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五つの理論をあてても説明のつかない、シールという趣味について

五つの理論をあてても説明のつかない、シールという趣味について

シールを集めるという趣味を、何年続けても「なぜ」に答えられない。発達心理学、ノスタルジー研究、パターン認識の快感、完成への衝動——地味な収集癖を、いくつかの理論で分解してみる。

TOMOAKI··趣味

「シールを集めている」と話すと、たいてい「集めてどうするの」と聞かれる。正直、うまく答えられたためしがない。使うためでも、飾るためでもなく、ただ棚に増えていくのを眺めているだけの時期も長かった。趣味を聞かれて即座に答えられないというのは、それ自体がすでに趣味として少し格好が悪い。ランニングなら健康、読書なら教養、料理なら実益と、たいていの趣味は聞かれてから一秒以内に理由らしきものを差し出せる。シールにはそれがない。

もう一つ、この趣味を説明しにくくしている事情がある。シールは大量生産品であり、同じ図案のものがおそらく数万枚単位で刷られている。にもかかわらず、自分が欲しいのは目の前の「この一枚」であって、どこかの倉庫に積まれている同じ図案の別の一枚では代わりが利かないという感覚がある。工業製品でありながら一点物のような扱いを受けたがる、という矛盾を抱えた対象なのだ。切手やトレーディングカードにも同じ構造はあるが、シールの場合は値段の安さゆえに、この矛盾がより剥き出しになる。高価な骨董品への執着なら分かりやすい理屈がいくらでも立つが、単価数十円のシールに同じ執着を向ける自分を説明するには、値段では説明のつかない部分まで踏み込む必要がある。

説明できないことを放置していると気持ちが悪いので、いくつか理論を借りてみることにした。断っておくと、これは自分の趣味を正当化するための作業ではない。むしろ逆で、理論を当てはめるたびに、当てはまりの悪さの方が目立つ。シールという対象は、説明しようとする側の解像度をやけに低く映し出す。

子供はなぜ、ほぼ全員何かを集めるのか

まず疑ったのは、この癖がそもそもいつ始まったのかということだった。記憶をたどると、シールに限らず、消しゴムや切手や瓶の蓋を集めていた時期が誰にでもあった気がする。これは思い込みではないらしい。1996年にスーザン・ベイカーとジェームズ・ジェントリーが小学一年生と五年生を対象に行った面接調査では、対象になった79人の子供のうち72人が、何らかの形でコレクションを持っていた。9割強である。集めるという行為は、少数の変わった子供の性癖ではなく、むしろ集めていない方が少数派に属する。

同じ調査が指摘しているのは、何を集めるかを決めているのは本人の好みだけではないという点だ。参入コストの低さ——安く手に入るか、拾えるか——と、その年齢集団で流行っているアニメや映画のキャラクターが、収集対象の大枠を先に決めてしまう。つまり自分でシールを選んだつもりでいても、実際には「その時代にたまたま安く出回っていたもの」を選ばされていた可能性が高い。子供の頃の自分の趣味の良さを過大評価しないでおく理由が、ここにもう一つ増えた。

同じ調査では、子供たちが集める理由として挙げた言葉も分析されている。多かったのは「退屈から逃げられる」「集めている最中の作業そのものが楽しい」という、成果物よりも過程を指す表現だった。完成した棚を眺める満足感よりも、探している最中や、袋を開ける瞬間の方に比重が置かれている。これは考えてみれば奇妙な話で、集めるという行為の目的語であるはずの「集まったもの」よりも、目的語に至る手続きの方が主役になっている。買い物という行為が、買った後の所有物のためではなく、買っている最中の時間のために行われているとすれば、それは経済合理性から見るとかなり非効率な消費行動だということになる。

発達心理学の古典的な整理では、この時期はピアジェの言う具体的操作期に重なるとされる。物事を分類し、順序づけ、法則を見出す力がちょうど育ってくる時期に、シールというラベル・種類・柄で無限に分類できる素材が手元にある。分類したいという発達上の欲求と、分類しやすい対象がたまたま噛み合っただけ、という身も蓋もない読み方もできる。だとすれば、当時の自分が夢中になっていたのは審美眼ではなく、単に脳の発達段階に都合の良いおもちゃで遊んでいただけだったことになる。悔しいが、否定する材料もない。

