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岳温泉、客は4割減、物悲しさはない。

岳温泉、客は4割減、物悲しさはない。

福島県の岳温泉に三泊した。入込客は2010年の約六割、県全体は震災前を上回ったのに。人の少なさ、商売っ気のなさ、昭和の残骸、手入れの続く管。研究と資料で確かめられたこと、そうでないことを分けて書く。

TOMOAKI··春

旅行の計画を立てようとすると、画面には「映える」場所の写真が先回りして並んでいる。現地に着く前から、何を見て、どこで撮って、何を食べればいいのかがわかってしまう。答え合わせのための旅、と言ってもいい。

その反動として「穴場」という言葉がある。ただ、誰かがその言葉を書き込んだ時点で、そこはもう穴場ではない。寂れた温泉地をわざわざ選ぶという行為も、よく見れば「映え」の裏返しにすぎないのではないか。人が少ないことを、別の種類の付加価値として消費しているだけではないか、と。

もっとも、その冷笑もすでに定型になっている。秘境ブームを笑う文章は、秘境を勧める文章と同じくらいありふれている。だから今回は、どちらの型にも寄せずに、一つの温泉地で見たものを手がかりに、少し遠回りをしてみる。

2025年の秋、福島県二本松市の岳温泉に三泊した。初めて訪れる町だった。安達太良山の中腹、標高約600メートルにある温泉街で、泊まった宿の内湯に入り、共同浴場に入り、別の宿にも日帰りで入った。食事は近所のコンビニで買った。

そこで一つ、うまく説明できないことがあった。この町は、寂れている。それなのに、物悲しくはなかった。

煌びやかで、人がいない

岳温泉の中心には「ヒマラヤ大通り」という通りがある。温泉神社への参道でもあり、町のメインストリートにあたる。

この通りはライトアップされていて、煌びやかと言っていい明るさだった。そして、人通りが少なかった。寂しい。けれど、煌びやかなのに人がいないという組み合わせは、寂しさとは別の、不思議な雰囲気をつくっていた。

照明は、ふつう人を迎えるために点けられる。灯りがあればそこには誰かがいる、というのが日常の感覚だ。閉店後のショッピングモールの通路に近いと言えなくもないが、あれは灯りも半分落ちている。ここでは灯りのほうは手を抜いておらず、受け取る側だけが欠けていた。

町のなかには、ポスターなどに「ニコニコ共和国」の名残があった。土産物屋には、こちらが心配になるほど商売っ気がなかった。宿も、メインストリートも、空いていた。

古びた温泉街のノスタルジックさ、という言い方はよくされるし、実際それもあった。それに加えて、昭和の息遣いの残骸とでも呼ぶしかないものが見えた。小学生のころの昭和を、私は知っている。その記憶と地続きのものが、この町には残っていた。

二十年が過ぎた独立国

ニコニコ共和国について、少し調べた。

1982年、岳温泉は「ニコニコ共和国」として日本からの独立を宣言した。観光庁の多言語解説文データベース(二本松市作成)によれば、きっかけはこの年に開業した東北新幹線だった。二本松には新幹線の駅が置かれる予定がなく、それまで走っていた急行列車の多くが新幹線に置き換えられる。客足が遠のくのではないか、という懸念から、町は忘れられないための一手として「独立」を選んだ。

前年の1981年には、井上ひさしの『吉里吉里人』が出ている。東北の一寒村が日本から独立する小説で、これに触発されるようにして、冗談まじりの「ミニ独立国」が各地に生まれた時期だった。岳温泉の場合、観光協会の事務所は「国会議事堂」に、協会長は「大統領」になり、パスポートと通貨「コスモ」が発行された。パスポートは割引のスタンプカード、通貨は買い物券として使えたという。

冗談としては、うまくいった部類に入る。同じ資料によれば、共和国は全国ニュースで取り上げられ、町のリーダーたちはこの冗談を続けることにした。続けた期間は、ちょっとした冗談の寿命をはるかに超える。日本への「統合」は2006年8月31日。二十年以上、この町は独立国を名乗っていた。

