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性格診断で「趣味の相性」がわかっても、満足度への説明力はわずか3%だ

性格診断で「趣味の相性」がわかっても、満足度への説明力はわずか3%だ

職業選びのために作られた性格理論を趣味選びに当てはめてみると、何が見えるか。「自分に合うもの」を選んだつもりの趣味がなぜか長続きしない理由は、見立ての精度そのものに意外な限界があることらしい。

TOMOAKI··収集

家庭菜園と天体望遠鏡が、なぜ物置で眠るのか

春先にプランターと苗を買いそろえ、夏には雑草に負けて放置する。ボーナスで天体望遠鏡を買い、月を三回見て押し入れにしまう。こうした顛末を、たいていの人は自分の飽きっぽさのせいにする。だが、興味の対象を選ぶときに実際に何を根拠にしていたかを振り返ると、たいてい「なんとなく良さそうだったから」以上の理由は出てこない。雑誌で見た、同僚が始めた、セールで安かった——そのくらいの動機で数万円と数十時間を投じて、続かなかったことに驚くのは、そもそも筋が通っていない。

ここで疑いたいのは、続ける力の有無ではなく、選ぶ段階の設計そのものだ。幸い、「何が人をある活動に惹きつけ、何が離れさせるか」という問いは、趣味の世界よりずっと先に、職業選びの世界で数十年かけて検証されてきている。転職や進路の相談で使われる性格診断の理論を、そのまま趣味選びに輸入してみると何が見えるか。結論から言えば、輸入してみて初めてわかる限界がある。理論そのものが不十分なのではなく、「自分に合うものを選べば長続きする」という直感が、思っているより雑な近似でしかなかったということだ。

断っておくと、この記事が疑いたいのは「自分に合うものを探す」という発想そのものではない。むしろその発想はおおむね正しい方向を向いている。疑いたいのは、その「合う」を測る精度への過信と、測った後の使い方のほうだ。診断で自分の型がわかれば正解にたどり着けるという期待は、実際にその手の理論がどこまで検証されてきたかを見ると、少し前のめりすぎる。理論を捨てるのではなく、理論が実際に持っている強さの分だけ頼るというのは、口で言うほど簡単ではない。

職業選びの理論は、趣味にもそのまま流用できる

心理学者ジョン・ホランドが提唱したRIASEC理論は、人の興味を六つの類型——現実的(実際に手や道具を動かすことを好む)、研究的(観察し、分析し、理屈を突き詰めることを好む)、芸術的(型にはまらない自己表現を好む)、社会的(人に教えたり助けたりすることを好む)、企業的(人を動かし、交渉し、成果を主張することを好む)、慣習的(手順を整え、正確に記録し、秩序立てることを好む)——に分類する。もともとは職業への適性を測るために作られたもので、進路指導の現場で今も広く使われている。

この六類型が趣味にも通用するのかという問いは、決して自明ではない。仕事を選ぶときの動機と、余暇を選ぶときの動機は、そもそも別の心理的な回路だと考える余地は十分にあった。ところが心理学者デイブ・カービーとケイティ・レーガンが2002年に発表した調査は、高齢者を対象に日常的な活動群を分類し、RIASECの六角形の構造にきれいに対応することを確認している。趣味という一見雑多な集合も、職業と同じ六つの軸に沿って整理できるらしい。パトリック・アームストロングとジェームズ・ラウンズが2008年に発表した研究も、余暇の興味を測る質問紙のデータを、ホランドが職業の世界を説明するために作った六角形の地図の上に重ね合わせ、両者が同じ構造を共有していることを示した。つまり、あなたが会計の仕事に向いているかどうかを占う理論と、あなたが編み物と天体観測のどちらに長く付き合えるかを占う理論は、実は同じ一枚の地図の上にある。趣味は仕事とは無関係な、気ままな選択の領域だという思い込みは、この構造の話に限って言えば裏付けられない。

