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道具を買わずに外へ出る、雑草・雲・星をただ見るということ
道端の雑草を見る、音を遠近に分けて聞く、雲の名付けの歴史をたどる、光害の中で星を探す。道具なしで外に出るという条件は、実は何も削っていない。何を見るかを決める前に、なぜそれで時間が持つのかを疑ってみる。
アウトドアの趣味には道具が要る、という前提を外して、手ぶらで外に出て何ができるかを考えたことがある。お金のかからないアウトドア、という言い方をすると節約の話に聞こえるが、そうではない。結論から言うと、道具がない分だけ何かが欠けるという実感はほとんどなかった。むしろ、装備を選ぶという作業そのものが注意を先取りしていたのだと気づいた。ザックの中身を決めることと、目の前の草を見ることは、同じ「外で過ごす時間」の中でまったく別の種類の作業だ。前者がなくなると、後者に割ける時間が単純に増える。
道具選びが厄介なのは、それ自体が一つの意思決定作業だからである。どのブランドのシューズが軽いか、どのメーカーの双眼鏡が倍率と価格の釣り合いが取れているか——比較検討という頭の使い方は、仕事で見積もりを比べたり、資料の体裁を整えたりする作業とほとんど地続きになっている。外に出る目的が「日常の作業から離れること」だったはずが、道具選びの段階ですでに同じ種類の作業へ舞い戻っているとしたら、それは目的と手段が逆転している。
ただし、この逆転は「道具を持たない」と決めた瞬間に自動的に解消するわけでもない。手ぶらで何をするかを事前にリスト化し、行き先を比較し、天気予報アプリを何度も確認する——これも形を変えた同じ作業になり得る。道具を持たないことにこだわりすぎると、今度は「道具を持たない自分」を演出する作業が始まる。以下に挙げる四つの過ごし方は、そうした演出からもできるだけ遠いところに置きたい。効能を先に決めてから外に出るのではなく、外に出てから、なぜそれで時間が持ったのかを後から疑う、という順番を守ってみる。
あらかじめ断っておくと、以下で紹介する研究の多くは、雑草を見る行為や雲を追う行為そのものを直接調べたものではない。自然環境全般、あるいは注意や退屈といった認知の働き全般を対象にした研究を、道具を持たずに外で過ごすという今回の条件に照らして読み直しているにすぎない。研究と行為のあいだにあるこの距離は、最後まで消えない。むしろその距離を隠さずに書いたほうが、この話には向いている。
名前を知らないまま見る、ということ
アスファルトの隙間から生えている草を、名前を調べずに眺めるだけで、思いのほか時間が潰れる。葉の形がギザギザか丸いか、茎がまっすぐ立っているか地面を這っているか。同じ「雑草」という括りの中に、光の取り合いに勝つための戦略がいくつも並んでいることに気づく。名前を調べるのは家に帰ってからでよく、その場では観察だけに集中したほうが、記憶にも残りやすい。
この戦略の違いには、植物生態学者フィリップ・グライムが1970年代に体系化した「CSR理論」という枠組みがある。植物の生き方を、資源が豊富で競争が激しい環境に強い「競争型」、乾燥や貧栄養など過酷な環境に耐える「ストレス耐性型」、そして環境が頻繁に破壊される場所で素早く育ち素早く種をつける「攪乱依存型(ルデラル)」の三つの軸で整理する考え方だ。アスファルトの隙間や道端は、人に踏まれ、除草され、車に轢かれるという意味で「攪乱」が絶えない環境であり、そこに生えている草の多くは攪乱依存型に分類される。踏まれることを前提に、悠長に競争している暇がないから、とにかく早く芽を出し早く種をつける——道端の雑草が地面に張りつくように広がっていたり、驚くほど短期間で花をつけたりするのは、この生存戦略の表れだと考えると、ただの「名もなき草」が急に具体的な生き方をした個体に見えてくる。名前を調べないという条件は、種の同定を放棄しているだけで、観察そのものを放棄しているわけではない。