もっとも、この説明が届くのはそこまでだ。分類欲求で押さえられるのは、せいぜい子供時代の収集行動である。具体的操作期はとうに過ぎ、分類の練習などとうに卒業したはずの大人が、なぜ今もシールを買っているのか——その先は、この理論の管轄外にある。始まりを教えてくれるが、続く理由までは面倒を見てくれない。発達心理学というのは、案外そういう不親切な学問なのかもしれない。

懐かしさで説明したくなる、しかし説明しきれない

続く理由として真っ先に思いつくのは懐かしさだ。子供の頃の感覚を、形を変えて再演しているだけではないか、という仮説である。この方向の研究は実際に厚みがある。コンスタンティン・セディキディスとティム・ワイルドシュットらのグループは、2000年代以降、ノスタルジーを単なる感傷ではなく、実用的な機能を持つ感情として位置づけ直してきた。彼らの報告によれば、ノスタルジーは孤独感や気分の落ち込みに反応して喚起されやすく、喚起されると気分の改善や他者とのつながりの感覚を回復させる働きを持つという。過去に浸る感情でありながら、その効果は将来に向けた楽観や意欲の増加としても現れる、というのが彼らの一連の研究の要点だ。過去を向いているのに、機能としては前を向いている、という捻れた構造になっている。

クリスティン・バチョは1990年代半ばに「ノスタルジー傾向」を測定する尺度を作り、4歳から80歳までの648人を対象に調査している。その報告によれば、ノスタルジーを感じやすい人は、対人関係を維持する力が強く、困難に直面したときに健全な対処行動を取りやすい傾向があるという。懐かしさに浸ることは現実逃避ではなく、むしろ現実の人間関係をやりくりするための資源になっている、という読み方になる。

もっとも、ノスタルジー研究の多くは、被験者に「懐かしい出来事を一つ思い出してください」と自己申告的に想起させる実験手続きに依存している。実験室の外で、目の前の新しい柄のシールを見た瞬間にふっと立ち上がる感情が、この手続きで測られている感情とどこまで同じものなのかは、研究の側でも厳密には切り分けられていない。「懐かしさ」という一語でまとめられている体験の中に、実はかなり性質の違うものが混ざっている可能性は、理論の要約だけを読んでいては見えてこない。

ここまでは筋が通っている。しかし、自分の収集行動に当てはめようとすると、途端に説明が崩れる。ノスタルジー理論が扱っているのは、過去の特定の記憶や関係への郷愁であって、見たこともない新作のシールに手を伸ばす瞬間の説明にはならない。実際、自分が惹かれるのは懐かしいデザインだけではなく、むしろ今まで見たことのない柄や質感の方が多い。旅先で見つけたラベルや、文字のデザインだけに反応していた時期があったことを思い出しても、そこに子供時代への郷愁が介在していたとは思えない。ノスタルジーで説明できるのは、この趣味の起点がどこかにあるという事実であって、今この瞬間に新しい一枚へ手が伸びる理由ではない。理論を一つ持ち出すたびに、説明できる範囲の狭さの方が見えてくる。

指先が退屈しない、という程度のこと

では、新しい柄に惹かれる瞬間そのものに、何か説明はつくのか。好きなデザインを見つけて手に取るという行為が脳の報酬系を刺激する、という言い方をよく見かける。もっともらしく聞こえるが、これも自分の場合に本当にそうなのかは確かめようがない。ただ、紙の質感やエンボスの凹凸、台紙から剥がすときの手触りに気を取られている数秒間は、スマートフォンの画面をスワイプしているときとは明らかに違う感覚がある。それが何かの神経科学的効果だと言い切るつもりはないが、指先が退屈していない、というくらいのことは言えると思う。

