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「資産になる趣味」という言い方について

「資産になる趣味」という言い方について

機械式時計やヴィンテージカメラを「資産にもなるコレクション」として語る記事をよく見かけるが、その言い方がどこまで実態を反映しているのか、疑わしく思う点を書く。

TOMOAKI··趣味

機械式時計やヴィンテージのカメラを紹介する記事には、「資産価値を保ちながら趣味を楽しめる」という言い方がよく出てくる。趣味にお金をかけることへの後ろめたさを、資産という言葉が中和してくれる感覚があるのだと思う。ただ、この言い方をそのまま受け取っていいのかは、一度立ち止まって考えたほうがいい。

「世界通貨」という表現の危うさ

特定のブランドの特定のモデルが「インフレヘッジになる」「世界通貨と呼ばれる」といった表現を見かける。実際、そうした個体が中古市場で高値を保っていることは事実としてある。ただ、それが将来にわたって価値を保証するものだという根拠は、私が調べた範囲では見当たらない。むしろ、こうした市場は流行やコレクター人口の変化に敏感で、値崩れしないという話を裏づける確かな検証は乏しい。

「インフレヘッジ」という言葉が使われること自体が、投資的な期待を持たせる効果を持っている。だが期待と実態は別で、値上がりを謳う言説の多くは、実際に値上がりした一部の事例を後から拾い上げているだけかもしれない、という疑いは持っておいたほうがいい。

物としての魅力と、資産としての魅力は別の話

機械式時計が電池を使わず、手入れを続ければ長く使えることや、フィルムカメラの操作感が数十年経っても色褪せないことは、実際に触ってみればある程度実感できる。経年変化した素材の質感を「深化」と呼びたくなる気持ちも分かる。

ただ、これらは物としての価値の話であって、資産としての価値とは論理が違う。物として長く使える良さは、それ自体で完結していい。そこに「将来売れば得をする」という期待を上乗せする必要はないし、その期待は裏切られることも十分にあり得る。

それでも、丁寧に扱うことには意味がある

信頼できる専門店で買う、修理記録を残しておく、乱暴な改造をしない。こうした習慣は、資産価値のためというより、単純にその物を長く使い続けるための、当たり前の手入れだと思う。「投資として正しい行動」という説明をつけなくても、大事にしたい物を大事に扱う、という理由だけで十分に成り立つ。

手放すときのこと

長く使った物を手放すとき、それを次の使い手に渡す、という感覚は分かる。ただ、これを「価値の循環」とか「継承」とか、大げさな言葉で飾る必要はないと思う。単に、自分がもう使わなくなった物を、欲しい人に譲る、それだけの話だ。

結局のところ、「資産にもなる趣味」という売り文句は、趣味にお金をかけることへの言い訳として便利すぎる。物を選ぶ基準は、それが将来いくらで売れるかではなく、今、それを使いたいかどうかで十分なのだと思う。