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温泉の効能は、どこまで確かめられているのか——掲示が義務なのは「効く」ではなく「危ない」のほうだった
温泉法上は、25度以上であれば成分がほぼ水でも温泉になる。掲示の義務は禁忌症と、加水・加温・循環・入浴剤の別にあり、適応症にはない。コクランは関節リウマチを「証拠不十分」とした。家庭の浴槽を含む浴槽内の溺死・溺水は、年に7,776人。
温泉旅館のパンフレットには、たいてい泉質と並んで「神経痛」「冷え性」「疲労回復」「アトピー性皮膚炎」といった適応症が列挙されている。この手の効能書きに対して、いくらか懐疑的な人は少なくない。特定の鉱泉成分が特定の病状に効くという主張の多くは、厳密な臨床試験を経たものではなさそうだ、という勘は、おおむね正しい。だが、この話は「怪しいから信じない」で終われるほど単純でもなく、かといって「昔から言われているのだから何かあるはずだ」で片づけられるほど単純でもない。掘っていくと、少なくとも四つの層に分かれる。効能表示という制度の成り立ち、その裏にある研究の実際、研究を検証しない構造、そして、効能とは別に確かめられている入浴そのものの効果と危険である。
先に、この文章で動かない数字をひとつ置いておく。温泉法の上で「温泉」と呼べるのは、湧き出たときの温度が25度以上であれば、それだけで足りる。成分がほぼ水のままでも、条件を満たす。効能の話は、この定義の緩さから始めるのがいちばん公平だと思う。
効能表示は、どこから来ているのか
日本の温泉が掲げる適応症の一覧は、環境省(旧厚生省)が定める「鉱泉分析法指針」と、それに連なる通知を土台にしている。温泉そのものの定義は、1948年制定の温泉法が受け持つ。法の別表は、温度が摂氏25度以上であること、あるいは溶存物質の総量が1キログラムあたり1,000ミリグラム以上であることなど、十九の物質のうちいずれか一つが基準に達していること、のどちらかを求める。「または」である。温度か成分のどちらか一方でよい。
ここに「療養泉」という別の言葉が重なる。これは法律の用語ではなく、鉱泉分析法指針が「特に治療の目的に供し得るもの」に与えた呼び名で、基準はやはり25度以上か、指針の表にある物質の基準値のどれか一つ、というつくりになっている。法の温泉の基準にあるリチウムなどの多くは、療養泉の基準には入っていない。つまり、温泉法上は温泉でも療養泉ではない湯があり、逆に言えば、25度以上の湯は、溶存物質がごく薄くても単純温泉として療養泉の資格を得る。泉質の名前は、掲示の上では単純温泉、塩化物泉、炭酸水素塩泉、硫酸塩泉、二酸化炭素泉、含鉄泉、酸性泉、含よう素泉、硫黄泉、放射能泉の十種類に整理される。
指針の履歴は、一直線ではない。旧厚生省が1951年に制定し、1952年に改称、1957年に部分改正、1978年にようやく大きな改訂が入り、その後は1982年、1997年、2002年に部分改訂、2014年に「平成26年改訂」が出された。1997年の改訂は分析機器と手法の進歩に伴うもの、2002年の改訂は、温泉の分析機関が指定制から登録制へ移る制度変更に合わせたものである。適応症と禁忌症の掲示の基準は、これとは別の通知にまとめられていて、1982年の通知が2014年7月に置き換えられた。32年ぶりの更新である。環境省の逐条解説によれば、改訂作業は2005年度に日本温泉気候物理医学会での検討から始まり、通知が出るまでに9年余りかかっている。
この2014年の通知が、効能について何を言っているかが、面白い。通知は、適応症の効用を「総合作用による心理反応などを含む生体反応」によるものと述べ、温泉の成分のみによって各温泉の効用を確定することは困難だと書く。さらに、温泉療養の目的は特定の病気を治癒させることよりも、症状や苦痛を軽くして全体的な改善をはかることにあるとし、短期間でも精神的なリフレッシュなど相応の効用は得られるが、十分な効用を得るには通常2〜3週間の療養期間が適当だとする。旅館の一泊二日は、通知が想定する「療養」の期間の、一割前後にしかならない。制度の側は、効能をそれほど大きく言っていない。大きく言っているのは、パンフレットのほうだ。
