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コレクションの失敗は、なぜか捨てられない

コレクションの失敗は、なぜか捨てられない

偽物、ジャンク、高値掴み。コレクターなら一度は通る失敗について、なぜ賢いはずの大人が引っかかるのか、そして失敗したモノをどう扱うかを考えてみる。

TOMOAKI··収集

「良い買い物をしましたね」という言葉に気持ちよくなった数日後、届いた箱を開けて青ざめた経験が何度かある。写真には写っていなかった傷。「動作確認済み」のはずが動かない秒針。冷静になって見れば明らかに偽物だとわかる質感。コレクターと呼べるほどの人ほど、こういう失敗をクローゼットの奥に隠し持っているものらしい。

なぜ引っかかるのか

「これは掘り出し物だ」と思い込んだ瞬間、都合の悪い情報——不鮮明な写真、相場より安すぎる値段——を脳が勝手にシャットアウトし始める。確証バイアスと呼ばれる現象だが、名前を知っていても防げないところが厄介だ。

もう一つはサンクコストの罠だ。オークションの終了間際、予算を超えているのに「ここまで粘ったんだから」とボタンを押してしまう。その瞬間、目的は「良いものを手に入れること」から「競り勝つこと」にすり替わっている。競り合いに勝って手に入るのは、適正価格を超えた商品と、翌朝の妙な虚しさだった。

失敗にはだいたい型がある

知識不足で偽物を掴む。「直せば元は取れる」と過信してジャンクを買い、結局直さないまま部屋の隅に積み上げる。深夜のオークションでアドレナリンに任せて競り勝ち、翌朝冷静になって後悔する。型を知っておくと、次に同じ穴に落ちそうになったとき、多少は気づきやすくなる気がする。

ネットの出品文には、読んでおくと役に立つ言い回しがいくつかある。「ノークレーム・ノーリターン」は不具合を承知の上で黙って売り抜けたいという意思表示に近いし、「祖父の遺品です」「専門知識がないのでわかりません」は、真贋の責任を負いたくない業者がよく使う常套句でもある。写真の角度が不自然に限られているときも、見せたくないものがあると考えた方が自然だ。断定はできないが、こうした兆候が重なるほど、後で開ける箱への期待は下げておいたほうがいい。

信頼できる店を持つという選択

結局のところ、ネットで安く探すより、信頼できる実店舗で買う方が長い目で見ると安上がりだったという実感がある。値段は張るが、その差額には真贋の保証と、店主の目利きが含まれている。「それは今はやめておけ」と止めてくれる店主に出会えたら、それは幸運なことだと思う。

失敗したモノをどうするか

偽物やジャンクをすぐ捨ててしまうのは、正直もったいない気がしている。本物の画像と並べてどこが違うのか確かめてみる、分解して内部の作りを見てみる。本物は見えない部分まで丁寧に作られているが、偽物は見えない部分ほど雑になっている、という違いを指先で確かめると、次の買い物での勘が少し変わる気がする。

致命傷にさえならなければ、失敗はいずれ笑い話になる。完璧なコレクションの自慢話より、「あの時はまんまとやられた」という話のほうが、酒の席では大抵盛り上がる。