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性格診断で趣味の相性がわかっても、満足度の説明力は3%未満だ

性格診断で趣味の相性がわかっても、満足度の説明力は3%未満だ

職業選びのために作られた性格理論を趣味選びに当てはめてみると、何が見えるか。性格と環境の適合が満足を説明する割合は、仕事の研究でも3パーセントに届かない。見立ての精度そのものを疑ってみる。

TOMOAKI··収集

家庭菜園と天体望遠鏡が、なぜ物置で眠るのか

春先にプランターと苗を買いそろえ、夏には雑草に負けて放置する。ボーナスで天体望遠鏡を買い、月を三回見て押し入れにしまう。こうした顛末を、たいていの人は自分の飽きっぽさのせいにする。だが、興味の対象を選ぶときに実際に何を根拠にしていたかを振り返ると、たいてい「なんとなく良さそうだったから」以上の理由は出てこない。雑誌で見た、同僚が始めた、セールで安かった——そのくらいの動機で数万円と数十時間を投じて、続かなかったことに驚くのは、そもそも筋が通っていない。

ここで疑いたいのは、続ける力の有無ではなく、選ぶ段階の設計そのものだ。幸い、「何が人をある活動に惹きつけ、何が離れさせるか」という問いは、趣味の世界よりずっと先に、職業選びの世界で数十年かけて検証されてきている。転職や進路の相談で使われる性格診断の理論を、そのまま趣味選びに輸入してみると何が見えるか。結論から言えば、輸入してみて初めてわかる限界がある。理論そのものが不十分なのではなく、「自分に合うものを選べば満足できる」という直感が、思っているより雑な近似でしかなかったということだ。

断っておくと、この記事が疑いたいのは「自分に合うものを探す」という発想そのものではない。むしろその発想はおおむね正しい方向を向いている。疑いたいのは、その「合う」を測る精度への過信と、測った後の使い方のほうだ。診断で自分の型がわかれば正解にたどり着けるという期待は、実際にその手の理論がどこまで検証されてきたかを見ると、少し前のめりすぎる。理論を捨てるのではなく、理論が実際に持っている強さの分だけ頼るというのは、口で言うほど簡単ではない。

職業選びの理論の地図に、趣味も載る

心理学者ジョン・ホランドが提唱したRIASEC理論は、人の興味を六つの類型——現実的(実際に手や道具を動かすことを好む)、研究的(観察し、分析し、理屈を突き詰めることを好む)、芸術的(型にはまらない自己表現を好む)、社会的(人に教えたり助けたりすることを好む)、企業的(人を動かし、交渉し、成果を主張することを好む)、慣習的(手順を整え、正確に記録し、秩序立てることを好む)——に分類する。もともとは職業への適性を測るために作られたもので、進路指導の現場で今も広く使われている。

この六類型が趣味にも通用するのかという問いは、決して自明ではない。仕事を選ぶときの動機と、余暇を選ぶときの動機は、そもそも別の心理的な回路だと考える余地は十分にあった。ところがデイブ・カービーとケイティ・レーガンが2002年に発表した調査は、高齢者の余暇活動を九つの尺度にまとめると、その相互の関係がRIASECの六角形として解釈できることを示唆している。趣味という一見雑多な集合も、職業と同じ六つの軸に沿って整理できるらしい。パトリック・アームストロングとジェームズ・ラウンズが2008年に発表した研究も、既に発表されていた余暇の興味の質問紙のデータを、ホランドが職業の世界を説明するために作った六角形の地図の上に配置できることを示した。つまり、あなたが会計の仕事に向いているかどうかを占う理論と、あなたが編み物と天体観測のどちらに惹かれやすいかを整理する理論は、同じ一枚の地図の上に並べることができる。趣味は仕事とは無関係な、気ままな選択の領域だという思い込みは、この構造の話に限って言えば裏付けられない。もっとも、地図に載ることと、その地図で趣味の満足を言い当てられることとは、別の話である。

この発見を、より広い枠組みで捉え直す考え方もある。心理学が蓄積してきた人と環境の適合理論は、人は自分の特性に合った環境に惹かれると考える。近年の研究レビューは、抄録を見るかぎり余暇には触れていないが、人と環境の適合が、仕事の成果だけでなく、人間関係の満足や幸福感といった、人が望む結果に届くのを助けると整理している。

