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大人になってから趣味を持つのが難しい理由

大人になってから趣味を持つのが難しい理由

「熱中できるものがない」のは感性が枯れたからではなく、何をするにも役に立つかどうかを先に聞いてしまう癖のせいかもしれない。

TOMOAKI··趣味

「大人になってから、心から熱中できるものがない」という話を、周りでもよく聞く。自分にも覚えがある。休みの日にやりたいことが特に浮かばず、結局スマートフォンを眺めて一日が終わる。感性が鈍ったのだろうかと思っていたが、どうも原因はもう少し単純なところにあるらしい。

何かを始めようとするたびに、「これは何の役に立つのか」「続けて意味があるのか」と先に考えてしまう。仕事や生活の効率を上げることに慣れすぎると、見返りのはっきりしない時間の使い方に、うっすらとした罪悪感がついて回るようになる。心理学の分野では、活動そのものが目的になっている状態、つまり結果や評価と関係なく没頭できる状態を「自己目的的(オートテリック)」と呼ぶらしいが、大人になるほどこの状態に入りにくくなるという指摘を、いくつかの解説で見かけた。趣味が見つからないのではなく、見返りを求めない時間の使い方そのものに不慣れになっている、ということなのかもしれない。

結果を求めない、という条件

だとすると、最初にやるべきなのは新しい趣味を探すことではなく、「上達しなくていい」「誰にも見せなくていい」という条件を自分に許すことのような気がする。これは口で言うほど簡単ではない。SNSに投稿する前提で何かを始めると、途端に「映えるかどうか」という評価軸が入り込んでくる。あえて誰にも見せない前提で始めたことのほうが、結果的に長続きしている。

いくつかの方向性と、その面倒な面

具体的に何を選ぶかは人によるとしか言いようがないが、大まかに三つくらいの方向性があると思っている。それぞれに良い面と面倒な面がある。

一人で、手を動かすもの。 塗り絵、写経、編み物のような、パターンを繰り返すだけの作業は、始めるための心理的なハードルが低い。うまい下手を気にする必要がほとんどなく、手を動かしている間は他のことを考えずに済む。一方で、地味なだけに「これで合っているのか」という手応えのなさに飽きることもある。

記録すること。 日記でも、コーヒーの淹れ方の記録でも、その日感じたことの音声メモでもいい。続けていると、自分の考え方の癖のようなものが後から見えてくる。ただし記録は、続けているうちに「ちゃんと書かなければ」という新しい義務に変わりやすい。趣味のつもりが仕事のようになってしまう瞬間があり、そこは注意がいる。

体を動かすこと。 縄跳びでも、近所を歩くだけでも構わない。頭で考える前に体が先に動く時間を作ると、単純に気分が変わる。効果を検証したわけではないが、経験的にはこれが一番手早い。欠点は、体調や天気に左右されやすく、習慣として一番崩れやすいことだろうか。

続けるための、地味な工夫

三日坊主になるのは根性がないからではなく、始めるときのハードルが高すぎるだけのことが多いらしい。楽器ならケースを開けるだけ、本なら1ページ開くだけでいい日を作っておく。そのくらい基準を下げておくと、続けやすくなる。それから、上達を可視化しようとしないこと。下手なままでも、その時間を楽しめているならそれでいい、と自分に言い聞かせている。

結局のところ、「何のためにやっているのか」と聞かれて「特に理由はない」としか答えられないことを一つ持っておくのは、悪くないことのように思う。役に立つかどうかを離れて何かに時間を使えること自体が、案外貴重なのかもしれない。