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台所で「なんとなく」をやめてみた
塩は量って入れる。冷蔵庫は使う順に並べる。味噌は勝手に発酵する。自炊を巡って自分が変えたのは、それくらいのことだった。
料理の味が安定しないのは、腕が悪いからだと思っていた。実際には、塩を目分量で振っていたことのほうが大きかったらしい。
人が「ちょうどいい」と感じる塩分濃度は、食材の総重量に対しておおむね0.8〜0.9%あたりに集まるという話をどこかで読み、試しに電子天秤で量って作るようにしてみた。効果は正直なところ大きかった。勘で振っていたころは同じレシピでも日によって味がぶれていたが、量ってから作ると、少なくとも自分の舌では違いがわからないくらい毎回同じ味になる。肉を焼くときも、表面の焼き色がつく温度帯と、内部が生焼けからしっとりへと変わる温度帯には数度の幅しかないらしく、これも中心温度計で見張るようになってから失敗が減った。センスや経験で埋めていたはずの部分は、思っていたよりも単なる測定の話だったということかもしれない。
ただ、これで料理から不確実性が消えたかというと、そんなことはない。同じ0.8%でも、素材の水分や脂の乗り方で感じ方は変わるし、レシピ通りに作ってもなぜか物足りない日はある。数字は目安であって、答えを保証してくれるわけではない。それでも、失敗したときに「気合が足りなかった」で終わらせず、「塩か、火か、時間か」と分解して考えられるようになったのは、悪くない変化だった。
冷蔵庫の中身と、使う順番
もう一つ変えたのは、冷蔵庫の中の並べ方だった。以前は買ったものを空いているところに突っ込んでいて、気づくと野菜室の奥で何かが液体になっていた。今は、今日か明日に使うものを目の高さに、日持ちするものを下や奥に置くようにしている。ラベルを貼ったり厳密に管理したりはしていない。ただ「先に傷むものが見える位置にある」というだけで、無駄にする食材はかなり減った。
週末にまとめて仕込んでおくのも続けている。野菜を蒸すだけ、肉を低温調理するだけの状態でストックしておき、食べる直前に味をつける。同じ下ごしらえでも、その日の気分で醤油ベースにしたり塩とハーブにしたりできるので、平日の台所に立つ時間は明らかに短くなった。これは単に、段取りの問題だったのだと思う。
皿の上と、言葉にすること
盛り付けについても少し考えるようになった。皿の上に余白を残すと、主役の食材がはっきり見える。色の対比をつけると、なんとなく食欲が刺激される気がする。この「気がする」を自分で厳密に検証したことはないが、色や見た目が味の感じ方に影響するという報告は、食に関する研究でもたびたび紹介されているようだ。盛り付けを少し整えるだけで、同じ料理が心なしかおいしく感じられることはある。
言葉にしてみることも、思っていた以上に効いた。「この産地のこの時期のものだから、こう調理した」と、選んだ理由を一言でも言えるようにしておくと、食べるときの納得感が違う。これも味そのものが変わっているわけではなく、食べる前の期待や解釈が変わっているだけなのだろう。ただ、その「解釈」も含めて味だとするなら、言葉を用意しておくことは、決して無駄ではない気がしている。
待つことでしか作れないもの
一方で、測ることも段取りも通用しないものもある。味噌や麹は、こちらの都合とは関係なく、微生物が代謝する速度でしか出来上がらない。3ヶ月、1年という単位で待つしかない食品を仕込んでおくと、「早くしたい」という欲求そのものが少し馬鹿らしく思えてくる瞬間がある。タイパという言葉があらゆる体験を倍速化の対象にしていく中で、待つしかないものを台所に一つ置いておくのは、ちょっとした抵抗のようなものかもしれない。
結局、自炊について変えたのは、塩を量ること、冷蔵庫の中を見やすくすること、盛り付けと言葉に少し気を配ること、そして待つものは待つこと。それだけだった。大げさな言い方をする必要はなかったのだと思う。
