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皿の上の余白と、味についての言葉

皿の上の余白と、味についての言葉

盛り付けや写真の撮り方を少し変えただけで、同じ料理がおいしく感じられることがある。それが何を意味しているのか、まだうまく整理できずにいる。

TOMOAKI··料理

同じ材料、同じ火加減で作った料理でも、皿への乗せ方や、それを説明する言葉次第で、感じ方が変わることがある。以前は気のせいだと思っていたが、色や見た目、言葉が味の感じ方に影響するという報告を、食に関する研究でいくつか見かけてから、少し意識するようになった。

皿の余白について

盛り付けで一番効果を感じたのは、皿の上に何も乗せない部分を意図的に残すことだった。ぎっしり盛った皿と、三割ほど余白を残した皿とでは、後者のほうが主役の食材がはっきり見える。情報量が減ることで、逆に見るべき場所が定まるということなのだろう。何かが足りないと感じたときに要素を足すのではなく、まず削ってみる。そうすると、たいてい元の状態より落ち着く。

色の組み合わせについても、赤と緑のような補色を意識して並べると、なんとなく新鮮に見える気はしている。ただ、これを自分で厳密に比較したことはなく、単に慣れた組み合わせを「美しい」と感じているだけの可能性も否定できない。この手の話は、もっともらしい理屈をいくらでも後付けできてしまうので、あまり断定的には言いたくない。

写真の光について

写真を撮るときは、北向きの窓から入る柔らかい光を使うようにしている。直射日光だと白飛びしやすく、素材の質感が消えてしまう。逆光気味の柔らかい光だと、ソースのつやや野菜の繊維がうっすら影を作り、見た目の解像感が上がる。これは単純に光学の話で、特に不思議なことは起きていない。影を全部消してしまうと、かえって立体感がなくなるので、多少の暗部は残しておいたほうがいい、というのも撮っているうちに気づいたことだ。

言葉にすると、味が変わる

一番よくわからないまま続けているのが、料理を言葉で説明することだ。「もちもち」で済ませず、「中心に少し抵抗感を残した弾力」のように書いてみる。香りも「トップに柑橘、後半に土っぽさが残る」というふうに時間の流れとして書いてみる。書いたあとにもう一度食べてみると、心なしか味の輪郭がはっきりする気がする。

ただ、これは味そのものが変わっているというより、注意の向け方が変わっているだけだろう。言葉にすることで、漫然と食べていたら気づかなかった変化に気づくようになる。それを「味が変わった」と呼ぶかどうかは、言葉の使い方の問題でしかないのかもしれない。とはいえ、食べる前に「なぜこの食材を選んだか」を一言で言えるようにしておくと、食べるときの納得感は明らかに違う。これは何度か試して、毎回そう感じている。

写真を撮って残すことについて

作った料理を写真に撮って残すようにもなった。承認を集めるためというより、単純な記録として。ただ、続けて撮っていると、光の選び方や構図に自分の中である程度一貫した好みが出てくることに気づく。それは大げさに言えば審美眼と呼べるのかもしれないし、単に癖がついただけとも言える。両方とも間違ってはいないと思う。

皿の上を少し整え、なぜその食材を選んだかを一言用意しておく。それだけのことで、日々の食事は少しだけ丁寧なものになる気がしている。それ以上の効能を、ここで請け合うつもりはない。