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趣味診断について、実際にやっていることを説明する
「あなたの深層心理を読み取る」という宣伝文句を取り下げた後、診断というジャンルそのものを疑ってみる。ForerからMBTI、血液型性格判断、占星術の二重盲検試験まで、当てはまった感覚の正体を辿る。
この趣味診断がやっていることは単純である。6つの質問への回答を、記事で定義した3つのアーキタイプ——収集と体系化・没入と遮断・自己研鑽と表現——に数えて、いちばん多かったものを表示する。それだけだ。分析でも予測でもない、ただの集計にすぎない。以前この場所には、もっと大仰な触れ込みが掲げられていた。中身に見合わない言い回しだったので取り下げた。看板を実態に合わせて書き直すと、この程度の話になる。
ここで終えてもよかった。だが取り下げた宣伝文句の裏には、もう少し大きな問いが隠れている。診断が「当たっている」と感じるとき、実際には何が起きているのか、という問いだ。これは趣味診断固有の話ではない。血液型性格診断からMBTI、星占い、就職活動で受けさせられる適性検査まで、「あなたはこういう人間だ」と言い切る形式全般に共通する仕掛けがある。診断というジャンルを一度、外から眺めてみる。
この問いを避けて通れないのは、疑ってかかる対象が結局は自分自身のツールだからだ。他人の主張の裏づけを問う記事を書きながら、自分の作った診断だけを検証の外に置いておくわけにはいかない。診断というジャンル全体を疑いの対象にすると、当然この趣味診断も同じ物差しで測られることになる。その結果、擁護できる部分と擁護できない部分がはっきり分かれた。以下はその線引きの記録である。
当てはまる、という感覚の作り方
1948年、心理学者のフォアは、入門心理学の授業を受けていた39人の学生に性格検査を実施した。回答を分析した上で、一人ひとりに個別の性格記述を返す、という体裁を取った。学生たちは、その記述がどれだけ自分に当てはまるかを0(まったく当てはまらない)から5(完全に当てはまる)で評定し、平均は4.26だった。4未満をつけたのは5人だけで、満点に近い評価である。実施の年や細かい数字は、のちのレビューや紹介記事による。
種明かしはこうだ。全員に配られた記述は一言一句同じだった。その大部分は、フォアが新聞売り場の占星術の本から拾い集めた文言である。「あなたは他人から好かれたいという強い欲求を持っている」「時に外向的で社交的だが、時に内向的で用心深く、控えめになることもある」——誰にでも当てはまる曖昧な言葉を並べただけの、いわば汎用の型紙である。それでも学生たちは、これは自分のために書かれたものだと信じ込んだ。同じ手順の追試はその後も数多く行われ、被験者の大半が自分によく当てはまると評定する結果が、くり返し得られている。平均値は研究や条件によって、2点台から4点台まで開きがある。4.26という数字が再現されたというより、条件が整えば空疎な記述でも高く評価される、という幅のある傾向が確かめられてきたのである。個別化されているという前提さえ与えれば、中身がどれほど薄くても人は自分の姿を読み取ってしまう。バーナム効果、あるいはフォア効果と呼ばれる現象だ。
厄介なのは、これが「騙されやすい人」に限った話ではないという点だ。受け手の側の違いを調べた研究もある。承認欲求の強い人や、物事の原因を外に求めがちな人はやや受け入れやすく、心理学に詳しい上級の学生は、副専攻の2〜3年生より辛めに評定した、という報告がある。それでも、1985年までの研究を整理したレビュー(ディクソンとケリー)が受け入れやすさを左右する要因として挙げたのは、まず記述の側だった。自分に向けたものに見えるか、好ましい内容か。診断結果を疑うべき理由は、読む側の注意力不足よりも、文の設計にあると考えたほうが実情に近い。
フォアがこの現象に名前をつけたわけではない。「バーナム効果」という呼び名は、1956年に心理学者のポール・ミールが、「誰にでも何かしら楽しめるものを用意する」ことを成功の方針とした興行師P・T・バーナムにちなんで付けたものだ(命名の経緯は二次情報による)。占いや性格診断だけでなく、パーソナライズされているように見える広告やレコメンド機能にも、同じ骨格が流用されている。宛先が自分一人であるという体裁さえ整えば、中身の解像度は二の次になる。この効果を知った後でも、当てはまって見える感覚そのものは消えない。消えるのは「これは自分だけに向けて書かれた」という前提の方だけだ。
MBTIが測っているもの
MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)は世界で最も広く使われている性格類型のひとつであり、企業研修から婚活サービスまで顔を出す。16種類のアルファベット4文字に人を割り振るこの手法の出自を辿ると、少し意外な事実に行き着く。開発したブリッグスとその娘マイヤーズは、どちらも心理学の正式な教育を受けていない。出発点はユングの『心理学的類型』を読んだことだった。1957年からは試験の大手ETSが研究用に配布したものの、内部の評価が否定的だったため手を引いている。とはいえ、出自だけで手法の価値が決まるわけではない。問題は、後年行われた検証の結果の方にある。