視覚的なパターンに対する快感については、もう少し具体的な研究がある。ロルフ・レーバーとノルベルト・シュワルツ、ピオトル・ヴィンキェルマンらは、対象を処理しやすい——輪郭がはっきりしていたり、左右対称だったり、既視感があったりする——ほど、見る側の情動反応が肯定的になるという「処理流暢性」の考え方を1990年代末から検証してきた。ヴィンキェルマンがジョン・カシオポと2001年に発表した実験では、写真の処理しやすさを実験的に操作したところ、処理しやすい写真を見ているときほど、笑顔に関わる頬の筋肉(頬骨筋)の活動が顔面筋電図(EMG)上で高まることが示された。しかもこの反応は、本人が「好き」と意識的に判断するより先に立ち上がり始めていたという。好きだと思う前に、体の方が先に反応している、ということになる。左右対称の柄や繰り返し模様が並んだシート状のシールを眺めているときの感覚は、この理論と相性が良い。

とはいえ、対称性が常に快感を生むわけではないという報告も同時に存在する。処理流暢性の理論がうまく説明できないのは、なぜある種の柄に反応するのかではなく、なぜそれが「シールという形式」でなければならないのか、という部分だ。同じ対称的な柄を壁紙で見せられても、それを財布に入れて持ち歩きたくなるとは思えない。「視覚的対称性の快さ——常にか、決してか、それとも時々か」というタイトルの論文は、この不安定さをそのままタイトルに埋め込んでいる。対称性への好みは文脈や個人差によって強まったり消えたりし、万人に同じだけ効くボタンではないという。理論はここでも、対象の一部にしか刺さらない。

もう一つ気になるのは、この快感が慣れによってすり減っていかない点だ。同じ柄のシールを何百回見ても、それを見るたびに新鮮な喜びが湧くわけではもちろんない。しかし、シートの上に並んだ一枚一枚は微妙に図案が違うので、視覚的な処理そのものは毎回わずかに新しい対象に対して行われている。完全に同じ刺激の反復であれば感覚は鈍麻していくはずだが、少しずつ違う図案が供給され続けることで、飽きが来る前に次の新しい処理対象へ移っていける。工業製品でありながら量産の単調さを感じさせないのは、このわずかな差分のおかげなのかもしれない。

集め終わらないのに、加速する

集める行為そのものにも、独立した引力があるらしい。ラン・キベッツ、オレグ・ウルミンスキー、ユーヘン・ジェンの2006年の研究は、スタンプカード型のロイヤリティプログラムを対象に、目標への心理的な近さが購買行動をどう変えるかを検証した。ある実験では、10個のスタンプが必要な白紙のカードを渡された客と、12個のスタンプ枠のうち最初から2個がすでに押された状態のカード(残りの必要購入数はどちらも同じ10個)を渡された客とを比較している。結果、後者は平均12.7日で残りのスタンプを埋めきったのに対し、前者は平均15.6日を要した。約2割の差である。必要な購入回数は変わらないのに、ゴールに近いところから始まったという錯覚だけで、行動のペースが変わる。

この「ゴール勾配」の効果を、シール収集にそのまま重ねたくなる。台紙の空欄が残り少なくなるほど、次の一枚を探す足取りが早くなる感覚には確かに覚えがある。だが本当にそのまま重なるのかと考え直すと、スタンプカードには明確な終点があるのに対し、シール収集の多くには終点がない、という違いが引っかかる。台紙を全部埋めても、次のシリーズが出れば新しい空欄が増える。自分が加速しているように感じる瞬間があっても、その先に「完成して満足する」という着地点は用意されていないことが多いのだ。ゴール勾配理論が前提にしている「近づくと燃える」という構造は、ゴールが実在する場合の話であって、ゴールが常に少し先へずれていくシール収集では、理論が想定する形では機能していない可能性がある。加速だけがあって、到達がない。そう考えると、これは達成感の追求というより、追いかけること自体が目的化した状態に近いのかもしれない。