こうした観察がなぜ時間を持たせるのかを、心理学の実験で手堅く裏付けるのは、思うほど簡単ではない。この分野でもっとも頻繁に引用される実験の一つ——心理学者ロジャー・ウルリッヒが1984年に医学誌サイエンスで発表した、胆嚢手術を受けた患者の回復を病室からの眺めで比較した研究——からして、対象は合計46人、単一の病院での観察で、追試も限られている。数字の出所として見ると、正直なところ心もとない。
それでも実験の中身自体は具体的だ。病室の窓から木々の見える群と、レンガの壁しか見えない群を23組ずつマッチングして比較したところ、木々が見えた群のほうが入院日数が短く、看護記録上のネガティブな評価も少なく、鎮痛剤の使用量も少なかった。この現象に理屈をつける枠組みとして、心理学者レイチェル・カプランとスティーブン・カプランが1989年の著書『The Experience of Nature』で整理した「注意回復理論」がある。人の注意には二種類あり、仕事や作業に向ける「直接的注意」は使うほど消耗するが、対象に自然と引き寄せられる「不随意的注意」はほとんど消耗しない。雑草の葉脈を目で追う行為は後者にあたり、直接的注意を使い切った状態からの回復に効くとされる。ただし注意回復理論そのものも、効果量はメタ分析のたびに小さくなり、研究間のばらつきが大きいことが指摘されている。強い臨床的な話が一本の弱い研究の上に乗っているという事実は、消えない。
もっとも、この理論はここ十年ほどで「森林浴」や高額なリトリート施設の宣伝文句として量産的に引用されるようになった。実際、森林浴の血圧低下効果を検証した2017年のメタ分析は20件・732人分の試験を統合し、森林環境のほうが非森林環境よりも収縮期・拡張期ともに血圧が有意に低いと結論している。数字だけ見れば説得力がある。とはいえ同じ系統のコルチゾール(ストレスホルモンの一種)に関するメタ分析では、興味深い注記が添えられている——森林群は、実際に森を歩き始める前の時点で、すでに都市群より基準値のコルチゾールが低かったというのだ。つまり「これから森林浴をする」という期待そのものが、体験の前からストレス指標を下げていた可能性がある。効果が本物であることと、効果の一部が「効くはずだと知っていること」由来であることは両立する。効果量の小さい一本の理論が、パッケージ化された商品の裏付けとして繰り返し使われるとき、疑うべきなのは理論そのものより、その理論に乗って売られているものの方であり、さらに言えば、期待だけでも数字は動くという事実そのものだ。道端の草を見るのに、宿泊費も入場料も要らない。効能を保証する誰かを介さずに済むという一点だけでも、わざわざ試す価値はある。
音を「遠い」「近い」に分けるとき、何が起きているか
公園のベンチで目を閉じ、聞こえる音を「遠い音」と「近い音」に分けて聞いてみる。遠くの道路のノイズ、近くの葉が擦れる音、自分の呼吸。普段は雑音として一括処理している音を意識的に聞き分けると、それぞれが独立した音として立ち上がってくる瞬間がある。これも特別な能力の話ではなく、注意の配分を切り替えているだけだ。
この「不随意的注意への切り替え」を、より強い形で検証した研究がある。神経科学者グレゴリー・ブラットマンらが2015年に米科学アカデミー紀要(PNAS)で発表した実験では、参加者を90分間、自然の多い環境と交通量の多い都市環境のそれぞれで歩かせ、前後で反芻思考(ネガティブな考えを繰り返し反芻する傾向)の自己申告と、fMRIによる膝下前頭前野の活動を測定した。自然環境を歩いた群だけで、反芻思考のスコアと膝下前頭前野の活動がともに低下していた一方、都市環境を歩いた群にはどちらの変化も見られなかった。座って音を聞き分けるだけの行為とは条件が違うので、この結果をそのまま持ち込むのは飛躍ではある。90分の歩行と、公園のベンチで数分間音を分解して聞くことは、負荷も持続時間もまるで別物だ。
