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なぜ40代の男性は、趣味さえランキングで選ぼうとするのか

なぜ40代の男性は、趣味さえランキングで選ぼうとするのか

「良い趣味」には「良いレストラン」のような共有された評価軸がない。それでもランキングを求め続けるのだとしたら、探しているのは活動名ではなく、仕事の外側にもう一つ持ちたい達成の物差しなのかもしれない。

TOMOAKI··趣味

「ランキング」という形式は、ほとんど何にでも使われる

「40代 趣味 男性 ランキング」という言葉を、内容の前に、その形式だけ見てみたい。ただし早合点はしたくない。

「ランキング」という検索の仕方自体は、今やレストランでも化粧水でも贈り物でも使われる、ほぼ汎用の探し方だ。検索する人がそのたびに「これは優劣を比較できる対象だ」と信じているわけではないだろう。むしろ、一から比べて選ぶ手間を省きたいという、ごく実用的な習慣に近い。ここから検索者の内面を深読みするのは、飛躍が過ぎる。

だが、この汎用フォーマットと、趣味という対象の相性を考えると、少し引っかかる点が出てくる。

「良い枕ランキング」や「良いレストランランキング」には、寝心地や耐久性、味や衛生、接客といった、多くの人がある程度共有できる評価軸がある。好みの差はあっても、軸そのものは共有されている。だからこそ、他人がつけた順位にも一定の参考価値が生まれる。

ところが「良い趣味」には、そもそもそういう共有された外部の評価軸がほとんどない。ある趣味が良いかどうかは、その人が普段どれだけ人と関わっているか、体を動かしたいのか黙って手を動かしたいのか、日々の生活で何が不足していると感じているか、といった個人的な事情にほぼ完全に依存する。共有された物差しがない対象に、比較を前提とするランキングという形式をあてはめると、その記事は形式が約束しているもの——比較可能な順位——を、実際には提供できないことになる。中身は結局、誰かの主観的な好みの一覧でしかない。

唯一、内側に物差しを持っている余暇がある

ただし、すべての趣味がそうだとは言い切れない。

社会学者ロバート・ステビンスは、長年のフィールドワークをもとに、余暇を大きく二種類に分けて考えた。ひとつは「カジュアルレジャー」——テレビを見る、散歩する、居酒屋で一杯やるといった、特別な技能を要さず、始めた瞬間からすぐに満足が得られる短期的な楽しみ。もうひとつは「シリアスレジャー」——アマチュア活動や趣味人としての活動のように、体系的な技能の習得、粘り強い努力、段階的な上達、独自の価値観を共有する仲間集団への帰属、そして一種のキャリアのような積み重ねを伴う余暇だ。

ステビンスはシリアスレジャーの具体例として、天体観測、鳥類観察、社会人オーケストラ、地域の演劇団、あるいは競技としてのチェスやブリッジなどを挙げている。共通しているのは、始めたばかりの頃の出来と、何年も続けた後の出来が、誰の目にもはっきり違って見えるという点だ。

この違いは、ランキングという形式との相性に直結する。級位や段位、大会の成績、審査を経た品評、公認の資格といった、外部から確認できる評価軸を実際に持っているのは、カジュアルレジャーではなく、このシリアスレジャーの側だ。散歩の「うまさ」を外部の物差しで測る方法は存在しないが、将棋の強さやマラソンの記録、陶芸の入賞歴は、他人と比較可能な形で残る。

ただし、ここで測れているのは「将棋 vs 陶芸」のような、ジャンルをまたいだ優劣ではない。段位もタイムも入賞歴も、あくまで同じ土俵に立つ者同士——将棋なら将棋を指す人同士——を比較する仕組みであって、将棋というジャンルそのものが陶芸というジャンルより優れていることを示すものではない。「趣味のランキング」という形式が本当に約束できるのは、活動名の優劣ではなく、その活動が内側に持っている、こうした物差しの有無の方だ。

「一番良い趣味」を検索し続けて満足できないのだとしたら、それは選び方が下手なのではなく、そもそも活動名同士を比較できるという前提が成り立たない場所で、比較のフォーマットを求め続けている、という食い違いのせいかもしれない。

なぜ40代の男性でこの形になりやすいのか

老年学者ロバート・アチュリーが唱えた「継続性理論」では、人は年齢を重ねる中で急に自分を作り変えるのではなく、それまで培ってきた自己像や生活の構造をできるだけ保とうとする、とされる。アチュリーはこの継続を二つに分けている。ひとつは、考え方や気質、価値観といった内側の一貫性を保つ「内的連続性」。もうひとつは、慣れ親しんだ役割や人間関係、活動の場を保つ「外的連続性」だ。

仕事を通じて長年、達成・評価・序列という物差しの中で自己像を築いてきた人ほど、役職定年や子どもの独立などで仕事の側の物差しが相対的に弱まっていく時期に、同じ種類の物差しを別の場所に探すことで、内的連続性を保とうとする傾向が強くなっても不思議はない。ランキングを求める行為は、単に情報収集の手段であると同時に、これまでの自分らしさを保つための、ささやかな試みでもあり得る。