六つの型を、具体的に当てはめてみる

抽象的な分類のままでは実感が湧きにくいので、六類型がどんな活動に対応しうるか、いくつか置き換えてみる。以下の対応づけは筆者のもので、研究が確かめたものではない。実際に手や道具を動かす現実的な型であれば、日曜大工や家庭菜園のように、素材に触れて何かを作り上げる活動が近い。観察と分析を好む研究的な型であれば、天体観測や昆虫採集のように、対象を細かく記録し、法則を見出すこと自体が快感になる活動が対応する。型にはまらない自己表現を求める芸術的な型は、水彩画や俳句のように、正解のない表現行為に惹かれやすい。人と関わることに満足を見出す社会的な型は、地域の子ども向けに何かを教える活動や、案内役として人を導く活動と結びつきやすい。人を動かし成果を主張することを好む企業的な型は、フリーマーケットでの出品や、趣味の延長で小さな企画を立ち上げることに近い。手順を整え秩序立てることを好む慣習的な型は、鉄道模型の運行表を組んだり、集めた切手を体系立てて整理したりする作業に向いている。もちろん一つの趣味が単一の型にきれいに収まるとは限らない。天体観測は研究的な要素が強い一方、望遠鏡を自作する段階では現実的な要素も混じる。型はあくまで重心の位置を示すものであり、境界線を引くための道具ではない。

もう一つ、この六角形の普遍性についても、留保を挟んでおく必要がある。心理学者ジェームズ・ラウンズとテレンス・トレーシーが1996年に発表した研究は、アメリカ国内の複数の民族集団と、18か国から集めた国際的なデータを対象に、ホランドが想定した六角形の並び方——六つの型が円環状に配置され、隣り合う型ほど似ているという構造——がどこまで当てはまるかを検証した。結果、文化をまたいで同じ並びになるという前提は支持されず、アメリカ国内の民族集団の標本では、比べた三つの並び方のどれも十分には当てはまらなかった。六類型そのものは有用な語彙だとしても、それらが必ず同じ幾何学的な並びをなすという、理論のより野心的な部分までは、文化を越えて成り立つとは言い切れない。趣味を六角形の座標にきっちり落とし込めるという発想自体、そもそも過信であるらしい。

見立ての精度は、思っているほど高くない

ここまでの話を素直に受け取れば、「自分の類型を正しく診断し、それに合う趣味を選べばいい」という結論に落ち着きそうになる。実際、進路相談の現場ではこの理論に基づいた適性診断が半世紀あまり使われ続けてきた。もっとも、この理論が実際にどれほど当たるのかを、大量のデータで検証した研究を見ると、話はそう単純ではなくなる。

心理学者オリット・ツァバリ、アハロン・ツィナー、エルハナン・メイアが2005年に発表したメタ分析は、1988年から2003年までに発表された26本の研究、53のサンプル、合計6557人分のデータを統合し、興味の類型と、職業や学業の環境との一致度が、満足度とどれだけ関連するかを算出した。後続の論文の紹介では、両者の相関係数は平均0.16から0.17ほど。二乗すれば、説明できる分散は3パーセントに届かない。原典の本文の抜粋では、仕事の満足に分類された36件に絞ると平均は0.14ほどで、2パーセントに近い。半世紀あまり進路指導の柱にされてきた理論の、実際の予測力は、紹介された数字のとおりなら、その程度でしかなかったことになる。これより以前、1987年にアスリンとメイアが行った先行のメタ分析は、53の相関から平均0.21を得ていた。ツァバリらは、自分たちの値はこれより有意に低いと書いている。どちらの分析でも、研究ごとの値は大きく散っていて、1987年の分析ではマイナスから0.5ほどまでの幅があった。理論の枠組みが間違っているというより、「型が合っているかどうか」という一変数だけで満足度のほとんどを説明しようとすること自体に無理があった、と読むほうが正確だろう。

この数字を趣味選びに当てはめて考えると、いくらか気が楽になる一方で、当てが外れやすくなる。診断テストのようなもので自分の興味の型を割り出し、その型に理屈の上で合致する趣味を選んだとしても、それが実際に満足につながるかどうかの見立てとしては、当てにしすぎないほうがいい水準の精度しかない。型の一致は、無関係よりはましだが、決め手にはならない。診断結果を絶対視して「向いているはずだから続けなければ」と自分を縛るのは、この理論が実際に示している以上の確信を、理論に代わって自分が上乗せしているだけだということになる。