その統合からも、すでに二十年が過ぎた。観光協会は2020年の記事で、シンボルマークのリスのイラストや看板など、共和国時代の名残が温泉街に点在していると紹介している。同じ記事によれば、当時のグッズはもうほとんど手に入らないが、一軒の土産物店で、共和国のガイドマップがまだ売られていた。題は「密入国の手引書」、税込100円。2020年の時点では、四十年近く前の冗談が、まだ棚に残っていたことになる。今も売られているのかは確かめていない。

寂れている、の中身

寂れている、と書いた。印象だけで言っているのではないことを、先に確かめておく。

福島県が毎年公表している観光地ごとの入込客数で、岳温泉の2010年は401,465人だった。翌年、東日本大震災と原発事故の年に、その数は四割以上減る。数年かけて25万人から28万人台まで戻り、感染症が広がった2021年に12万人台まで落ちて、また少しずつ戻ってきた。2025年は250,857人。十五年のあいだ、一度も2010年の水準には届いていない。

意外だったのは、同じ資料に載っている県全体の数字のほうだ。2025年の県内の観光客入込総数は5,763万人で、震災前の2010年をわずかに上回っている。調査の対象になった地点の数が2010年より増えているので、きれいな比較ではない。それを差し引いても、県としては「震災前を上回った」と書ける年に、岳温泉はまだ六割強にとどまっている。県が戻ったことと、この町が戻らないことは、同じ年の同じ報告書の中に並んでいる。

もっと前の数字もある。環境省が2015年にまとめた計画書によれば、宿泊客数が最も多かったのは1995年度の年間48万人で、2013年度には約21万人。最盛期には約22軒あった旅館や民宿は、計画書の時点で、源泉を使って営業している旅館が12軒になっていた。入込客数と宿泊客数は数え方の違う数字なので、並べて比べることはできない。どちらで測っても、人の流れが細くなってきたことは動かない。

一つの町から、どこまで言えるか

ここから先は、問いを少し広げてみたい。寂れているのに物悲しくない、というのは岳温泉だけのことなのか、それとも寂れた温泉街に共通しうる性質なのか。

先に断っておくと、私が行ったのはこの町だけで、滞在は三泊だ。一つの町の三泊から「寂れた温泉街の魅力とはこれだ」と言い切れば、このサイトが普段から疑っている種類の文章になる。だから、やり方を変える。岳温泉で見えたことを一つずつ取り出して、それがほかの場所にも当てはまりうる性質なのかを、研究や統計のほうから確かめようとしてみる。確かめられたことと、そうでないことを、分けて書く。

取り出せたのは、人の少なさ、商売っ気のなさ、昭和の残骸、そして手入れが続いていること。最後に、もう少し実用的な話として、町の近さにも触れる。

人が少ないことは、本当に効くのか

宿もメインストリートも空いていた。のんびりできた。雑踏にうんざりしている人には合う町だと思う。いちばん素直な感想は、これになる。

以前、寂れた温泉地を見るための物差しを三つ考えたことがある。視覚の沈黙、聴覚の解像度、身体の対話。このうち「視覚の沈黙」は、ネオンや原色の看板が排除され、古びた木や石の褐色が支配していることを指していた。目に入る情報の彩度が下がると、意識が内側に向かう、という理屈だった。

ヒマラヤ大通りは、この物差しをそのまま裏切っている。彩度は下がっていない。照明で、むしろ上がっている。にもかかわらず、あの通りには寂しさとは別の不思議な雰囲気があった。それを生んでいたのは、色の地味さではなく、人の少なさのほうだったのではないか。煌びやかな通りに人があふれていれば、ただの賑やかな通りになる。

直感としてはわかりやすい。環境心理学には、カプランの注意回復理論という枠組みがある。日常の用事から離れること(being away)や、努力せずに注意が向く対象(fascination)があると、集中に使って疲れた注意が回復しやすい、という考え方で、主に自然環境の効果を説明するのに使われてきた。人混みは、いやでも注意を払わされる対象の代表だから、人が少ないほど回復しやすい、という筋書きは自然に引けそうに見える。

