある紹介のされ方だ。だがこの研究のもう一つの数字の方が、実は意外性がある。66日という平均の裏にある個人差の幅は、最短18日から最長254日までとされている。約14倍の開きだ。つまり「平均66日」という一つの数字に集約してしまうこと自体が、実態を覆い隠しているとも言える。ある趣味が二週間で板についてくる人もいれば、8か月以上かかっても不思議ではない人もいる。三日や一週間で「自分には向いていない」と結論づけるのが、いかに早すぎる判断かがこの分布からわかる。逆に言えば、66日どころか半年続けてようやく「板についてきた」と感じても、それは何もおかしくないということでもある。数字を追いかけること自体に意味はない。意味があるのは、この分布の幅を知っておくことで、短期間の結果だけを見て見切りをつける癖から自由になれる、という点の方だ。ラリーらの研究で対象になった行動は、あくまで「毎日決まった文脈で繰り返す」という条件のものだった点も付け加えておく。趣味は毎日やる必要はなく、週に一度、気が向いたときだけ、という関わり方も十分に成立する。自動化されるかどうかだけを基準にすると、そうした緩やかな続け方まで「習慣になっていない」と切り捨ててしまいかねない。

部活や習い事という、もう一つの経路

ここまでは個人で始める趣味の話をしてきたが、中学生には部活動や地域のクラブ活動という、もう一つの経路もある。アンヌ=ソフィ・ドゥノーとフランソワ・プーランによる一連の研究では、青年が学年を追うごとに参加する活動を絞り込み、より専門化させていく傾向があり、その専門化のプロセス自体がアイデンティティの形成と連動していると報告されている。学校の部活は、しばしば「決められた枠組み」として個人の趣味と対比されがちだが、この研究が示すのは、集団的な活動もまた、自分が何に向いているかを探る場になり得るということだ。両者は競合するというより、探索の異なる経路として並べて考えたほうが実情に近い。部活には、個人では得にくい「役割」がある——後輩ができる、パートを任される、といった経験は、集団の中での自分の位置を確かめる材料になる。

もっとも、部活には個人の趣味にはない制約もある。顧問や先輩との関係、成果を上げなければならないという外からの圧力は、自己決定理論でいう「自律性」を損ないやすい環境でもある。部活で結果を求められることに疲れて、家で一人でやる別の何かに救われる、という組み合わせも珍しくない。一つの活動だけに答えを求める必要はなく、集団の中で確かめる自分と、一人の時間で確かめる自分は、別々に持っていてかまわない。

社会学者のリサ・コート=バトラーが2012年に発表した論考(The Prevention Researcher誌)では、課外活動への参加と自尊感情の関連についての研究群を整理し、単に何か一つの活動に入っているかどうかよりも、参加する活動の幅の広さの方が、自尊感情をはじめとする心理的な指標との結びつきが強いという傾向を報告している。ただしこの種の研究の多くは、活動に参加している生徒とそうでない生徒を比べる形を取っており、「複数の活動に参加できる生徒はもともと自尊感情が高い」という逆方向の因果——参加が自尊感情を育てるのではなく、自尊感情の高さが参加のしやすさにつながっている可能性——を完全には排除できていない。部活や習い事を「たくさんやれば自己肯定感が上がる」と単純に読み替えるのは、この研究群が実際に示している範囲を超えてしまう。

具体的にどんなものがあるか

ランキングにする気はないが、ここまで見てきた条件——摩擦の小ささ、スキルと難易度の釣り合い、進歩の可視化、自分の内側にある動機——を満たしやすい例をいくつか挙げておく。どれも特別な才能や環境を必要とせず、今日の手持ちで始められるものだ。

  • 読書。図書館を使えば費用はかからず、続ける・やめるの判断も一冊単位で気軽にできる。難易度も本の選び方でいくらでも調整できるので、フロー状態を保ちやすい。
  • ノートに文章や図を書き溜める習慣。上達が自分の手元にそのまま残るので、他人の評価を待たずに進歩を確認できる。有能感を満たしやすい典型例と言える。
  • 自重の運動。回数や時間という数字で、自分の変化がそのまま見える。最初の負荷を自分で決められるので、難しすぎる状態を避けやすい。
  • 料理や製作など、手を動かして何かが完成する作業。工程ごとに区切りがあるので、続けやすい単位で区切れる。失敗しても材料と時間の範囲で被害が収まるのも、始めるまでの摩擦を下げている一因だ。
  • 観察を伴うもの——植物の世話、天気や星の記録など。派手さはないが、続けるほど気づく量が増えていく実感がある。他人と比べようがない領域なので、比較の罠にもはまりにくい。

