目次▼
「もったいない」を、少し疑ってみる。――趣味とサンクコストの心理学
趣味に投じた金額と時間は、続けるかやめるかの判断とは無関係のはずだ。鳩の実験からNBAのドラフトまで、サンクコスト効果をめぐる研究を辿る。
新しく始めた趣味の話をする。数か月前、道具を一式買い揃えた。安くはない買い物だった。店員に相談しながら、初心者向けの一段上のグレードを選んだ。「どうせ続けるなら」という理由で。最初の数週間は、休みのたびにそれを引っ張り出していた。今は違う。押し入れの奥、まだ半年も経っていない場所に、ほとんど手つかずのまま収まっている。それでも「やめる」とは言っていない。処分もしていない。フリマアプリに出品する画面まで開いて、結局閉じたことが何度かある。「そのうちまた」と自分に言い聞かせながら、実際には何か月も触っていない。
なぜ手放さないのか、と自問すると、答えはいつも同じ形をしている。ここまで使った金額と時間が、もったいない。この感覚に、これまで疑いを挟んだことがなかった。もったいない、は判断の根拠として当然すぎて、根拠だと意識すらしていなかった。むしろ、疑わないことのほうが、まっとうな金銭感覚の証明であるようにさえ感じていた。
周りを見渡せば、似たような棚や押し入れは他人の家にもある。数年前に始めて、今はもう開かれることのないアプリ。会員登録したまま一度も通っていない教室。「もったいないから続ける」も「もったいないから今さらやめられない」も、口にする場面によって都合よく使い分けられる、便利な言い訳になっている。だとしたら、この「もったいない」という感覚そのものが、判断の理由ではなく、判断を先送りするための道具になっているのかもしれない。理由を説明しなくていいぶん、都合がいい。誰かに「なぜ続けているのか」と聞かれても、「もったいないから」と答えれば、それ以上の説明は求められない。
心理学と行動経済学には、この感覚を指す名前がある。サンクコスト効果——すでに支払ってしまい、二度と回収できない費用(埋没費用)が、これから先の意思決定に影響を及ぼしてしまう現象だ。合理的な意思決定の理論では、過去に何を支払ったかは将来の選択にとって無関係な情報であるはずだった。今日以降その趣味を続けることで得られる満足と、これから追加でかかるコストだけを比較すればいい。過去に払った金額は、続けても、やめても、もう戻ってこない。経済学の教科書はそう説明する。だが人間の感覚は、教科書通りには動いていない。
その動かなさの背景には、行動経済学者Daniel KahnemanとAmos Tverskyが1979年に提示したプロスペクト理論がある。人は同じ大きさの利得よりも損失のほうを強く感じる——損失回避性と呼ばれる傾向だ。趣味をやめることは、単に「今後の時間を使わない」という選択ではなく、「すでに払った分を損失として確定させる」という選択として感じられてしまう。得るはずだった満足を諦めるのではなく、すでに失ったものを、今この瞬間にもう一度失うような感覚。この理論的な下敷きがあるからこそ、サンクコスト効果は単なる計算間違いではなく、感情に根ざした頑固さとして立ち現れる。
この現象を経済学の枠組みで最初に取り上げたのは、行動経済学者Richard Thalerが1980年に発表した「メンタル・アカウンティング」の論文だとされている——ただし「サンクコスト効果」という名前を与え、体系的な実証実験によってそれを心理学の議論の俎上に載せたのは、後述するArkes and Blumerの功績が大きい。Thalerが同じ論文で扱ったテーマの一つに、保有効果がある。自分がすでに持っているものを、同じものをまだ持っていない場合よりも高く評価してしまう傾向で、後にKahnemanらとの共同研究で実験的にも確かめられている。押し入れの道具は、買った瞬間からすでに「自分のもの」になり、その時点で市場価格とは別の、個人的な重みを帯び始める——これはあくまで類推であって、埋没費用への執着そのものを保有効果が直接説明すると実証した研究があるわけではないが、両者はどちらも「一度自分のものになったものを失う」ことへの感度の高さという、同じ根を持っているように見える。
この現象を実験で明確に示したのは、心理学者のHal ArkesとCatherine Blumerだ。1985年の論文で、二人は被験者にこんな状況を想像させた。ある人が払い戻しのできない演劇チケットを100ドルで購入した。上演の当日、大雪が降り、外出には危険が伴う。それでも多くの被験者は「天気さえよければ迷わず出かける」と答えた。つまり、すでに支払ってしまった100ドルという要素が、その日出かけるかどうかの判断に紛れ込んでいた。同じ論文には、もう一つよく引かれる場面がある。100ドルのスキー旅行をすでに予約していた人が、後になって、同じ週末により楽しめそうな50ドルのスキー旅行を見つける。どちらの予約も払い戻しはできず、どちらか一方しか行けない。合理的に考えれば、より楽しめる50ドルの旅行を選び、残りの50ドルは単純な損失として片づければいい。だが多くの被験者は、より高い金額を払った100ドルの旅行を選んだ——楽しめないと分かっていながら。数字にして並べれば分かりやすいが、渦中にいる本人はそれを「もったいない」という感情としてしか経験しない。
鳩にも、この効果がある
Anthony / Unsplash