心理学者のピッテンジャーは1993年、キャリア相談の実務家向けの論考で、MBTIの統計的な構造・信頼性・妥当性に関する研究をたどり、深刻な問題を指摘した。なかでも際立つのが判定の不安定さである。同じ人に同じ質問紙を数週間おいて2回受けさせたとき、本来なら同じ結果が返ってくるはずだ。ところがピッテンジャーは、わずか5週間ほどの間隔で受け直しただけで、最大で半数ほどの人が別のタイプに判定されたという研究があると書いている(根拠として挙げているのは、気分の変化と再検査の関係を調べた1979年の研究一本である)。同じ論考によれば、外向—内向の得点そのものの5週間後の相関は0.8を超えていた。得点はそれなりに安定しているのに、切れ目の近くにいる人は小さな揺れで反対側の箱に移る。数週間で人格の軸が変わったとは考えにくく、動いたのは、その日の気分や質問文の解釈のわずかな揺れの方だろう。
もうひとつの問題は、性格を2つの箱のどちらかに押し込めるという発想自体にある。MBTIの得点を集めても、二つの山には分かれない。ピッテンジャーが引く1960年代の分析によれば、大半の人は両極の中間に分布する。ところがMBTIは、中央のすぐ隣にいる人と、両端に近い人を同じ「タイプ」として扱ってしまう。わずかな回答の揺れで箱をまたぐ人が出るのは、この設計から当然に生じる結果であって、たまたまの誤差ではない。MBTIが企業研修の場で好まれやすいのは、この明快な4文字が説明しやすく、場が盛り上がるからだろう。使い勝手の良さと測定の正確さは、残念ながら別の軸にある。
ここで見落とされがちなのは、診断が使われる場面によって求められる精度がまったく違うという点だ。友人との会話の糸口として「ENFPらしいね」と言い合う分には、判定の不安定さはほとんど実害を生まない。だが採用選考や配属の判断材料としてこの種の類型を使うとなると話は変わる。日本の新卒採用で広く使われるSPIのような適性検査も含め、性格検査の結果が人の進路を左右する場面では、検査そのものの妥当性がどこまで検証されているかを、受ける側が知っておく意味は大きい。同じ質問紙でも、遊びとして受けるか、選考の材料として受けるかで、要求される精度の水準は本来別物のはずだ。会話の潤滑油として使う分には粗くても構わない道具が、人事の判断材料に横滑りした瞬間、粗さそのものが誰かの不利益に直結しかねない。
見えるはずのない相関が見えてしまう
MBTIや血液型性格診断を支えているのが確証バイアスや文の設計だとして、専門家の側はこの手の罠から自由なのだろうか。1960年代の終わりに、心理学者のチャップマン夫妻はこの問いを、フォアの実験よりさらに古い診断ジャンルであるロールシャッハ・テストで確かめた。インクの染みを見せて何が見えるかを答えさせ、その反応から性格や病理を読み取る手法である。
事典の項目による紹介だが、チャップマン夫妻が注目したのは、ロールシャッハを使う臨床家の多くが「肛門への言及は同性愛を示す」「女性の衣服への言及は同性愛を示す」といった、統計的な裏づけを欠く対応関係を信じていたという事実だった(同性愛が診断名として扱われていた時代の話だ)。実験では、反応の内容と、それを答えた人の特徴を書いた文を、相関がまったく生じないように組み合わせて学生に見せた。それでも学生たちは、臨床家が信じていたのと同じ組み合わせを「よく一緒に出てきた」と報告した。夫妻はその2年前にも、人物画テストで同じ構図を示している。臨床家の9割が「目の描き方が変わっていれば猜疑心が強い」と答え、無相関の資料を見た学生も同じ対応を「発見」した。こうした思い込みを、錯誤相関(イリュージョナリー・コレレーション)と呼ぶ。目立つ症状と目立つ反応が同時に提示されると、両者の間に実在しない相関を見出してしまう。
確証バイアスが「すでに持っている仮説を裏づける証拠ばかり集めてしまう」働きだとすれば、錯誤相関はそれより手前、証拠を集める前の段階で起きる。目立つ特徴同士を並べて見せられただけで、そこに関係があるという印象が勝手に立ち上がってしまうのだ。血液型性格診断の生成過程を考えるとき、この錯誤相関は確証バイアス以上に厄介な役者になりうる。几帳面という特性は目立つ形で語られやすく、A型という属性もまた話題になりやすい。目立つ者同士が結びついて見えるのは、観察力の有無とは関係のない、認知の側の癖である。事典の項目は、臨床の経験を積んだからといって、この種の思い込みが消えるとは限らない、とも紹介している。
血液型と、日米1万人のデータ