加えて、子どもの頃からの部活動や職場のスポーツ大会など、成果と順位がはっきり示される形で余暇に触れてきた経験の積み重ねが、大人になってからの余暇の過ごし方にも影響している、という見方もできる。男性の方がこうした経験を積みやすい社会だとすれば、達成や競争、序列を志向する余暇の過ごし方に慣れているのも、生まれつきの傾向というより、経験の蓄積の結果である可能性が高い。ここは断定できるほど確かな研究を把握していないので、ひとつの仮説として留めておきたい。

仕事で染みついた「成果で測る」という思考の型を、余暇の時間にもそのまま持ち込んでしまう。趣味にまで「回収できるかどうか」という物差しを持ち込んでしまう罠は、以前この場所でも取り上げた。今回の場合、その物差しが「ランキング」という一番わかりやすい形で表に出ているのだと思う。

ランキング記事が、実際には何を測っているか

ただし、ここに厄介なすれ違いがある。

世に出回る「40代 趣味 男性 ランキング」の多くは、人気の高さや始めやすさ、初期費用の安さを基準にしている。これは、できるだけ多くの読者に当てはまる無難な記事を作ろうとすれば、自然にそうなる。

だが、シリアスレジャーを探している人が本当に知りたいのは、そこにどれだけの段階と物差しが用意されているかのはずだ。上達を確認できる級位や段位のような仕組みがあるか。資格や大会のような、外部から認められる評価の場があるか。そして、同じ道をすでに歩んでいる仲間の集団が存在するか。人気ランキングは、こうした問いにほとんど答えていない。始めやすさと、達成の物差しの豊かさは、まったく別の軸だからだ。

試しに、二人の読者を思い浮かべてみる。一人は、仕事の疲れを忘れて頭を空っぽにしたいだけの人。もう一人は、仕事の外側にもう一つ、自分の位置を確認できる場所を探している人。

同じ「40代 趣味 男性 ランキング」という記事を読んでも、前者にはちょうどよく、後者には物足りない。人気上位に挙がりがちなカフェ巡りや家庭菜園は、前者の欲求にはよく応えるが、段位も大会も仲間の集団も伴わないことが多く、後者が探している物差しにはなりにくい。結果として後者は、趣味選びに失敗したというより、そもそも測っている軸が違うランキングを参考にしてしまった、という食い違いを繰り返すことになる。

探すべきは順位ではなく、物差しの有無だ

「一番良い趣味」を探す代わりに、その対象が達成の物差しとして機能しうるかどうかを、自分で確かめてみるほうが、探しているものに近づきやすい。

まず見るべきは、上達を示す外部の指標があるかどうかだ。級位や段位、資格、大会や発表の機会があれば、自分の位置を定期的に確認できる。逆に、そういう仕組みを欠いた対象は、どれだけ続けても「今どのあたりにいるのか」が自分にしかわからず、達成感が積み上がりにくい。

次に、同じ道をすでに歩んでいる集団が存在するかどうかも大きい。教室、サークル、オンラインのコミュニティといった居場所は、仕事で得ていた同僚との関わりに代わる、緩やかな所属先になり得る。

フェルディナント・ボルの絵画『ワイン商組合の理事たち』。同じ道を歩む者同士が作る、組織立った仲間集団を描いている。

そして最後に、技能の階層がどれだけ深いかも見ておきたい。初心者から熟達者までの段階が浅い対象は、達成の物差しとしてはすぐに天井に達し、数年もすれば「もう極めてしまった」という手応えのない状態に陥りやすい。

この三つは、どれも「これが正解だ」という活動名を教えてくれるものではない。教えてくれるのは、その対象が達成の物差しとして機能しうるかどうかであって、それは人気やとっつきやすさとは別の話だ。

物差しを求めすぎることの、もう一つの落とし穴

とはいえ、達成の物差しを備えた趣味を選べば万事解決というわけでもない。

段位や大会という仕組みは、上達を可視化してくれる一方で、それ自体が新しい評価圧力にもなり得る。仕事で「成果を出さなければ」という緊張から逃れたくて始めた余暇のはずが、いつの間にか「級を上げなければ」「大会で結果を残さなければ」という、よく似た緊張に取って代わられることがある。

シリアスレジャーが与えてくれる達成感と、それが背負わせる新しい義務感は、同じ仕組みの表と裏だ。物差しの有無を確かめると同時に、その物差しに縛られすぎていないかを、後になって振り返る視点も要る。

ジョヴァンニ・バッティスタ・ランゲッティの絵画『シーシュポス』。終わりのない達成の反復そのものを描いている。

結局、探しているのは趣味ではなく物差しかもしれない

「40代 趣味 男性 ランキング」という検索そのものを、悪いものだとは思わない。ただ、そこで本当に探しているのが、楽しい時間の過ごし方ではなく、仕事の外側にもう一つ、自分の位置を確認できる物差しなのだとしたら、人気ランキングを眺め続けても、たぶんその物差しにはたどり着けない。

何を選ぶべきかをここで示すつもりはない。ただ、次にランキング記事を開く前に、自分が本当に欲しがっているのが「楽しさ」なのか、それとも「順位のつけられる何か」なのか、一度分けて考えてみる価値はある。

後者だとしても、恥じることではない。長年、その物差しの中で生きてきたのなら、急に手放せというほうが無理な話だ。ただ、その物差しを新しい場所に持ち込んだ後も、それに振り回されすぎていないかだけは、時々確かめたほうがいい。