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8時間という数字は、誰の体も測っていない

8時間という数字は、誰の体も測っていない

1817年、ロバート・オウエンは24時間を三等分しただけだった。それが今も「適正な睡眠時間」として語られる数字の起点になっている。6時間15分しか眠らずに健康な家系もいる。

TOMOAKI··仕事

24時間を三等分しただけ、というところから話は始まる

「大人は8時間眠るべきだ」という言葉を、疑ったことのある人は少ないだろう。何時間眠れたかを気にする人は多いが、なぜ8時間という数字なのかを気にする人はあまりいない。数字自体があまりに定着しているので、まるで体温の36度台のように、生理学が測って決めた基準値だと思い込んでいる。

ところが起源をたどると、体を測った形跡がどこにもない。1817年、ウェールズ生まれで、スコットランドのニューラナーク紡績工場を経営したロバート・オウエンが掲げたスローガンに行き着く。「8時間労働、8時間娯楽、8時間休息」。当時の工場労働は12時間から14時間に及ぶのが普通で、オウエンはこれを切り詰めさせるために1日24時間をきっちり三等分してみせた。ケーキを均等に切り分けるとき、切り分ける側は誰がどれだけ空腹かを気にしない。同じように、この標語も誰の体がどれだけの休息を必要とするかという問いには、最初から関心が向いていない。8時間睡眠という数字の出自は、生理学ではなく、労働時間をめぐる政治的な取引だったことになる。この標語はその後、米国の労働運動家アイラ・スチュワードらに受け継がれ、20世紀初頭には世界各地の8時間労働制の合言葉として広まった。「労働時間を縮めれば寿命が延びる」というスローガンまで登場したが、これも医学的な検証を経た主張ではなく、運動を後押しするための修辞だった。数字が独り歩きして、いつのまにか「体が必要とする量」であるかのような顔をして現代まで生き延びている。三等分という発想の分かりやすさが、そのまま数字の正しさとして誤解され続けてきたということでもある。

ヨハネス・フェルメールの絵画『眠る女』(1656-57年頃)。食卓に肘をついて、うたた寝する若い女性を描いている。

それでも、まるで根拠がないわけではないらしい

とはいえ、19世紀の運動スローガンがたまたま生き延びただけで、現代の推奨値には別の裏付けがあるのかもしれない。実際、米国睡眠医学会と睡眠研究学会が2015年に出した合同声明は、成人に「7時間以上」の睡眠を推奨している。この数字の土台になっているのが、2002年に発表された大規模な疫学研究だ。対がん協会のボランティア110万人以上を対象に6年間追跡したもので、睡眠時間と死亡率の関係を調べたところ、7時間ちょうどで最も死亡率が低く、そこから短くても長くてもリスクが上がるU字型の曲線が現れた。8時間睡眠の群ですら、すでに統計的に有意なリスク上昇に入っている。

ただし、この研究には著者自身が認めている弱点がある。睡眠時間はアンケートの自己申告にすぎず、機器で実測したものではない。そして何より、短時間睡眠に伴うリスクの多くは、持病を含む他の要因で説明できる可能性があると、論文の中で著者自身が留保をつけている。眠りが短いから病気になるのか、病気だから眠りが短くなるのか、この研究だけでは順番を決められない。健康診断で血糖値と体重の相関を見せられても、どちらが先かは分からないのと同じ構造だ。効果量も、印象ほど大きくはない。5時間睡眠の群で死亡リスクが上がった幅は7パーセント程度で、10時間以上眠る群のほうがむしろ上昇幅は大きかった。110万人という規模の大きさと、結論の確実さは、必ずしも比例しない。しかも合同声明自身が、9時間を超える睡眠のリスクについては「不確実」だと明記している。下限の7時間には比較的強い根拠があっても、上限の9時間はそこまで固い話ではないということだ。

6時間15分しか眠らない家系が、健康に暮らしている

数字の不確かさを補うように、もう一つ別の角度からの証拠がある。2009年、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究チームは、夜10時に寝て朝4時台に自然に目が覚める母娘の家系を調べ、DEC2という遺伝子に特定の変異を見つけた。変異を持つ家族の平均睡眠時間は6時間15分、持たない親族は8時間強。この変異を持つマウスに再現実験を行っても、同じように睡眠時間が短くなった。DEC2という遺伝子は、覚醒を促す物質の分泌量を普段は抑えるブレーキ役をしているのだが、変異によってそのブレーキが緩み、起きていられる時間が自然と延びるのだという。

