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危機らしい危機が、40代半ばになっても来ない
スイスの調査では92%が「ミッドライフ・クライシスは存在する」と信じているのに、実際に定義を満たす経験をした人は10〜20%にとどまる。40代半ばの自分に危機が来ない理由を、一次情報で確かめてみた。
受験を控えた子供、微妙な家庭の空気、AIに食われていく仕事。それでも
今、40代の半ばにいる。世間で「ミッドライフ・クライシス」と呼ばれる年代のちょうど真ん中だ。材料には事欠かない。子供は受験を控えていて、家の中はお世辞にも円満とは言えない空気が漂う日がある。仕事のほうも、AIが自分の得意分野をじわじわ侵食しているのを日々実感している。教科書的には、そろそろ人生の正午が来て、鏡の前で立ち尽くす頃合いのはずだ。
ところが、危機らしい危機がまるで来ない。夜中に虚無感に襲われることもなければ、赤いスポーツカーが欲しくなることもない。理由に心当たりがないわけではない。20代の頃、今とは比較にならないほど過酷な職場にいた。終電を逃すのが当たり前で、休日出勤にすら疑問を持たなくなっていたあの数年間に比べれば、今の悩みは正直、悩みの範疇に入るかどうかも怪しい。比較対象がひどすぎると、今の状態はむしろ快適に見えてしまう。これは強がりでも謙遜でもなく、単純な相対評価の結果だと思う。当時の職場を知っている元同僚と久しぶりに飲むと、たいてい「今のほうが全然マシですよね」という話で落ち着く。あの数年間が基準点として頭のどこかに居座っているせいで、今のストレスは相対的に軽く感じられているだけなのかもしれない。
「危機」という言葉自体、思ったより頼りない土台の上にある
自分の実感だけを根拠に「クライシスなんて存在しない」と言い切るのは乱暴なので、少し調べてみた。そもそも「ミッドライフ・クライシス」という言葉を最初に使ったのは、1965年に発表された精神分析医エリオット・ジャックの論文だ。この論文の根拠を確認して驚いた。全米調査でも臨床試験でもない。過去の偉大な芸術家310人——モーツァルトやゴーギャンのような人物たち——の伝記資料と、自身が診た患者数人の臨床印象をもとにした考察だったのである。統制群も統計処理もない。今でいう「エビデンスに基づく」という基準からは、かなり遠い場所から、この言葉は生まれている。
ノンフィクションの世界で言葉が独り歩きすることはよくあるが、天才芸術家の伝記研究から抽出された概念が、半世紀以上たった今、ごく普通の会社員である自分にも当てはまるかのように語られている。この距離感は、一度立ち止まって考える価値があると思う。天才芸術家が30代後半で作風を劇的に変えるのは、彼らが常人離れした感受性と自己演出の職業についているからかもしれないし、伝記作家が「劇的な転機」を物語として編集したがる性質のせいかもしれない。どちらの可能性も、平凡な会社員である自分の日常には、そのまま当てはまらない。
「信じている人」と「実際に経験した人」のあいだの落差
もっと大規模な調査もある。コーネル大学の研究者が2000年前後に発表した分析では、全米調査の対象者のうちミッドライフ・クライシスを「経験した」と自己申告した人は全体の26パーセント。40代から53歳に絞ると、その割合はおよそ3分の1(33パーセント)まで上がった。ただし、この研究者は「ミッドライフ」を38歳から50歳という枠で定義しており、自己申告された危機のうち52.6パーセントは、この枠の外——38歳になる前か、50歳を過ぎてから——起きたと申告されている。年齢という枠組み自体、思われているよりずっと緩いものらしい。この枠の中で起きたと申告された危機に絞ると、39歳以上の回答者のうちおよそ14パーセントにとどまる——ただし、この数字は危機が起きた年齢が38歳から50歳の範囲内だったかどうかを示すだけで、原因が加齢そのものかどうかとは別の話だ。
さらに踏み込むと、危機の原因として何を語るかも、報告した人の年齢によって大きく違っていた。40歳前後で「危機」を報告した人の多くは、体力の衰えや達成できなかった目標への焦りなど、加齢そのものを理由に挙げていた。ところが64歳以上で過去を振り返って「危機」を語った人では、9割近くが離婚や失業、病気といった具体的な出来事を理由に挙げ、年齢そのものを理由にした人は1割程度にとどまっていた。同じ「ミッドライフ・クライシス」という言葉が、直近の出来事として語られることもあれば、何十年も前を振り返って再構成された物語として語られることもある。一方でスイスで行われた別の調査では、回答者の実に92パーセントが「ミッドライフ・クライシスは存在する」と信じていた。信じている人の割合と、実際に定義を満たす経験をした人の割合のあいだに、これほど大きな溝があるというのは、正直かなり意外だった。自分の周りでも「40代は危機の年代らしいよ」と話題にする人は多いのに、実際に「離婚や失業とは関係なく、年齢そのものに焦って眠れなくなった」というところまで踏み込んで語る人には、あまり出会わない。信じている人の数と、語れる人の数のあいだにも、同じ落差がある気がする。