適応症の中身も、時代で動いてきた。1982年の基準にあった「筋肉痛」「関節痛」は、2014年には「筋肉又は関節の慢性的な痛み又はこわばり」という書き方に改まり、軽症高血圧、耐糖能異常、軽い高コレステロール血症といった項目が加わった。一般的な禁忌症の側では、「妊娠中(とくに初期と末期)」の項目が削除されている。削られた理由は、確認できた公開資料には書かれていなかった。根拠が見直されて消えた記述があるという事実は、残っている記述もまた見直されうる、ということを静かに示している。
適応症は、掲示の義務に入っていない
パンフレットの効能書きを、温泉法が義務づけているのだろうと思っている人は多いかもしれない。実際には逆に近い。温泉を公共の浴用や飲用に供する者が、施設内の見やすい場所に掲示しなければならないのは、温泉の成分、禁忌症、入浴または飲用上の注意、そして省令で定める事項である。省令が挙げるのは、源泉名、泉質、温度、分析年月日、登録分析機関の名称といった事項のほか、加水をしているか、加温をしているか、循環させているか(ろ過の有無も含む)、入浴剤を入れているか、消毒をしているか、とその理由だ。効能書きは、この義務の外にある。環境省の逐条解説は、適応症の掲示を義務としなかった理由を、公衆衛生の確保という目的に照らして、不適正な利用の防止に重点を置いたためと説明している。2014年の通知も、適応症の掲示については引き続き知事の判断に委ねるとする。
非常口の表示は義務なのに、窓からの眺めの良さは書かなくてもよい、というのに似ている。法が気にしているのは、入って害になるかもしれないことと、手が加わっていることのほうなのだ。効くかどうかを、法は問うていない。
この形になった背景には、2004年の出来事がある。表示のないまま入浴剤を加えていた事例、水道水や井戸水を沸かしたものを温泉であるかのように見せていた事例などが、社会問題になった。中央環境審議会の温泉小委員会が検討し、2005年に温泉法施行規則が改正されて、加水、加温、循環、入浴剤の別を掲示することが義務になった。水道水や井戸水を沸かしたものを温泉と誤認させる事例は、小委員会の報告によれば、温泉法ではなく景品表示法の規制の側で扱われた。いずれにせよ、このときに問われたのは「手を加えたことを黙っていないか」であって、「その湯は本当に効くのか」ではない。効能の根拠は、あの騒動の最中にも問われないままだった。
それでも、査読を経た研究がまったくないわけではない
ここで公平を期すなら、温泉浴の健康効果について査読論文が皆無というのは言い過ぎだ。温泉療法、専門的にはバルネオセラピーと呼ばれる分野には、ランダム化比較試験を集めた系統的レビューが、疾患ごとにいくつもある。ただ、その読み方に少し手間がかかる。
関節リウマチについて、コクランが2015年に更新したレビューは、9件の試験、計579人を対象にしている。そのうち4件は、解析に使えるデータを出していなかった。泥パックをプラセボと比べた45人の試験では、痛みの差は有意でなく、圧痛のある関節の数だけが減った。炭酸泉にラドンを加えた二つの試験(194人)では、3か月の時点では差がなく、6か月の時点になって痛みの頻度に差が出た。著者らの結論は、温泉療法が無治療より、あるいは入浴の種類のあいだで、あるいは泥パックや運動より有効だと示すには、全体として証拠が不十分である、というものだった。多くの試験で、バイアスのリスクは「不明確」と評価されている。
変形性関節症のほうは、同じ著者らの2007年のレビューで、7件の試験、498人。こちらは「証拠不十分」とは少し違う書き方をしている。ミネラル浴を無治療と比べた試験では、痛みや生活の質の改善が見られ、レビューはそれを「銀の水準」の証拠と呼んだ。もっとも著者自身が、方法論の質が低く、統計解析とデータの提示が不十分であるため、見えた「前向きな所見」は慎重に見るべきだと添えている。死海の浴と硫黄浴を組み合わせた群は、治療の直後には差が出ても、3か月後には有意でなくなった。死海の浴だけ、硫黄浴だけの群では、1か月後にも3か月後にも差がなかった。