一方で、公衆衛生学者メアリーキャロル・ハンターらが2019年に学術誌フロンティアーズ・イン・サイコロジーで報告した研究は、時間の長さそのものに焦点を当てている点で参考になる。都市生活者36人に8週間、週3回以上・10分以上の「自然体験」を続けてもらい、前後の唾液コルチゾールを測定したところ、自然体験は1時間あたり21.3%の追加的な低下をもたらし、その効率が最も高かったのは滞在時間20分から30分のあたりだったという。それ以降も効果は積み上がるが、単位時間あたりの伸びは鈍る。歩行か静止かは問わない設計だった。数分で劇的に変わるという話ではなく、むしろ「そこにどれだけ長くいるか」のほうが、何をしているかより効いている可能性がある、ということだ。
だとすると、音を遠近に分けるという作業そのものに固有の効果を期待するのは、話の順序が逆かもしれない。分類作業は、単にその場に長くとどまるための口実として機能しているにすぎず、効いているのは分類の巧拙ではなく滞在時間の長さの方だという可能性は、素直に残しておいたほうがいい。
分類は退屈しのぎの手続きであって、目的地ではない。
それを差し引いても、音を分けて聞くという行為そのものに、もう少しだけ付き合ってみる価値はある。音響生態学者バーニー・クラウスが提唱した「音響ニッチ仮説」は、一つの生態系の中で鳴く生き物たちが、互いの声が周波数帯や鳴く時間帯で重ならないよう、それぞれ固有の「音の隙間」に棲み分けているとする考え方だ。虫の高い声、鳥の中音域、風や川のノイズが、実は競合を避けるように周波数帯を分け合っている——という仮説は魅力的だが、これはまだ仮説の域を出ていない点は明記しておく必要がある。すべての生態系でこの棲み分けが同じ強度で観察されるわけではなく、検証は生態系ごとに進行中だ。公園のベンチで「遠い音」「近い音」と大雑把に二分していた作業を、鳥の声、虫の声、風の音、車の音というふうにもう一段細かく分けてみると、それぞれの音がまるで別のチャンネルを使っているかのように、重ならずに聞こえてくる瞬間がある。人間の耳は、意識さえ向ければ、生き物たちが数百万年かけて棲み分けてきた音の地図を、後からなぞることができるらしい。それが証明された効能かどうかより先に、単純に発見として面白い。
雲の名付けの歴史をたどりながら、名付けずに眺める
河川敷や広い公園で、雲の形そのものより、動く速さや形が変わっていく過程に注目してみる。上空の風向きや気流の強さによって雲の流れ方は変わるので、慣れてくると天気がある程度読めるようになる。実用性がゼロというわけではない。気象衛星が使えなかった時代の船乗りや農家は、雲の形と動き方だけを頼りに天候を読んでいた。
ここで少し皮肉な事実を挟んでおきたい。「雲を名付けずに眺める」という行為の対極にあるはずの、雲に名前を与えるという営みは、実はそれほど古いものではない。アマチュア気象学者ルーク・ハワードが1802年にロンドンの学術サークルで発表し、翌1803年に論文「雲の変容について」としてまとめた分類が、現在も使われている「巻雲」「積雲」「層雲」というラテン語の名称の起源である。ハワード以前にも雲を分類しようとした人物はいたが、フランスの博物学者ラマルクが同時期にフランス語で独自の分類を試みたのに対し、ハワードの体系が国際的に定着したのは、ラテン語という当時の学術共通語を使ったことと、雲が一つの形にとどまらず絶えず姿を変えていくという性質そのものを分類の前提に組み込んだことが大きいとされる。名付けるという行為が、変化そのものを固定するのではなく、変化することを織り込んだ枠組みとして設計されていた、というのは意外と知られていない。つまり、今この記事で勧めている「名前を意識せずに雲の変化だけを見る」という態度は、皮肉にも、名付けの歴史の中で最初から意図されていた見方に近い。名付けることと、変化を見ることは、思われているほど対立していない。