ここまでは、よく紹介される部分だ。人間の認知バイアスの定番として、行動経済学の入門書には必ずと言っていいほど載っている。だがこの効果を「人間だけが持つ不合理さ」だと考えると、足元をすくわれる。
2005年、心理学者のAldo NavarroとEdmund Fantinoは、ハトを使った実験でサンクコスト効果に似た行動を再現した。ハトに、レバーを押すことで報酬(餌)が得られる課題を与える。当初は少ない回数のレバー押しで報酬が出る設定だが、試行の途中から必要な回数が増えることがある。ハトには、その時点で課題を放棄し、また少ない回数で済む新しい試行に切り替える「エスケープ」の選択肢が与えられていた。合理的に考えれば、途中まで押した回数はすでに埋没費用であり、切り替えたほうが得な場面は確かにあった。にもかかわらずハトは、ここまで押した分に引きずられるように、割に合わない課題をそのまま続ける傾向を示した。同じ現象は、その後ラットでも確認されている。人間だけに見られる特殊な誤りだと思われていたものが、鳥かごの中でも、ケージの中でも、繰り返し観察された。
もっとも、この解釈にも留保がいる。一部の研究者は、ハトの行動を「サンクコストへのとらわれ」そのものではなく、試行の途中で条件が悪化したことへの単なる反応——直前までの好条件との対比によって生じる「対比効果」として説明できるのではないか、と指摘している。ハトが本当に「ここまで頑張ったのだから」と過去を勘定しているのか、それとも今この瞬間の条件の変化に反応しているだけなのか、それを厳密に切り分けるのは難しい。人間で確認されている現象に似た行動が動物にも見つかった、という事実は動かないが、その裏にある仕組みまで人間とまったく同じだと決めつけるのは、まだ早い。
この対抗仮説を踏まえてもなお、少なくとも一つのことは言える。ハトの行動が人間とまったく同じ理屈で起きているかは確定していないにせよ、鳥にも似た振る舞いが観察できるという事実自体は残る。だとすれば、サンクコスト効果は人間が言語や社会規範の中で身につけた特殊な誤りだと決めつける根拠も、同じように揺らぐ。「もったいない」と感じているとき、そこで働いているのが理屈ではなく、動物と何かしら共有する古い回路である可能性は、少なくとも排除できない。この見立てに立てば、押し入れの道具を手放せない自分を「意志が弱い」と責める必要はない。もっと古く、もっと広く共有された仕組みの一端が動いているだけかもしれない、という留保付きの答えにしかならないが。
子どもには、まだない
ところが、この「生まれつきの回路」という見立てにも、素直には頷けない事実がある。
2021年、発達心理学者のKatherina Sehlらは、2歳から97歳までという幅広い年齢層を対象に、サンクコストにもとづく判断がいつごろから現れるのかを調べた。「すでに高い費用をかけて手に入れたモノ」と「安く済んだモノ」のどちらを持ち主が手放しがたく感じるか、を予測させる課題で、大人や青年は迷わず「費用をかけたほう」と答えた。ところが5、6歳の子どもたちの回答は、ほぼチャンスレベル——当てずっぽうとほとんど変わらなかった。大人であれば「高くついたモノのほうを、登場人物はより手放しがたく感じるだろう」と自然に予測できるのに、幼い子どもにはその予測ができていない。同じ研究グループによる追跡調査では、費用をかけたモノをより惜しく思う「感情」自体は、年齢を問わず理解されていることも確認されている。惜しいという感情そのものは早くから分かるのに、その感情が「持ち続ける」という行動に結びつくことまでは、幼児期にはまだ予測できない。感情の理解と、行動としてのバイアスとのあいだには、発達上の段差がある。
もしサンクコスト効果が動物にまで共通する古い回路の産物だとすれば、なぜ人間の幼児期にはまだ現れないのか。研究者たちは、支出や資源を頭の中で勘定として管理し、それに応じて未来の判断を左右してしまう「メンタル・アカウンティング(心の会計)」の仕組みが、幼児期にはまだ育っていないからではないか、と見ている。別の研究グループは、資源の乏しい家庭環境で育った人ほど、大人になってからサンクコスト効果を強く示す傾向があることも報告している。つまりこの効果は、動物と共有する古い基盤の上に、人間が成長する過程で経済や社会のルール、あるいは家庭で培われた金銭感覚を学びながら上乗せしていく、後天的な層としての性格もあわせ持っているらしい。生まれつきの欠陥でもなければ、単なる学習の結果でもない。両方が絡み合っている。
効果は縮み、そして強まる
効果の起源が一枚岩でないだけでなく、効果の大きさそのものも一定ではない。
行動経済学の実験群には、近年、再現性への疑問がつきまとっている。サンクコスト効果もその例外ではない。心理学者Dilip Somanが2001年に発表した、時間の埋没費用と金銭の埋没費用の影響の強さを比較する研究は、後年になって追試が行われている。元の研究では二種類の埋没費用が判断に与える影響の差を示す指標が0.61だったのに対し、追試では0.38まで縮んでいた。効果そのものが消えたわけではないが、最初に報告された数字ほど強くはない、というのが近年の実験室研究に共通する傾向だ。小さな金額を使った紙の上の判断は、被験者にとって現実感が薄い。だから効果も薄まる、と考えれば筋は通る。