日本に固有の診断ジャンルとして血液型性格判断がある。A型は几帳面、B型はマイペース、といった語彙は日常会話に定着している。この俗説を大規模データで検証した研究がある。社会心理学者の縄田健悟は2014年、日本と米国で行われた大規模な社会調査(大阪大学の「選好パラメータアンケート調査」)のデータ、のべ1万人近くを二次分析し、血液型と性格の関連を確かめた。日本の2回分は住民基本台帳からの無作為抽出で、米国は調査会社の会員から人口構成に合わせて抽出したものだ。性格を測るために作られた尺度ではなく、生活への態度を尋ねる項目を性格の手がかりとして使っている。結果、68項目のうち65項目では血液型の間に統計的に有意な差すら出なかった。残る3項目も、68回検定すれば偶然に出ておかしくない数で、効果量(η²)は最大でも0.003。血液型で説明できる散らばりは0.3%以下だった。誤差の範囲と言ってよい水準であり、血液型から性格を言い当てる根拠は見出せなかったと結論づけている。
それでも血液型性格判断が廃れないのは、当てはまる例だけが記憶に残るからだろう。A型の知人が几帳面な行動を取れば「やっぱり」と受け止められ、そうでない行動を取れば例外として処理される。確証バイアスと呼ばれるこの選別は、統計を持ち出されるまでは自分では気づきにくい。1万人規模のデータですら覆せない俗説の根強さは、診断というジャンルが理屈の外側で機能していることを示している。
この俗説には、話のネタでは済まない副作用もある。血液型を理由に採用や配属の判断を左右したり、恋愛や結婚の可否を左右したりする、いわゆる血液型ハラスメントは日本社会でしばしば問題視されてきた。縄田の論文自身が動機に挙げているのは、俗説がテレビ番組や書籍を通じて流行をくり返してきたことと、「関連が見られない」から一歩進めて「無関連だ」と示すことだった。ただ、先に挙げたような実害を思えば、この検証は真偽の確認にとどまらない。診断が娯楽の枠を出て評価や選抜の道具に転用されたとき、その診断の妥当性を問う作業は、話のネタとして消費している段階よりずっと切実な意味を持つようになる。分散説明率0.3%以下という数字の小ささを知った上でなお血液型を判断材料に使い続けるという主張は、単なる誤解というより、根拠より物語を優先する構造そのものに近い。
占星術を実験した人がいる
診断ジャンルの祖先をたどれば占星術に行き着く。これについては、めずらしく厳密な検証が行われている。物理学者のカールソンは1985年、科学誌ネイチャーに二重盲検試験の結果を発表した。占星術団体の推薦で約90人の占星術師に声がかかり、28人が参加を承諾した(途中で降りた人もいて、実際に判定した人数は論文に書かれていない)。占星術師には、ある人の出生図(ネイタルチャート)1枚と、カリフォルニア心理検査(CPI、18の性格尺度からなる質問紙)の結果3人分が渡される。本人のものは3人分のうち1人分だけで、占星術師はどれが本人かを1位・2位の順に選ぶ。こうして判定された出生図は116人分になった。カールソンの報告によれば、手続きは助言役の占星術師が検討して「公正な試験」と認めたもので、彼らは5割以上当てられると予測していた。もっとも、カールソンが助言者として名前を挙げた占星術師の一人は、後に「提案はどれも採用されなかった」と書いているという(エルテルの紹介による)。
結果は、カールソンの分析では偶然と区別がつかなかった。1位に選んだプロファイルが本人のものだったのは116件中40件、34%で、偶然に期待される33%とほとんど変わらない。占星術師たちが事前に予測していた5割には遠く届かなかった。評定の重みを考慮した分析でも、「よく合う」と高く評定した組み合わせほど当たっている、という傾向は見られなかった。この結果を巡ってはその後も再分析が発表されており、占星術の研究に好意的な心理学者エルテルは2009年、カールソン自身が分析前に予定していながら直接は確かめなかった基準、つまり本人のプロファイルが1位か2位に入った割合で数え直した。116件中86件、偶然なら77件程度なので、片側検定でp=.054になる。10段階の評定と正解の相関を見る別の方法では、片側でp=.04ほどだったという。エルテル自身、これで占星術が実証されたとは言えないが、カールソンの否定的な結論は維持できない、と書いている。とはいえ、カールソンの後にも、占星術師に出生図と人物の資料を照合させる試験は繰り返されてきた。批判的な立場から40本以上の対照試験を集めて統合した総説は、占星術師が偶然を有意に上回るとは言えない、と結論づけている。出生図から性格を安定して言い当てる能力を再現よく示した例は、今のところ見当たらない。星の並びを読むという行為が当てているのは、天体の運行ではなく、読み手と受け手が共有する期待の方だろう。
この論争が興味深いのは、白黒がすっきりつかなかった点にある。ネイチャー誌の結論は否定的だった。再分析をしたエルテル自身はそれを「維持できない」と書いたが、私には、そのまま覆すほどの数字には見えない。片側でかろうじて.05前後という値で、しかも占星術師たちが自ら掲げた「5割」には、1位の正解率で見るかぎり届いていない。かといって、占星術の主張を積極的に支持する結果でもない。統計の世界では、これくらいの境界線上の数字はしばしば起きる。診断の話をするとき、「科学的に完全に否定された」と「まだ何とも言えない」を混同しないことも、案外大事な作法である。星占いを鼻で笑う態度も、都合のいい部分だけを切り取って「完全に無根拠だ」と言い切るなら、占星術師が都合のいい相関を拾い上げるのと同じ振る舞いに転じる。
