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「情報の密度」という言い訳

「情報の密度」という言い訳

高い日用品を選ぶ理由を説明しようとすると、つい大仰な言葉に頼りたくなる。その言い訳を疑いながら、実際に長く使えているものだけを書き出してみる。

TOMOAKI··贈りもの

高いタオルと安いタオルの違いを説明しようとして、以前「情報の密度」という言い方を使ったことがある。繊維一本一本が伝える感触の解像度、素材が語る歴史、指先が受け取る情報量――そういう言葉を並べれば並べるほど、書いている間は説得力があるように感じられた。

ただ、後から読み返すと、これは正確な説明というより、価格差を正当化するための語彙だったのではないかと思う。タオルの機能は水分を吸うことで、その一点においては安いタオルもきちんと仕事をする。高いタオルを選ぶ理由があるとすれば、それは「情報の密度」というような大仰な言い方ではなく、もっと単純な事実の積み重ねのはずだ。

実際に長く使って手放せていないものを、いくつか思い出してみる。

タオルは、乾燥に強い長繊維の綿を使ったものに変えてから、洗濯を繰り返しても毛羽立ちが目立たなくなった。「肌のコンディションをフィードバックするデバイス」というほどのことではなく、単に長持ちするという事実だけで十分だった。

キャンドルも同じで、パラフィン製のものは燃やしていると頭が痛くなることがあったが、天然ワックスのものに変えてからそれがなくなった。これは自律神経がどうこうという話ではなく、単に煙の質の違いだと思う。効果を大きく語ろうとすると、途端に嘘くさくなる。

ペンや爪切りのような道具についても、値段が上がるほど「精度」や「経年変化」という言葉を持ち出したくなるが、実際に体感しているのは、切れ味が長く保たれる、握っていて疲れにくいといった、地味な事実にすぎない。

贈り物についても、似たようなことが起きる。相手の生活に合ったものを選んだつもりでも、それを説明しようとした瞬間、「非破壊的な介入」だの「生活システム」だのという言葉を借りてしまいたくなる。おそらく、単に「使いやすそうだったから」で足りる場面のほうが多い。相手がそれを面倒なく使い続けられるかどうかを考えることと、贈り物を高尚な理論で包み直すことは、まったく別の作業だ。

値段の差を説明するのに凝った理論を必要とするものは、たいてい理論のほうが先に立っている。逆に、理由を聞かれても「ただ長く使えているから」としか言えないものの方が、実際には信頼できる気がする。