幸福度の「谷」と、クライシスは別の話らしい
「いや、統計的には中年期に幸福度が落ち込むという研究があるはずだ」と思う人もいるだろう。確かに、アメリカとヨーロッパの50万人以上のデータを使った有名な研究では、人生の満足度が中年期に底を打つ「U字カーブ」が報告されている。ただし、この研究の著者自身は「幸福度のU字」を語っているのであって、「クライシス」という言葉は使っていない。両者はしばしば同じもののように語られるが、本来は別の話だ。底を打つ年齢も一様ではなく、著者らの推計ではヨーロッパの男女は40代半ばだが、アメリカ人男性は50代前半、アメリカ人女性は30代後半だった。しかも効き目そのものは、20歳時点と45歳時点の幸福度スコアを比べても0.1から0.2ポイント程度、標準偏差のおよそ5分の1にとどまるという。危機というより、なだらかな坂に近い。
加えて、このU字カーブそのものの再現性にも疑いの目が向けられている。2013年から2019年に発表された29本の研究をレビューした論文では、U字をはっきり支持する結果、支持しない結果、そして対象国や年代、統制変数の入れ方によって結果が変わる研究とが入り乱れており、著者らはこの分野の実証研究の現状を「支持も否定もできない、混在した状態」と評している。特に、同じ人を長期間追跡する縦断研究——年齢による違いを、世代による違いと混同しない、より厳密な手法——を対象にした先行研究では「真に縦断的なデータでU字パターンの再現を試みた例は、これまですべて失敗している」という指摘まで引用されている。50万人という規模の大きさに反して、この谷の存在自体、思われているほど確かなものではないのかもしれない。
「もう一度戻りたい時期」を聞くと、中年期が選ばれる
もう一つ、直感に反する調査結果がある。先に触れたFreund and Ritter (2009)によるスイスのインターネット調査では、60歳以上の高齢者に人生で最も好ましかった時期を尋ねたところ、老年期でも若年期でもなく、中年期を選ぶ人が最も多かったという。本当に中年期が人生の谷であるなら、まず選ばれないはずの区分である。
さらに、U字カーブがはっきり見られるのは、アメリカやイギリスのような高所得の英語圏の国にほぼ限られており、旧ソ連圏やアフリカ、ラテンアメリカの多くの地域では確認されていない。「人間なら誰もが通る普遍的な発達段階」という語られ方をしばしばされるが、文化によって出たり出なかったりする現象を、普遍的だと呼んでいいのかは怪しい。
危機になりやすいのは、年齢ではなく性格らしい
では、危機のようなものを感じる人と感じない人を分けているのは何なのか。研究が示しているのは、年齢そのものよりも、神経症傾向と呼ばれる性格特性と、人生の出来事がどれだけ重なったかという条件のほうだ。神経症傾向の高い人は、40代に限らず人生の複数の時点で「危機だった」と繰り返し振り返る傾向がある。つまり40代特有の現象というより、特定の性格の人に一生を通じて起こりうる現象だという説明のほうが、データとはよく合う。
ここまで調べてみて、自分に危機が来ていない理由も、少し違って見えてきた。強靭な精神力で乗り切っているというより、単に離婚も失業も大病もまだ経験していない、という条件の話に近いのかもしれない。そして、20代の過酷な労働環境という、比較の基準点が低く設定されてしまっていること。危機が来ないのは美徳でも到達点でもなく、たまたま条件が揃っていないだけ、という身も蓋もない結論に落ち着きそうだ。
ミッドライフ・クライシスという言葉が便利なのは、個々の事情——離婚、失業、比較対象の記憶、性格の傾向——を、年齢という一つの説明変数にまとめて片づけてくれるからだと思う。片づけてくれる分、個別の事情を見る手間を省ける。ただ、その手間を省いた先に残るのは、正確さではなく、都合の良い物語のほうかもしれない。
出典
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Freund, A. M., & Ritter, J. O. (2009). "Midlife Crisis: A Debate." Gerontology, 55(5), 582–591.
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