診断は科学が始まる前からあった
診断というジャンルの起源をさらに遡ると、占星術よりは新しく、現代の性格検査よりはずっと古い時代に、骨相学という試みがあった。18世紀末のウィーンで、ドイツ南西部生まれの医師ガルは、脳のそれぞれの部位が几帳面さや攻撃性、音楽の才能といった特定の性質を司っており、その部位が発達するほど頭蓋骨の表面に「隆起」として現れると考えた。指で頭の凹凸をなぞれば、その人の性格や才能を読み取れるという理屈である。ガルの講義は1801年に皇帝の命で禁じられ、ガルはのちにパリへ移る。学説は弟子筋によって骨相学としてヨーロッパとアメリカに広まり、区画を描き込んだ頭部の胸像を売る商売まで生まれた。一方で、ガルの研究を審査したフランス学士院の委員会の報告は否定的だった。ガルは1821年に科学アカデミーへ立候補したが、選ばれなかったと伝えられる。もっとも、ガル自身は上流の知的な世界での地位を得ることには成功していた。今日、骨相学は疑似科学の代名詞として教科書に載っている。
骨相学の後を追うように勢いを持った試みに、イタリアの医師ロンブローゾが唱えた犯罪人類学がある。ロンブローゾは、犯罪者には進化の過程を後戻りしたような身体的特徴——顔の非対称、頭蓋骨の形状——が現れると主張し、それを「生来性犯罪者」の証拠だと位置づけた。ロンブローゾ自身の回想によれば、きっかけは、山賊と呼ばれた窃盗犯ヴィレッラの頭蓋骨を調べたとき、後頭部の内側に、キツネザルや齧歯類に見られるような窪みを見つけたことだったという(所見を書き留めたのはその男の死から6年後で、筋書きに合わせて後から選んだ疑いも指摘されている。二次情報による)。ロンブローゾは晩年の著作では、生来性犯罪者は犯罪者全体の3分の1ほどだと見積もりを下げたが、それでも刑事司法の現場に、身体的特徴から危険性を判定するという発想の一時代を築いた。骨相学が個人の性格を、犯罪人類学が個人の危険性を、それぞれ身体の形状から読み取ろうとした点は共通している。犯罪人類学の害はこの一時代にとどまらなかった。身体的特徴によって人を序列化するという発想は、当時の人種主義や優生学の言説と容易に結びつき、特定の集団を劣った存在とみなすまなざしに、科学の体裁を与えることにもなった。統計的な洗練を装った理屈が、検証を経ないまま制度や権威に都合よく利用されてしまう経路がここにある。診断が処遇に組み込まれるとき何が起こりうるかを考える上で、この系譜は無視できない前例である。犯罪人類学が退けられた後も、顔つきや体格から危険性を判定したいという欲求そのものが消えたわけではなく、この種の問いは、より統計的に洗練された装いで繰り返し立てられてきたように見える。装いが変わっても問いの根が変わらない、という構図は診断全般に共通する。
骨相学が廃れた後も、体の特徴から内面を読み取れるという発想そのものは形を変えて生き延びた。19世紀後半から20世紀にかけて、筆跡から性格を判定するグラフォロジーが広まる。欧州の採用で広く使われているという話も、日本でしばしば紹介される。だが、どこまで本当かは怪しい。フランスでは実際に使う企業が少なくないとする調査があるものの、「欧州の企業の8割が使っている」といった数字には裏づけがない。スイスの心理学者バンガーターらは2009年、ドイツ語圏スイスの新聞の求人広告を1950年から2007年まで調べ、手書きの応募書類を求める求人は平均2.7%、2000年以降は1%未満にすぎないことを示した。フランス語圏スイスで手書きを求めていた採用担当者63人に電話で聞くと、筆跡の分析に使っていたのは2割強で、多くは第一印象や応募者のふるい分けのためだった。一方で学生や、手書きを求めない採用担当者の多くは「筆跡が分析されている」と考えていた。手書きの要求が筆跡診断の証拠だと受け取られ、利用の広がりが実態より大きく語られてきたことになる。
肝心の中身についても、心理学者のネーターとベン・シャハーが1989年に発表したメタ分析が手厳しい。抄録によれば、17件の研究で、グラフォロジスト63名と非専門家51名が1223件の筆跡を評価したデータを統合すると、文面の内容を含む筆跡での予測と総合的な基準との相関は、グラフォロジストで0.15〜0.18程度にとどまった。内容に手がかりのない文章を書き写させた数少ない研究では、グラフォロジストの予測力はほぼゼロだった。しかも、筆跡学の知識のない心理学者のほうが、すべての評価項目でグラフォロジストを上回っていた。著者らは、筆跡診断のわずかな予測力の出どころは字の形ではなく文面の中身かもしれない、と述べている。骨相学からグラフォロジーへ、そして現代のさまざまな性格診断へと続く系譜を辿ると、道具立ては変わっても、身体的特徴やふるまいから内面を読み取れるという発想そのものは、驚くほど息が長い。
診断が意思決定の道具に格上げされるとき
