発酵という、待つしかない時間
麹菌の代謝速度は、こちらの都合では早められない。タイパという言葉に慣れた頭を、発酵という「待つだけの時間」に置いてみる。
タイパという言葉をよく見かけるようになった。動画は倍速で見て、検索は最短距離で答えに辿り着く。効率が善で、待つことは無駄だという空気に、いつのまにか馴染んでいた。
その反動なのか、最近は台所で「待つしかないもの」を意図的に置くようにしている。ぬか床、味噌、たまに黒にんにく。発酵というのは、麹菌や乳酸菌という自分以外の生き物に、時間の使い方を預ける行為だ。どれだけ急いても、菌の代謝速度は早まらない。
麹菌が出すプロテアーゼがタンパク質をアミノ酸に、アミラーゼが澱粉を糖に変えていく——という話自体は化学の教科書に載っている程度の事実だが、実際に台所でそれが数週間かけて進むのを眺めていると、自分にできることは思ったより少ないと気づく。塩分濃度や温度を整えたら、あとは待つしかない。この「主導権を手放す」感覚に、意外と救われている。
ぬか床は毎日かき混ぜる必要がある。この一分程度の儀式のおかげで、生活のリズムが強制的に一定に保たれる。日によって匂いが微妙に違うのも、正解のない変化だと思えば面白い。カビが生えることもあるが、白い産膜酵母は空気に触れすぎたサインで、かき混ぜ直せば大抵は戻る。黒や緑のカビが出たら、それは残念ながらやり直すしかない——くらいの見分けは、経験で覚えていく。
3か月寝かせた味噌や、1年経った梅干しは、労働の対価というより、時間を預けた見返りとして受け取るものに近い。効率が当たり前になった今、「待たなければ手に入らないもの」を持っているという事実自体が、ちょっとした贅沢に思える。
発酵が偉いとか、タイパが悪だとか言いたいわけではない。ただ、生活のすべてを「最適化すべき対象」として眺める癖がついているなら、その視線を少し休ませる場所が、どこかにあってもいい。うちの場合は、それがたまたま台所の隅にあるだけだ。