ここに挙げなかったものが劣っているわけではない。大事なのは項目のリストではなく、自分の候補がこれらの条件に当てはまるかどうかを確かめることだ。同じ「読書」でも、義務感で読まされる課題図書ならこの条件を満たさないし、逆にここに載っていない趣味でも、条件さえ満たしていれば続く。ゲームや動画の視聴そのものも例外ではない。攻略情報を自分でまとめる、感想を自分の言葉で書き残す、といった「作る側」の要素を一つ足すだけで、条件をいくつか満たす方向に近づく。媒体の新旧よりも、そこに何を足せるかの方が判断材料として役に立つ。

選んでは手放す、という繰り返し自体が探索である

趣味は、誰かに勧められて始めた瞬間から借り物になる。合っているかどうかは、実際に手を動かしてみないとわからない。三日で終わったとしても、それは失敗ではなく、マーシアの言う「早期完了」を回避できたという意味では、むしろ健全な経過だとも言える。何も探さずに一つに飛びつくよりは、いくつか試してどれも合わなかったと分かる方が、後々の判断材料は多くなる。手放した趣味の数だけ、「自分に合わないもの」の輪郭がはっきりしていくとも言える。

「趣味がない」という空白は、埋めることを急ぐより、なぜ気になっているのかを一度考えてみる価値がある。比較のせいなのか、選んでいない時間への違和感なのか、それとも本当に何かに没頭してみたいだけなのか。理由が分かれば、次に何を試すかも自然と絞られてくる。空白の期間そのものが、後から振り返れば探索の記録になっている——そう捉え直せるかどうかが、この時期をどう過ごすかの分かれ目になる。

周りの大人が言う「若いうちにいろいろ試しておいたほうがいい」という言葉も、聞き飽きた説教のように響くかもしれないが、ここまで見てきた研究に照らせば、あながち的外れでもない。ただし、それは「早く何かに決めろ」という意味ではなく、むしろ逆——決めることを急がず、試すことに時間を使ってかまわない、という許可の言葉として受け取ったほうが、元の趣旨には近い。

数年後、当時の自分に「趣味は何だったか」と聞かれたら、今のこの空白の時期こそが、答えを探していた期間として思い出されるのかもしれない。エリクソンの言うモラトリアムも、マーシアの四分類も、ラリーの66日という平均も、突き詰めれば同じことを別の角度から言っているにすぎない——確かめる前に決めつけないこと、そして一つの結果だけで全体を語らないことだ。趣味に限らず、これから先いくつも訪れる「まだ何者でもない」時間の過ごし方にも、そのままあてはまる話でもある。

出典

  • Erik H. Erikson (1968) “Identity: Youth and Crisis”
  • James E. Marcia (1966) “Development and validation of ego-identity status”, Journal of Personality and Social Psychology
  • Edward Noon, Leon Schuck, Smaranda Gutu, Burak Sahin, Bojana Vujovic, Zeynep Aydın (2021) “To compare, or not to compare? Age moderates the relationship between social comparisons on Instagram and identity processes during adolescence and emerging adulthood”, Journal of Adolescence
  • 内閣府(現・こども家庭庁)「令和3年度青少年のインターネット利用環境実態調査」調査結果(概要)
  • Nir Eyal (2014) “Hooked: How to Build Habit-Forming Products”
  • Mihaly Csikszentmihalyi, Barbara Schneider (2000) “Becoming Adult: How Teenagers Prepare for the World of Work”
  • Richard M. Ryan, Edward L. Deci (2000) “Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being”, American Psychologist
  • Phillippa Lally, Cornelia H. M. van Jaarsveld, Henry W. W. Potts, Jane Wardle (2010) “How are habits formed: Modelling habit formation in the real world”, European Journal of Social Psychology
  • Anne-Sophie Denault, François Poulin — extracurricular activity participation and identity specialization in adolescence(関連研究群)
  • Lisa A. Kort-Butler (2012) “Extracurricular Activity Involvement and Adolescent Self-Esteem”, The Prevention Researcher