ficus.life/趣味
目次▼
60代・70代の趣味と孤独——一人の時間が最も長い年代

60代・70代の趣味と孤独——一人の時間が最も長い年代

一人でいる時間が最も長いのは70代前半(睡眠を除き1日6時間51分)。孤独を頻繁に訴える人が最も少ないのも70代だった。60代・70代の趣味選びの前に、一人の時間、つながり、寂しさの三つを統計で分けてみる。

TOMOAKI··趣味

60代は、仕事や子育てに割り振られていた時間が、まとまって手元に戻ってくる人の多い時期だ。60代前半はまだ働いている人も多く、戻り方は人によって段階的だが、戻ってきた時間を前にして「何をすればいいのかわからない」という戸惑いと、「一人で過ごす時間が増えることへの漠然とした不安」が、同時にやってくる人は少なくない。70代になると、そこに体力や予算の事情が加わって、選び方はもう一段ややこしくなる。

この不安に趣味のランキングを差し出すのは簡単だが、たいてい本題を素通りしている。本題は、一人の時間そのものが怖いのか、人との行き来が細ることが怖いのか、それとも寂しいという感覚が怖いのか、案外自分でも切り分けられていない、ということだ。この三つは同じものの言い換えに見えて、統計の上ではかなり別々に動いている。それを数字で確かめてから、趣味の始め方をいくつか並べてみたい。

60代・70代の趣味について、まず数字で言えること

検索してここに来た人が最初に知りたいのは、たぶん「同じ年代の人は実際に何かやっているのか」ということだろう。総務省統計局の社会生活基本調査(2021年)は、過去1年間に自由時間の中でその活動をした人の割合を、年齢ごとに出している。「趣味・娯楽」をした人は、60〜64歳で85.7%、65〜69歳で83.0%、70〜74歳で78.9%、75歳以上で67.2%だった。

少しずつ下がってはいる。ただ、60代前半から70代前半までの差は7ポイントほどで、はっきりした段差は75歳のところにある。「スポーツ」はもっと意外な形をしていて、60〜64歳の64.0%より、65〜69歳の67.0%、70〜74歳の66.1%のほうが高い(75歳以上では53.7%に下がる)。全年齢で見ると、スポーツの中で最も多いのは「ウォーキング・軽い体操」だ。退職で平日の時間が空くことと関係があるのかもしれないが、これは同じ人の変化ではなく、年齢の違う人を並べた数字である。

「学習・自己啓発・訓練」は、60〜64歳の36.7%から70〜74歳の31.6%へ。ボランティア活動は、全年齢の中で65〜69歳が23.4%といちばん高い。

この数字には、読むときに外せない留保が二つある。一つは、これがある一時点で年齢の違う人たちを並べた数字だということだ。いまの70代が、10年後のいまの60代と同じ姿になる保証はない。育った時代が違えば、趣味の習慣も違う。次に、行動を尋ねた期間が2020年10月から2021年10月までの1年間で、緊急事態宣言の時期を含んでいることだ。同じ調査で「旅行・行楽」をした人は、5年前より24ポイントも減っている。外に出る活動は、平時より低めに出ていると見るのが自然だろう。

それでも、ここから一つだけ言えそうなことがある。60代と70代前半は、少なくとも統計の上では、趣味を「選べる側」にまだ十分いる。体力や環境の段差がはっきり出てくるのは、その先だ。だとすると、この年代の趣味選びで本当に迷っているのは、何ができるかより、何のために選ぶのか、のほうではないか。

その「何のために」の中に、たいてい紛れ込んでいるのが、一人になることへの不安だ。

一人の時間が最も長い年代と、孤独を訴える人が最も少ない年代は重なる

同じ社会生活基本調査は、1日の行動を15分刻みで記録してもらい、そのとき誰と一緒にいたかも尋ねている。睡眠を除いた生活時間のうち、一人でいた時間がいちばん長かったのは70〜74歳で、6時間51分。次が65〜69歳の6時間49分だった。起きている時間のかなりの部分を、この年代は一人で過ごしている。

