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定年後に「趣味がない」と気づいたら。ランキングより先に確かめたい、孤独という変数
定年や子育ての終わりで趣味が見つからないのは、意志の弱さではなく、長年「役割」が趣味の代わりをしていたから。孤独と健康の関係を示す研究から、ランキング形式では埋まらない「始めにくさ」の正体を考えた。
「最近、親がテレビばかり見ている」「新しい楽しみを見つけてほしいけれど、何を勧めていいかわからない」——そう感じたことのある家族は少なくないはずだ。
こうした悩みへの定番の答えは、たいてい「趣味ランキング」だ。健康にいい趣味、脳が若返る趣味、孫と話が合う趣味。順位をつけて並べれば、選びやすくなる気がする。しかし、ランキングの上から順に試してもらっても、たいてい続かない。それは、選び方が間違っているからではなく、そもそも「趣味がない」という状態の正体を、ランキングでは説明できていないからだと思う。
趣味は消えたのではなく、代役がいなくなっただけかもしれない

現役時代、私たちの一日は仕事や子育てという「役割」でほぼ埋まっている。何をするかは半分以上、外側から決まっていた。趣味というのは、その隙間を埋める小さな選択にすぎない。
定年や子育ての終わりで役割が外れると、隙間だったはずの時間が主役になる。ここで初めて、「自分は何をしたい人間なのか」を役割の助けなしに決めなければならなくなる。「趣味がない」という悩みの多くは、好奇心が失われたわけではなく、長年その問いを立てずに済んでいたことの裏返しではないか。
だとすれば、必要なのは「人気の趣味を10個知ること」ではなく、「役割抜きで何を選ぶか、久しぶりに自分に聞き直す時間」のほうだろう。
孤独が健康を損なうという話は、誇張ではない
「趣味を持たないと孤独になる」という言い方は使い古されているが、その因果は実際どれくらい確かなのだろうか。
手がかりになるのは、心理学者ジュリアン・ホルト=ランスタッドが2015年に発表したメタ分析だ。300万人以上を対象にした70本の研究を統合したこの分析は、社会的なつながりの乏しさが早期死亡のリスクを約26〜32%押し上げることを示した。これは喫煙や肥満に匹敵する影響として、しばしば引用される。
ここで注意したいのは、「趣味を持てば長生きする」という単純な話ではないということだ。この研究が示しているのは、あくまで人とのつながりの欠如がリスク要因だという相関であり、趣味そのものの効能ではない。趣味が役に立つとすれば、それは孤独を直接埋めるからではなく、「同じ場に居合わせる理由」を作ってくれるからだ。囲碁でも、家庭菜園の縁側での立ち話でも、成分は同じだ。
ランキングが見落としているもの
趣味ランキングの多くは「これをやると、こんな効果がある」という一対一の対応で語られる。ガーデニングは癒やし、囲碁は脳トレ、ボランティアは自己肯定感。どれも間違いではないが、この語り方には共通の弱点がある。
始める前の「気恥ずかしさ」や「今さら感」を無視していることだ。80代で新しいことを始めるとき、多くの人が本当に気にしているのは効能ではなく、「うまくできない自分を人に見られること」への抵抗だ。ランキングはここに答えない。答えるとすれば、「うまくなる必要はない」という、身も蓋もない前提の確認くらいだ。
体力についても同じことが言える。70代・80代・90代では、できることも、できたときの意味も変わる。移動を伴う趣味から、身近なものへの感度を高める趣味へ。年齢を「制限」ではなく「今の条件」として捉え直すことは、順位付けよりもよほど実用的な作業だ。
家族にできることは、選ぶことではなく聞くこと

「これをやってみたら」という提案は、良かれと思っていても、相手にとっては「まだ何者かになれ」という圧力に聞こえることがある。効きやすいのは、逆に「教わりたいから、一緒にやってほしい」という頼り方だ。役割を与えられるのではなく、頼られる側に回ることは、多くの人にとって新しい活動を始める以上に大きな動機になる。
もう一つ大事なのは、「飽きてもいい」という前提を最初に共有しておくことだ。せっかく道具を揃えたのに、という気まずさが、続けること自体を目的に変えてしまうことがある。趣味は目的であって、義務ではない。
問いを立て直すところから
「趣味がない」は、欠陥ではなく、久しく立てていなかった問いの表れだ。何を人生の後半で面白がるかは、ランキングの上位互換を選ぶことでは決まらない。子供の頃、時間を忘れて没頭していたことは何だったか。今、何に飽きていて、何に少しだけ心が動くか。その二つの問いに、自分の言葉で答えられるかどうかのほうが、順位よりもずっと重要だ。