この種の遺伝子はその後も見つかっており、2019年には別の家系からADRB1という遺伝子の変異が報告されている。共通しているのは、こうした人たちが睡眠不足につきものの認知機能の低下や免疫の乱れを示さないという点だ。それどころか、エネルギッシュで楽観的、痛みへの耐性が高いといった性格傾向まで報告されている。「7時間未満は体に悪い」という前提そのものが、少なくともこの少数派には当てはまらない。もっとも、これはごく稀な遺伝子変異の話であって、「自分もショートスリーパーかもしれない」と考える人の大半は、単に睡眠不足が慢性化して麻痺しているだけだろう。目覚まし時計なしで自然に早起きできるかどうかが、簡単な見分け方の一つになる。稀な例外の存在は、多数派への処方を覆さない。これは、足の速い人が世界に何人かいるからといって、全員が100メートルを10秒台で走れるわけではないのと似た話だ。例外を根拠に一般則を書き換えることはできないが、例外が実在するという事実そのものは、「誰にでも一律に当てはまる正解」という発想の方を静かに疑わせる。

そもそも、時間より別のものを測るべきなのかもしれない

ここまでは「何時間眠るべきか」という前提そのものを疑ってきたが、もう一段疑うべき点がある。総睡眠時間という指標自体が、測るべきものとしてふさわしいのかという疑問だ。睡眠中の心拍や脳波を測定する大規模研究では、横になっていた時間のうち実際に眠れていた割合を示す「睡眠効率」が、心血管疾患のリスクをより強く予測することが分かっている。効率が8割を下回る人は、9割を超える人に比べて、高血圧や糖尿病の合併率が高い。同じ8時間をベッドで過ごしても、そのうち何時間眠れていたかは人によって大きく違う。財布に入っている金額よりも、実際に使える現金がいくらかのほうが生活を左右するのと似ている。

さらにねじれた話もある。地域に暮らす69歳前後の高齢者135人を対象にした2023年の研究では、深い眠り(徐波睡眠)の割合が高い人ほどエピソード記憶の成績が良かった。ただしこの関連は実行機能では確認されず、対象者数も大きいとは言えない規模にとどまる。それでも、記憶力を左右していたのが「何時間眠ったか」ではなく「眠りの中身」だったという点は、時間という一つの物差しだけで睡眠を語ることの限界を示している。

「昔の人は分割して眠っていた」という対抗説も、無傷では済まない

8時間睡眠という通説への反発として、近年よく語られる対抗言説がある。産業革命以前のヨーロッパでは、夜を「最初の眠り」と「二度目の眠り」に分け、その合間の1時間ほどを祈りや家事に充てる二相性の睡眠が一般的だった、というものだ。歴史学者ロジャー・イーカーチが2000年代に発表した研究に基づく説で、街灯や照明の普及によって連続した一晩通しの眠りに置き換えられていったと説明される。8時間の連続睡眠こそが不自然で、人間本来の眠り方は分割されていたのだ、という筋書きは魅力的に響く。「本来の姿」を提示する言説は、たいてい魅力的に聞こえるものだが、それ自体は正しさの証明にはならない。

ところが、この説にも綻びが指摘されている。2023年に発表された史学的な再検証では、イーカーチが根拠とした過去の文書の多くについて、文脈を精査すると「分割睡眠」の明確な証拠とまでは言い切れないケースがあると指摘されている。加えて、電気のない生活を今も送る前産業社会——タンザニアのハッザ族、ナミビアのサン族、ボリビアのチマネ族——を対象に実際の睡眠を計測した2015年の研究では、平均睡眠時間は5.7時間から7.1時間、就寝は日没から平均約3時間後という結果と並んで、分割睡眠のパターンはほとんど見られなかった。眠りは一晩を通した一続きの単相性だったという。研究チームは「現代生活が祖先より睡眠時間を減らしたという主張は神話だ」とまで述べている。文献の解釈にも、実測データにも、それぞれ別の弱さがある。通説を覆したつもりの対抗説も、同じ厳しさで検証すれば無傷ではいられない。

数字を捨てるのではなく、数字の出どころを見ておく

並べてみると、8時間という数字は、生理学の測定値というより、いくつもの異なる時代・異なる動機から出てきた話が偶然同じ数字の近くに収斂しただけのようにも見える。19世紀の労働運動が24時間を三等分し、20世紀末の疫学研究がその近辺にU字の底を見つけ、遺伝学が例外の存在を証明し、対抗言説がその通説をひっくり返そうとして、今度は自分自身が検証にさらされている。誰も嘘をついているわけではないが、それぞれ違う場所から歩いてきて、たまたま似た数字の前で立ち止まっているだけなのかもしれない。

だからといって、何時間眠っても構わないという話にはならない。睡眠不足が体に良くないという大枠自体は、多くの研究が支持している。疑うべきなのは「8時間」という具体的な数字の権威であって、睡眠そのものの重要性ではない。服のサイズがSかMかで迷うとき、大事なのは表示された記号ではなく実際に体に合うかどうかであるのと同じで、8時間という記号そのものにこだわりすぎると、かえって自分の体が発している信号を聞き逃す。眠気を感じたら眠り、日中に支障がなければそれでいい、という当たり前の基準のほうが、110万人分のアンケートよりも自分の体には近いのかもしれない。

出典

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