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100円ショップの材料で何かを作るとき、本当に買っているもの

100円ショップの材料で何かを作るとき、本当に買っているもの

100円ショップの材料で何かを作るとき、安さが気軽さを生むという説明は本当だが、それだけでは棚の前で起きていることの半分しか説明できない。損失回避、制約と創造性、労働の心理学から、材料の値段の奥にあるものを追う。

TOMOAKI··趣味

100円ショップのクラフトコーナーを歩くと、レジン液、ドライフラワー、シリコン型、色鉛筆、消しゴムはんこの材料が、同じ棚に無造作に並んでいる。どれも百円かそこらで、失敗しても惜しくない。この「惜しくなさ」こそが、100均が趣味の入り口として繰り返し語られる理由なのだろう。高価な道具を揃えるとプレッシャーになるが、100円なら気軽に始められる——この説明は、記事や動画で数えきれないほど繰り返されてきた。

ただ、繰り返されるほど、この説明は検証されないまま定型句になっていく。「気軽さ」が欲しいなら、道具の値段より先に、何かを作って失敗する経験そのものへの抵抗が問題のはずだ。100円という価格は、その抵抗を下げる小道具ではあっても、抵抗の正体そのものを説明してはくれない。値段の話だけで済ませるのは、体温計を見て熱の原因を説明した気になるのに近い。

もう少し具体的に考えてみる。同じレジンアクセサリー作りでも、専門店の樹脂キットは数千円、UVライトや研磨用の道具まで揃えれば一万円を超えることもある。一方、100均のレジン液は数百円、型やパーツを合わせても千円あれば一式が揃う。値段の差は十倍から二十倍ほどだが、体感される「始めやすさ」の差は、その倍率よりもずっと大きい気がする。金額の差では説明しきれない何かが、この体感の差を生んでいる。だとすれば、そこにあるのは単なる価格弾力性の問題ではなく、もっと心理的な仕組みのはずだ。

安さが下げているのは、値段ではなく損失の感覚

心理学者ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に発表したプロスペクト理論は、人が損失をどう感じるかについて、単純だが強力な観察を提示している。同じ金額でも、得るときの喜びより失うときの痛みのほうが大きく感じられる——損失回避と呼ばれるこの傾向は、行動経済学の教科書に必ず載る知見になった。千円の道具で作品を台無しにするのと、百円の道具で同じ失敗をするのとでは、実際に失う金額の差以上に、感じる痛みの差が大きい。これは単なる算数の問題ではなく、脳が損失をどう評価するかという、もっと根の深い話なのだと思う。

だとすれば、100均が下げているのは道具の価格ではなく、失敗を予期したときに先回りして感じる損失の重さだ、と言い換えられる。高価な道具を前にすると手が止まるのは、財布の心配というより、まだ起きてもいない失敗に対してあらかじめ損失を計上してしまう、脳の癖のようなものが働いているからなのかもしれない。100円という値札は、その先回りの計算を無効化するほど小さい。だからこそ、材料を選ぶ段階で「これは試作品だ」という前提が先に立ち、手が動き出す。

ここで一つ留保を挟んでおく。損失回避が説明するのは、なぜ安いと手が動きやすいかであって、なぜ100均でなければならないかではない。同じ安さは、フリマアプリの中古材料でも、余った端切れでも成立する。100均が特別なのは、安さに加えて、次に述べる別の条件を同時に満たしているからだ。

もう一つ、プロスペクト理論には見落とされやすい前提がある。損失も利得も、絶対値ではなく「参照点」からの変化として評価される、という前提だ。参照点をどこに置くかによって、同じ百円でも損失に見えたり見えなかったりする。財布の中身を参照点にすれば百円は減少であり、損失回避が働く余地がある。ところが「材料費として最初から捨てるつもりだった予算」を参照点にすれば、その百円はすでに使うことが織り込み済みの数字であり、失っても損失として計上されない。100均で「まあ百円だし」とつぶやく瞬間、実はこの参照点の置き直しをやっている。値段が安いこと自体より、参照点をあらかじめずらしやすいことのほうが、抵抗を下げる働きとしては大きいのかもしれない。

