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50代になって、何を始めればいいのかわからなくなった話

50代になって、何を始めればいいのかわからなくなった話

「役に立つか」で趣味を選ぶと、役に立たなかった瞬間にやめる理由ができてしまう。金継ぎ、秘湯、ノーコード開発。50代からの空白に、あえて実利を外した選択肢を並べる。

TOMOAKI·

50代になると、時間の使い方について「何をすべきか」より先に「何をしていいかわからない」という感覚が来る、という話をよく聞く。これまでの数十年、仕事や家庭の役割の中で、やるべきことは大抵誰かが決めてくれていた。それが緩んだとき、手元に残るのは自由というより空白に近い。

効率という筋肉を鍛えすぎた後で

長く働いてきた人ほど、「これは何の役に立つのか」を反射的に問う癖がついている。趣味を選ぶときにもこの癖は抜けず、「学び直しになるか」「健康にいいか」といった基準で選んでしまう。ただ、この基準で選んだものは、たいてい長続きしない。役に立つかどうかを問う限り、役に立たなかった瞬間にやめる理由ができてしまうからだ。

方向性の違う選択肢を、いくつか並べてみる

金継ぎは、割れた器を漆と金で継ぐ技法だ。傷を隠すのではなく、景色として愛でるという考え方に触れると、自分の来し方の欠けた部分を、それはそれとして眺める練習になる気がする。

秘湯を巡るのも、悪くない過ごし方だと思う。観光地化していない温泉を、泉質や湧出の背景まで調べて訪ねる。強酸性の湯に浸かる数十分は、考え事をするにも、何も考えないにも、ちょうどいい長さだ。

一方で、ノーコード開発やデータ分析のような、これまでとは違う技術に手を出す人もいる。自分の睡眠や運動のログを取って眺めてみる、自分の不便を解消する小さなアプリを作ってみる。慣れない分野に足を踏み入れる居心地の悪さそのものが、悪くない緊張感になることもある。

身体を整える側の選択肢もある。ピラティスで骨格と深層筋の感覚を取り戻す、あるいは長い距離をただ歩く。派手さはないが、これらは他のどんな趣味を続けるにしても土台になる。

続けるかどうかは、後から決めればいい

始めた趣味が自分に合っているかどうかは、やってみるまでわからない。上達を目標にすると、上達しない時期に心が折れる。個人的には、その瞬間にどれだけ没頭できたかだけを見るようにしている。これも一つの型に過ぎず、誰にでも当てはまる心得というわけではない。

いくつか試して、合わなければやめて、また別のものを試す。一貫性のなさを気にする必要はないと思う。50代から始めるものが「一生モノ」である必要もない。ただ、何かに指先を触れてみることから、案外いろいろなことが動き出す。

何から手をつけるか迷うなら、6問の選択を3つのアーキタイプに数えるだけの簡単な診断も置いている。AIは使っていない、ただの集計だ。