では、この年代がいちばん寂しいのかというと、別の調査はそうは言っていない。内閣府が16歳以上の2万人を無作為に選んで毎年行っている孤独・孤立の全国調査(2025年12月実施、有効回答11,873人)で、「あなたはどの程度、孤独であると感じることがありますか」という問いに「しばしばある・常にある」と答えた人は、30代で6.1%、40代と50代で5.7%だった。60代では4.0%、70代では2.5%まで下がる。

男女に分けると、さらに差が出る。60代の女性で「しばしばある・常にある」と答えたのは2.8%、70代の女性では2.0%。男女と年代の組み合わせでいちばん高かった50代の男性は7.6%だった。ただ、60代の女性でも「時々ある」が10.7%、「たまにある」が21.3%いて、合わせると3人に1人ほどが何らかの頻度で孤独を感じると答えている。心細さがないわけではない。頻繁に感じる人の割合が、若い年代より低い、というところまでが数字の言えることだ。

二つの調査は、年も、対象も、年齢の区切りも違う。社会生活基本調査の最長は70〜74歳、内閣府の最低は70〜79歳で、同じ集団ではない。一人の時間が長い人と、孤独を感じない人が、同じ人だと確かめたわけでもない。だから「一人の時間が長いほど寂しくない」とまでは言えない。言えるのは、もっと控えめなことだ。一人でいる時間の長さと、寂しいという感覚は、年代ごとに見る限り、同じ方向には動いていない。

家計にたとえると分かりやすい。口座の残高と、「お金が足りない」という感覚は、つながってはいるが同じものではない。残高が少なくても足りていると感じる人がいて、残高が十分でも不安が消えない人がいる。一人の時間の長さは残高に近く、寂しさは感覚のほうに近い。この二つのあいだには、さらに別の帳簿がある。

「孤独ですか」と聞くか、その言葉を使わずに測るか

寂しさは目に見えないので、測る側はいつも聞き方に悩んでいる。先の内閣府の調査は、2種類の問いを並べている。一つは、さきほど引いた「どの程度、孤独であると感じるか」を直接聞く問い。別の一つは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のラッセルらが作った孤独感の尺度(UCLA孤独感尺度)を、のちに3問に縮めたものの日本語版で、「孤独」という言葉を使わない。代わりに、自分には人とのつきあいがないと感じるか、取り残されていると感じるか、他の人たちから孤立していると感じるかを、それぞれ聞く。

なぜわざわざ言葉を避けるのか。「孤独ですか」と正面から聞かれると、認めたくない人がいるからだ。寂しさには、どこか自分の落ち度のような響きがある。だから、感覚の部品を一つずつ聞いて、合計点で測る。この調査で間接的な3問の合計点がいちばん高い区分(12点満点の10〜12点)に入った人は6.5%で、直接の問いで「しばしばある・常にある」と答えた4.5%より多かった。聞き方が変われば、数字も変わる。寂しさの統計を読むときは、どちらの問いの数字なのかで印象が変わる。

そのうえで、寂しさという感覚と、人とのつながりの「量」とは、どのくらい重なっているのか。これを正面から調べた研究がある。

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのアンドリュー・ステプトーらは2013年、イングランドの52歳以上の約6,500人について、二つの物差しを別々に当てた。一つは社会的孤立の指数で、結婚や同居をしていないか、子ども・家族・友人との接触が月1回未満か、地域の会や宗教団体などに参加していないかを数える。外から数えられる、つながりの量だ。他方は、同じ系統のUCLA尺度の3問版(こちらは各問3段階で答える英語版)で測った孤独感。中から感じる、寂しさの強さだ。

二つの相関は、ρ=0.10だった。

0.10というのは、ほとんど重なっていないに近い数字だ。人との接触が少ない人ほど寂しいという傾向はあるにはあるが、ごく弱い。接触が少ないのに寂しくない人も、接触が多いのに寂しい人も、たくさんいるということになる。

話はここで終わらない。研究チームはこの人たちを平均7年あまり追跡し、918人が亡くなった。年齢と性別だけをそろえて比べると、孤立している人も、寂しさの強い人も、どちらも死亡のリスクが高かった(孤立の上位2割で1.50倍、孤独感の上位2割で1.26倍)。ところが、社会的・経済的な属性をそろえた時点で、寂しさのほうの差は偶然の範囲に縮み(1.14倍)、もともとの病気や体の状態までそろえると0.92倍になった。孤立のほうも1.50倍、1.32倍、1.26倍と調整のたびに縮んだが、健康状態までそろえても1.26倍が残り、寂しさをモデルに加えても変わらなかった。