制約は多いほど良いわけではない

「制約が創造性を刺激する」という言い方も、最近はよく見かけるようになった。締め切りが人を追い込む、限られた道具が発想を鍛える、といった話である。この直感を裏付ける研究は実際にある。経営学者オヌル・アジャル、ムラト・タラクジ、ダーン・ファン・クニッペンベルグが2019年に『ジャーナル・オブ・マネジメント』誌に発表した、制約と創造性・イノベーションに関する分野横断的なレビューは、資源・規則・要求といった制約が創造性に与える影響を整理し、制約と創造性の関係は単純な右肩上がりではなく、逆U字型(山型)に近いことを示している。

つまり、制約がまったくない状態も、制約が過剰な状態も、創造性にとっては望ましくない。もっとも創造的な発想が出やすいのは、選択肢が絞られてはいるが、まだ複数の道が残っている、中程度の制約の下だという。これは「制約さえあれば発想は鍛えられる」という単純化された標語より、ずっと慎重な結論だ。制約は諸刃の剣であり、量を増やせば増やすほど効くという類のものではない。

加えてこのレビューが強調しているのは、制約が効くかどうかは、制約の量だけでなく種類にも左右されるという点だ。予算の制約、時間の制約、選べる材料の制約は、それぞれ別の心理的経路を通って創造性に影響する。すべての制約が同じように働くわけではないというこの整理は、「制約は良いものだ」という一枚岩の物言いを解体する。100均が趣味の入り口として機能するとしても、そこで効いている制約は主に材料の種類の制約であって、時間や予算そのものの制約ではない。だから「締め切りに追われて発想が鍛えられる」といった別種の制約の話と、100均クラフトの話を同じ土俵で語るのは、本来は慎重であるべきなのだと思う。

100均の棚を、この枠組みで見直してみる。そこにあるのは無限の選択肢ではないが、空っぽの棚でもない。ダイソーの一店舗だけでも数千種類の商品が並び、その中からクラフト材料に絞っても、レジン、毛糸、フェルト、木材、紙、粘土と、扱う分野は多岐にわたる。潤沢ではないが、貧しくもない。この「絞られているが枯渇していない」という中間の状態が、たまたま研究の言う中程度の制約に近い位置にある、というのは考えすぎだろうか。少なくとも、100均が創造性を刺激するとしたら、それは安さそのものよりも、この制約の量が偶然ちょうどよいところに収まっているからだ、という説明のほうが、私には筋が通って聞こえる。

「戦略」ではなく、あり合わせで組み立てる行為

ダイソーは物量、セリアは色使いに強い、といったチェーンごとの評判は、たしかによく聞く。ただ、これを「調達戦略」と呼ぶのは大げさだと思う。実際にやっているのは、行った店にあるものの中から、今の気分に近いものを選ぶ、という程度のことだ。

この「今あるものから選んで組み立てる」という行為には、経営学に古くからある呼び名がある。ブリコラージュだ。元々は人類学の分野で使われていた概念だが、経営学者テッド・ベイカーとリード・ネルソンが2005年に『アドミニストレイティブ・サイエンス・クォータリー』誌で発表した論文は、資源に乏しい29の企業を調査し、手元にある材料・技能・人脈を組み合わせて新しい用途に転用する「あり合わせで何とかする」行為が、資源不足の中でも新しい価値を作り出す原動力になっていることを示した。事前に完璧な調達計画を立てるのではなく、目の前にあるものを起点にして発想する姿勢そのものが、資源制約下での創造性の実質だという指摘である。

この論文には、ブリコラージュ的な姿勢の核心に「限界を認めることの拒否」があるという指摘も含まれている。まだ試していない組み合わせがある限り、材料が足りないと結論づけるのを保留する態度である。これは楽観というより、行動を先に起こしてから可能性を判断するという順番の問題に近い。100均の棚を前にして「ここにあるものでどうにかなるはずだ」と考える態度は、規模はまったく違うにせよ、調査対象になった資源の乏しい企業の振る舞いと、構造としては同じ形をしている。大がかりな事業と百円のクラフト材料を並べるのは牽強付会に見えるかもしれないが、行動の型そのものは驚くほど似ている。