ところが、これを直接確かめた研究は意外に少ない。ニールらが2021年に発表した論文は、冒頭でまさにそのこと——環境の中に人がいるかどうかが回復にどう影響するかを調べた研究はほとんどない——を指摘したうえで、三つの実験を行っている。結果は直感を支えなかった。自然の風景に人がいる場合といない場合を比べた実験では、どちらにも気分の改善はあったが、人の有無による差は出なかった。200人に動画を見せた実験でも、自然の場面では、人が映っていてもいなくても回復感は変わらなかった。この論文の抄録から読めるのは、人の有無より、自然か都市かのほうが効いていた、ということだ。

反対向きに見える報告もある。ライデン大学のスターツが2019年の学会で報告した実験では、79人の学生にストレスのかかる課題をさせたあと、森の散歩の動画を見せた。散歩の途中で見知らぬ人と出会う場面では、大学で重要な立場にあると知っている人と出会う場面と同じように、心拍が上がった。もっとも、これは心拍という一つの指標の話で、日常から離れられたと感じたかどうかを尋ねた主観の指標では、見知らぬ人と出会っても、誰とも出会わない場合と差はなかった。差が出たのは、その重要な立場の人と出会った場合だけだ。

二つを並べると、体は他人に反応するが、気持ちの上では見知らぬ人一人くらいなら気にならない、とも読める。どちらも画面越しの実験で、実際に雑踏を歩いたわけでも、温泉街を扱ったわけでもない。学会報告のほうは、公開されている要旨の範囲でしか内容を確かめられていない。人の少なさが回復に効くという直感は、今のところ、研究の側からはっきり支えられているとは言いがたい。

だから、人の多さそのものに疲れている人に空いた町が合う、というのは、回復の理論というより、余計な負担が一つ減るという程度の話として受け取っておく。賑わいの中にいるほうが落ち着く人も、当然いる。

売り込まれないことは、本物らしさなのか

ニコニコ共和国の話から入りたい。

社会学者のコーエンは1988年の論文で、観光の商品化について広く信じられていた前提を疑った。商品化は文化の意味を壊す、観光客の体験は演出されたものにすぎない、観光客は本物の体験をできない。彼はこれらの前提を一つずつ問い直している。本物らしさは固定されたものではなく交渉されるもので、どこまで厳密に求めるかは旅行者が何を求めているかで変わる。そして、新しく生まれた文化の形も、時間がたつうちに本物らしさを帯びうる、と彼は書いている。「生成する本物らしさ(emergent authenticity)」という考え方だ。

1982年のニコニコ共和国は、誰が見ても観光客を呼ぶための演出だった。それが二十四年続き、統合後も名残として町に残っている。「密入国の手引書」は、もう単なる宣伝物というより、この町の歴史の一部になりかけているようにも見える。コーエンの考え方に沿えば、長く続いた演出は、本物らしさを帯びることがありうる。ありうる、というところまでで、そうなったかどうかを決めるのは見る側だ。

では、商売っ気のない土産物屋はどうか。こちらが心配になるほどだった、と書いた。

ここで思い出すのが、マキャネルの1973年の論文だ。彼は、社会学者ゴフマンの「表舞台」と「舞台裏」という区別を観光地に当てはめた。旅行者は、親密さや本物の体験と結びついている舞台裏に入りたがる。そして観光地のほうは、実際には入っていないのに舞台裏に入ったかのような印象を与えるよう、空間を整えている。「演出された本物らしさ(staged authenticity)」と呼ばれる議論だ。

この見方でいくと、商売っ気のない店を「演出の手前にある、まだ整えられていない場所」と読みたくなる。マキャネルなら、たぶんそこで止める。舞台裏に見える場所こそ、そう見えるように整えられうるのだ、と。商売っ気のなさが素朴さの演出なのか、売り込まない方針なのか、単に客が少ないからなのかを、三泊で見分ける方法はない。三つ目なら、そこに本物らしさを読み取るのは、こちらの勝手な読み込みになる。

マキャネルの議論は旅行者の記述を材料にした理論で、実験で確かめられたものではない。私が手にしているのは、その理論と、心配になるほど商売っ気のなかった店の記憶だけだ。

小学生のころの昭和

先に、自分の側のことを書いておく。岳温泉で見えた昭和の息遣いの残骸は、私にとっては、小学生のころに知っていた時代の残骸だった。知らない時代の珍しい古いものではなく、自分の記憶と地続きのものとして、それは見えた。

