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道具を買わずに外へ出る、いくつかの過ごし方

道具を買わずに外へ出る、いくつかの過ごし方

道端の雑草を見る、音を遠近に分けて聞く、雲を追う、街中で星を探す。道具なしで外に出るという条件は、実は何も削っていない。何を見るかを決める前に、なぜそれで時間が持つのかを疑ってみる。

TOMOAKI··趣味

アウトドアの趣味には道具が要る、という前提を外して、手ぶらで外に出て何ができるかを考えたことがある。結論から言うと、道具がない分だけ何かが欠けるという実感はほとんどなかった。むしろ、装備を選ぶという作業そのものが注意を先取りしていたのだと気づいた。ザックの中身を決めることと、目の前の草を見ることは、同じ「外で過ごす時間」の中でまったく別の種類の作業だ。前者がなくなると、後者に割ける時間が単純に増える。

道具選びが厄介なのは、それ自体が一つの意思決定作業だからだ。どのブランドのシューズが軽いか、どのメーカーの双眼鏡が倍率と価格の釣り合いが取れているか――比較検討という頭の使い方は、仕事で見積もりを比べたり、資料の体裁を整えたりする作業とほとんど地続きになっている。外に出る目的が「日常の作業から離れること」だったはずが、道具選びの段階ですでに同じ種類の作業へ舞い戻っているとしたら、それは目的と手段が逆転している。

名前を知らないまま見る、ということ

アスファルトの隙間から生えている草を、名前を調べずに眺めるだけで、思いのほか時間が潰れる。葉の形がギザギザか丸いか、茎がまっすぐ立っているか地面を這っているか。同じ「雑草」という括りの中に、光の取り合いに勝つための戦略がいくつも並んでいることに気づく。名前を調べるのは家に帰ってからでよく、その場では観察だけに集中したほうが、記憶にも残りやすい。

この感覚には一応の裏付けがある。心理学者レイチェル・カプランとスティーブン・カプランが1990年代に整理した「注意回復理論」は、人の注意には二種類あるとする。一つは仕事や作業に向ける「直接的注意」で、これは使うほど消耗する。もう一つは対象に自然と引き寄せられる「不随意的注意」で、こちらはほとんど消耗しない。雑草の葉脈を目で追う行為は後者にあたり、直接的注意を使い切った状態からの回復に効くとされる。さらに古い実験として、心理学者ロジャー・ウルリッヒが1984年に医学誌サイエンスで発表した研究では、胆嚢手術後の患者を、病室の窓からレンガの壁が見える群と木々が見える群に分けたところ、木々が見えた群のほうが入院日数が短く、鎮痛剤の使用量も少なかったという結果が出ている。

ただし、この一本の研究を過大に持ち上げるのは公平ではない。対象は46人と少なく、単一の病院での観察であり、追試も限られている。注意回復理論そのものも、効果量はメタ分析のたびに小さくなり、研究間のばらつきも大きいことが指摘されている。それでも、この理論が説明しようとしている現象――複雑だが脅威ではない視覚情報に触れると、消耗した注意が戻る――という骨組みは、道端の草を眺めるという行為の説明として、案外筋が通っている。強い臨床的主張が崩れても、そこで働いている仕組みの説明価値まで消えるわけではない。

もっとも、この理論はここ十年ほどで「森林浴」や高額なリトリート施設の宣伝文句として量産的に引用されるようになった。効果量の小さい一本の理論が、パッケージ化された商品の裏付けとして繰り返し使われるとき、疑うべきなのは理論そのものより、その理論に乗って売られているものの方だ。道端の草を見るのに、宿泊費も入場料も要らない。効能を保証する誰かを介さずに済むという一点だけでも、わざわざ試す価値はある。

音を「遠い」「近い」に分けるとき、何が起きているか

公園のベンチで目を閉じ、聞こえる音を「遠い音」と「近い音」に分けて聞いてみる。遠くの道路のノイズ、近くの葉が擦れる音、自分の呼吸。普段は雑音として一括処理している音を意識的に聞き分けると、それぞれが独立した音として立ち上がってくる瞬間がある。これも特別な能力の話ではなく、注意の配分を切り替えているだけだ。

この「不随意的注意への切り替え」を、より強い形で検証した研究がある。神経科学者グレゴリー・ブラットマンらが2015年に米科学アカデミー紀要(PNAS)で発表した実験では、参加者を90分間、自然の多い環境と交通量の多い都市環境のそれぞれで歩かせ、前後で反芻思考(ネガティブな考えを繰り返し反芻する傾向)の自己申告と、fMRIによる膝下前頭前野の活動を測定した。自然環境を歩いた群だけで、反芻思考のスコアと膝下前頭前野の活動がともに低下していた。座って音を聞き分けるだけの行為とは条件が違うので、この結果をそのまま持ち込むのは飛躍ではある。90分の歩行と、公園のベンチで数分間音を分解して聞くことは、負荷も持続時間もまるで別物だ。

それでも、公衆衛生学者メアリーキャロル・ハンターらが2019年に学術誌フロンティアーズ・イン・サイコロジーで報告した唾液コルチゾール(ストレスホルモンの一種)の測定では、屋外での滞在時間が長くなるほどコルチゾール値は下がり続け、20分から30分のあたりで低下の速度が最も大きかったとされている。歩行か静止かは問わない設計だった。数分で劇的に変わるという話ではなく、むしろ「そこにどれだけ長くいるか」のほうが、何をしているかより効いている可能性がある、ということだ。