腰痛については、2006年に5件の試験を集めたメタ分析が出ている。このうち、慢性腰痛へのスパ療法を待機リスト群と比べた解析では、100ミリの痛みの目盛りで26.6ミリ(95%信頼区間20.4〜32.8、442人)の差が出た。かなり大きい。ただし対照が「待機リスト」、つまり何もしないで待っている人たちだという点が、数字の意味を変える。滞在して、休んで、人に世話を焼かれた効果と、湯の効果は、ここからは分けられない。データが乏しいなかで励みになる証拠はあるが決定的ではない、というのが論文自身の結論だ。
線維筋痛症の2014年のメタ分析は、さらに事情が入り組んでいる。ミネラル水や温泉水での入浴をまとめた5件(177人)は、痛みの効果量が-0.84と大きく出たが、うち3件はバイアスのリスクが高く、2件が不明確で、低リスクと評価された試験は1件もなかった。1件を除くと効果量は-0.58に縮み、バラつきの指標も63%から0%に下がった。水中運動のほうは、8件・462人で効果量-0.42と、小さめの数字だった。加えて、入浴という治療は盲検にできない。湯に浸かっている人に、浸かっていないと思わせる偽の湯は作れない。水温も、湯気も、肩まで沈む感覚も、本人には分かってしまう。
ここまでを並べると、輪郭はこうなる。リウマチには「効くと示す証拠は不十分」、変形性関節症と腰痛と線維筋痛症には「期待は持てるが、質の低い小さな試験が中心」。どれも、効かないと証明されたわけではない。効くと証明されたわけでもない。宙ぶらりんなのは、効能書きだけでなく、研究の側も同じなのだ。
皮膚の研究は、湯の話なのか、滞在の話なのか
温泉の効能として、もっとも具体的な数字が出てくるのは皮膚の分野で、パンフレットの「アトピー性皮膚炎」「乾癬」もここに由来する。数字は確かにある。ただ、その数字が何を測ったのかを、ひとつずつ見る必要がある。
死海の研究から始める。ホダックらが2003年に報告したのは、慢性安定期の尋常性乾癬の患者27人に、28日間の気候療法を行った結果だった。重症度のスコア(PASI)は81.5%低下し、48%で皮疹が完全に消えた。報告された数字は大きい。ただし、これは温泉の研究ではない。死海の気候療法とは、日光、低地、海水浴の組み合わせであり、湯に浸かる話でさえない。また、要旨を見る限り、対照群の記載はない。温泉の効能の証拠として並べるのは、そもそも無理があった。
国内の数字は、群馬大学の草津分院(2002年に閉院)の報告にたどりつく。久保田らが1997年に発表した論文は、1990年から5年間の46例を対象に、40〜42度、1回10分の入浴を、強酸性(pH2.0)の湯で3〜28週続けたもので、32例(70%)で皮膚症状が改善し、うち18例でかゆみも改善した。血清のLDHも下がり、症状が改善した例のうち、黄色ブドウ球菌が多く検出されていた15例では、13例で菌が消えている。よく引かれるもうひとつの数字、131例中106例(81%)は、久保田が2016年に温泉気候物理医学会の記念講演として発表した内容で、約12年間の成人型アトピー性皮膚炎の患者が対象、平均治療期間は72日、改善の判定は視診だった。この数字は、査読論文ではなく講演録に載っている。
ここで注意が三つある。この二つは、同じ施設の、同じ時期から始まった患者群で、重なっている可能性があるため、足し合わせて読むべきではない。対照群は置かれていない。そして、講演録の患者は入浴と同時に保湿(ワセリン)も受けていたし、1997年の論文の患者は、入院のうえでワセリンに加えて、かゆみには抗ヒスタミン剤の内服も受けていた。湯の効果とそれ以外の効果は、データの上では分けられない。1997年の論文には、入院後の1週間は真水のシャワーだけで様子を見て、改善した例はなかったという記述があるが、別の群を置いた比較ではない。講演録の著者自身が、草津温泉療法は対症療法の一つにすぎないと書いている。この数字は、草津の強酸性の湯という特殊な条件での話である。