なぜこれほど当たらないのか。理由の一端は、満足度という結果が、型の一致以外にもあまりに多くの要因の合成物だからだろう。一緒に始める相手がいたかどうか、最初に触れた道具の出来が良かったかどうか、生活のどの時間帯にその活動を差し込めたか、値段が今の懐に見合っていたか——これらはどれも型とは無関係に満足度を左右しうる。型の一致は、無数にある変数のうちの一つを説明しているにすぎず、しかもそれほど重い一票ではない。統計を扱う人間からすれば当たり前の話に聞こえるかもしれないが、進路指導や自己啓発の文脈でこの理論に触れるとき、この当たり前さはたいてい伏せられたまま「あなたに向いているのはこれです」という断定の形で差し出される。断定の形をとった瞬間に、理論が持っているとされる0.17という控えめな数字は見えなくなる。

コンパスが自分の職業とは逆を指すとき

型の一致がそれほど強い予測力を持たないとして、では趣味を選ぶ手がかりとして、この理論はもう見込みがないのかというと、そうとも言い切れない一つの発見がある。心理学者サミュエル・メラメドとエルハナン・メイアが1981年に報告した二つの国での調査(240人と66人)と、1995年にメラメド、メイア、アミット・サムソンの三人が発表した、エンジニア、技術員、医師、弁護士など160人の専門職を対象にした研究は、仕事の内容と本人の興味の型がどれだけ一致しているかを調べたうえで、余暇の過ごし方との関係を分析した。

ここでわかったのは、仕事と自分の興味の型がもともと一致している人ほど、余暇活動を「仕事の延長」として選ぶ傾向があり、仕事にも満足しているという構図だった。一方、仕事の内容が自分の興味の型と食い違っている人にとっては、話が違ってくる。この場合、満足感や心の健康と結びついていたのは、仕事に合わせた余暇ではなく、むしろ本来の自分の興味の型に沿った——つまり仕事とは食い違う方向の——余暇活動だった。研究者たちはこれを、余暇が持つ補償的な機能と呼んでいる。日中に発揮できずにいる自分の側面を、余暇の時間に肩代わりさせる働きである。

この構図が興味深いのは、「趣味は仕事のストレス解消になる」という、よく聞く話とは似て非なる主張をしている点だ。ストレス解消という言葉は、たいてい仕事とは無関係な気晴らしであれば何でもいいという含みを持つ。とはいえこれらの研究が示しているのは、気晴らしであれば何でもいいわけではなく、日中に押し殺している自分の興味の型と、方向として符合しているときに、満足や心の健康と結びつきやすい、というもう一段具体的な主張である。単に忙しさを忘れさせてくれる趣味と、抑え込んでいた自分の型を発揮させてくれる趣味とは、同じ「息抜き」という言葉でくくられがちだが、これらの研究の枠組みでは別のものとして扱われている。

この発見は、「趣味は自分の性格に合わせて選べばいい」という単純な助言を、もう一段ねじれたものにする。手がかりにすべきなのは、今の仕事や日常の役割に映る自分の姿ではなく、その裏で使われずにいる興味の型のほうかもしれない、ということだ。日々を数字と手順の管理で埋めていて、それが本人の型ではなく役割として求められているだけの人が、休日にもまた別の管理業務のような趣味を選べば、それは表面上「几帳面な自分に合っている」ように見えて、実際には仕事で酷使している面をさらに酷使しているだけかもしれない。逆に、普段は抑え込んでいる自由な発想や、人と直接向き合う機会を、余暇の中に意識して差し込むことのほうが、見た目の一貫性のなさとは裏腹に、本人の内側では釣り合いを取り戻す作業になっている可能性がある。自分に合う趣味を探すという行為は、だから、今の自分の役割をなぞる作業ではなく、その役割が見せていない部分を捜す作業でもありうる。