だとすると、音を遠近に分けるという作業そのものに固有の効果を期待するのは、話の順序が逆かもしれない。分類作業は、単にその場に長くとどまるための口実として機能しているにすぎず、効いているのは分類の巧拙ではなく滞在時間の長さの方だという可能性は、素直に残しておいたほうがいい。

雲を追う手つきは、退屈をしのぐ技術だったのかもしれない

青空にまばらに浮かぶ、輪郭のはっきりした白い雲
Dominik Schröder / Unsplash

河川敷や広い公園で、雲の形そのものより、動く速さや形が変わっていく過程に注目してみる。上空の風向きや気流の強さによって雲の流れ方は変わるので、慣れてくると天気がある程度読めるようになる。実用性がゼロというわけではない。気象衛星が使えなかった時代の船乗りや農家は、雲の形と動き方だけを頼りに天候を読んでいた。今この観察に実利はほぼないが、脳がこの手の予測作業を得意とすること自体は、その名残なのだろう。

ここで「退屈が創造性を高める」という話を持ち出したくなる誘惑がある。心理学者サンディ・マンとレベッカ・キャドマンが2014年に発表した実験では、退屈な作業(電話帳を書き写す課題)を先にやらせた群のほうが、その後の発想課題でより多様なアイデアを出したという結果が報告されている。雲を眺めてぼんやりする時間は、この「生産的な退屈」の一種だと言いたくなる。だが、この言い方には注意が要る。マンとキャドマンの実験自体、参加者は英国の大学生数十人規模で、効果が別の集団や別の課題でも再現するかは検証途上だ。それ以上に問題なのは、規模の話より前に、何もしない時間をわざわざ「実は脳に効いている」と説明し直す姿勢そのものにある。それは道具を買わずに外に出るという話の出発点――何かの役に立つかどうかを一旦保留する――と、静かに矛盾している。雲を追うのは、それが何かに効くからではなく、単に見ていて飽きないからでいい。効能の裏付けを探す癖のほうを、ここでは疑ったほうがいい。

光害の中で星を探すのは、最初から分の悪いゲームだ

「都会では星が見えない」と思われがちだが、街灯の光が目に直接入らないよう手で遮るだけで、見える星の数は体感でかなり増える。星座アプリを使えば、ビルの隙間からでも一等星のいくつかは特定できる。

ただし、そもそもの条件がかなり不利だという事実は共有しておいたほうがいい。物理学者ファビオ・ファルキらが2016年に学術誌サイエンス・アドバンシズで発表した「世界光害地図」によれば、地球上の人口の3分の1、北米に限れば人口の8割が、住んでいる場所から天の川を肉眼で見ることができない。都市部の夜空の明るさは自然な暗さの100倍から1000倍に達することもあり、手のひらで街灯を遮る程度の工夫は、この桁違いの明るさの前ではほとんど誤差の範囲だ。

それでも、誤差の範囲だからといって効果がゼロというわけではない。人間の目の網膜にある桿体細胞は、暗い場所に置かれてから数分で感度が上がり始め、完全な暗順応には20分から30分ほどかかるとされる。街灯の光を一瞬遮っただけでは、この暗順応のプロセスはほとんど始まってすらいない。手をかざして数十秒眺めて「見えない」と判断するのは、そもそも目がまだ順応していない状態で判定していることになる。数分単位で同じ場所に留まり、光を遮り続けて初めて、桁違いの不利の中でも一等星がいくつか浮かび上がってくる、という程度の勝負なのだ。派手な逆転劇ではない。

天文台の観測員や旧海軍の航海士が暗順応を保つために赤色光を使っていたのも、同じ理屈による。赤い波長の光は桿体細胞の感度をほとんど下げないため、手元のメモを照らしながらでも暗順応を維持できる。スマートフォンの画面を白色のまま数秒見るだけで、せっかく数分かけた順応がほぼ振り出しに戻る。星座アプリを開く行為自体が、星を探すという目的とわずかに矛盾している。

草の葉脈、音の遠近、雲の速さ、暗順応にかかる数分――これらに共通しているのは、道具の有無ではなく、判定を急がないという一点だけだ。何かを見て「特に何もない」と結論づけるまでの時間を、少しだけ延ばしてみる。それだけの話であって、そこから先に何か教訓を引き出す必要はない。ここまで挙げた研究のどれ一つとして、「これをやれば良い」という指示にはなっていない。指示になっていないことこそが、たぶん一番の効能なのだろう。

出典

Kaplan, R., & Kaplan, S. (1989). The Experience of Nature: A Psychological Perspective. Cambridge University Press.
Ulrich, R. S. (1984). View through a window may influence recovery from surgery. Science, 224(4647), 420–421.
Bratman, G. N., Hamilton, J. P., Hahn, K. S., Daily, G. C., & Gross, J. J. (2015). Nature experience reduces rumination and subgenual prefrontal cortex activation. PNAS, 112(28), 8567–8572.
Hunter, M. R., Gillespie, B. W., & Chen, S. Y-P. (2019). Urban nature experiences reduce stress in the context of daily life based on salivary biomarkers. Frontiers in Psychology, 10, 722.
Mann, S., & Cadman, R. (2014). Does being bored make us more creative? Creativity Research Journal, 26(2), 165–173.
Falchi, F., Cinzano, P., Duriscoe, D., et al. (2016). The new world atlas of artificial night sky brightness. Science Advances, 2(6), e1600377.