この分類がどれほど詩的な想像力を刺激したかを示す逸話がある。ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、ハワードの論文がドイツ語に翻訳された1815年以降、この体系にすっかり魅了され、ハワードに宛てて雲を題材にした一連の詩を書き送った。二人は生涯一度も直接会うことはなかったが、ゲーテはハワードを「マイスター(師)」と呼び、自分が英語圏の人物にその敬称を用いたのはハワードだけだと述べている。科学的な分類が、当時最高の詩人の一人をここまで動かしたという事実は、名付けという行為が想像力を縮小させるどころか、むしろ何をどう見ればいいかという足場を与え、そこから先の自由な見方を可能にした例として読める。雲の名前を知らずに眺めるという今回の提案も、名前という足場そのものを否定しているわけではない。足場に乗ったまま降りてこない態度を疑っているだけだ。
実用性や分類の話を離れると、ただ雲を眺めてぼんやりする時間そのものに効能を見出したくなる誘惑もある。心理学者サンディ・マンとレベッカ・キャドマンが2014年に発表した実験では、退屈な作業(電話帳を書き写す課題)を15分間行わせた群のほうが、その後の発想課題(発泡スチロールのコップの新しい使い道を挙げる課題)でより多様なアイデアを出したという結果が報告されている。雲を眺めてぼんやりする時間は、この「生産的な退屈」の一種だと言いたくなる。だが、この言い方には注意が要る。マンとキャドマンの実験自体、参加者は数十人から90人規模の集団で、しかも書く課題より読む課題のほうが空想を誘発しやすいなど、条件によって結果が揺れることが同じ論文の中で報告されている。効果が別の集団や別の課題でも同じ形で再現するかは検証途上だ。それ以上に問題なのは、規模の話より前に、何もしない時間をわざわざ「実は脳に効いている」と説明し直す姿勢そのものにある。それは道具を買わずに外に出るという話の出発点——何かの役に立つかどうかを一旦保留する——と、静かに矛盾している。
もう一つ、雲を眺める時間に近い現象として「畏怖(アウェ)」の研究がある。心理学者バージニア・スタームらが2020年に学術誌エモーションで発表した実験では、高齢者に8週間、週1回15分の「畏怖を意識した散歩」をしてもらい、通常の散歩をした対照群と比較した。畏怖群では日常的な苦痛の申告が減り、ポジティブな感情が増えただけでなく、参加者が散歩中に撮った自撮り写真の中で、自分自身の写る割合が回を追うごとに小さくなり、周囲の風景がより大きく写るようになっていったという。研究者たちはこれを「小さな自己」という感覚の表れと呼んでいる。対照群も歩行量自体はむしろ多かったが、感情や写真の変化は見られなかった。つまり効いていたのは運動そのものではなく、大きくて把握しきれない対象——空いっぱいに広がる雲のようなもの——に注意を向けたという経験の質だったことになる。雲を追うのは、それが何かに効くからではなく、単に見ていて飽きないからでいい。ただ、その「飽きなさ」の一部が、自分を実際より少しだけ小さく感じさせる効果と結びついているらしいことは、覚えておいてもいい。効能の裏付けを探す癖のほうを、やはり基本的には疑ったほうがいい。
光害の中で星を探すのは、最初から分の悪いゲームだ
「都会では星が見えない」と思われがちだが、街灯の光が目に直接入らないよう手で遮るだけで、見える星の数は体感でかなり増える。星座アプリを使えば、ビルの隙間からでも一等星のいくつかは特定できる。
ただし、そもそもの条件がかなり不利だという事実は共有しておいたほうがいい。物理学者ファビオ・ファルキらが2016年に学術誌サイエンス・アドバンシズで発表した「世界光害地図」によれば、地球上の人口の3分の1が天の川を肉眼で見ることができず、北米に限れば人口の8割近くがそうだという。都市部の夜空の明るさは自然な暗さの100倍から1000倍に達することもあり、手のひらで街灯を遮る程度の工夫は、この桁違いの明るさの前ではほとんど誤差の範囲だ。