この結果を「寂しさは体に関係ない」と読むのは行き過ぎだ。観察研究なので因果は言えない、と論文にも明記されている。寂しさが健康を損なう道筋がもともとの体の状態を経由しているなら、それを「調整」で消してしまうと見えなくなる。2004〜2005年のイングランドという、一つの国の一つの時期の人たちの話でもある。

ただ、少なくともこの研究は、寂しさとつながりの量を同じものとして扱ってはいけないことを、かなりはっきり示している。付け加えると、ここで測られた「孤立」は、一人でいる時間の長さではない。人と会う頻度と、所属している場の数だ。

つまり、最初に切り分けたかった三つは、測り方の上でもそれぞれ別のものだ。一人でいる時間の長さ。人とのつながりの量。寂しいという感覚。60代からの不安が「一人の時間が増える=孤独になる」という形をとるとき、そこではこの三つが一つに丸められている。一人でいる時間そのものが心に何をしているのかは、一人の時間を持て余すとき、何が起きているのかで別に考えたので、ここでは残りの二つ、つながりの量と寂しさのほうを追いかける。

人と会う機会を増やしても、寂しさはあまり減らなかった

寂しさとつながりの量がほとんど別物だとすると、素朴な処方には疑問がわく。寂しいなら、人に会う機会を増やせばいい。趣味のサークルに入ればいい。趣味の紹介記事でも、この筋の勧め方はよく見かける。

シカゴ大学のクリストファー・マシとジョン・カシオッポらは2011年、寂しさを減らすための介入研究50本をまとめて、どの方法がどれだけ効いたのかを比べた。介入はおおむね四つに分かれる。人づきあいの技術を練習する。周りからの支えを増やす。人と接する機会そのものを増やす。そして、人づきあいについての考え方の癖、たとえば「どうせ相手は自分に関心がない」と先回りして読む癖に手を入れる。

最初に目につくのは、研究の作りによって効果の大きさがまるで違うことだ。参加者を前後で比べただけの研究では、効果量はおよそ0.37。比較群はあるが無作為に分けていない研究では0.46。参加者をくじで振り分けた研究に限ると、0.20まで縮む。寂しさは何もしなくても時間とともに上下するし、「何かしてもらった」こと自体でも軽くなるのだろう。きちんと比べるほど、効果は小さく見えてくる。ちなみに、このくじ引きの研究20本のうち11本は、60歳以上を対象にしていた。

そのくじ引きの研究20本の中で比べると、人と接する機会を増やす介入は、効果量0.06で、偶然と区別がつかなかった。考え方の癖に働きかける介入は0.60と、群を抜いていた。

この数字は、そのまま信じるには心細い。接する機会を増やす介入はくじ引きの研究が2本しかなく、考え方の癖への介入も4本で、しかも中身が一つとして同じではない。種類どうしの差を確かめた検定も、p=0.05という境目の値だった。それでも、方向としては示唆に富む。会う回数を足すことと、寂しさが減ることは、少なくとも自動的にはつながっていない。

思い当たる場面はある。人の多い同窓会のあとで、かえって寂しくなって帰ってくる夜。何年も会っていない友人と電話で十分話しただけで、しばらく満たされている週。寂しさは、会った回数の合計というより、会ったときに自分が何を受け取ったと感じたか、で決まっているように見える。

ここで、前の節の結果と並べると、話は少しねじれる。ステプトーらの研究で死亡リスクと結びついていたのは、寂しさではなく、つながりの量のほうだった。マシらのまとめで、寂しさを減らすのにあまり効かなかったのは、つながりの量を増やす介入だった。サークルに入ることは、寂しさにはあまり効かないとしても、寂しさとは別のところで何かをしている可能性がある。

だとすると、「寂しさを紛らわすために趣味の会に入る」という動機と、その会が実際にもたらしているものは、ずれている可能性がある。ずれていること自体は悪くない。ただ、入ってみて寂しさが消えなかったときに、「自分には向いていなかった」と結論するのは早すぎるとも言える。最初から、別のものを得に行っていたのだから。