この発見を、より広い枠組みで捉え直す考え方もある。組織心理学が蓄積してきた人と環境の適合理論は、人は自分の特性に合った環境を求め、また実際にそうした環境の中でこそ基本的な欲求が満たされやすいと説明する。近年の研究レビューは、この適合の効果が職場だけでなく余暇の領域にも及ぶことを指摘しており、自分の興味の型に合わない余暇活動は、単に退屈であるだけでなく、幸福感にとってむしろ足を引っ張る方向に働きうるとも述べている。合わない活動は、何もしないよりも損だという含みがそこにはある。

六つの型を、具体的な当てはめで確かめる

抽象的な分類のままでは実感が湧きにくいので、六類型がどんな活動に対応しうるか、いくつか置き換えてみる。実際に手や道具を動かす現実的な型であれば、日曜大工や家庭菜園のように、素材に触れて何かを作り上げる活動が近い。観察と分析を好む研究的な型であれば、天体観測や昆虫採集のように、対象を細かく記録し、法則を見出すこと自体が快感になる活動が対応する。型にはまらない自己表現を求める芸術的な型は、水彩画や俳句のように、正解のない表現行為に惹かれやすい。人と関わることに満足を見出す社会的な型は、地域の子ども向けに何かを教える活動や、案内役として人を導く活動と結びつきやすい。人を動かし成果を主張することを好む企業的な型は、フリーマーケットでの出品や、趣味の延長で小さな企画を立ち上げることに近い。手順を整え秩序立てることを好む慣習的な型は、鉄道模型の運行表を組んだり、集めた切手を体系立てて整理したりする作業に向いている。もちろん一つの趣味が単一の型にきれいに収まるとは限らない。天体観測は研究的な要素が強い一方、望遠鏡を自作する段階では現実的な要素も混じる。型はあくまで重心の位置を示すものであり、境界線を引くための道具ではない。

もう一つ、この六角形そのものの普遍性についても、留保を挟んでおく必要がある。心理学者ジェームズ・ラウンズとテレンス・トレーシーが1996年に発表した研究は、アメリカ国内の複数の民族集団と、18か国から集めた国際的なデータを対象に、ホランドが想定した六角形の並び方——六つの型が円環状に配置され、隣り合う型ほど似ているという構造——がどこまで当てはまるかを検証した。結果、この構造上の前提は、国際的なサンプル全体を通して一様には支持されなかった。六類型そのものは有用な語彙だとしても、それらが必ず同じ幾何学的な並びをなすという、理論のより野心的な部分までは、文化を越えて成り立つとは言い切れない。趣味を六角形の座標にきっちり落とし込めるという発想自体、そもそも過信であるらしい。

見立ての精度は、思っているほど高くない

ここまでの話を素直に受け取れば、「自分の類型を正しく診断し、それに合う趣味を選べばいい」という結論に落ち着きそうになる。実際、進路相談の現場ではこの理論に基づいた適性診断が半世紀近く使われ続けてきた。もっとも、この理論が実際にどれほど当たるのかを、大量のデータで検証した研究を見ると、話はそう単純ではなくなる。

心理学者オリット・ツァバリ、アハロン・ツィナー、エルハナン・メイアが2005年に発表したメタ分析は、1988年から2003年までに発表された26本の研究、53のサンプル、合計6557人分のデータを統合し、興味の類型と職務環境の一致度が、その後の満足度をどれだけ説明するかを算出した。結果、両者の相関係数は平均0.17にとどまった。二乗すれば説明できる分散はわずか3パーセント程度である。半世紀にわたって進路指導の柱にされてきた理論の、実際の予測力はその程度でしかなかったことになる。これより以前、1987年にアスリンとメイアが行った先行のメタ分析でも、相関は0.21という近い水準にとどまっている。理論の枠組みが間違っているというより、「型が合っているかどうか」という一変数だけで満足度のほとんどを説明しようとすること自体に無理があった、と読むほうが正確だろう。

この数字を趣味選びに当てはめて考えると、いくらか気が楽になる一方で、当てが外れやすくなる。診断テストのようなもので自分の興味の型を割り出し、その型に理屈の上で合致する趣味を選んだとしても、それが実際に長続きするかどうかの見立てとしては、当てにしすぎないほうがいい水準の精度しかない。型の一致は、無関係よりはましだが、決め手にはならない。診断結果を絶対視して「向いているはずだから続けなければ」と自分を縛るのは、この理論が実際に示している以上の確信を、理論に代わって自分が上乗せしているだけだということになる。