職場でよく使われる性格類型にDISCがある。今の商用版は、主導・感化・安定・慎重の4類型に人を割り振る。元になったのは、ハーバードで心理学の博士号を取ったマーストンが1928年の著書で示した4つの行動の型だ(質問紙を作ったのは本人ではなく、後の別の人たちだと紹介されている)。マーストンは感情と血圧の関係に着目し、収縮期血圧で嘘を見抜く検査を考案した。のちのポリグラフにつながる仕事の一つである。アメリカンコミックのワンダーウーマンの生みの親でもあり、主人公には、縛った相手を従わせる魔法の投げ縄を持たせた。この縄は後年「真実の投げ縄」と呼ばれ、嘘をつけなくする道具として知られるようになる。嘘を見抜くという発想が、厳密な検証より先に漫画の小道具として広まったという点で、DISCという分類がたどった道筋と重なって見える。学術的な裏づけを欠いたまま親しみやすさだけが先行して定着する、という診断ジャンルに繰り返し現れる型を、この逸話は図らずも映し出している。商業化された質問紙について、査読を経た検証はわずかしかない。そのうちの一つは、信頼性はおおむね満たすものの妥当性は確かめられないと報告している。それでも研修や採用の現場で好まれ続けているのは、4類型がチームの会話の糸口として使いやすいという、MBTIと同じ理由によるのだろう。
コーチングの領域では、近年エニアグラムという9類型の診断も勢いを増している。心理学者のフックらが2021年に発表した系統的レビューは、104件の独立したサンプルを横断的に検討し、信頼性と妥当性の両方について入り混じった結果しか見出せなかったと結論づけた。因子分析では9つより少ない因子しか出てこないことが多く、クラスター分析で9類型を導き出した研究は一つもなかった。ウイングやタイプ間の移動といった、理論の副次的な部分を支える研究もほとんどない。他方で、エニアグラムの得点とビッグファイブの関係が理論どおりに出るなど、部分的に支持する結果もあった。起源が神秘思想に近い診断が、企業研修という科学の顔をした場に持ち込まれるとき、出自と検証状況の間にあるはずの隙間は、かえって見えにくくなる。
診断が意思決定に組み込まれる場面は、人事だけに限らない。結婚や交際相手を選ぶマッチングアプリの多くは、独自の「相性診断アルゴリズム」を売りにしている。心理学者のフィンケルらが2012年に発表した大規模なレビューは、恋愛関係の科学を専門とする研究者5名の共著で、マッチングアルゴリズムが、ほかの出会い方より良い交際をもたらすというサイト側の主張を裏づける説得力のある証拠はない、と結論づけた。相性診断が示す数値やパーセンテージは、心理測定の手続きを経た予測値というより、利用者に「自分に合う相手を選んでくれている」という安心感を売るための演出に近い。診断の看板が個人の趣味嗜好の紹介から結婚相手の選定にまで広がるにつれ、その看板の裏にどれだけの検証があるかを問う意味も、比例して重くなる。
診断が実際に人の処遇を左右した例として、2005年に米国第7巡回区控訴裁判所が下した判断がある。レンタル購入方式で家具・家電を扱うチェーン店レント・ア・センターは、昇進を希望する社員に、9つの検査からなる「APTマネジメント・トレーニー・エグゼクティブ・プロファイル」を課していた。その中には、精神疾患の診断にも使われる質問紙、ミネソタ多面人格目録(MMPI)の502問が含まれていた。全体を合算した「加重偏差」が12を超えた社員は、昇進の候補から外された。裁判所は、MMPIは少なくとも部分的には精神疾患を明らかにするよう作られており、精神の障害がある人の雇用の見通しを損なう効果を持つとして、障害を持つアメリカ人法(ADA)が制限する「医学的検査」に当たると判断した。会社は職業向けの採点方式で性格特性を見ただけだと主張したが、裁判所は、精神疾患を選り分ける意図があったかどうかや採点の方式に関係なく、使った効果は同じだと退けた。性格を測るはずの質問紙が、運用のされ方次第で医学的検査そのものに転じてしまう。診断というジャンルが話のネタを超えて処遇に組み込まれたとき、看板と中身の距離を問う作業は、洒落で済まない重みを持つようになる。ある質問紙が医学的検査に当たるかどうかは、雇用機会均等委員会(EEOC)の指針が挙げる要素——精神の障害を明らかにするよう作られているか、医療の専門家が実施・解釈するか、など——に照らして、検査ごとに判断される。正直さや好み、習慣を測るだけの検査は、当たらないとされている。
DISCもエニアグラムもマッチングアルゴリズムも、共通しているのは商業的な成功と学術的な検証が別々の物差しだという点だ。使われ続けているという事実は、正しさの証明にはならない。使われ続けている理由の大半は、正しさとは別のところ——分かりやすさ、場の盛り上がり、あるいは選んでもらえたという安心感——にある。導入する側にとっても、精度の検証にかかる手間より、既製の質問紙を買ってくる方がはるかに安く済むという事情は無視できない。
では「科学的な」性格検査はどうか
MBTIや占星術を退けたところで、「ビッグファイブなら科学的だから安心」という結論に飛びつくのも急ぎすぎである。外向性・協調性・誠実性・神経症的傾向・開放性の5因子は、統計的な再現性という点ではMBTIより頑健で、連続量として扱う分だけ箱に押し込む問題も避けている。学術的な地盤の固さと、実生活での有用性は、しばしば同じものだと思われがちだが、両者は別々に検証されるべき問いである。だが、それが人生の予測に強く効くかというと話は別だ。