週16時間、14週間。60歳から90歳までの人がくじで趣味を割り当てられた

趣味と頭の働きの関係については、「趣味のある人は認知機能が保たれやすい」という種類の報告が山ほどある。だが、そのほとんどは、もともと元気な人が趣味を続けているだけかもしれない、という疑いを振り払えない。疑いを振り払うには、くじで趣味を割り当てるしかない。それを実際にやった研究がある。

テキサス大学ダラス校のデニス・パークらによる「シナプス・プロジェクト」だ。60歳から90歳まで(平均71.7歳)の259人が参加登録し、221人が最後までやり通した。参加者は、デジタル写真もキルト(布を縫い合わせて模様を作る手芸)も未経験の人に限られていた。くじで振り分けられた先は、次の五つと、何もしない対照群(再検査の信頼性を測るためだけに使われた)の、計六つだった。

  • デジタル一眼レフの扱いと、写真編集ソフトを、プロの写真家に習う
  • コンピューター制御のミシンを使って、キルトの設計と縫製を、専門の講師に習う
  • 前半と後半で、その二つを半分ずつ習う
  • 料理、ゲーム、映画、昔話、毎週の遠足などを楽しむ、社交クラブのような集まりに通う。新しい技能の習得はない
  • クラシック音楽やドキュメンタリー、クロスワードなど、「頭によさそう」とされるものに自宅で取り組む

何もしない対照群を除く五つの条件は、どれも週15時間以上を14週間続ける。実際の平均は週16時間前後で、写真とキルトを半分ずつ習った組は18時間を超えた。週16時間というのは、趣味というより、ちょっとしたパートタイムの仕事に近い。

結果は、思ったより狭く、思ったより鋭かった。新しい技能を習った三つの組をまとめると、社交クラブと自宅の組をまとめたものより、エピソード記憶(言葉のリストを覚えて思い出すような課題)がはっきり伸びた。一方で、処理の速さや、注意の切り替え、空間の把握には、組のあいだで差が出なかった。

組ごとに見ると、さらに偏りがある。写真の組は、自宅の組と比べて記憶の伸びの効果量が0.54。キルトの組は、伸びる方向ではあったが、統計的にははっきりしなかった。いくつもの比較をしたぶんの補正をかけると、最後まで残ったのは写真の組の記憶の伸びだけだった。論文の説明では、写真の組はカメラと編集ソフトについて大量の情報を覚えなければならず、キルトは最初に習ったあとは、体で覚えた手続きを繰り返す要素が強かった。

社交クラブの組は、自宅の組と比べて、記憶の伸びに差がなかった。毎週15時間、人と会い、新しい場所へ出かけ、名前を覚えていたにもかかわらず、だ。くじで割り当てたので、元気な人が集まったからという言い訳はきかない。写真の組と社交クラブの組を直接比べても、記憶の差は統計的に意味のある大きさだった。個人単位で、記憶の点数が測定誤差の幅(標準誤差1つ分)を超えて伸びた人の割合は、写真の組で76%、キルトの組で60%、社交クラブの組で47%、自宅の組で46%。基準が緩いので自宅の組でも半数近くが当てはまる、という程度の物差しで、この割合の差に検定は付いていない。

ここまでだと、「難しいことを新しく習えば頭が良くなる」という話に聞こえる。そう読む前に、いくつかの事実を並べておきたい。

参加者の教育年数は平均16年と長く、7割以上が女性だった。参加の条件は、仕事やボランティアが週10時間以下で、英語に堪能で、簡易な認知機能検査で一定以上の点を取れることなどだ。参加者は、三つの習いごとの条件のうち一つを、あらかじめ「これだけは嫌だ」と外すことができた。社交クラブの組で認知的な効果が出なかったことは、確定的な結論とみなす前にもっと研究がいる、と論文の考察にある。心の健やかさや気分の落ち込みの尺度では、習いごとの組と、社交クラブ・自宅の組とのあいだに差が出なかった。記憶は伸びたが、気分の面で上回ったわけではない。

