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仕事の役に立つかどうかを、趣味に聞くのをやめてみる

仕事の役に立つかどうかを、趣味に聞くのをやめてみる

「趣味が仕事に効く」という語り方を、一度疑ってみる。役に立たないかもしれない時間を、それでも続けている理由について。

TOMOAKI··趣味

「趣味を仕事に活かす」という言い回しを、時々見かける。麻雀で確率思考を鍛える、即興劇で瞬発力を磨く、茶道でおもてなしの本質を学ぶ。読んでいると筋が通っているように感じるし、自分でもそういう理屈を後付けしたことがある。

ただ、正直に振り返ると、順序はいつも逆だった。何かの趣味を始めて、しばらく続けて、それから「これは仕事にも通じるかもしれない」と気づく。最初から「仕事に効くから」という理由で始めた趣味は、たいてい長続きしなかった。

「役に立つ」を先に置くと、続かなくなる

これは自分の経験に過ぎないが、目的を先に決めてから趣味を選ぶと、その趣味が期待通りの効果を出さなかった瞬間に、続ける理由がなくなる。プレゼン力を鍛えるために始めた話し方教室で、思うように話が上達しないと、途端に「時間の無駄」だと感じてしまう。

逆に、なぜか惹かれて始めたものは、成果が出なくても続く。理由が最初から「なぜか」なので、期待外れという概念が発生しない。詰将棋を何年も解いているが、それで仕事の意思決定が速くなった自覚はほとんどない。ただ、続けている。

それでも、何かは変わっている気がする

とはいえ、趣味が仕事に一切無関係だとも思わない。麻雀を長く続けている知人は、会議で「今の情報だけで決めるしかない場面」への割り切りが早い。これも本人が言うには因果関係の証明はできないし、単に性格の問題かもしれない、とのことだった。その留保ごと、話としては信用できる。

おそらく実際に起きているのは、「趣味Aが仕事のスキルBを鍛える」という一対一の関係ではなく、何かに長く没頭する経験そのものが、別の場面での粘り強さや観察の仕方にうっすらと影響する、という程度のことなのだろう。それを「還元ルート」や「メタ思考」といった言葉で図式化した瞬間、うっすらとした実感が、証明済みの効能であるかのように誇張されてしまう。

言語化することについて

「趣味を言語化するとキャリアの評価が上がる」という話もよく聞く。「麻雀が趣味です」ではなく「情報の非対称性への感度を磨いています」と言い換えれば、たしかに聞こえ方は変わる。ただ、それが実際に評価を動かすかどうかは、確かめようがない。少なくとも自分は、言い換えの巧みさより、その人が実際にどれだけ長くその趣味を続けているかのほうに、話していて興味を惹かれる。

結局のところ、趣味に仕事への還元を求めるかどうかは、その人の自由だと思う。ただ、還元を求めて始めた趣味が続かなかったとしても、それはその人の根気が足りないからではなく、順序が逆だっただけかもしれない。何かに惹かれる理由を、後から説明できなくてもいい。