心理学者のバリックとマウントは1991年、ビッグファイブと職務成績の関係を扱った先行研究群を統合するメタ分析を発表した。5因子のうち、全職種・全基準で一貫して職務成績と結びついていたのは誠実性で、その相関は観測値で0.13、測定誤差などを補正した推定値でも0.22にとどまる。決して無視できる数値ではないが、「誠実性が高い人ほど仕事ができる」と言い切れるほどの強さでもない。統計的に有意であることと、個人の将来を言い当てられることの間には、思っている以上の距離がある。推定値の0.22を2乗すると約0.05。職務成績のばらつきのうち、誠実性で説明できるのは5%弱という計算になる。
加えて、この種の検査はほぼ例外なく自己申告に基づく。誠実な人ほど自分を誠実だと申告しやすいという以上のことを、質問紙は測れていない可能性が常につきまとう。ビッグファイブ由来の性格診断が企業のオンライン適性検査からマッチングアプリのプロフィールまで浸透しているのは、統計的な裏付けがMBTIよりましだからというより、5つの数値という体裁が説得力を持って見えるからという面も大きいだろう。性格検査全般に共通する限界はここにある——集団の傾向としては意味のある差が、個人の予測としては頼りない精度しか持たない。
それでも診断が求められる理由
ここまでの話は、性格診断というジャンルへの不信を煽るために書いたわけではない。当てはまった感覚の仕組みを知ってなお、人はその感覚を求め続ける。理由は単純で、診断は答えを与える以上に、状況を整理する道具として機能するからだ。自分の趣味や仕事の選び方に迷っているとき、選択肢を3つや4つのラベルに束ねてもらえるだけで、考える負荷は軽くなる。趣味を始めようとして検索すれば無数の候補が出てくる。何から手をつけるか決められないまま検索履歴だけが増えていく状態から、とりあえず3つのどれかに自分を分類してもらえれば、次に読むべき記事の見当がつく。この絞り込み自体には実害がない。
占い師に相談する行為の大部分も、未来を知りたいというより、今の自分の状態に言葉を与えたいという欲求で説明できる場面が多いだろう。誰かに悩みを話すとき、聞き手が的確な助言をくれるかどうかより先に、話を聞いてもらえたという事実自体が気持ちを軽くする、という経験は多くの人にとって身に覚えがあるはずだ。診断はその聞き手の役を、人間の代わりに簡易な質問紙が肩代わりしているにすぎない。診断が果たしている役割が予言ではなく整理なのだとすれば、それ自体は責められる話ではない。
診断結果を受け入れるかどうかにも、傾向がある。スナイダーらは1977年、それまでのバーナム効果の受容研究を整理している(原典には当たれていない)。先に触れた1985年のレビュー(ディクソンとケリー)によれば、受け入れやすさを繰り返し左右していたのは二つ。記述が好ましい内容であることと、それが「一般論」ではなく「あなたのために出した結果」として渡されることだ。同じ記述でも、「あなた専用」と言われた方が、「多くの人に当てはまる」と言われたときより、自分に当てはまると評定される。一方、渡し手が心理学者か学生かコンピュータかで差が出なかった、という報告も少なくない。肩書きの効き目は、思われているほど確かではない。診断結果が当てはまって見えるかどうかは、結果の中身そのものよりも、どんな体裁で、どれだけ好ましい言葉を選んで手渡されたかに左右される部分が大きい。
もっとも、当てはまってほしいという欲求は、常に良く見られたいという欲求と同じではない。心理学者のスワンが1983年に整理した自己確証理論によれば、人は自分について抱いている自己像を、それが否定的なものであっても、他者から追認されることを求める傾向がある。スワンらの1987年の実験では、否定的な自己像を持つ人は、好意的な評価より否定的な評価の方を「自分をよく言い当てている」と判断した(ただし気分は、否定的な評価を受けたときの方がはっきり落ち込んだ)。この傾向がはっきり出るのは、否定的な自己像を長く、確信をもって持ち続けている人だとされる。「自分は要領が悪い人間だ」と固く思い込んでいる人にとっては、要領の良さを誉める診断結果よりも、不器用さを言い当てる診断結果の方が、かえって納得感を伴って受け止められる場合があると考えられる。診断が当てはまって見える理由は、常に耳当たりの良さだけでは説明しきれない。すでに固まった自己像を裏づけてくれるかどうかという、もう一つの物差しが働いている。
当てはまらなかった場合の反応も一様ではない。好ましくない記述や見慣れない類型を提示されたとき、人はその診断自体の妥当性を疑うこともあれば、診断は正しいが自分がその中の例外なのだと解釈し直すこともある。選択的知覚と呼ばれる、都合の悪い情報ほど記憶に残りにくいという傾向も、この解釈し直しの作業を後押しする。後者を選べば、診断という枠組みそのものへの信頼は保たれたまま、都合の悪い部分だけを個人の特殊事情として処理できる。診断が長く生き延びる理由の一端は、当てはまらなかったときの逃げ道まで用意されている、というこの構造にもあるのだろう。