なぜこれほど当たらないのか。理由の一端は、満足度という結果が、型の一致以外にもあまりに多くの要因の合成物だからだろう。一緒に始める相手がいたかどうか、最初に触れた道具の出来が良かったかどうか、生活のどの時間帯にその活動を差し込めたか、値段が今の懐に見合っていたか——これらはどれも型とは無関係に満足度を左右しうる。型の一致は、無数にある変数のうちの一つを説明しているにすぎず、しかもそれほど重い一票ではない。統計を扱う人間からすれば当たり前の話に聞こえるかもしれないが、進路指導や自己啓発の文脈でこの理論に触れるとき、この当たり前さはたいてい伏せられたまま「あなたに向いているのはこれです」という断定の形で差し出される。断定の形をとった瞬間に、理論が実際に持っている0.17という控えめな数字は見えなくなる。

コンパスが自分の職業とは逆を指すとき

型の一致がそれほど強い予測力を持たないとして、では趣味を選ぶ手がかりとして、この理論はもう見込みがないのかというと、そうとも言い切れない一つの発見がある。心理学者サミュエル・メラメドとエルハナン・メイアが1981年に行った研究、続いて1995年にメラメド、メイア、アミット・サムソンの三人が発表した研究は、技術者、技能職、医師、弁護士など160人の専門職を対象に、仕事の内容と本人の興味の型がどれだけ一致しているかを調べたうえで、余暇の過ごし方との関係を分析した。

ここでわかったのは、仕事と自分の興味の型がもともと一致している人ほど、余暇活動を「仕事の延長」として選ぶ傾向があり、それで満足感が保たれているという構図だった。一方、仕事の内容が自分の興味の型と食い違っている人にとっては、話が違ってくる。この場合、満足感や心の健康と結びついていたのは、仕事に合わせた余暇ではなく、むしろ本来の自分の興味の型に沿った——つまり仕事とは食い違う方向の——余暇活動だった。研究者たちはこれを、余暇が持つ補償的な機能と呼んでいる。日中に発揮できずにいる自分の側面を、余暇の時間に肩代わりさせる働きである。

この構図が興味深いのは、「趣味は仕事のストレス解消になる」という、よく聞く話とは似て非なる主張をしている点だ。ストレス解消という言葉は、たいてい仕事とは無関係な気晴らしであれば何でもいいという含みを持つ。とはいえこの研究が示しているのは、気晴らしであれば何でもいいわけではなく、日中に押し殺している自分の興味の型と、方向として符合している必要がある、というもう一段具体的な主張である。単に忙しさを忘れさせてくれる趣味と、抑え込んでいた自分の型を発揮させてくれる趣味とは、同じ「息抜き」という言葉でくくられがちだが、この研究の枠組みでは別のものとして扱われている。

この発見は、「趣味は自分の性格に合わせて選べばいい」という単純な助言を、もう一段ねじれたものにする。手がかりにすべきなのは、今の仕事や日常の役割に映る自分の姿ではなく、その裏で使われずにいる興味の型のほうかもしれない、ということだ。日々を数字と手順の管理で埋めている人が、休日にもまた別の管理業務のような趣味を選べば、それは表面上「几帳面な自分に合っている」ように見えて、実際には仕事で酷使している面をさらに酷使しているだけかもしれない。逆に、普段は抑え込んでいる自由な発想や、人と直接向き合う機会を、余暇の中に意識して差し込むことのほうが、見た目の一貫性のなさとは裏腹に、本人の内側では釣り合いを取り戻す作業になっている可能性がある。自分に合う趣味を探すという行為は、だから、今の自分の役割をなぞる作業ではなく、その役割が見せていない部分を捜す作業でもありうる。