論文が挙げる資源のカテゴリーには、材料だけでなく技能や人脈、さらには規制や制度の隙間までが含まれている。100均クラフトに置き換えれば、材料の制約だけでなく、動画サイトで見つかる作り方の断片的な知識や、フリマアプリで見かけた誰かの完成品の写真も、広い意味では「手元にある資源」の一部だと言えるかもしれない。棚の前で組み立てているのは材料の組み合わせだけではなく、こうした断片的な情報の組み合わせでもある。

これに照らすと、100均の前で「今日はセリアにいい色があるはずだ」と計画を立てて向かうより、店頭で目についたものから発想を組み立てるほうが、理にかなっている。事前の設計図を先に決めて、それに合う材料を探すという順番は、潤沢な資源を持つ人のやり方であって、100均という制約された環境には向いていない。棚を歩きながら「これとこれを組み合わせたら何ができるか」と考える順番のほうが、制約に適応した発想の仕方に近い。そう考えると、行き当たりばったりに見える買い方は、実は理にかなった順番だったことになる。

もっとも、これは「計画は要らない」という話ではない。ベイカーとネルソンの調査でも、あり合わせで何とかする姿勢が万能だったわけではなく、資源の乏しさに適応しすぎた企業がかえって成長の機会を逃す場面も報告されている。行き当たりばったりの発想が有効なのは、あくまで規模の小さい、失敗のコストが低い局面に限られる。100均のクラフト程度の話であれば十分に当てはまるが、この発想をそのまま仕事や人生設計にまで広げてよいという話ではない、という点は分けて考えたほうがいい。

買いすぎには気をつけたほうがいい、というのは本当だと思う。安さは「とりあえず買っておく」という判断を鈍らせる。ただこれは、ブリコラージュの実践としては微妙にずれた行動でもある。あり合わせで組み立てる発想は、手元にあるものを起点にする姿勢であって、将来使うかもしれないものを先回りして買い集める姿勢とは、方向が逆だからだ。

実際、手芸や工作を扱う人たちの間では、買ったのに使わないまま部屋の隅に積まれた材料を指す言葉がいくつか存在する。糸、生地、ビーズが、編まれることも縫われることも通されることもないまま棚に置かれ続けるのは、決して珍しい光景ではないらしい。これは100均に限った現象ではなく、材料を趣味として集めること自体が持つ引力の強さを示しているのだと思う。安さがブリコラージュ的な即興を後押しする一方で、同じ安さが「とりあえず買っておく」という、即興とは正反対の蓄積癖も同時に養ってしまう。一つの価格が、相反する二つの行動を両方とも刺激しているわけで、100均をめぐる話を単純な美談にしないためには、この矛盾も込みで見ておく必要がある。

地味な工程は、なぜ退屈でも成立するのか

キャンドル作りは、ワックスを溶かし、型に流し、固まるのを待つ、という三つの工程でしかない。レジンアクセサリーも、型に液を流して紫外線で固めるだけ。ハーバリウムも、瓶にドライフラワーを詰めてオイルを注ぐだけだ。技術的な難易度で言えば、驚くほど低い。

この地味さを「瞑想的」とか「マインドフルネス」とか言い換えたい誘惑は、書き手として理解できる。しかし、その言い換えを検証する枠組みが心理学にはすでにある。心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱したフロー理論は、人が深い没入を感じるのは、課題の難易度と自分の技能がほぼ釣り合っている状態に限られるとする。技能が難易度を大きく上回れば退屈になり、逆に難易度が技能を大きく上回れば不安になる——チクセントミハイはこれを「フローチャンネル」というモデルで説明した。