問題が生じるのは、整理の道具に予測や深層心理の解明という看板を掲げたときだ。「あなたの深層心理を読み取る」という宣伝文句がまずかったのは、看板と中身が釣り合っていなかったからだ。単純な集計に対して、分不相応な権威を貼り付けていたにすぎない。権威を貼り付けたくなる動機も分からなくはない。「6つの質問を3つの箱に仕分けるだけです」と正直に書くより、「深層心理を読み取ります」と書いたほうが人は試してみたくなる。だがその誘惑に乗った時点で、このサイトが他の記事で疑ってかかっている態度——根拠のない断定にもったいぶった権威をまとわせる身振り——を自分の足元でやっていることになる。集計は集計のままで構わない。看板を実態に合わせて下ろせばよかっただけの話だ。
もっとも、「整理の道具にすぎない」と言い切ることにも、別の都合のよさが潜んでいる。整理だと自称した瞬間に、精度への説明責任から丸ごと降りられるわけではないからだ。3つの箱への振り分けが実際の判断に影響を与える場面——診断結果を見て新しい趣味への出費を決めたり、自己紹介の材料として誰かにその結果を語ったりする場面——では、「整理です」という言葉の軽さと、その情報が実際に及ぼす重さとの間に隙間が生まれる。看板を「深層心理を読み取る」から「6問の集計です」に書き換えれば免責が完了する、という考え方もまた、看板の言葉だけで安心してしまう点で、この記事がここまで疑ってきた仕組みと地続きだ。正直な看板は必要条件であって、十分条件ではない。
趣味診断が実際にやっていること
この趣味診断の仕組みは、フォアの実験やMBTIの複雑な因子構造と比べると拍子抜けするほど単純である。6つの設問それぞれに、収集と体系化・没入と遮断・自己研鑽と表現という3つのアーキタイプへの重みが割り振られている。回答を集計し、最も多く該当したアーキタイプを結果として表示する。裏で動いているのは条件分岐と加算であって、機械学習でも予測モデルでもない。同じ回答をすれば誰がいつ受けても同じ結果が返る。
この単純さには利点がある。結果に納得がいかない場合、なぜその結果になったのかを全部たどれる。ブラックボックスの中で何が起きたのか分からない占星術やMBTIとは違い、6つの回答のどれがどう効いたのかを逆算できる。結果が腑に落ちないとしたら、それは診断が外れたのではなく、3つの切り分け自体が自分の趣味の実態に合っていない、という可能性の方が高い。3分類はどこまでいっても粗い網であり、網の目からこぼれる趣味の方が多いくらいで丁度いい。
逆に言えば、この診断ができないこともはっきりしている。深層心理を掘り当てることはできないし、まだ知らない自分の才能を発見することもできない。やっているのは、既に持っている6つの答えを3つの箱に仕分ける作業だけだ。箱に名前をつけて渡すことに一定の価値があるとしても、それは箱の中身を新しく作り出したわけではない。フォアの学生たちが読んだ文章と違い、この診断が返す3つの結果は互いに異なる記述であり、少なくとも全員に同じ紙を配るという構造にはなっていない。ただし粗い網である以上、当てはまり方の実感がフォア効果とどこまで独立しているかは、この診断自身にも検証しようがない。
揺れやすさについても、胸を張れるほどのものではない。同じ回答をすれば同じ結果が返るという意味での一貫性はあるが、それは単純な加算という設計上、当然そうなるだけの話だ。受け直したときに回答が1問変われば結果も変わりうるし、6問という短さは、むしろその影響を大きくする。この一貫性は、MBTIより優れた測定をしているという意味では全くない。3つのアーキタイプという枠組み自体、査読を経た学術的な分類ではなく、ひとつの記事のために便宜的に立てた仮の切り口にすぎない。その出自を偉そうに語る理由はどこにもないし、この記事を書いている人間自身、3つのうちどれに当てはまるかを自分の答えから逆算できてしまう程度には、仕掛けの単純さを内側から知っている。
診断というジャンルとの付き合い方
診断が当てはまって見える仕組みも、統計的に脆弱な検査が広く信頼されている経緯も、それぞれ別の研究の蓄積として存在している。だからといって、診断というジャンルを丸ごと退けるのも極端な反応だろう。血液型性格診断を信じている人に分散説明率0.3%以下というデータを突きつけたところで、その人が診断から得ていた「今日話す話題」や「自己紹介の糸口」としての実用性まで否定する必要はない。診断の価値を、それが担っている役割に応じて測り直すことの方が実りは大きい。
予測の道具として差し出された診断は、その予測がどの程度の精度で検証されているかが問われることになる。整理の道具として差し出された診断は、整理の粗さを織り込んだ上で受け止められる、という前提に立つことになる。厄介なのは、この2つが同じパッケージの中で曖昧に混ざっているときだ。占星術もMBTIも血液型性格判断も、DISCもエニアグラムも相性診断アルゴリズムも、そして取り下げる前のこの趣味診断の宣伝文句も、整理の道具に予測の看板を掛けていたという一点で同じ穴に落ちていた。看板の言葉を少し変えるだけで、中身が同じ集計であっても受け手の身構え方はまるで違ってくる。言葉を選ぶ作業は、だから軽んじていい仕事ではない。
