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退職後、「何もしない時間」に罪悪感を覚えるのはなぜか

退職後、「何もしない時間」に罪悪感を覚えるのはなぜか

定年後の自由な時間を、なぜ素直に楽しめないのか。「生産性の呪縛」の正体と、それを緩める具体的な作法を考えた。誰かの体験談ではなく、確かめられる話だけを残した。

TOMOAKI··趣味

長年、私たちは「何かのために」生きてきた。会社のため、家族のため、社会的な期待に応えるため。定年退職は、その義務が一斉に引いていく瞬間だ。多くの人が、この静けさに耐えきれず、再び予定を詰め込んで「忙しさ」を呼び戻そうとする。「趣味を持たなければ」という強迫観念も、その一つかもしれない。

「役に立たない自分」への恐怖

静かに流れる時間

「今日は何をしたか」「それは何の役に立つのか」。長年ビジネスの最前線にいた人ほど、この問いに縛られやすいと言われる。生産性のない時間に罪悪感を覚え、無理に予定を詰め込んでしまう。これは怠惰の反対ではなく、長年繰り返してきた思考の癖が、まだ体に残っているだけのことだ。

趣味の世界において、効率を求めることは案外足かせになる。最短距離でゴールに向かうのではなく、道端の名もない花に足を止める。その「無駄」を許せるかどうかが、退職後の時間の質を左右する。

趣味を「資産」に分類しない

「限られた時間という資産を、身体・知性・社会性の3つにどう配分するか」といったポートフォリオの発想で趣味を語る記事をよく見かける。だが、これも結局、仕事で慣れ親しんだ「配分」「投資」という物差しを、そのまま趣味に持ち込んでいるだけだ。退職後に必要なのは新しい評価軸を趣味に持ち込むことではなく、評価軸そのものから距離を置く練習のほうかもしれない。

静かに没頭できる、いくつかの方向

道端の花に目を留める散歩

順位をつける意味はないので、方向だけ挙げる。目的地を決めない散歩、写真を撮らずにただ光の移ろいを眺める時間、割れた器を漆と金で継いで直す金継ぎ、色を削ぎ落としたモノクロ写真、収穫を目的としない庭いじり。共通しているのは、いずれも「成果」を急かされないことだ。

金継ぎで修復された器

始め方について、実用的なことをいくつか

過去にやりたかったけれど時間がなくてできなかったことを書き出す。世間の人気ではなく、自分の感覚が何を心地よいと感じるかを確かめる。週に一度、あえて何もしない日を作ってみる。道具は最初から全部揃えず、質の良いものを一つだけ選ぶ。1回目は緊張、2回目は違和感、3回目でようやく相性がわかる、というくらいの気持ちで試してみる。かつての肩書きが通用しない場に、匿名の一人として顔を出してみる。

どれも特別なことではないが、「今日は何の役に立ったか」を問わずに続けられるかどうかが、結局のところ一番の分かれ目になる。

結び

人生の後半は、夕暮れに向かうだけの時間ではない。「何者かである」必要も、「何かを成し遂げる」必要もない。この世界をどう感じ、どう慈しむか。その静かな営みのほうが、たぶん長く効く。