持っているだけで、良く見えてしまう

ゴール勾配の話には、もう一つ隠れた前提がある。空欄を埋めたいと思うのは、その台紙とシールをすでに「自分のもの」だと感じているからだ。ここで気になるのが、所有そのものが評価をゆがめるという研究である。ジェームズ・ベガンは1992年、ある物をプレゼントとしてもらい所有権を得た被験者と、同じ物を手に取っただけで所有権を持たない被験者を比較する実験を複数行い、前者の方が後者よりもその物を高く評価することを示した。いわゆる「単純所有効果」である。中身も見た目も同じ物なのに、持っているというだけで良く見える。棚に増えていくシールを、時々「これはそんなに良いデザインだっただろうか」と冷めた目で見直すことがあるが、その冷めた目こそが、単純所有効果のかかっていない、まっさらな評価に近いのかもしれない。

ただし、この効果を全面的に信用するのも危うい。1990年代後半には複数の研究者が追試を行い、効果が再現される条件と再現されない条件があること、当初報告されたほど強い効果ではない可能性があることを指摘している。後年のメタ分析でも、効果自体は存在するが個人差や状況による変動が大きいという、やや歯切れの悪い結論に落ち着いているようだ。つまり「持っているから好きなだけ」と割り切ってしまうのも、実は正確ではない。棚のシールへの愛着のうち、どこまでが単純所有効果で、どこまでが本当にそのデザインへの評価なのかは、当の本人にも切り分けようがない。理論は覗き穴を一つ増やしてくれるが、部屋の中を全部照らしてはくれない。

ダブりを交換するという、地味に合理的な文化

シール収集を語るときに見落とされがちなのが、交換という社会的な側面だ。子供の頃、同じ柄が二枚出た「ダブり」を友達と交換した記憶がある人は多いはずだ。これは単なる子供らしい親切心では説明しきれない、それなりに合理的な仕組みでもある。

ダン・アリスタルとピーター・デイヴィスによる2021年の計算機科学の研究は、いわゆる「クーポン収集問題」——n種類のうちランダムに手に入るものを全種類揃えるのに必要な回数を求める古典的な数理問題——を、複数の収集者が互いに交換し合う状況に拡張して分析している。ワールドカップのシールアルバムを念頭に置いたこの分析によれば、収集者同士がペアで出会うたびに重複分を交換し合うだけで、一人あたりが新たに購入しなければならない枚数は理論上大きく減らせるという。一人で買い集めるより、友達と交換した方が、数学的にも効率が良い。子供の頃に自然発生していた「ダブり交換」という慣習は、当人たちが意識していたかどうかにかかわらず、無駄を減らす合理的な戦略になっていたことになる。

ジェニファー・マカリスターが2011年に発表した研究は、子供たちの交換行動そのものより、その手前にある認知能力に焦点を当てている。就学前の子供を対象にしたこの研究によれば、実行機能(衝動を抑えて計画的に行動する力)や心の理論(他者の視点を推測する力)が育っている子供ほど、目についたものを手当たり次第に欲しがるのではなく、欠けている一枚を意識して系統立てて集めるという、コレクション的な集め方をしやすいという。実験では、対決相手と「おとり」のおもちゃを分け合うことと引き換えに、コレクション対象のおもちゃを一つ得られるという場面が用意された。46人の子供のうち28人が、相手に分け前を渡すという条件を飲んででも欲しいおもちゃを手に入れる方を選んだという。分け合うかどうかを判断するその一瞬に、相手がどう出るかを読む力が要求される。子供の交換ごっこを大人の目で見ると微笑ましいだけだが、その奥で働いていたのは、譲る側の気前の良さというより、目的のために損得を計算する認知能力の方だったらしい。

ただし、その分け合い方は誰に対しても均等というわけではない。ダルハウジー大学のクリス・ムーアらの研究チームは、5歳から6歳の子供をランダムに色分けしたグループに割り振り、シールを分け合う場面を観察する実験を、カナダのハリファックスとイランのテヘランという文化的に離れた二つの都市で行った。その結果、子供たちはどちらの都市でも、自分と同じグループに属する相手にはより多くのシールを分け与える一方、相手がどれだけシールを必要としているかにはあまり関心を向けなかったという。ちょっとした色分けというごく作為的な基準だけで、公平さの物差しが変わってしまう。二つの離れた文化で同じ傾向が確認されたということは、この身内びいきが特定の育て方の産物ではなく、もっと根の深いところから来ている可能性を示している。子供の頃の交換ごっこを牧歌的に思い出したくなるが、実際にはそこにも、誰と交換するかを選別する冷めた基準がすでに働いていたことになる。

