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秘境に行かなくても、休める場所はあるかもしれない

秘境に行かなくても、休める場所はあるかもしれない

心身をリセットするには遠くの温泉地や長期休暇が要る、という思い込みを疑ってみる。銭湯やホテルのデイユース、感覚を遮断できる部屋のような、都市の中にすでにある設備について考えた。

TOMOAKI·

疲れがたまると、どこか遠くに行きたくなる。秘境の温泉、電波の届かない山小屋、長期休暇でしか行けないような場所。そういう場所を想像すると、それだけで少し楽になる気がする。ただ、現実には移動には時間と費用がかかり、そう頻繁に実行できるものではない。むしろ、休みたいと思う頻度に対して、遠出できる回数のほうが圧倒的に少ない。

そこで最近考えているのは、自分が本当に必要としているのは「遠さ」そのものなのか、それとも遠さによって結果的に得られる何か別のものなのか、ということだ。

遠さが運んでくるもの

秘境に行きたくなるとき、実際に欲しいのはおそらく、静けさと、普段の役割から切り離される感覚と、体を物理的に動かすことによる変化だと思う。だとすれば、それらは必ずしも遠くまで移動しなくても、都市の中にすでに用意されているのではないか。

たとえば近所のスーパー銭湯は、熱い湯に浸かって血流を変えるという意味では、遠方の温泉とやっていることはそう変わらない。ビジネスホテルのデイユースプランを使えば、数千円で、家でも職場でもない、誰にも呼ばれない数時間を買うことができる。感覚遮断を目的にしたアイソレーションタンクや、外部の音を持ち込まないリスニングルームのような場所も、都市の中に点在している。

これらに共通しているのは、遠くへ行かなくても、日常の環境からいったん切り離される時間を作れる、という点だ。

効いているのは場所か、それとも決め事か

ただ、ここで少し立ち止まる。銭湯やホテルの部屋そのものに回復の効果があるというより、「今からこの数時間は休むと決めた」という区切りをつける行為のほうが、実は効いているのかもしれない。お金を払って部屋を借りる、あるいは電車で少し離れた銭湯まで行く、という手間そのものが、頭を切り替えるスイッチになっている可能性がある。

だとすれば、遠くの秘境が特別に見えるのも、距離そのものではなく、距離が強制的に作ってくれる「戻れない区切り」のせいなのかもしれない。都市の中でそれをやろうとすると、家からの距離が近い分、いつでも仕事に戻れてしまう。区切りを自分で作る意志の弱さが、そのまま結果に出る。

近さと引き換えに失うもの

都市の施設には利点もある一方で、正直に言うと、遠くの温泉地にあるような静けさの密度には及ばない。銭湯には知らない人の話し声があるし、ホテルの部屋の外には車の音がある。完全な遮断ではなく、あくまで日常より少しましな環境、というのが実際のところだと思う。

それでも、月に一度も取れない長期休暇を待ち続けるより、平日の数時間で使える近場の選択肢を持っておくほうが、実用的ではある。理想の静けさを求めて機会を先延ばしにするより、七割くらいの静けさを頻繁に使うほうが、結果的には体に残るものが多い気がしている。

都市を敵視する必要はないし、逃げ込む先として理想化する必要もない。ただ、そこにすでにある設備を、思っていたより気軽に使ってもいいのかもしれない、というだけの話だ。