懐かしさには、心理学の実証研究がある。ワイルドシュートやセディキデスらが2006年に発表した論文は、七つの研究で懐かしさの中身と引き金と働きを調べた。抄録によれば、人が語る懐かしい経験には、否定的な感情より肯定的な感情の表現のほうが多く含まれていた。つらい場面が、その後の出来事によって報われる、という筋の語りもよく見られた。懐かしさは気分が落ち込んだときや、本人が孤独を感じたときに起きやすい。そして、人とのつながりの感覚や自分への肯定感、前向きな気分を高める働きがある、という。

ここで、言葉を一つ区別しておく必要がある。この研究が懐かしさの引き金として挙げる「孤独」は、本人が感じている気持ちのことだ。町が寂れて見えることとは別の話で、寂れた町並みが見る人の孤独を呼び起こすかどうかについて、この研究は何も言っていない。町が寂しいから懐かしくなる、とつなげたくなるが、それは同じ「さびしさ」という言葉で二つのものを入れ替える手品になる。

研究から借りられるのは、もっと控えめなことだ。懐かしさという感情は、もともと悲しみだけでできていない。語られる中身は、むしろ明るい側に傾いている。寂れているのに物悲しくない、という私の感覚は、特別な発見というより、懐かしさのごく普通の形に近いのかもしれない。

この研究から言えないことも二つある。一つは、研究が調べたのが懐かしさの語りの中身と、実験室で懐かしさを呼び起こしたときの気分や自己評価の変化だということ。寂れた温泉街に身を置くことが回復や満足をもたらす、という因果までは、ここからは引き出せない。もう一つは、小学生のころの記憶が、この町の何に触れて呼び起こされたのか。それは研究の外にあり、知っているとすれば記憶の持ち主の側だけだ。

比較文学者のスヴェトラーナ・ボイムは『The Future of Nostalgia』(2001年)で、ノスタルジアを二つの型に分けた。失われた故郷をそのまま建て直そうとする「復古的ノスタルジア」と、失われたことへの思いそのものにとどまる「反省的ノスタルジア」。ボイム自身による要約では、前者は自分をノスタルジアだとは思わず、真実や伝統だと考える。後者は思いそのものの中で生き、象徴より細部を好み、皮肉やユーモアを含みうる。

名残を眺めていた私の感じ方が、この二つのどちらに近かったのか。言い切れない。取り戻したいと思ったかどうかで分けられそうに見えるが、後者は後者で、物憂さや切なさと隣り合っている型でもある。ボイム自身が、この二つは絶対的な二分法ではないと断っている。型に当てはめるより、当てはまらないところが残る、と書いておくほうが正直だと思う。

八キロの管と、手入れの続く町

湯はぬるめだった。濁り湯で、湯の花がたくさん溜まっていた。

岳温泉の湯は、温泉街の足元から湧いているわけではない。源泉は安達太良連峰の鉄山の直下、標高約1,500メートルの地点にある。環境省の計画書によれば、15か所から自噴する源泉を集め、およそ8キロメートルにわたって1本の引き湯管で温泉街まで送っている。観光協会によれば、かかる時間は約40分。ポンプは使わず、高低差だけで湯が下りてくる。泉質は単純酸性泉で、pHは約2.5。全国的にも珍しい部類に入る。

この引き湯は、町が何度も場所を移してきたことと関係がある。1824年の山崩れで源泉近くの温泉街が埋まり、二本松藩は山の下に新しい温泉街を造らせて、そこまで湯を引いた。その町は1868年の戊辰戦争で焼け、次の町は1903年の火事で焼け、今の場所に落ち着いたのは1906年。湯は変わらず、同じ山から引かれている。町のほうが、湯の届く範囲で引っ越しを繰り返してきた、と言ったほうが近い。

管の材質も変わってきた。観光庁のデータベースでは、はじめは蓋の付いた赤松の導管で、20世紀初めに松の丸太をくり抜いた木管に替わり、1950年代から塩化ビニールの管に少しずつ置き換えられた、とある。観光協会のページは、土管から赤松の木管をくり抜いた樋に変えた、と書いている。初期の材質の説明は、資料によって違う。