この枠組みに当てはめると、ワックスを溶かして流すだけの作業は、多くの人にとって技能に対して難易度が低すぎる側、つまり退屈の領域に位置するはずだ。厳密には「フロー」とは呼べない。だとすれば、そこで得られる満足感を瞑想的な体験として大きく語るのは、いくらか背伸びした表現になる。実際に起きているのはもっと単純なことで、単に手持ち無沙汰な数分が埋まる、というだけで十分説明がつくのだと思う。難易度の低い反復作業に高尚な意味を持たせなくても、それは十分に心地よい。

チクセントミハイの理論には、フローが成立するための条件がいくつか挙げられている。明確な目標があること、行動の結果がすぐにフィードバックとして返ってくること、そして中断の少ない環境であることだ。この三つに限れば、キャンドル作りは案外よく当てはまる。「型に流して固める」という目標は明確で、固まっていく様子は視覚的にすぐ確認でき、火を使う以外はいつでも中断できる気楽さもある。難易度と技能の釣り合いという核心の条件は満たさないまま、周辺の条件だけはきれいに揃っている、という中途半端な状態と言ったほうが正確かもしれない。深い没入ではないが、雑にも扱われない作業。100均クラフトの心地よさは、このどっちつかずの位置にあるのだと思う。

完成させることの効果は、労力の量では説明できない

キャンドルにせよレジンにせよ、100均クラフトのほとんどは、始めてから数十分で完成する。ここに、もう一つ見落とされがちな心理的な仕掛けがある。

経営学者マイケル・ノートン、ダニエル・モション、ダン・アリエリーが2012年に『ジャーナル・オブ・コンシューマー・サイコロジー』誌で発表した一連の実験は、家具の組み立てや折り紙、レゴブロックを自分で完成させた参加者が、その出来映えとは関係なく、自作の品を専門家が作ったものと同程度に高く評価する傾向を確認した。「IKEA効果」と呼ばれるこの現象で興味深いのは、効果が生じる条件のほうだ。労力をかけても、完成に至らなかったり、途中で壊してしまったりした場合には、この評価の上昇は消えてしまう。効果を生むのは労力の量そのものではなく、完成という事実だという。

加えて、この研究には見過ごせない指摘がある。効果が確認されたのは、もともと日曜大工に強い関心を持つ人だけではない。手作りに特に興味のない参加者でも、同じように自作品を高く評価した。つまりこの効果は、クラフトを趣味だと自認している人だけの話ではなく、たまたま100均の棚の前に立った、特に手芸好きでもない人にも同じように働くはずだ。「私は不器用だから」「クラフトには向いていない」という自己申告は、この効果が起きるかどうかとはあまり関係がない、ということになる。

これは、100均クラフトの設計と偶然噛み合っている。キャンドルもレジンも消しゴムはんこも、失敗しにくく、短時間で「完成」という区切りに到達しやすいように、材料の側があらかじめ調整されている。手のかかる本格的な木工や洋裁であれば、途中で挫折して未完成のまま放置される確率は上がる。100均の材料は、労力を大きく要求しない代わりに、ほぼ確実に完成まで運んでくれる。IKEA効果の研究に従うなら、これは労力を減らしている分だけ効果も減らしていそうなものだが、実際には「完成させやすさ」を優先することで、効果が生じる条件そのものを確実に満たしにいっている、という逆の見方もできる。凝った労力より、確実な完成のほうが、自分の作品への愛着を生むという意味では合理的な設計なのかもしれない。

ここでもう一段、疑ってみる。値段を下げれば下げるほど、失敗への抵抗は下がり続けるのだろうか。損失回避の理屈だけを延長すれば、材料は無料に近いほど良いことになる。しかし、労力の量ではなく完成という事実がIKEA効果を生むのだとしても、その完成が「自分の手で成し遂げた」という感覚を伴わなければ、効果自体が薄まるはずだ。あまりに簡単に、あまりに無料に近い形で完成してしまうものには、当事者意識を持ちにくい。100円という値段は、ゼロではないが惜しくもない、という中途半端な位置にある。この中途半端さこそが、損失への抵抗を十分に下げながら、同時に「自分で選んで、自分の百円で、自分の手で作った」という当事者性をぎりぎり保っている、絶妙な設定なのだと考えると、単なる「安いから気軽」という説明よりも筋が通る。