使わずに増え続けるものへの、後ろめたさ

集め方には、多少の変化があった。最初は目についたものを片っ端から買っていたが、そのうち「なんとなく好き」の中身を絞り込みたくなった。旅先で見つけたラベルや航空会社のタグだけを集めていた時期もあれば、文字やロゴのデザインだけに反応していた時期もある。振り返ると、その時々の自分が何に惹かれていたかが、シールの並びにそのまま出ている気がする。これは自己表現というほど大げさなものではなく、単に趣味の解像度が年々上がっていっただけのことかもしれない。

使わずに溜め込むことに、ある時期から少し抵抗を感じるようになった。もったいなくて貼れない、という感覚はよくわかるのだが、貼らないシールは結局、引き出しの奥で存在を忘れられていく。手帳の余白に一枚貼るとか、手紙の封をするときに一箇所使うとか、そのくらいのことでいい。使ってしまえば減るが、使わなければ、それはただ増え続けるだけの荷物になる。ここまで並べてきた理論のどれも、この後ろめたさの正体までは説明してくれない。集める理由の説明は色々あっても、使えない理由の説明は結局、自分の性格の問題に戻ってくる。

保存については、直射日光と湿気を避ける、というだけの単純な話だ。それ以上の作法めいたことを語るつもりはない。ただ、シリカゲルを入れた箱を開けて、数年前に買ったシールの色がまだ褪せていないのを見るとき、少し安心する。この安心感に理論名をつけるのはやめておく。単に、物が壊れずにそこにあることを確認したいだけなのだと思う。

使うか使わないかの判断基準も、年を追うごとに緩くなってきた。以前は「これは特別だから」という理由で温存するシールが大半を占めていたが、今は逆に、気に入っているものほど早めに使ってしまう方に寄っている。温存している間は評価が固定されたままだが、実際に使ってしまえば、それがどこかの誰かの目に触れる機会が一度生まれる。棚の中で完結させておくよりも、使って外に出す方が、結局は物としての役目を果たしていることになる。この転換に理論的な裏付けがあるわけではない。単に、しまっておくことに飽きただけかもしれない。

答えの出なさが、たぶん本体である

ここまで、発達心理学、ノスタルジー研究、処理流暢性、ゴール勾配、交換の数理という五つの理論を持ち出してみた。どれも部分的には説明力を持つが、どれ一つとして「だからシールを集めている」という一文には落ち着かない。むしろ理論を重ねるほど、この趣味が複数の欲求のつぎはぎでできていることが分かってくる。分類したい欲、懐かしさに触れたい欲、模様を眺めていたい欲、空欄を埋めたい欲、人とやり取りしたい欲——そのどれもが少しずつ関わっていて、どれか一つが主犯だと名指しできない。

「集めてどうするの」という問いに対して、今も一つの答えを差し出せないのは、たぶん質問の立て方の方に無理があるからだ。この趣味は、単一の目的から逆算して選ばれたものではなく、いくつもの小さな引力が偶然重なった結果として今も続いている。答えが一つに定まらないまま続けられる、というのが、この趣味の性質そのものなのだろうと思う。

もっとも、これは開き直りではない。理論を五つも六つも並べておいて「結局よく分からない」で締めるのは、ずいぶん都合の良い逃げ方に見えるかもしれない。ただ、分からなさをそのまま残しておくことと、分からないから考えるのをやめることは別の話だ。次に新しい柄のシールを見つけたとき、自分の中でどの引力が働いて手が伸びたのかを、以前より少しだけ分解して見られるようになった気はする。趣味の理由を突き止められたわけではないが、突き止められない理由の輪郭くらいは、以前よりはっきりしてきた。今のところは、それで十分だと思っている。

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