ただし、この補償という考え方を万能の処方箋のように扱うのも危うい。研究が対象にしたのは、仕事の内容と本人の型が食い違っている一群の専門職であって、そもそも仕事と型が一致している人にまで、無理に食い違う趣味を勧める根拠にはならない。仕事に満足している人が、あえて畑違いの趣味を持たなければならない理由はどこにもない。この研究が示しているのは、あくまで不一致という条件がすでに存在する人にとって、余暇の使い方一つで、その不一致がもたらす負荷をいくらか和らげられる余地がある、という限定された話にすぎない。すべての人に当てはめて「本業とは正反対の趣味を持て」と説くなら、それはこの研究が語っている以上のことを語ってしまうことになる。

正しく選ぼうとする態度そのものが、満足を減らす

ここまでは、選ぶ対象の側の話をしてきた。だが趣味選びには、何を選ぶかとは別に、どう選ぶかという、もう一つの軸がある。心理学者バリー・シュワルツらが2002年に発表した研究は、意思決定の様式を二つに分けている。一つは、選択肢を網羅的に比較し、あらゆる可能性の中から客観的に最良のものを追い求める「最大化型」。もう一つは、一定の基準を満たした時点で探索を打ち切る「満足化型」である。この分類は、もともと買い物や進路のような具体的な選択の場面ごとにではなく、その人がどんな場面でもどちらの姿勢を取りやすいかという、持続的な傾向として測定されている。シュワルツらは合計七つの標本を使ってこの尺度を検証し、最大化の傾向が強い人ほど、幸福感や自尊心、楽観性との相関が負に振れ、抑うつや完璧主義、決めたあとの後悔との相関が正に振れることを繰り返し確認した。何にでも「最良の一つ」があるはずだと信じて探し続ける姿勢そのものが、選んだ後の感じ方を静かに損なっているらしい。

この対比を裏づける、いくぶん皮肉な追跡調査がある。心理学者シーナ・アイエンガー、レイチェル・ウェルズ、シュワルツが2006年に発表した研究は、卒業を控えた大学生を対象に、就職活動が始まる前に最大化の傾向を測定し、その後の就職活動の顛末を追跡した。結果、最大化の傾向が強い学生は、実際に得た初任給が平均で20パーセント高かった。客観的な成果だけを見れば、隅々まで比較し尽くす態度は明確に報われている。ところが同じ学生たちは、就職活動の過程でより強い不安や後悔を経験し、最終的に得た職に対する満足度は、あっさり決めた学生たちより低かった。良い結果を手にしながら、その結果を良いと感じられない、という組み合わせがここには成立している。

初任給という、誰の目にも明らかな数字で結果が出る就職活動でさえ、こうした逆転が起きる。趣味の場合、そもそも「客観的に優れた選択」を測る初任給に相当する物差しがない。だとすれば、最大化型の探し方が趣味選びにもたらす利得は、就職活動の場合よりもさらに乏しく、代わりに支払う代償——探している間の焦りや、決めた後も消えない未練——のほうが、相対的に重く残る可能性がある。良い趣味を選び当てる保証がもともと薄いところに、選び方まで最大化型に寄せてしまうのは、勝ち目の薄い賭けに余分な掛け金を積み増しているようなものだ。

この構図を趣味選びに移し替えると、居心地の悪い符合が見えてくる。今は、ある道具や活動を始める前に、比較のための材料がかつてないほど揃っている。レンズ一本ごとの実写比較、編み針の素材ごとの評判、望遠鏡の口径と価格帯の相関表——これらを読み込めば読み込むほど、客観的に見て「間違いのない」選択に近づける気がしてくる。ところが、その比較に費やした数週間や数か月そのものが、実際に手にしたときの満足感を先に目減りさせている可能性がある。イエンガーらの研究では、最大化の傾向が強い学生ほど、求人情報や他人の意見といった外部の情報源に頼る度合いが高く、決定した後もまだ確認していない選択肢のことを考え続けていたことが、満足度の低さを媒介する要因として報告されている。選び終えたはずの後になっても、選ばなかった方の可能性が頭から離れないという状態は、決断そのものよりも重い負債として残る。