それに、この研究が見たのは14週間の前後だけだ。効果がどれだけ続くのかについては、著者たちは長期の追跡が肝心だと書くにとどめている。

私がこの研究でいちばん面白いと思うのは、効いたものと効かなかったものの境目が、「人と一緒かどうか」でも「楽しいかどうか」でもなかったことだ。境目は、毎週、新しく覚えなければならない情報があったかどうか、のほうにあった。知っている道を毎日散歩するのと、初めての町で乗り換えを調べながら移動するのとでは、同じ「外出」でも頭の使い方がまるで違う。社交クラブは、楽しい散歩のほうだった。

見落とされやすい点もある。写真の組もキルトの組も、講師がいて、同じ組の人たちと同じ部屋で習っていた。「一人で新しいことを習う」のではなく、「教わる場で新しいことを習う」という条件だったのだ。人と一緒にいること自体には記憶への効果が見られなかったが、人と一緒の場で習うことは、効果の出た条件の一部だった。

「趣味のある人は健康」という数字を、半歩手前で読む

くじで割り当てる研究は手間がかかるので、数が少ない。世の中に出回っている「趣味は健康にいい」という話の大半は、趣味のある人とない人を長く追いかけて比べた、観察の研究から来ている。その中でいちばん大きなものの一つを見ておきたい。

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのヘイ・ワン・マク、デイジー・ファンコートらは2023年、日本、イングランド、アメリカ、中国、ヨーロッパ12か国の、65歳以上の計93,263人のデータをそろえて分析した。日本のデータは、高齢者を長く追跡しているJAGES(日本老年学的評価研究)で、5万7千人あまりの日本の回答者のうち「趣味がある」と答えたのは90.0%だった。国によって差は大きく、スペインの51.0%からデンマークの96.0%まで開いていた(中国は37.6%だったが、社会的な趣味だけを尋ねていたので、単純には比べられない)。

分析の工夫は、「固定効果モデル」という方法を使ったところにある。同じ人の中で、趣味があった時期となかった時期を比べる。体質や性格のように、その人の中で変わらない事情は、比べる前に自然に打ち消される。他人と比べるのではなく、去年の自分と比べる、という発想だ。

そうやって比べると、趣味がある時期のほうが、気分の落ち込みが少なく、主観的な健康、幸福感、生活の満足感が高かった。ただ、その大きさは標準偏差の0.1前後。平均点のまわりに15点ほどばらつく試験でいえば、1.5点ほど高い、という程度の差だ。どの国でもおおむね同じ向きに出た、という点が、この研究のいちばん大事な成果だろう。

同じ人の中で時期を比べても、それだけではどちらが先かは決められない。体調が上向いた年に趣味を始め、体調を崩した年に趣味をやめる、ということは十分ありうる。研究チームはこの点を別の分析で確かめていて、ある時点で趣味があった人ほど、その時点の状態をそろえたうえでも、次の調査時点の抑うつが軽く、健康や幸福感が高かった。イングランドのデータでは、時間のずれを組み込んだ別の固定効果の手法でも同じ向きの結果が出た。だから、心の元気な人が趣味を持つ、という逆向きだけでは説明しきれない、というのが論文の見立てだ。それでも観察研究である以上、因果は確立できず、関係はおそらく両方向だ、とも書かれている。日本のデータは54.0%が欠測で、趣味の聞き方も調査ごとに違っていた。

日本の研究で、もう少し具体的なものもある。JAGESの研究班の金森悟らは、愛知県の65歳以上で、要介護の認定を受けていない約1万3千人を4年間追いかけた。地域の会、趣味の会、スポーツの会など、どの種類の会に参加しているかを聞き、その後に要介護の認定を受けたかどうかを調べた。年齢や所得、学歴、持病などをそろえると、趣味の会に参加していた人が認定を受ける危険度(ハザード比)は0.75倍、参加している会の種類が三つ以上の人では0.57倍だった。ところが、歩く時間や外出の頻度、気分の落ち込み、友人と会う頻度、買い物や金銭管理のような生活の段取りをこなす力までそろえると、趣味の会は0.85倍で、偶然との境目に近づく。三つ以上の会は0.78倍で残った。そろえる条件を増やすほど、差は縮んでいく。

読む前の留保もある。最初の調査票に答えたのは配られた人の46%で、答えなかった人の健康状態は分からない。参加の頻度は聞いていない。元気な人ほど会に入るという逆向きの関係は完全には除けない、と論文自身が認めており、最初の1年に認定を受けた人を外しても結果がおおむね変わらなかったことを、補強として示すにとどめている。