フランスの温泉地の水についての研究は、事情がまた違う。La Roche-Posayに関わる研究のうち、確認できた範囲で唯一のランダム化比較試験(中等度のアトピー性皮膚炎60人、二重盲検)をみると、試験されたのは、温泉水で培養した細菌のバイオマスを加えた保湿クリームであって、温泉水に浸かる療法ではなかった。資金を出したのは同社とL'Oréalで、著者の2人はL'Oréalの従業員である。もうひとつ、Avèneの温泉療法センターで3週間過ごした14,328件の記録を集めた観察研究があり、SCORADは41.6%、PASIは54.4%下がっていたが、対照群のない研究で、著者はAvèneの研究所に所属している。確認できた範囲では、製造元に近い機関の研究が目立つ。もっとも、それだけで研究が無価値になるわけではない。方法の質は、別に読んで判断する必要がある。
2024年に出た、温泉水浴と皮膚疾患の系統的レビューは、8件の試験(7件が成人の乾癬、1件がアトピー性皮膚炎)を集めて、すべてで徴候や症状の改善があったとしながら、この分野の研究は頑健な証拠を支えるにはまだ限られており、質も低いことが多いと結論している。このレビューは、症例報告や症例集積、観察研究を採択の対象から外している。草津の報告は症例集積と講演録、Avèneの記録は観察研究で、どちらもこの基準では対象外になり、8件の中には入っていない。
気分の研究は、相関の大きさを見る
疾患ではなく、気分やストレスを測った研究に目を移す。ストレスの指標としてよく使われるのは、唾液や血液のコルチゾールだ。2018年に15件の研究(684人)をまとめたレビューは、入浴単独の5件のうち、健康な人を対象にした2件ではコルチゾールに有意な変化があり、リウマチ性疾患の患者を対象にした3件では変化がなかった、と報告した。2024年に同じグループが17件(765人)に広げて更新したメタ分析は、対照群と比べた効果量がg=-0.11(95%信頼区間-0.30〜0.08)で、有意ではないとしている。ストレスの高い健康な人で短期の低下が見られる一方、リウマチの患者では逆に上がる場合があり、著者はそれを、適度なストレスが体を鍛える「ホルミシス」のようなものだと解釈している。この17件のうち、ランダム化試験は4件、8件は対照群のない前後比較である。対照群と比べた効果は有意でなかったのに、著者は結論で、温泉療法はコルチゾールの調節によい影響を与えていると書いた。数字と結論のあいだに、少し距離がある。コルチゾールは、気分そのものではなく、その代理の指標にすぎない。
回答率が約10%(依頼した68,754人のうち6,956人)にとどまるネット調査で、分析に使われた5,000人の結果では、温泉に入る頻度と、人生満足度との相関が0.14、仕事満足度との相関が0.09、主観的健康感との相関が0.10。どれも有意だが、0.14というのは、人によるばらつきのうち、およそ2%(相関係数の二乗)しか説明しない水準だ。同じ調査の因子分析は、温泉の習慣と、病気を抱えていることのあいだにも、わずかな相関(0.098)を示している。気分がよくなるから通うのか、不調があるから通うのか、横断調査の数字からは見分けられない。低い回答率、逆向きの因果、所得の未調査は、論文の限界の節にも並んでいる。
542人の中高年を調べた2025年の横断研究は、数字の割れ方が面白い。要旨によれば、週1回以上温泉に入る人は、うつ傾向のある群で14.7%、ない群で24.6%で、調整後のオッズ比は0.51(95%信頼区間0.27〜0.95)だった。同じ人たちで、ふだんの風呂に週7回入るかどうかは、うつ傾向と関連しなかった。参加者の約9割(487人)がすでに週7回入っていて、比べる側の55人は少ない。差が出にくい比較でもある。温泉と日常の風呂が分かれて見えるという点は、この記事の論旨とも重なる。とはいえ、うつ傾向のある人は95人、1件の小さな横断研究で、「元気だから温泉まで出かけられる」という逆向きの説明も消せていない。