ここまで辿ってきた診断の系譜——骨相学、犯罪人類学、グラフォロジー、血液型性格判断、MBTI、占星術、エニアグラムやDISC、そして恋愛のマッチングアルゴリズム——を並べてみると、時代が下るごとに道具立てはもっともらしくなっているのに、当てはまって見える仕組みの方はほとんど更新されていないことに気づく。頭の凹凸を測る代わりに質問紙のスコアを測るようになっただけで、目立つ特徴同士を結びつけてしまう認知の癖も、好ましい記述を自分だけのものだと思い込む傾向も、当てはまらなかった部分を例外として処理してしまう解釈のしなやかさも、19世紀からほとんど変わっていない。診断というジャンルが古びないのは、対象になる人間の側の仕組みが古びないからだろう。新しい診断が現れるたびに「今度こそ違う」と感じてしまうこと自体、この仕組みの一部に組み込まれている。
この見分け方は、診断を受ける側だけでなく、診断を作る側にも同じ重さでのしかかる。ある切り口を提示するとき、それが読者の自己理解を助ける整理なのか、それとも読者の判断を代行してしまう処方箋なのかは、書いている本人にも常に自明とは限らない。3つのアーキタイプという枠組みを立てた時点で、すでに読者の趣味を狭い型に押し込める危うさは抱え込んでいる。せめてその型が何に基づいていて、何に基づいていないかだけは、正直に言えるようにしておきたい。看板を外した後に残るのは、6つの質問と3つの箱という、それだけの装置である。それで十分だと思っている。
出典
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- Dickson, D. H., & Kelly, I. W. (1985). The "Barnum effect" in personality assessment: A review of the literature. Psychological Reports, 57, 367-382.(本文で確認)
- Meehl, P. E. (1956). Wanted—a good cookbook. American Psychologist, 11, 263-272.(命名の経緯は二次情報による。原典は未確認)
- Pittenger, D. J. (1993). Measuring the MBTI...And Coming Up Short. Journal of Career Planning and Employment, 54(1), 48-52.(転載版の本文で確認)
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- Swann, W. B., Griffin, J. J., Predmore, S. C., & Gaines, B. (1987). The cognitive-affective crossfire: When self-consistency confronts self-enhancement. Journal of Personality and Social Psychology, 52(5), 881-889.(実験の内容は上のスワン本人のまとめ論文の紹介による二次情報)
- Barrick, M. R., & Mount, M. K. (1991). The Big Five personality dimensions and job performance: A meta-analysis. Personnel Psychology, 44, 1-26.(本文の写しで確認)
- van Wyhe, J. (2002). The authority of human nature: the Schädellehre of Franz Joseph Gall. British Journal for the History of Science, 35(1), 17-42.(抄録のみ確認。ガルの経歴は年表などの二次情報による)
- Gibson, M. (2002). Born to Crime: Cesare Lombroso and the Origins of Biological Criminology. Praeger.(書誌のみ確認。ヴィレッラの頭蓋骨をめぐる経緯は二次情報による)
- Jung, C. G. (1921). Psychologische Typen.(『心理学的類型』。書名のみ。MBTIの出発点としての言及と、ブリッグスとマイヤーズの経歴は二次情報による)
- マーストンとDISCの経緯(学歴、1928年の著書、質問紙、血圧の検査、ワンダーウーマンの投げ縄)と、DISCの質問紙の検証についての記述は、百科事典的な二次情報による