こうした研究をまとめて読むときの、私なりの読み方はこうだ。趣味のある人、会に入っている人ほど健康だ、という関係は、調べられた国のおおむねどこでも、同じ向きに出ている。けれど、趣味を始めればその差の分だけ健康になれる、とまでは言えない。差の一部は、そもそも趣味を続けられるくらい元気な人がいる、ということの反映でもあるだろう。「健康のために趣味を選ぶ」という発想は、統計が言っていることより、半歩だけ先に進んでいる。

持病や体の状態に合わせて何をどこまでやってよいかは、統計からは決まらない。そこは主治医に聞くのがいちばん確かだ。

始め方は、三つほどに分かれる

ここまでの研究を踏まえると、60代・70代の趣味の始め方は、何を得に行くのかによって、おおまかに三つに分かれるように思う。どれが上ということはない。並べ方にも順位の意味はない。

一つ目は、教わる場で、覚えることの多い新しい技能を習うことだ。カメラと編集ソフト、楽器、外国語、木工の機械。毎週、新しく覚えることがあって、それを覚えなければ先へ進めない種類のものだ。根拠としては、くじで割り当てた実験で、記憶の伸びが確かめられた方向でもある。ただし、その実験は週16時間を14週間という、普通の趣味の何倍もの量で、補正後に残ったのは写真の組だけだった。週に1回、2時間の教室で同じことが起きるのかは分かっていない。道具代がかさみやすいのも難点で、カメラやミシンは最初の出費が大きい。教室の体験会や貸し出しの道具で試してから、道具を足していく人もいる。そのほうが、合わなかったときに失うものは小さい。覚えられないことが続くと強い苛立ちを感じる人や、新しい操作そのものが負担な時期には、向かない。逆に、少し手に余るくらいのものに、ゆっくり慣れていく過程を面白がれる人には、合っている。

電動ドリルで木製の自転車のフレームを組み立てている、白髪の女性のイラスト

二つ目は、決まった日に通う会に、名前を置くことだ。趣味の会、句会、囲碁の会、歩く会、地域のスポーツの会。何をするかより、「毎週木曜はあそこに行く」という形のほうが本体になる。根拠は観察研究に限られるが、日本の大規模な追跡で、趣味の会やスポーツの会への参加は、要介護の認定を受ける割合の低さと結びついていた。ただ、生活習慣や体の働きまでそろえると、趣味の会の差は境目まで縮む。死亡リスクと結びついていたのも、寂しさではなく、人とのつながりの量のほうだった。弱点は、寂しさそのものにはあまり効かないかもしれないことだ。くじで比べた研究では、人と接する機会を増やすだけの介入は、寂しさをほとんど減らさなかった。人間関係の煩わしさも、この形には最初からついてくる。予定が外から決まっているほうが楽な人、退職で失った時間の区切りを取り戻したい人には合いやすい。退職後の時間の区切りの問題は、退職後に消えるのは肩書きではなく、時間の枠組みだで詳しく考えた。

三つ目は、一人で完結する活動を、一人の時間として選ぶことだ。読む、書く、歩く、植物を育てる、ネットで将棋や囲碁を指す。人との行き来はほかの場面で足りていて、ほしいのは自分だけの時間だという人にとっては、いちばん自然な形だろう。数字の上でも、一人の時間が最も長い年代と、孤独を頻繁に訴える人が最も少ない年代は重なっていた。弱点は、つながりの量には何も足さないことだ。日本の約2万2千人の調査では、運動しない人に比べれば、一人で運動する人も、誰かと運動する人も、主観的な健康が良いと答えていた。運動する人の中で、一人だけで運動する人と比べると、誰かと運動するほうが多い人は健康が良くないと答えるオッズが0.57倍だった。もっとも、誰かとだけ運動する人は0.79倍で、一人のほうが多い人の0.69倍より差が小さく、「人と一緒なら一緒なほど」というきれいな形ではない。一時点の比較なので、どちらが先かも分からない。一人の活動を選びながら、つながりの量は趣味の外で足りているかを、ときどき見直す人もいるだろう。