なぜ、この宙ぶらりんさが検証されずに流通し続けるのか
不思議なのは、効能表示の根拠がこれほど緩いことが、大々的に問題視されずにきた点だ。理由の一つは、構造として説明できる。環境省の統計によれば、令和4年度(令和5年3月末)の全国の温泉地は2,879か所(宿泊施設のある場所の数)、源泉の総数は27,932本。そのうち約4割にあたる1万900本ほどは、利用されていない。宿泊施設は12,999軒、収容人員は約133万人にのぼる。同じ年度の延べ宿泊利用人員は約1億900万人(「参考数値」と注記されている)。経年変化の表を見ると、1992年度の約1億4,300万人がピークで、コロナ禍の落ち込みを経て、令和6年度には約1億2,500万人まで戻した。ピーク比で約88%である。多くの地方自治体にとって、温泉は数少ない自前の観光資源であり、地域経済の柱の一つになっている。
こうした構造の中では、「泉質別の効能に厳密な臨床的根拠はない」と正面から言うことは、業界批判に直結しやすい。しかも、適応症を整理してきた制度そのものが、独立した審査ではなく、温泉行政の枠組みの中で専門家が整理する形で運用されてきた。ここからは筆者の読みになるが、誰かが意図的に事実を隠しているという話ではなく、そもそも効能表示という制度が、臨床試験によって検証される前提で設計されてこなかった、というほうが実情に近いのではないか。ここまでに見たとおり、法が義務づけたのは、害と、手を加えたことの申告だった。検証すべきだと声を上げる立場に、検証のコストを負う動機を持つ主体がほとんど存在しない、という構造がそこにある。
一方で、入浴という行為自体には、泉質の効能よりは足場の固い効果がある
ここまでの層は、いずれも「泉質が特定の疾患に効くか」という、かなり厳しい基準の主張についての話だった。これとは別に、入浴という行為そのものが体に及ぼす影響は、泉質を問わず、いくらか確かめられている。ただし「固い」といっても相対的な話で、読んでいくと、足場にも亀裂が見える。
寝つきを扱った2019年のメタ分析は、17件の研究を採択し、うち13件を統合した。40〜42.5度のシャワーや入浴は、自己評価の睡眠の質と睡眠効率の改善と関連し、就寝の1〜2時間前に行えば、最短10分でも入眠までの時間が有意に縮んでいた。「最短10分」とは入浴の長さのことだ。要旨には、縮んだ時間の幅を示す数字は書かれていない。最適な時間帯や所要時間、仕組みは、研究の数が少ないために決まっていない。蛇口から出るただのお湯でも、条件がそろえば似たことは起こりうる、というのが、このメタ分析から読み取れる範囲だ。
冬の数字で、0.41という値が出ている。65歳以上の自立した高齢者13,786人を3年追った研究で、浴槽につかる回数が週7回以上の人が、介護保険の新規認定を受けるリスクを、週2回以下の人と比べた調整前のハザード比である。6割近く低い。ところが、年齢、婚姻、収入、うつ、身体機能といった14の要因を調整すると、冬は0.71、夏は0.72にまで縮む(夏の調整前は0.64)。毎日きちんと湯船につかれるということ自体が、体力と暮らしの余裕の通知表になっているのだろう。高頻度の群は、そもそも若く、収入が高い傾向があった。調整後に差が残るのも「ほぼ毎日」の群だけで、週3〜6回の群は有意でなかった。調べたのは家庭の浴槽の頻度で、温泉でも泉質でもない。健康な人ほど頻繁に入浴する、という逆向きの因果も、論文の側で消しきれていない。
心血管の研究では、結果の揃わなさがもっと細かく見える。40〜59歳の30,076人を、1990年から2009年まで追った研究(538,373人年)の要旨によると、ほぼ毎日湯船につかる人は、週0〜2回の人に比べて、心血管疾患全体のハザード比が0.72だった。内訳を見ると、脳出血は0.54(95%信頼区間0.40〜0.73)と大きく下がり、脳梗塞は0.77(0.62〜0.97)で、しかも用量反応を見る傾向検定は有意でなかった(p=0.467)。心臓突然死とくも膜下出血には関連がない。「脳卒中全体が3割弱減る」という一文の裏側で、疾患ごとの結果はそろっていない。