一方で、2012年に発表されたDonald Sleesmanらのメタ分析は、35年分の「エスカレーション(深追い)」研究——サンクコストにとらわれ、損失の拡大するプロジェクトから撤退できなくなる現象——を横断的に見直し、その決定に対する個人的な責任の所在(自分自身がその決定を下したかどうか)が、深追いの強さを大きく左右することを確認した。効果の強さは一定ではなく、「自分ごと」としての関与の度合いによって伸び縮みする。このメタ分析はさらに、深追いを助長する要因を、プロジェクト自体の性質、意思決定者の心理、周囲との社会的な関係、組織の構造という複数の層に分けて整理している。サンクコストは単独で働く力ではなく、これらの層が重なったところで初めて、人を動けなくさせるほどの強さを持つ。
その関与の強さが極端な形で表れた例が、経営学者Barry StawとHa Hoangが1995年に発表した、NBAのドラフト指名順位をめぐる研究だ。二人は1980年から1986年にかけてドラフト指名された選手のデータを分析し、その後の実際の成績や怪我、ポジションといった要因を統計的に考慮に入れてもなお、上位で指名された選手ほど長い出場時間を与えられ続けていたことを示した。成績が無関係だったのではなく、成績という説明変数を差し引いてもなお、指名順位そのものが出場時間を押し上げていた、ということだ。フロントが「この選手を上位で選んだ」という過去の決定に強くコミットするほど、その後の実際のパフォーマンスという新しい情報が、判断に反映されにくくなる。似た構造は、その後アメリカンフットボールでも確認されている。経済学者Quinn Keeferの2017年の研究では、サラリーキャップ上の年俸評価額が10%高いだけで、ラウンドの境界付近の選手は追加で平均2.7試合分、多く先発出場していた。アイスホッケーでも、2021年にLou FarahとJoseph Bakerが、怪我や移籍、ペナルティ、氷上の成績を考慮してもなお、1巡目指名の選手が2巡目の選手より有意に多い出場機会を与えられ続けていたことを報告している。プロのスポーツ組織という、意思決定の質が厳しく問われるはずの現場でさえ、この歪みから自由ではいられない。実験室の小さな金銭的判断では効果が薄れていく一方で、当事者が自分自身の下した決定に強くコミットしている現場では、サンクコストへのとらわれはむしろ際立って現れている。
金額の大小ではなく、「その決定にどれだけ自我が賭けられているか」が効果の強さを決めている、と読み替えると、実験室と現場のあいだの食い違いにも一応の筋が通る。そして厄介なことに、趣味という営みは、業務としての判断よりもむしろ強く、その「自我が賭けられている」の側に分類される。誰かに命じられてではなく、自分で選んで始めたものだからこそ、その決定を疑うことは、自分自身を疑うことに近づいてしまう。
押し入れの道具に、戻る
Valeriia Svitlini / Unsplash
押し入れの道具の話に戻る。あの一式に使った金額は、決して法外な額ではない。にもかかわらず、それを手放す決断がなかなかできないのは、そこで失われるのが金銭だけではないからだろう。「これだけ時間をかけて、あるレベルまで技術を積んだ自分」というイメージそのものへの投資——それがすでに自我の一部になってしまっている。StawとHoangの出場時間の研究が示していたのも、結局は同じ構造だ。金額の多寡ではなく、その決定にどれだけ自分自身が関与し、その決定を「自分の物語」の一部に組み込んでしまったかが、手放しにくさの正体を決めている。
厄介なのは、この投資が単一ではないことだ。道具にかけた金銭。練習にかけた時間。上達の実感というかたちで積み上げてきた自己評価。「その趣味をやっている人間だ」という、周囲に見せてきた自己像。どれか一つだけを清算するなら簡単なのに、実際にはこれらが束になって絡み合っている。フリマアプリの出品画面を何度も開いては閉じてきたのも、金銭的な未練というより、この束をほどく手間を先送りしていただけなのかもしれない。
趣味が、他人と競うためのものではなく、自分が人生の主役であることを実感するためのものだとすれば、これは皮肉な話でもある。始めたときには自分を確かめるための選択だったはずのものが、続けるうちに「もう後戻りできない自分」を演じるための舞台に変わってしまう。主役であることを確かめるはずの行為が、いつのまにか台本を降りられない役者を作っている。
もっとも、これは趣味そのものを疑う話ではない。何かを探し、試し、合わなければやめて次を探す——このサイクルの中で「やめる」だけが不当に重くなっているとすれば、それは趣味という営みの欠陥ではなく、サンクコストという錘が判断のどこかに紛れ込んでいるだけだ。錘の重さを知ることと、錘を外すべきかどうかを決めることは、別の作業だ。
数字を、切り離して見る
Andrea De Santis / Unsplash
だからといって、「今すぐやめるべきだ」という話をしたいわけではない。ここまで見てきたデータが示しているのは、サンクコストが判断を歪め得るという事実であって、いま続けているその趣味に価値がないということではない。実際に続ける価値があるかどうかは、これまで注いできたものとは本来無関係に、これからどれだけ楽しめそうか、という一点だけで決まるはずの話だ。