ただし、この補償という考え方を万能の処方箋のように扱うのも危うい。1995年の研究では、仕事の型が合い、技能も生かせている人でも、性格の型に合う余暇は燃え尽きの低さと関連していた。仕事に合っている人にとって、性格に合う余暇とは、仕事と同じ方向の余暇のことだ。性格に合う余暇との関連が最も強かったのは、型も合わず技能も生かせていない人のほうである。だから1995年の研究は、仕事と型が一致している人にまで、無理に食い違う趣味を勧める根拠にはならない。仕事に満足している人が、あえて畑違いの趣味を持たなければならない理由はどこにもない。これらの研究が示しているのは、不一致という条件がすでに存在する人では、余暇の使い方が、その不一致の負荷の軽さと結びついていた、という話にとどまる。すべての人に当てはめて「本業とは正反対の趣味を持て」と説くなら、それはこれらの研究が語っている以上のことを語ってしまうことになる。

正しく選ぼうとする態度は、満足の低さと結びついていた

ここまでは、選ぶ対象の側の話をしてきた。だが趣味選びには、何を選ぶかとは別に、どう選ぶかという、もう一つの軸がある。心理学者バリー・シュワルツらが2002年に発表した研究は、意思決定の様式を二つに分けている。一つは、選択肢を網羅的に比較し、あらゆる可能性の中から客観的に最良のものを追い求める「最大化型」。もう一つは、一定の基準を満たした時点で探索を打ち切る「満足化型」である。この分類は、もともと買い物や進路のような具体的な選択の場面ごとにではなく、その人がどんな場面でもどちらの姿勢を取りやすいかという、持続的な傾向として測定されている。シュワルツらは合計七つの標本でこの尺度を検証した。最大化の傾向が強い人ほど、後悔しやすく、抑うつが強く、幸福感が低い。測った標本をまとめた相関は、後悔とは0.52、抑うつとは0.34、幸福感とはマイナス0.25だった。幸福感との相関は、標本ごとに見ると、二つの標本では統計的に有意な水準に届いていない。自尊心は二つの標本、完璧主義は一つの標本で測っただけで、向きはどちらも同じだった。何にでも「最良の一つ」があるはずだと信じて探し続ける姿勢は、選んだ後の感じ方の暗さと結びついているらしい。

ここにも、先ほどと同じ物差しを当てておきたい。幸福感とのマイナス0.25は、二乗すれば6パーセントほどで、測ったものは違うが、先の0.17と桁が違うわけではない。しかも相関であって、最大化の傾向が幸福感を下げるところを確かめた実験ではない。最大化の傾向もまた、幸福感の個人差の一部を説明する一票にすぎない。

最大化型と満足化型の違いを、就職活動の始まりから、内定を受ける時期まで追って確かめた、いくぶん皮肉な調査がある。心理学者シーナ・アイエンガー、レイチェル・ウェルズ、シュワルツが2006年に発表した研究は、卒業を控えた大学生を対象に、就職活動を始めたばかりの時期に最大化の傾向を測定し、その後の就職活動の顛末を追跡した。結果、最大化の傾向が強い学生は、実際に得た初任給が平均で20パーセント高かった。客観的な成果だけを見れば、隅々まで比較し尽くす態度は明確に報われている。ところが同じ学生たちは、就職活動の過程でより強い否定的な感情(不安やストレスなど)を経験し、最終的に得た職に対する満足度は、最大化の傾向が低い学生たちより低かった。良い結果を手にしながら、その結果を良いと感じられない、という組み合わせがここには成立している。

初任給という、誰の目にも明らかな数字で結果が出る就職活動でさえ、こうした逆転が起きる。趣味の場合、そもそも「客観的に優れた選択」を測る初任給に相当する物差しがない。だとすれば、最大化型の探し方が趣味選びにもたらす利得は、就職活動の場合よりもさらに乏しく、代わりに支払う代償——探している間の焦りや、決めた後も消えない未練——のほうが、相対的に重く残る可能性がある。良い趣味を選び当てる保証がもともと薄いところに、選び方まで最大化型に寄せてしまうのは、勝ち目の薄い賭けに掛け金を積み増すことになるのかもしれない。

この構図を趣味選びに移し替えると、居心地の悪い符合が見えてくる。今は、ある道具や活動を始める前に、比較のための材料がかつてないほど揃っている。レンズ一本ごとの実写比較、編み針の素材ごとの評判、望遠鏡の口径と価格帯の相関表——これらを読み込めば読み込むほど、客観的に見て「間違いのない」選択に近づける気がしてくる。ところが、その比較に費やした数週間や数か月が、実際に手にしたときの満足感の低さと結びついている可能性がある。アイエンガーらの研究では、最大化の傾向が強い学生ほど、キャリアセンターやランキング、家族や同級生といった外からの情報や助言に頼り、探している最中にも、今追っている仕事とかなり違う仕事を空想しがちだった。満足度の低さを媒介していたのは、この空想と、「もっと多くの選択肢を当たればよかった」という後悔のほうだったと報告されている。選ばなかった方の可能性が頭から離れないという状態は、決めた後まで尾を引きやすいのだろう。

