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趣味欄を「言い換える」ということ

趣味欄を「言い換える」ということ

履歴書の趣味欄をビジネス用語に翻訳するテクニックを、実際に試しながら疑ってみる。言い換えた瞬間に何が失われるかについて。

TOMOAKI··趣味

履歴書の趣味欄に「読書」とだけ書くと味気ない、という助言をよく見かける。かわりに勧められるのは、趣味をビジネス用語に翻訳する技術だ。「料理」を「アジャイル式レシピ開発」、「読書」を「ナレッジグラフ構築」と言い換える。試しにいくつか自分でもやってみた。

「冷蔵庫にある残り物から、30分で栄養バランスの取れた3品を作る」という制約下での調理をゲーム化している、複数の調理器具を使い分ける工程を並列処理している――そう書いてみると、それらしい響きにはなる。ただ、書いていて途中から白々しさの方が強くなった。実際にやっているのは、冷蔵庫の中身を見て今日は何を作ろうかと考えているだけで、それ以上でも以下でもない。リソース管理能力の証明というより、履歴書対策本の例文をなぞっているような感覚に近かった。

「写真」を「都市の違和感の採集」と書き換えたときも、同じことが起きた。街を歩いていて何かに目を留める瞬間は単純に楽しいのだが、それを「インサイト発見」という業務用語に翻訳した途端、その楽しさを説明する言葉ではなく、選考を有利にするための道具に変わってしまう。言い換えた瞬間に何かが証明されるわけではない、という留保だけがあとに残る。

この手の言い換えがどれほど選考結果を左右するのか、根拠のあるデータを見たことがない。むしろ、同じ手口の記事を読んだことのある面接官には、言い換えの型そのものが先に伝わってしまうだろう。趣味を「資産」や「戦略的思考」の証拠として提示する枠組みは、就職活動という文脈の中でだけ通用する自己演出であって、その趣味を実際にどれだけ楽しんでいるかとは、あまり関係がない。

結局のところ、「なぜ好きか」を自分の言葉で説明できることと、それをビジネス用語に翻訳できることは、別の能力だ。前者は趣味について書くときにいつも必要になるものだが、後者は履歴書という特殊な文脈でしか使い道がない。両方を同じ「言語化」という言葉でまとめてしまうと、履歴書向けの技術を身につけることが、自分の趣味を深く理解することであるかのように錯覚してしまう。

趣味欄に何を書くかで悩んでいる人に言えることがあるとすれば、それは言い換えの技術ではなく、言い換える前の状態――なぜそれが好きなのか、実際に何をしているのか――の方を先に確かめてみてはどうか、ということくらいだ。