8キロの道のりで湯が揉まれ、酸性泉なのに肌にやさしい柔らかな湯になる。環境省の計画書にも観光協会の説明にもある、この町の湯の語られ方だ。仕組みを確かめた資料は、探した範囲では見つからなかった。数字の上では、町で測ったpHは現地で2.4、試験室で2.50、計画書では2.48で、約2.5のまま。揉まれて柔らかくなる、というのは、少なくとも酸の強さが変わるという話ではないらしい。

温度の数字もある。観光庁のデータベースでは、源泉の温度は40〜90℃とばらばらで、合流した湯は52℃。管が温度を保つので追い焚きはいらない、とある。観光協会の分析書では、温泉街の第一タンクで採った湯が54.5℃だった。どちらも源泉と配湯の温度で、浴槽の湯の温度ではない。50℃を超える湯にそのまま入る人はいないから、浴槽までのどこかで温度は下げられているはずだが、どこでどう下げているのかは資料に書かれていない。私がぬるめだと感じた浴槽の湯の温度も、資料の外にある。

濁りのほうには、手がかりがある。観光協会が公開している分析書の現地での試験は、湯を「無色・澄明」としたうえで、少量の白い沈積物を認めている。観光協会は「普段は透明のお湯」とも書いている。それが白くなる日が、「ミルキーデイ」だ。湯の花は管の内側にこびりつく。湯守がそれを流すと、溜まった湯の花が一度に温泉街まで届き、湯が真っ白になる。目安は夏は週に一度、冬は二週間に一度。私が見た濁りと溜まった湯の花が、その流れてきた分だったのか、別の理由だったのか。そこまでは追えなかった。

管の話は、物悲しさの話につながっている気がする。

2015年の環境省の計画書には、岳温泉管理株式会社が毎日湯量と温度を管理し、湯の花が付く源泉近くの管を二週間に一度掃除している、とある。観光協会の目安では、湯の花を流す作業は夏は週に一度。数字は少し食い違うが、8キロの管を誰かが定期的に手入れしていることは、どちらの資料からも読み取れる。通りの照明も、誰かが点けている。

同じ計画書には、別の話も出てくる。廃墟になった旅館の跡地を更地にして、観光客や住民が集まれる施設にする計画だ。この町にも、手放された建物はあった。そのうえで、湯を町まで届ける仕事は、計画書の時点では毎日続いていた。

物悲しさは、見捨てられたという気配から来るのではないか、と私は考えている。寂れることと見捨てられることは、同じではない。客が減っても手入れが続いている町は、減ったことが見えても、終わったようには見えない。

これは仮説の域を出ない。手入れの記述は2015年の資料で、私が見たものではない。手入れが続いていることと、訪れた人が物悲しさを感じないことのあいだに関係があるかどうかを測った研究は、探した範囲では見つからなかった。

近くに、行ける場所がある

最後に、地に足のついた話をする。岳温泉は、周りに行ける場所が近かった。観光の拠点にもいい、というのが私の感想だ。

三泊のあいだに、あだたら山のスキー場に行き、そこの日帰り温泉「あだたら山 奥岳の湯」にも入った。温泉街の宿の湯とは別に、四つ目に入った湯になる。運営するあだたら高原リゾートの案内によれば、標高約950メートル、泉質は単純酸性温泉、pH2.5。内湯は源泉かけ流しで、大人800円、営業は10時から19時(いずれも2026年10月8日に確認)。標高600メートルの温泉街から、さらに350メートルほど上がったところにある。

二本松菊人形も、ちょうど開かれていた。二本松市の広報によれば、2025年は第69回で、10月10日からの開催。2015年の広報には第61回とあるから、半世紀以上続いている秋の行事だ。2025年10月号の広報で市長が紹介しているのは、一本の茎から千輪もの花を咲かせる「千輪咲」だった。二本松菊花愛好会の人が二年がかりで育てるもので、これを栽培できる人は、今、市内に3人しかいない。この年は愛好会の会長が、オリジナル品種で例年にない大きさの千輪咲に挑んでいて、その直径は3メートルを超える、とも書かれている。