RIASECの診断で自分の型を割り出し、その型に理論上もっとも合致する対象を、時間をかけて選び抜いたとしても、その選び方自体が最大化型に寄っていれば、型の一致度がもたらすはずだった満足感の一部は、選ぶ過程に食われてしまっているかもしれない。型がどれだけ合っているかということと、選び方がどれだけ最大化に寄っているかということは、別々の話だ。片方がうまくいっても、もう片方の埋め合わせにはならない。むしろ厄介なのは、型を精密に診断しようとする態度が、最大化型の姿勢と地続きに見えるという点だ。二つの関係を測った研究は本文で引いたものにはなく、これは筆者の見立てにとどまる。自分に最も合う一つを突き止めようとする熱心さは、良い趣味に出会う確率を上げる代わりに、出会った後の満足感の低さと抱き合わせになっている、という見方もできる。

コンパスの誤差を、誤差のまま使う

ここまでをまとめると、趣味選びに使える手がかりは、思っていたより頼りない代わりに、思っていたより複層的でもある。興味の型の地図には、趣味も載せられる。ただし、型の一致が説明する満足の分散は、測られたのが主に仕事の場合で、それも平均すれば2〜3パーセントにとどまり、趣味については測られてもいない。しかも一致させるべき対象は、今の自分の役割ではなく、役割の裏で眠っている型かもしれない。そのうえ、正しい対象にたどり着けたかどうかとは別に、そこにたどり着くまでの探し方が比べ尽くす方向に寄っていたかどうかで、同じ対象から得られる満足が変わってしまうのかもしれない。

こうなると、精密な自己診断を経て一つの正解を割り出そうとする態度が、あまり報われない賭けに見えてくる。0.17前後とされる相関係数をコンパスにたとえるなら、針はおおむね北を指してはいるが、その振れは大きい。原典が仕事の満足に分類した36件に絞ると平均は0.14ほどで、研究ごとの値の散らばりから原典が示す幅は、マイナス0.025からプラス0.301まで。幅の下の端では、針がほぼ真横を向くか、わずかに南へ振れる研究があってもおかしくない。後続の論文には、2005年までのメタ分析を、有意な関連は見いだせなかったとまとめるものもある。少なくとも、その向きを厳密な緯度経度として読めるほどの精度ではない。

では、おおまかな方角だけを受け取って、まず歩き出してみるほうがいいのか。吟味を重ねてから始める選び方と、試しながら向きを変える選び方を比べた研究は、ここで挙げたものの中にはない。言えるのは、比べ尽くそうとする傾向の強い人ほど、選んだ後の満足が低かったというところまでだ。

それでも、区別しておけることはある。型の診断も、比較サイトのレビューも、最初の一歩をどちらへ向けるかを考える材料にはなるが、その一歩が正しかったかどうかを事後に採点するために作られたものではない。先に見たとおり、アイエンガーらの研究で満足の低さを媒介していたものの一つは、「もっと多くの選択肢を当たればよかった」という後悔だった。診断を採点の基準にすると、これと同じ種類の後悔を呼び込みやすいのではないか——というのは、研究の含意ではなく筆者の読みである。しばらく続けてみた自分の手応えは、理論とは別の情報になる。選んだ趣味がその後の何十年かにわたってどう続いていくのか、という続きの話は、四十年続く趣味に何が共通しているのかを考えた記事で扱った。

数字の上では頼りない理論を、それでも参照する意味があるとすれば、それは正解を教えてくれるからではなく、自分がふだん見過ごしている興味の側面に、名前を与えてくれるからだ。仕事で几帳面さばかりを要求されている自覚がある人が、余暇にまで同じ几帳面さを求める対象を選びかけたとき、一度立ち止まって、その選択が本当に自分の型の全体を映しているのか、それとも仕事で酷使されている部分をなぞっているだけなのか、問い直す材料にはなる。答え合わせの道具としてではなく、見落としを疑う手がかりとして読むなら、型の診断は、この理論が実際に持っている程度の力とも釣り合う。このサイトの趣味診断は、RIASECとは別の4つの型に、動機を尋ねる7問の回答を数えて振り分けるだけの集計で、満足を予測しようとするものでもない。その中身は趣味診断が実際にやっていることを説明した記事にまとめてある。