とはいえ、誤差の範囲だからといって効果がゼロというわけではない。人間の目の網膜にある桿体細胞は、暗い場所に置かれてから7、8分ほどで感度が上がり始め、そこから先の13分から22分ほどをかけて視物質(ロドプシン)の再合成が進み、完全な暗順応にはおよそ20分から30分かかるとされる。街灯の光を一瞬遮っただけでは、この暗順応のプロセスはほとんど始まってすらいない。手をかざして数十秒眺めて「見えない」と判断するのは、そもそも目がまだ順応していない状態で判定していることになる。数分単位で同じ場所に留まり、光を遮り続けて初めて、桁違いの不利の中でも一等星がいくつか浮かび上がってくる、という程度の勝負なのだ。
派手な逆転劇ではない。
暗順応が進むにつれて、見え方の質も変わっていく。暗所では色を感じる錐体細胞に代わって桿体細胞が優位になり、感度のピークが赤寄りの波長から青寄りの波長へと移る「プルキンエ効果」と呼ばれる現象が起きる。昼間は赤い花のほうが青い花より鮮やかに見えるのに、暗くなるにつれてその優劣が逆転していくのはこのためだ。天文台の観測員や旧海軍の航海士が暗順応を保つために赤色光を使っていたのも、同じ理屈による。赤い波長の光は桿体細胞の感度をほとんど下げないため、手元のメモを照らしながらでも暗順応を維持できる。スマートフォンの画面を白色のまま数秒見るだけで、せっかく数分かけた順応がほぼ振り出しに戻る。星座アプリを開く行為自体が、星を探すという目的とわずかに矛盾している。
もう一つ付け加えるなら、桿体細胞には色を識別する能力そのものがない。夜空を見上げて星の色の違いを感じ取れているように思えても、それは主に色ではなく明るさの差を拾っている可能性が高く、恒星の色を肉眼ではっきり区別できるのは、オリオン座のベテルギウスのような一部の明るい恒星に限られる。暗闇で「見る」という行為は、明るい場所での「見る」とは別の器官が別のやり方で処理している作業であり、見えているものが少ないからといって、働いている仕組みまで単純になっているわけではない。星座アプリを閉じて手だけを翳し、数分待つという手間は、この切り替わった器官に、切り替わるだけの時間を与える作業でもある。
判定を急がない、というだけの共通点
草の生存戦略、音の棲み分け、雲の名付けの歴史、暗順応にかかる数分——ここまで挙げてきた話に共通しているのは、道具の有無ではなく、判定を急がないという一点だけだ。何かを見て「特に何もない」と結論づけるまでの時間を、少しだけ延ばしてみる。それだけの話であって、そこから先に何か教訓を引き出す必要はない。
ここまで挙げた研究のどれ一つとして、「これをやれば良い」という指示にはなっていない。ウルリッヒの研究は46人の入院患者の話であり、ブラットマンの研究は90分の都市部との比較であり、マンとキャドマンの実験は電話帳の書き写しから始まっている。クラウスの音響ニッチ仮説にいたっては、そもそも人間の余暇の過ごし方を検証するために組まれた研究ですらない。どれも、道端で草を見たり公園で目を閉じたりする行為をそのまま裏付けているわけではない。むしろ、条件をずらせばずらすほど効果の輪郭は曖昧になっていく、という点でこそ一致している。
それでも構わない。むしろ、これらの研究を全部合わせても一つの結論に着地しないという事実の方が、道具を買わずに外に出るという条件と相性がいい。装備を比較するときには、最終的にどれか一つを選ばなければならない。だが道端の草を眺めたり、音を聞き分けたり、雲の流れを目で追ったりする行為には、選び取るべき正解がそもそも存在しない。結論が出ないことを欠陥として扱わず、そのまま持ち帰ってよいという条件は、日常のほとんどの作業には許されていない贅沢だ。指示になっていないことこそが、たぶん一番の効能なのだろう。
出典
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