温泉に限定した話に戻す。別府市の65歳以上10,429人に2011年に行われた横断調査の論文は、タイトルを「温泉入浴は、高齢者の高血圧の少なさと関連する」とした。本文を読むと、温泉に毎日入る人の高血圧の有病は、単純比較ではオッズ比0.868と低かったものの、他の要因を調整すると1.05(95%信頼区間0.93〜1.18)になり、有意でなくなる。有意に残ったのは、入浴の頻度ではなく「19時以降に入浴すること」(0.850)のほうだった。見出しと中身が、少しずれている。
最後に、非日常に身を置くこと自体の回復効果を見ておく。休暇の前後を比べた7件の研究をまとめた2009年のレビューでは、休暇から戻った直後(多くは3日ほど後)の健康と幸福感の指標が、全体として小さく改善していた(d=0.43)。内訳は、疲労が0.55、健康上の訴えが0.68、生活満足度が0.24。休暇のあいだに測定したのは7件のうち2件だけで、残りは休暇前と戻った後の比較になる。測られたのはストレスそのものではなく、疲労感、身体的な不調の訴え、生活満足度だった。2〜4週後に再測定した4件では、その改善は小さくなっている(d=-0.38)。論文は「2〜4週で効果が消える証拠がある」と書いたが、第2の測定が2週以降だったため、いつ消え始めたかは特定できない。7件のうち5件は対照群を持たず、脱落も大きい。改善がすっかり消えたと言い切れるほどの強さはない。それでも、効果が「長続きしない」という方向は、論文の結論と一致している。非日常の効果は、温泉という場所の効能というより、日常の義務から一時的に切り離されること自体の効果に近い。
危険のほうは、効能よりずっと数えやすい
法が義務づけたのが「危ない」ほうの表示だったことには、理由がある。入浴は、日本ではかなり危険な行為でもあるからだ。
消費者庁が人口動態統計から集計した令和6年(2024年)の数字では、浴槽内での、あるいは浴槽への転落による溺死・溺水は、全年齢で7,776人。うち65歳以上が7,363人で、約95%を占める。同じ年の65歳以上の交通事故による死亡は2,103人で、同じ年齢層で比べると、浴槽はその3倍を超える。家庭の浴槽にかぎった平成16〜27年の系列でも、平成16年の2,870人が平成27年には4,804人と、約1.7倍に増えている。
この数字には、ひとつ落とし穴がある。統計に出てくる「溺死」は、入浴中に亡くなった人の全部ではない。東京都監察医務院が令和4年に扱った東京23区の入浴中の死亡1,704件のうち、死因が病死とされたのは1,323件(約78%)で、溺水とされたのは196件(約12%)にとどまる。病死として扱われた入浴中の急死は、「溺死・溺水」の統計には入らない。そこで入浴中の急死そのものを推計する試みが生まれた。東京都健康長寿医療センター研究所の公表によれば、同研究所は、東日本23都道県の救急搬送記録(2011年に入浴中に心肺停止となった事例の報告が4,200件を超えた)から、全国で年に約17,000人と見積もった。慶應義塾大学の堀班(厚生労働科学研究)は、東京都、山形県、佐賀県の3都県の記録から、年に約19,000人と推計している。二つは別々の推計で、前提も年も違い、どちらも確定した死亡統計ではない。
では、何が命を奪うのか。長いあいだ「ヒートショック」と呼ばれてきた。暖かい部屋から寒い脱衣所と浴室へ出て、血圧が乱高下する、という説明だ。ところが、国土技術政策総合研究所の解説によれば、浴槽で倒れて救急搬送された人を調べた研究では、体温の上昇で意識が遠のいた、つまり熱中症に近い状態の人が多かったという。堀班の研究概要によれば、研究班の合意は、器質的な疾患と環境による障害(熱中症)の両方が関わるというもので、その割合は厳密には決められないという。血圧説と熱中症説は、いまのところ併存している。「温度差で血圧が乱高下して死ぬ」という一行の説明で片づけられるほど、研究者の見解はそろっていない。