六角形の座標も、0.17前後とされる相関係数も、補償という発想も、どれも単独では趣味選びの答えを出してくれない。とはいえ三つを重ねてみると、共通して見えてくるものはある。それは、自分に「合う」ということが、一枚の診断結果で確定する静的な性質ではなく、今の生活が自分のどの面を使い、どの面を遊ばせているかによって、そのつど位置が動く相対的なものだということだ。型は変わらなくても、その型のどの部分が満たされ、どの部分が飢えているかは、勤め先が変わるだけでも、役職が変わるだけでも動く。だとすれば問う価値があるのは、一回きりの診断結果が何と出たかより、今の自分がどこで何を持て余しているのか、のほうだろう。

出典

  • Holland, J. L. (1997). Making Vocational Choices: A Theory of Vocational Personalities and Work Environments (3rd ed.). Psychological Assessment Resources.(六類型の一般的な説明として挙げる。未確認)
  • Kerby, D. S., & Ragan, K. M. (2002). "Activity Interests and Holland's RIASEC System in Older Adults." International Journal of Aging and Human Development, 55(2), 117-139.(抄録で確認)
  • Armstrong, P. I., & Rounds, J. (2008). "Linking Leisure Interests to the RIASEC World of Work Map." Journal of Career Development, 35(1), 5-22.(抄録で確認)
  • Kandler, C., Kühn, S., Mönkediek, B., Forstner, A. J., & Bleidorn, W. (2024). "A Multidisciplinary Perspective on Person-Environment Fit: Relevance, Measurement, and Future Directions." Current Directions in Psychological Science, 33(3), 198-205.(抄録で確認)
  • Assouline, M., & Meir, E. I. (1987). "Meta-analysis of the Relationship Between Congruence and Well-being Measures." Journal of Vocational Behavior, 31(3), 319-332.(抄録を取得できず。53の相関・平均0.21・研究ごとの散らばりは、Tsabari ら(2005)の本文の抜粋による紹介で、二次情報)
  • Rounds, J., & Tracey, T. J. (1996). "Cross-Cultural Structural Equivalence of RIASEC Models and Measures." Journal of Counseling Psychology, 43(3), 310-329.(抄録で確認)
  • Tsabari, O., Tziner, A., & Meir, E. I. (2005). "Updated Meta-Analysis on the Relationship Between Congruence and Satisfaction." Journal of Career Assessment, 13(2), 216-232.(抄録で確認。全文は未見。平均相関0.16〜0.17は、Dik & Hansen (2011) が .17、Drasgow (2020) が .16 と紹介している二次情報。仕事の満足に絞った値と、原典が信頼区間と呼ぶ研究ごとの値の幅、Assouline & Meir (1987) より有意に低いという比較は、Semantic Scholar が示す本文の抜粋による。2005年までのメタ分析を有意な関連なしとまとめる後続の論文がある(二次情報)が、原典の著者が、平均がゼロと有意に違うかを判定したかは、全文がなく確かめられていない)
  • Melamed, S., & Meir, E. I. (1981). "The Relationship Between Interests—Job Incongruity and Selection of Avocational Activity." Journal of Vocational Behavior, 18(3), 310-325.(抄録で確認)
  • Melamed, S., Meir, E. I., & Samson, A. (1995). "The Benefits of Personality-Leisure Congruence: Evidence and Implications." Journal of Leisure Research, 27(1), 25-40.(抄録で確認)
  • Schwartz, B., Ward, A., Monterosso, J., Lyubomirsky, S., White, K., & Lehman, D. R. (2002). "Maximizing Versus Satisficing: Happiness Is a Matter of Choice." Journal of Personality and Social Psychology, 83(5), 1178-1197.(全文で確認)
  • Iyengar, S. S., Wells, R. E., & Schwartz, B. (2006). "Doing Better but Feeling Worse: Looking for the 'Best' Job Undermines Satisfaction." Psychological Science, 17(2), 143-150.(全文で確認)
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