道の駅も近かった。名前は思い出せない。二本松市内だけでも道の駅「安達」智恵子の里や道の駅「ふくしま東和」があり、どこのことなのかは特定できない。ついでに知った数字を一つ置いておく。福島県の統計では、国道沿いにある道の駅「安達」の下り線だけで、2025年に744,634人が訪れている。同じ年の岳温泉のおよそ三倍だ。立ち寄りの施設と泊まりの温泉街では数え方の意味が違うので、比べて何かを言えるわけではない。この地域を通る人がいなくなったわけではない、ということくらいはわかる。

二本松市の案内では、岳温泉は東北自動車道の二本松インターチェンジから車で約15分。拠点の取り方には、大きく二通りあると思う。

  • 岳温泉のような空いた温泉街に泊まり、日中は周りの観光地へ出かける。宿も通りも混んでいないので、戻ってきてからの時間をのんびり過ごせる。その代わり、移動の手間は毎日かかる。
  • 菊人形の会場や主要な観光地の近くに泊まり、そこから歩いて動く。移動は楽で、行事の時期なら賑わいの中に身を置ける。その代わり、行事の時期は宿の周りも混むことがあるだろう。

賑わいそのものを楽しみに来た人には、後者が合う。人の多さに疲れていて、日中に見たものを宿に戻ってから思い返したい人には、前者が合う。

光っている理由を、私は知らない

人の少ない通りを、あれだけ明るく照らしているのは、誰の、どういう判断なのか。

客を呼ぶためなのか、町に住む人のためなのか。あるいは、灯りを落としてしまうと、本当に何かが終わってしまう気がするからなのか。資料には書いていなかった。

思えばこの町は、四十年以上前に、忘れられないために独立を宣言した町だ。山崩れや戦や火事のたびに場所を移しながら、同じ山から湯を引き続けてきた町でもある。その町の通りに、受け取る人の少ない灯りがともっている。次にあの通りを歩くことがあれば、灯りを眺めるより先に、それを点けている人のことを考えると思う。