国際的に見ると、日本の位置は極端だ。国立保健医療科学院の鈴木晃がWHOの死因統計から作り直した表(各国の連続する3年間の平均で、日本とイギリスは2000〜02年、アメリカは1998〜2000年)では、75歳以上の男性の溺死死亡率は人口10万人あたり、日本が34.6、アメリカが2.4、イギリスが0.8だった。ただし、これは川や海での溺死も含む溺死全体の数字で、浴槽に限った比較ではない。65〜74歳の男性にかぎると、日本の12.1はロシアの16.2に及ばない。鈴木は、熱い湯に肩まで浸かる入浴の仕方と、住宅内の温度差の両方を挙げつつ、入浴スタイルを全面的に問題視することはできないとも書いている。この表から因果までは言えない。
温泉施設となると、全国の統計は確認できなかった。手がかりは断片的で、鹿児島県の検案記録(2006〜2019年、2,689例)では、入浴中の死亡の場所は、自宅が85.2%、温泉などのスパが11.2%(300例)、その他が3.6%だった。堀班の研究概要は、日本温泉気候物理医学会の温泉地の調査で、入浴中の死亡と、死亡以外の事故との比が、救急医学会のデータよりはるかに低かった、と述べて、集団で入る環境が死亡を減らす可能性を示している。ただ、いずれも「可能性」にとどまる。鹿児島の数字には、入浴した人数という分母がないので、11.2%という値だけで、温泉が家庭より危ないとも安全だとも言えない。
消費者庁は、41度以下、10分程度といった目安を示してきた。その根拠として引かれてきたのは、厚生労働科学研究の「安全な入浴の手引き」などだが、厚労科研の分担研究報告(奈良県立医科大学の佐伯圭吾らによる)は、この目安は科学的エビデンスが十分とはいえないと述べている。温泉の効能が検証されていないのと、同じ種類の宙ぶらりんが、入浴の安全の側にもある。これは、どちらの側も同じ程度にしか確かめられていない、という意味ではない。少なくとも溺死の数は、統計に載っている。確かめられていないのは、どうすれば減らせるのかのほうだ。
それでも、あの爽快感は本物だ
効能表示の緩さ、宙ぶらりんな研究状況、それが検証されずに済んでいる構造、そして入浴に伴う現実の危険——ここまで並べても、湯に浸かって全身の力が抜けていく、あの感覚そのものへの疑いには、まだ届いていない。入浴が体温と睡眠に及ぼす作用も、日常から切り離される心理的な効果も、どちらも一定の裏づけがあり、しかも重なり合って働いているらしい。だとすれば、あの何ものにも代えがたい弛緩の感覚は、思い込みとだけ片づけられるものではなく、複数の経路が同時に働いた結果として、説明がつきそうだ。
「この泉質はこの症状に効く」という言い切りへの疑いと、湯上がりに感じる軽さへの信頼は、対立するものではない。前者は、特定の成分が特定の疾患の経過を変えるという、相応に厳密な検証を要する主張であり、後者は、入浴と環境の変化がもたらす、仕組みの見当がつきやすい体験の報告だ。前者の根拠が緩いことに気づいたからといって、後者まで疑う理由にはならない。同じように、後者が確かだからといって、前者の根拠が埋まるわけでもない。そして、湯上がりの心地よさと、あの湯が命にかかわりうるという数字は、同じ一つの行為の両面にある。
制度の緩さも、検証されないままの構造も、頭では分かっている。それでも、湯の中でふっと力が抜けるあの時間は、今のところ自分にとって手放しがたい、最上級の体験であり続けている。それは敗北ではなく、ただ両方とも本当だというだけのことだ。
出典
- 「温泉法」(1948年制定、法律第125号)および「温泉法施行規則」「温泉法施行令」.
- 環境省, 「鉱泉分析法指針」(1951年制定、1957年部分改正、1978年改訂、以降1982年・1997年・2002年部分改訂、2014年改訂).
- 環境省, 「温泉法第18条第1項の規定に基づく禁忌症及び入浴又は飲用上の注意の掲示等の基準」(2014年通知)および新旧対照表.
- 環境省, 「温泉法逐条解説」(2015年).
- 環境省, 「温泉利用状況」(令和4年度、令和6年度、経年変化表).
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