問題は、その「これから」の判断に、「これまで」の数字がどれだけ紛れ込んでいるか、たいてい自分では気づけないということだ。感情の中では、投じた金額と時間、これから得られそうな満足感、そのすべてが一つの塊としてしか感じられない。だから一度、感覚から切り離して、数字だけを見てみる価値はある。すでに投じた金額と時間を計算機に入力してみると、そこにあるのはただの数字で、続ける理由でも、やめる理由でもない。鳩がレバーを押し続けたように、あるいは球団のフロントが指名順位に引きずられて起用を続けたように、自分もまた同じ古い回路の上で判断していないか——その確認だけが、この計算機にできることだ。
押し入れの道具は、たぶん今日も出品されないままだろう。それでいい。数字を見たあとにまだ続けたいと思うなら、それは投じた金額や時間のせいではなく、今この瞬間にそれを選んでいるということだ。逆に、数字を見た瞬間にどこかほっとしたなら、それもまた一つの情報として扱えばいい。数字自体は、続ける根拠にも、やめる根拠にもならない。ただ、根拠のふりをしていた感覚から、一歩だけ距離を取れる。
出典
- Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The Psychology of Sunk Cost. Organizational Behavior and Human Decision Processes.
- Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. Econometrica.
- Thaler, R. H. (1980). Toward a Positive Theory of Consumer Choice. Journal of Economic Behavior & Organization.
- Kahneman, D., Knetsch, J. L., & Thaler, R. H. (1990). Experimental Tests of the Endowment Effect and the Coase Theorem. Journal of Political Economy.
- Navarro, A. D., & Fantino, E. (2005). The Sunk Cost Effect in Pigeons and Humans. Journal of the Experimental Analysis of Behavior.
- Magalhães, P., & White, K. G. (2014). The Sunk Cost Effect in Pigeons and People: A Case of Within-Trials Contrast? Journal of the Experimental Analysis of Behavior.
- Sehl, K., et al. (2021). Blind to Bias? Young Children Do Not Anticipate that Sunk Costs Lead to Irrational Choices. Cognitive Science.
- Jhang, J., et al. (2023). The Impact of Childhood Environments on the Sunk-Cost Fallacy. Psychology & Marketing.
- Soman, D. (2001). The Mental Accounting of Sunk Time Costs: Why Time Is Not Like Money. Journal of Behavioral Decision Making.(追試: International Review of Social Psychology, Registered Report)
- Sleesman, D. J., Conlon, D. E., McNamara, G., & Miles, J. E. (2012). Cleaning Up the Big Muddy: A Meta-Analytic Review of the Determinants of Escalation of Commitment. Academy of Management Journal.
- Staw, B. M., & Hoang, H. (1995). Sunk Costs in the NBA: Why Draft Order Affects Playing Time and Survival in Professional Basketball. Administrative Science Quarterly.
- Keefer, Q. A. W. (2017). The Sunk-Cost Fallacy in the National Football League: Salary Cap Value and Playing Time. Journal of Sports Economics.
- Farah, L., & Baker, J. (2021). Eliminating Buyer's Remorse: An Examination of the Sunk Cost Fallacy in the National Hockey League Draft. Scandinavian Journal of Medicine & Science in Sports.