出典

  • 環境省『岳温泉国民保養温泉地計画書』2015年5月 https://www.env.go.jp/nature/onsen/area/plan_dake.pdf(標高約600m、湯元の標高1,500m、15か所の自噴源泉と約8kmの1本の引き湯管、pH2.48、湯もみの説明、4期の変遷と1906年の現在地への移転、宿泊客数のピーク1995年度48万人・2013年度約21万人、最盛期の旅館・民宿約22軒、旅館12軒、廃墟旅館の跡地の計画、岳温泉管理株式会社による毎日の湯量・温度管理と2週間に1回の管の清掃)
  • 岳温泉観光協会「岳温泉について」https://www.dakeonsen.or.jp/dakeonsen(ヒマラヤ大通り、1982年のニコニコ共和国独立宣言、引湯管の材質〔土管から赤松の木管をくり抜いた樋へ〕。2026年10月確認)
  • 岳温泉観光協会「岳温泉の泉質・効能」https://www.dakeonsen.or.jp/dakeonsen/onsen(単純酸性温泉、pH 現地2.4・試験室2.50、泉温54.5℃〔2019年8月23日、第一タンクで採水〕、現地試験「無色・澄明…少量の白色沈積物を認める」、約8km・約40分の引湯と湯もみ、ミルキーデイ〔「普段は透明のお湯」、夏期週1回・冬期2週間に1回が目安〕。2026年10月確認)
  • 岳温泉観光協会「温泉街散策&グルメ堪能 岳温泉日帰り旅おすすめコース」2020年11月15日 https://www.dakeonsen.or.jp/column/200(共和国時代の名残の点在、当時のグッズは「ほぼ入手不可能」、土産物店1軒でガイドマップ「密入国の手引書」税込100円を販売。いずれも2020年時点。2026年の販売状況は未確認)
  • 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース「岳温泉の歴史」(二本松市、2024年度)https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R6-00322.html ・ 日本語版 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001927796.pdf(1824年の山崩れと引湯の始まり、ニコニコ共和国の経緯、『吉里吉里人』、2006年の統合)
  • 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース「岳温泉の引き湯」(二本松市、2024年度)https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R6-00319.html ・ 日本語版 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001927793.pdf(源泉40〜90℃、合流後52℃、追い焚き不要、ポンプ不要、蓋付き赤松の導管→木管→1950年代からの塩ビ管)
  • 一般社団法人東北観光推進機構「旅東北 岳温泉」https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1009057.html(1982年、東北新幹線開業の年の独立、2006年8月31日の日本国への統合)
  • 福島県商工労働部観光交流局観光交流課『福島県観光客入込状況』平成22年分〜令和7年分 https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/32031a/kanko-koryu3.html(岳温泉:2010年401,465人、2011年231,224人、2021年125,722人、2025年250,857人ほか。県全体2025年57,630千人・2010年比0.8%増、調査対象地点数の増加。道の駅「安達」下り線2025年744,634人。2010年分から観光庁共通基準で集計)
  • 二本松市「岳温泉」観光案内 https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/travel_guide/tourist_attractions/page002724.html(ヒマラヤ大通りがメインストリート、二本松ICから車で約15分。2026年10月確認)
  • 二本松市『広報にほんまつ』2015年10月号 https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/data/doc/1509335837_doc_13_1.pdf(第61回二本松の菊人形)
  • 二本松市『広報にほんまつ』2025年10月号「市長からの手紙」https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/data/doc/1759208116_doc_18_0.pdf(第69回二本松の菊人形、10月10日から、千輪咲〔2年がかり、栽培できるのは市内3人。直径3m超は、この年に会長がオリジナル品種で挑んだ例年にない大きさの千輪咲についての記述〕)
  • 二本松市「道の駅『安達』智恵子の里の指定管理者候補者の選定結果について」https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/data/doc/1734485670_doc_22_0.pdf ・ 二本松市「主要な業務行事等の実施状況」https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/data/doc/1551235028_doc_18_0.pdf(市内の道の駅「安達」智恵子の里、道の駅「ふくしま東和」)
  • あだたら高原リゾート「あだたら山 奥岳の湯」https://www.adatara-resort.com/spa/index.html(標高約950m、単純酸性温泉、pH2.5、内湯は源泉かけ流し、10:00〜19:00、大人800円。2026年10月8日確認。源泉が岳温泉と同じかは記載なし)
  • Kaplan, S. (1995). The restorative benefits of nature: Toward an integrative framework. Journal of Environmental Psychology, 15(3), 169–182. https://doi.org/10.1016/0272-4944(95)90001-2(本文・抄録とも未見。理論の要素〔being away、fascination〕は二次情報による)
  • Neale, C., López, S., & Roe, J. J. (2021). Psychological restoration and the effect of people in nature and urban scenes: A laboratory experiment. Sustainability, 13(11), 6464. https://doi.org/10.3390/su13116464(抄録で確認)
  • Staats, H. Psychological restoration as a function of the social quality of an encounter in nature. EDRA50(Environmental Design Research Association 第50回大会、2019年5月22〜26日、ブルックリン)プロシーディングス https://cuny.manifoldapp.org/read/psychological-restoration-as-a-function-of-the-social-quality-of-an-encounter-in-nature(学会報告。公開されている要旨の範囲で確認。開催日程は EDRA50 の公式案内 https://edra.confex.com/edra/EDRA50/cfp.cgi による)
  • MacCannell, D. (1973). Staged authenticity: Arrangements of social space in tourist settings. American Journal of Sociology, 79(3), 589–603. https://doi.org/10.1086/225585(抄録で確認。本文中のゴフマンの「表舞台/舞台裏」の区別は、この論文が下敷きにしているものとして、この論文経由で紹介した)
  • Cohen, E. (1988). Authenticity and commoditization in tourism. Annals of Tourism Research, 15(3), 371–386. https://doi.org/10.1016/0160-7383(88)90028-X(抄録で確認。ヘブライ大学の研究者データベースの書誌)
  • Wildschut, T., Sedikides, C., Arndt, J., & Routledge, C. (2006). Nostalgia: Content, triggers, functions. Journal of Personality and Social Psychology, 91(5), 975–993. https://doi.org/10.1037/0022-3514.91.5.975(抄録のみ確認)
  • Boym, S. (2001). The Future of Nostalgia. Basic Books.(原書は未見。復古的/反省的ノスタルジアの定義は、著者自身による要約文の転載〔BASE Milano 掲載、monumenttotransformation.org 初出〕で確認した二次的な確認)
  • 井上ひさし『吉里吉里人』1981年(刊行年とミニ独立国ブームとの関係は、上記の観光庁データベースの記述による)
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