雲海の向こうの空が橙色に染まるなか、登山用ストックを手に岩場に立つ、白髪の女性のイラスト

60代と70代では、同じ三つでも重心が変わるだろう。統計では、スポーツや趣味の行動者率に段差が出るのは75歳あたりだった。体力の制約が強くなれば、一つ目の道具や移動の負担は重くなり、二つ目の会は、通える距離にあるかどうかで決まるようになる。三つ目は、制約の影響をいちばん受けにくい。どれを選ぶかより、いま自分が何を得に行こうとしているのか、記憶なのか、人の行き来なのか、自分だけの時間なのかを言葉にできると、選び直しもしやすい。

どれを選んでも、始めて三日で飽きることは起こる。それは失敗というより、試着して買わなかった服に近い。合わなかったという情報が一つ手に入っただけで、半年後に気が向いて再開する人もいる。空白の期間を、誰かに説明する義務はない。

三つを分けたあとに、残る問い

一人でいる時間の長さ。人とのつながりの量。寂しいという感覚。60代からの趣味選びで、この三つを一つに丸めてしまうと、選び方がずれる。寂しさを消そうとして会に入り、寂しさが消えないことに落胆する。一人の時間が増えるのを恐れて予定を詰め込み、詰め込んだ予定に疲れる。どちらも、測っている物差しと、気にしているものが食い違っている。

分けてみると、問いの形が変わる。「一人になっても大丈夫か」ではなく、「いま足りないのは、時間の使い道なのか、人の行き来なのか、それとも、会ったときに何かを受け取れているという感覚なのか」。趣味は、そのどれかには効くが、全部には効かない。

どれが足りないのかは、たぶん本人にしか分からない。統計が教えてくれるのは、三つが別々に動いている、というところまでだ。

出典

  • 総務省統計局 (2022)「令和3年社会生活基本調査 生活時間及び生活行動に関する結果 結果の概要」(表4-1 年齢階級、一緒にいた人別睡眠を除く生活時間、表1-2・表2-2・表3-2・表4-2 年齢階級別行動者率). https://www.stat.go.jp/data/shakai/2021/pdf/gaiyoua.pdf
  • 内閣府孤独・孤立対策推進室 (2026)「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和7年)調査結果のポイント」(正式名称:人々のつながりに関する基礎調査). https://www.cao.go.jp/kodoku_koritsu/torikumi/zenkokuchousa/r7/pdf/tyosakekka_point.pdf
  • Russell (1996). UCLA Loneliness Scale (Version 3): Reliability, validity, and factor structure. Journal of Personality Assessment, 66(1), 20–40. https://doi.org/10.1207/s15327752jpa6601_2(原典は未見。内閣府調査の注記を通して参照)
  • Steptoe, Shankar, Demakakos, Wardle (2013). Social isolation, loneliness, and all-cause mortality in older men and women. Proceedings of the National Academy of Sciences, 110(15), 5797–5801. https://doi.org/10.1073/pnas.1219686110
  • Masi, Chen, Hawkley, Cacioppo (2011). A meta-analysis of interventions to reduce loneliness. Personality and Social Psychology Review, 15(3), 219–266. https://doi.org/10.1177/1088868310377394
  • Park, Lodi-Smith, Drew, Haber, Hebrank, Bischof, Aamodt (2014). The impact of sustained engagement on cognitive function in older adults: The Synapse Project. Psychological Science, 25(1), 103–112. https://doi.org/10.1177/0956797613499592
  • Mak, Noguchi, Bone, Wels, Gao, Kondo, Saito, Fancourt (2023). Hobby engagement and mental wellbeing among people aged 65 years and older in 16 countries. Nature Medicine, 29(9), 2233–2240. https://doi.org/10.1038/s41591-023-02506-1
  • Kanamori, Kai, Aida, Kondo, Kawachi, Hirai, Shirai, Ishikawa, Suzuki (2014). Social participation and the prevention of functional disability in older Japanese: The JAGES cohort study. PLoS ONE, 9(6), e99638. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0099638
  • Kanamori, Takamiya, Inoue, Kai, Kawachi, Kondo (2016). Exercising alone versus with others and associations with subjective health status in older Japanese: The JAGES Cohort Study. Scientific Reports, 6, 39151. https://doi.org/10.1038/srep39151
XはてなブックマークLINEFacebook