完成に近い状態から始まっていること自体の効果

ここでもう一つ、別の角度から完成のしやすさを見ておきたい。経営学者ジョセフ・ヌネスとザビエル・ドレーズが2006年に発表した研究は、洗車店のスタンプカードを使った実験を報告している。十個のスタンプで一回無料になるカードを配る際、最初から二個分のスタンプを押した状態で渡されたグループと、何もない状態から始めたグループを比較したところ、必要なスタンプの実数は同じであるにもかかわらず、最初から進んでいるように見えたグループのほうが完走率が高かった。「エンダウド・プログレス効果」と呼ばれるこの現象は、目標がまだ手つかずのものとしてではなく、すでに始まっていて未完成なだけのものとして提示されると、達成への動機づけが強くなることを示している。

キャンドル作りに必要な工程は、ワックスを溶かし、型に流し、固める、というわずか三つだ。工程数そのものが少ないというのは、見方を変えれば、始めた瞬間にすでに全工程の三分の一が終わっている、という状態でもある。手の込んだ洋裁や木工が、裁断、縫製、仕上げと工程を細かく積み重ねていくのに比べれば、100均クラフトはそもそも「進んでいる感覚」に到達するまでの距離が短い。スタンプカードの実験ほど厳密な対応関係ではないが、工程が少ないこと自体が、途中で投げ出させにくくする設計として働いている可能性はある。

この見方が正しいなら、冒頭で触れた「地味な工程」への違和感にも、別の返答ができる。地味さは欠点ではなく、完走率を上げるための削ぎ落としの結果だったのかもしれない、ということだ。ただし、これは工程数と完走のしやすさについての一般論を100均クラフトに当てはめた推測であって、100均のクラフト材料そのものを対象にした検証ではない。ここは慎重に留保しておく必要がある。

材料ではなく、持ち込みたくない緊張感の量

ここまでの話を重ねると、100均で買っているものについての最初の直感——材料そのものより「これは失敗してもいい試作品だ」という前提を買っている、という見立て——は、大筋では裏切られない。ただし、その前提を成立させている仕組みは、単純な安さの一言では説明しきれないほど込み入っている。損失の感じ方を鈍らせる価格、多すぎず少なすぎない制約の量、事前の計画より店頭での組み立てを優先する発想の順番、そして完成という区切りに確実にたどり着ける設計。これらが同時に成立して初めて、100円という数字は機能する。

裏を返せば、この仕組みが崩れる場面もあるということだ。たとえば、100均の材料を使って本気で誰かに贈るものを作ろうとした瞬間、参照点は「失っても惜しくない試作費」から「相手にどう思われるか」へと勝手に移動する。値段は変わらず百円のままなのに、そこに込める緊張感だけが跳ね上がる。安い材料そのものが気軽さを保証しているのではなく、こちらが材料に対してどんな参照点を採用するかによって、同じ百円の重さはいくらでも変わる。100均の棚が気楽なのは、多くの場合、そこで何かを作るときの参照点が「試しにやってみる」に自然と設定されやすいからであって、材料の値札そのものが気楽さの源泉というわけではない。

だから100均の棚の前で考えるべきは、何を作るかより先に、何にどれだけの緊張感を持ち込みたくないか、という問いなのだと思う。それさえ見えていれば、材料はどの棚から拾ってもいいはずだ。逆に、緊張感を持ち込みたい対象——本気で仕上げたい一点物や、長く使うつもりの道具——にまで、この百円の論理を広げるかどうかは、値札の外側で各自が判断するしかない。安さは万能の処方箋ではなく、特定の種類の重さだけを軽くする、限定的な道具にすぎないのだから。棚に並んだレジン液や毛糸玉は、それ自体では何も約束してくれない。約束しているように見えるのは、こちらが値札を見て勝手に下げた、緊張の基準線のほうなのだと思う。

出典

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