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包丁を研いでいる間だけ、頭が静かになる理由
砥石に刃を当てている10分間、なぜか雑念が減る。デフォルトモード・ネットワークという仮説を手がかりに、その感覚を言葉にしてみる。
スマートフォンを触っていない時間でも、頭の中はたいてい忙しい。過去のやり取りを思い返したり、明日の予定を先回りして心配したり。意識して何かに取り組んでいないときほど、脳はむしろ勝手に動き続けているらしい。
この「何もしていないときの空回り」は、脳科学ではデフォルトモード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる回路の働きとして語られることがある。安静時のエネルギー消費の多くがここに向けられているという報告もあるが、測定条件によって数字にはかなり幅があり、断定できるほど検証が揃っているわけではないようだ。それでも、意識の外側で何かが動き続けている感覚には、自分にも心当たりがある。
包丁を研いでいる間だけ、雑念が静かになる
砥石を水に浸し、刃を15度くらいの角度で当てて研ぐ。この単純作業をしている10分ほどの間は、他の考えごとが入り込む余地が明らかに小さくなる。指先に伝わる砥泥の粘り、鋼が削れる高い音、刃先を指でなぞって確かめるバリの手応え。こうした細かい感覚に意識を向けている間は、他のことを考える余裕がなくなるだけかもしれない。それをDMNが沈黙していると呼べるのかは自分では確かめようがないが、頭の中が静かに整理されていく感覚だけは確かにある。
研ぎ終わった包丁でキャベツを刻むときも、同じような感覚が続く。フードプロセッサーなら数秒で終わる作業に、あえて時間をかける。トントンという単調な音のリズムに意識が寄っていくと、それ以外の雑念がしばらく後回しになる。
効果があるかどうかより、儀式として
研いだからといって何かが解決するわけではない。ただ、外でどれだけ理不尽なことがあっても、家に帰って包丁を研ぎ、野菜を刻む10分があれば、少し落ち着きを取り戻せる日がある。これは科学的な効能というより、自分にとっての小さな儀式に近い。
不器用でも構わないと思っている。むしろ完璧な刃を目指さない方が、この作業には向いている気がする。