RIASECの診断で自分の型を割り出し、その型に理論上もっとも合致する対象を、時間をかけて選び抜いたとしても、その選び方自体が最大化型に寄っていれば、型の一致度がもたらすはずだった満足感の一部は、選ぶ過程そのものに食われてしまっているかもしれない。型がどれだけ合っているかということと、選び方がどれだけ性急でないかということは、独立した二つの変数であり、片方が優れているからといってもう片方の代わりにはならない。むしろ厄介なのは、型を精密に診断しようとする態度そのものが、最大化型の姿勢と地続きだという点だ。自分に最も合う一つを突き止めようとする熱心さは、良い趣味に出会う確率を上げる代わりに、出会った後の満足感を先に目減りさせる、という取引を静かに強いているのかもしれない。

コンパスの誤差を、誤差のまま使う

ここまでをまとめると、趣味選びに使える手がかりは、思っていたより頼りない代わりに、思っていたより複層的でもある。興味の型に基づく理論は趣味の世界にもそのまま通用するらしいが、その型の一致が説明できる満足度の分散は、多く見積もっても数パーセントにすぎない。しかも一致させるべき対象は、今の自分の役割そのものではなく、役割の裏で眠っている型かもしれない。そのうえ、正しい対象にたどり着けたかどうかとは別に、そこにたどり着くまでの探し方が性急だったか、比較に溺れていたかによって、同じ対象から得られる満足感の総量そのものが変わってしまう。

こうなると、精密な自己診断を経て一つの正解を割り出そうとする態度そのものが、あまり報われない賭けに見えてくる。0.17という相関係数は、コンパスの針が北を指しているのはたしかだが、その針の指す方向を厳密な緯度経度だと思い込んではいけない、というくらいの精度でしかない。おおまかな方角として受け取り、そこから先は歩いてみながら微調整するほうが、机上で完璧な進路を計算し尽くすより理にかなっている。歩き出す前の吟味に何か月もかける代わりに、おおよその見当がついた時点で始めてしまい、違うと感じたら方向を変える——この往復にかかる手間のほうが、最初の一手を完璧にする手間より、結果として割に合う可能性がある。

この往復を許すには、最初の選択を仮のものとして扱う心構えがいる。型の診断も、比較サイトのレビューも、最初の一歩をどちらへ向けるかを決めるための材料であって、その一歩が正しかったかどうかを事後に採点するための基準ではない。基準として使い始めた瞬間、選んだ後もずっと「これで合っていたのか」と問い続けることになり、それこそが満足度を目減りさせている当のものだった、というのがシュワルツらの研究の含意である。診断を下したあとに、その診断が正しかったかどうかを検算し続ける必要はない。合っていたかどうかは、しばらく続けてみた自分の手応えのほうが、どんな理論よりも先に教えてくれる。

数字の上では頼りない理論を、それでも参照する意味があるとすれば、それは正解を教えてくれるからではなく、自分がふだん見過ごしている興味の側面に、名前を与えてくれるからだ。仕事で几帳面さばかりを要求されている自覚がある人が、余暇にまで同じ几帳面さを求める対象を選びかけたとき、一度立ち止まって、その選択が本当に自分の型の全体を映しているのか、それとも仕事で酷使されている部分をなぞっているだけなのか、問い直す材料にはなる。型の診断は答え合わせの道具ではなく、見落としを疑うための道具として使ったほうが、この理論が実際に持っている程度の力を、身の丈に合った形で使うことになる。

六角形の座標も、0.17という相関係数も、補償という発想も、どれも単独では趣味選びの答えを出してくれない。とはいえ三つを重ねてみると、共通して見えてくるものはある。それは、自分に「合う」ということが、一枚の診断結果で確定する静的な性質ではなく、今の生活が自分のどの面を使い、どの面を遊ばせているかによって、そのつど位置が動く相対的なものだということだ。型は変わらなくても、その型のどの部分が満たされ、どの部分が飢えているかは、勤め先が変わるだけでも、役職が変わるだけでも動く。だから一度診断を受けて終わりにするのではなく、今の自分がどこで何を持て余しているのかを、折に触れて問い直すことのほうが、精度の低い一回きりの診断結果にしがみつくより、実際には役に立つのだろう。

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